048.些末なこと
「…………ただいま、おじいちゃん」
「奈々未…………」
彼女とともに再度やってきた病院の一室。
そこには出ていった時と変わらぬ、おじいさんとおばあさんの姿がそこにあった。
しかし雰囲気はさっきとぜんぜん違う。
さっきまではおじいさんが怒って緊迫していたが、今この時は2人とも冷静に、そして彼の表情は苦々しさが浮かんでおり言ったことを後悔しているのだと感じさせる。
「奈々未……さっきは――――」
「ごめんなさいっ!!」
苦々しい顔のままおじいさんが告げようとした瞬間、被せるように奈々未ちゃんが頭を下げてくる。
呆気。
まさしく呆気に取られたおじいさんはがその行動を脳内で咀嚼する前に、奈々未ちゃんがもう一歩ベッドに踏み出してきた。
「おじいちゃん、さっきはごめんなさい。 言い分も聞かず、勝手に出ていったりなんかして……」
「い、いや……私こそ……!」
「ごめんなさいおじいちゃん、さっきのは撤回するね。 私、アイドル続けるから」
おじいさんが話す間もなくベッドの横にたどり着いた彼女は、おばあさんと交代するように椅子に座ってその手をぎゅっと握りしめる。
未だ呆気に取られていた彼はようやく気づいたのか、その手をすり抜けるようにして奈々未ちゃんの両手を握り返す。
「いいのかい……?続けて…………? アイドル、嫌になったんじゃないのかい……?」
「ううん、アイドルはしんどいこともあるけど、大好きだよ。 …………でも、だから、おじいちゃんには辛い思いさせちゃうかも」
「さっき言ってた、好きなことできないことか……?」
その質問に彼女はコクンと小さく頷く。
彼はその回答を受けて居ても立っても居られなくなったのだろう。
彼女と正面を向き合おうと身体を大きくひねるも、腰に痛みが走ったのか苦悶の表情へと一気に変わってしまう。
「おじいちゃんっ!」
「だ……大丈夫……大丈夫だよ奈々未。 こんな痛み、どおってことないから……」
「でも…………!」
彼女は心配そうにその腰をさすろうとするも、おじいさんに阻まれて大人しく座り込んでしまう。
そして今度はゆっくりと、痛みを感じさせないように身体を捻ってその小さな頭にしわくちゃの手を乗せた。
「私は……おじいちゃんはね、奈々未の輝く姿を見るのが何より嬉しいんだ。それを間近で見れる今が人生で一番幸せなんだよ。 だから、そんな理由でおじいちゃんの幸せを奪わないでおくれ……」
「そんな…………。 いいの……?私のサポートしてくれても……。つらくない?」
「全然だよ。むしろ毎日幸せだからね。 …………でも、おじいちゃんも奈々未に聞きたい事がある。とっても大切なことさ」
「…………?」
彼はそっと離れるように起こしたベッドに座るようにし、優しげな表情で彼女を見る。
心配そうな顔をする、真っ白な少女。そんな彼女に笑いかけた彼は、ふとその表情に影を落とした。
「辞めると言ったの、本当におじいちゃんたちの為かい?本当に嫌になってないかい?」
「それは――――!」
「もちろん奈々未には続けてほしいさ。でも、嫌になったら……もし辞めたいほど辛いのなら、いつでも辞めていいんだよ?大事な孫の喜ぶ顔が曇るくらいなら、アイドルの進退なんて些末なことだからね」
ふと、いつか彼らが来た日のことを思い出した。
奈々未ちゃんが初めて来た日。その時も彼は喜ぶ顔が大切だと言っていた。
彼も、彼女も、お互いにお互いをずっと大切に思っているのだ。
「そんな……私……私は…………私のことはいいのに…………」
段々と、その綺麗な蒼い瞳に涙がたまっていく。
もう何度流したかわからない。けれど今回はおじいさんの手がスッと伸びてその雫を拭った。
「何を言うんだい。おじいちゃんは大切な孫の心が知りたいんだ。 教えておくれ、奈々未。今……何がしたい?」
彼の言葉にキュッと口を噤んだ彼女は、いつの間にか止まった涙を自らの指で拭ってまっすぐおじいさんを見つめる。
今度こそその瞳には、迷いはなく、自らの意思で決め、決意の光が籠もっている。
「おじいちゃん、私……アイドルを続けたい。その…………大事な理由も増えたから…………」
「そうかい……」
チラリと、彼女が横目で俺を見た気がした。
気の所為か……?
「……だからおじいちゃんにおばあちゃん、手伝ってくれる?」
「――――もちろんだよ。いつまでだって手伝うさ。 なぁばあさんや」
「えぇ。私も、奈々未のことをずっと応援してますよ」
後ろからおばあさんがその小さな体躯をスッと抱きしめる。
よかった……。これで、彼女たちもまたアイドルを続けてくれるだろう。
でも、俺が部外者すぎてだいぶ辛い。人知れず去ろうにも、奈々未ちゃんがベッド横に来るまでずっと手を握ってたものだから、今動いたらかなり目立つ。
「…………そういえば、奈々未」
「なぁに?おばあちゃん」
「さっき言ってたアイドルを続ける理由が増えたって……どういうことだい?」
「うん。 それはね――――」
チラリと、彼女の瞳が今度こそ俺を捉える。
見れば見るほど綺麗な、宝石のような瞳。
その吸い込まれそうな瞳に少したじろぐと、彼女はニッコリと微笑んで何も言わずにもう一度おばあさんの方へ振り返った。
「ひみつ! これは私だけの、大切な理由だからっ!!」
アイドルとしての憂いの表情ではなく、更に美味しいものを食べていた時の表情でもない、まさしく太陽のような笑顔。
その表情を理解したのか、おじいさんとおばあさんは何も言わず頷き、俺は最後までさっぱりの状況であった――――。
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「――――ふぅ。 おじいさん、なんともなくてよかったな~」
「……うん。 そうだね」
病院からの帰り道。
道が入り組んでいるためタクシーは手前で降り、2人で夕焼けになった太陽を浴びながら歩きつつ、ボーッと会話を交わす。
おじいさんは検査のため入院、おばあさんも付き添いということで病院に残し、彼女は一旦家に帰ることになった。
家にいるか再度病院に戻るかはこれからの話し合いらしいのだが、どちらにせよ家に帰って物は必要。
と、いうことで彼女は俺と喫茶店に戻ることとなったのだ。どうやら店と家はそんなに離れていないらしい。
「マスターさん……ありがとね。付き合ってくれて」
「ううん。 むしろ力になれたかどうか……迷惑じゃなかった?」
「全然。 力になってくれたよ」
そう言ってくれると嬉しいが、今回俺はホントに何もできなかった。
せいぜい病室から駆け出した奈々未ちゃんを迎えに行ったくらい。俺がもっとスマートに動けたら事態もややこしくならなかっただろうに。
「そうだと嬉しいけど――――っと、もう着いたみたいだ」
ふと気づけば、もう店が目の前に。
どうやら2人での帰り道もこれで終わりらしい。
「家は近いんだっけ? まだ日も出てるけど……気をつけて」
「うん。マスターも」
「俺はもう着いたから大丈夫だよ。 それじゃあね」
家と店が同じだしね。こういう時楽だ。
でも、今更店を開いても誰も来ないだろうし今日はこれで閉店だな。
「また…………………マスターさんっ!!」
「……うん?」
ふと、彼女がもう去っていったと思って俺も店に入ろうとすると、背後から掛けられる綺麗な声。
何事かと振り返ると、彼女は逆光の中俺に見えるようにサングラスを外し――――
「私っ!マスターさんのこと……好きになっちゃった!!」
「………………へっ?」
「~~~~! そ、それじゃっ! またねっ!!」
唐突にやってきた、彼女からの告白。
突然の言葉に意味を理解することが遅れに遅れてボーッとフリーズしていると、黒い服の少女がまるで逃げるように太陽へ向かって駆けていく。
俺がようやく咀嚼しきる頃には、彼女の姿など影も形も無くなってしまっていた――――。




