058.本当の――――
「――――さて、遥さん。 そろそろ私達は帰りましょうか」
宴もたけなわ、お茶会も佳境。
テーブルの上に並んでいた甘いお菓子はすっかり消え去って、紅茶も数杯目といったところでふと伶実ちゃんが声を出す。
それはもうお茶会も終わりだと告げる、帰りの合図。しかし告げられた遥はそんな考えなど毛頭ないようで…………
「え~!? もうちょっとここに居ちゃ……ダメ?」
「何を言ってるんですか。 ほら、時間見てください。店にいたときならそろそろ帰る時間でしょう?」
確かに、今の時刻は午後6時前。バイトしていたらもうそろそろ終わる頃だ。
遥もそろそろ帰る時間だろう。むしろこれ以上遅くなると俺が心配する。
「え~!?そんな事言わずにもっと居てくれたらいいのに~!」
まさしく同年代のようにダダをこねるのは遥……ではなく母さんだった。
いかんせん話が盛り上がったものだから母さんにとっても手放したくないのだろう。しかしね、夜も近いんだしね?
「ねぇ遥ちゃん?いっそうちの子にならない? 代わりに総あげるから」
「いいの!? アタシもお母さんの子供になる~!」
「んん~~!! やっぱり遥ちゃん、かわいいわぁ……ほらほら伶実ちゃんも、一緒に私の子供になりましょ?」
「えっ……私は……その…………」
今の空気は母さんの独壇場。
遥と母さん、隣同士でギュッとハグしあった2人は伶実ちゃんまで引き込もうとしている。
しかし良心がせき止めているのだろう。チラチラと俺の顔を見つつ、どうしようか決めあぐねているようだ。
「ほらほら母さん、そんな事してたら遥の母親も困るから、ね?」
「もうちょっとくらいいいじゃない~! いざとなったら総を向こうのお家に放り投げるわっ!!」
「俺は餌かなにかか……」
いやね、ちょっとは話せるけどさ。
でも遥の母親、冷静になりつつ攻めた冗談を言ってくるから油断ならないんだよね。
前、あの人が発案した妹攻撃はホント効きました。
「――――冗談よ。 あんまり遅くなって相手方のご両親に心配かけるわけにもいかないしね」
「ほっ…………」
「えっ…………」
やっぱり冗談だったか。
その言葉に安堵する伶実ちゃんと、絶望に突き落とされたような顔をする遥。
ホントにウチの子になるつもりじゃないよね……?ちょっとした冗談だよね……?
「でも……2人をこのまま帰しちゃって大丈夫かしら?」
「うん? なんかあるの?母さん」
「ほら、表見てみなさい。 随分と酷いわよ?」
「? …………うわっ、ホントだ……」
席を立って庭へと続く窓へと足を伸ばして閉められたレースをシャッと開くと、母さんの言っていることが理解できた。
表は今がピークだというように雨がこれでもかというレベルで地面に叩きつけられている。
風も強いようで庇のある窓にも相当な水滴がついていて、無駄なのを理解しているのか畳んだ傘を手にした少女が走り去っていった。
今日天気予報を見たときは曇りではあれど雨が降ることは無かったはずなんだけどな……夕立か?
「マスター! この雨雲結構おっきいみたい!だいたい……1時間くらい掛かりそう!!」
「1時間か……」
遥はきっと雨雲レーダーを見ているのだろう。1時間とは微妙な時間だ。
このまま雨宿りさせてもいいが、2人も早いとこ家に帰り着きたいだろう。俺だったらこういう時かなり気を遣ってしまうし、何より2人の家に余計な心配をかけさせたくない。
となれば……車か?
「母さん、車は?」
一応、この家には車がある。母さんと父さんの2台持ちだが、父さんは仕事で日中はなく、母さんのは実質家族共用みたいなもの。
そして俺も大学時代に免許は取ってはおいた。開店準備に何度か借りただけで今は立派なペーパーだが、運転できなくはないだろう。
「それがねぇ……優佳が乗ってっちゃってるのよ」
「まじかぁ……」
なんと間の悪い…………。
車も無いとなると、徒歩しか手段は残されてない。
でもここから駅まで地味に遠いんだよなぁ。雨も思った以上に強いし、これは待ってもらうしか無いか……。
「2人とも、雨が止むか……弱まるまで大丈夫?」
「はい。 私は家に言えばいいだけですので」
「アタシも大丈夫~! ママには帰ってくるな言われてるし、この家の子になるから~!」
スマホを取り出して手早く連絡を入れる伶実ちゃんと、またも母さんに抱きつく遥。
ちょっとまって遥。今聴き逃がせない言葉があったんだけど。
帰ってくるなって……絶対あの母親が言ったいつもの冗談でしょ!?…………だよね!?
「その間総の部屋を物色していいから! 2階に上がった一番近くの扉よ!」
「いいの!?マスター!?」
「別にいいけど…………て、まだあったの!?」
主要な物は大抵今の家に持っていったから物置になってると思ってたけど、まだ残ってたの!?誰も使えないだろうに!!
「そりゃそうよ。誰の家だと思ってるの。 別に大したもの残ってないからいいでしょ?」
「そうだけどさぁ…………」
「ほら、良いって! 行ってらっしゃい!」
俺が呆れつつ返事をする隙に、「わ~いっ!」と声を上げながら2階に上がる遥と、それを追いかける伶実ちゃん。
いいけどさ……何が上に残ってるっけ?家具とかアルバムとか……それくらいしか無い気がする。
「ここがマスターのお部屋!…………なんにもない!!」
「そりゃそうでしょ。ほぼ向こうに持っていってるんだから。…………まぁ、好きに見ていいよ」
少し遅れてたどり着いた部屋は、家を出る時と全く変わらない様相だった。
カラのタンスにベッドのフレーム、あえて置いていった勉強道具など、物は無くはないがほぼほぼすっからかんと言って差し支えないだろう。
そんな部屋を見渡す2人は、ガサゴソと勉強道具を置いた棚を漁り、とある本を見つけ出す。
「これは……アルバムですね?」
「えっ!?ウソっ!? 見せて!!」
伶実ちゃんが見つけ出したのは、俺も記憶の彼方にあるほど昔の、古いアルバム。
2人がその場に座り込んで開いていくアルバムには、今の時代には懐かしい写真が所狭しと並んでいた。
「わぁ……!マスターの小学生の頃だぁ! かわいい~!!」
「小学……1年か2年の頃だな」
あぁ懐かしい。
この頃は毎日のように遊んで毎日のようになにかやらかして、そして泣いてたっけ。そのたび親に慰められてたんだよなぁ。
「この子がマスターの幼い頃…………!」
この部屋には他に目ぼしいものがないからか、2人の視線は開かれたアルバムに夢中だ。
そんなの、俺の過去を見たって面白くも無いだろうに。
「――――あれ?遥さん、この方って……」
「ん? 確かに。色んな所にいるねぇ……叔母さんとかかな?」
ふと、伶実ちゃんが気づき、遥も見つけたその人物。
俺が写る写真に高確率で一緒にいる、若めの女性。しかし下に居る母さんでは決して無い人物。
あぁ…………俺も見返すのは随分と久しぶりだ。
この人は――――
「――――母親だよ」
「えっ? でも下に居るお母さんとは全然違うんじゃ…………」
そう。パッと見でわかるほど、母さんとこの人は似ても似つかない。もちろん整形や努力で変わったとかなどでは決して無い。
けれど俺の母親。それだけは間違いなかった。
「俺の…………本当の母親っていうのかな? 俺、ここの養子だから」
「っ――――!!」
努めてなんてこと無いよう告げる言葉に、2人の目が大きく見開く。
開かれている写真。そこで穏やかに昔の俺と一緒に笑っているのは、今はもういない、俺の本当の母親だった。




