038.ナミルン
「えっ!? それじゃあナミルンは学校行ってないの!?」
隣から、遥の驚いたような声が聞こえてくる。
小さな喫茶店の片隅。
いつもの場所とは違う反対側の席には、いつも来てくれる少女たちとは別に、更に3人の人物が座っていた。
そこには優しげな雰囲気を醸し出す老夫婦と、その孫と思しき少女が一人。
未だに信じられないが、その少女は今まさしく売れっ子とも呼べるアイドル、【ナナ】その人だった。
白い髪に白い肌、蒼い瞳を持ったアルビノらしい彼女は、遥や伶実ちゃん、灯に囲まれ落ち着いた笑みを零す。
テーブルを移動して4人で囲む楽しげな雰囲気。それを隣のテーブルの老夫婦と俺は、互いに向かい合って笑いあった。
何故マスターである俺も話の輪に加わっているのか…………ただ断りきれなかっただけだ。どうも夫婦には断りづらい雰囲気がある。
「おばあちゃんは行けって言うんだ……ですけど……。難しくて……一人で勉強して……ます」
「でもでも!勉強とか大変じゃない!? 高校はどうするの!?」
「それは……決めかねて……ます。 進学するか、諦めるか……」
「へぇぇぇ……!凄いなぁ……!」
話題の人物であるナナから色々な事を聞こうと話しかける遥に、彼女はオドオドとした様子を見せつつも受け答えしていく。
遥ってば、もう『ナミルン』ってあだ名付けちゃったのね。
「でも奈々未さん、アイドルをしながら高校に通うことだってできるんじゃないですか?」
「それは――――」
「そうなんです。社長としても高校には行くよう言っているんですが、どちらかに集中したいって聞かなくって……」
伶実ちゃんの問いを代わりに答えるは、正面に座るおばあさん。
やれやれと肩を落とす仕草を見せるも、その表情は変わらず穏やかなものだ。
「……社長?」
「えぇ、 私達、奈々未の親代わりであると同時に芸能事務所の社長をしているんです。 それも奈々未しかいませんが……。まぁ年寄りの道楽ですねぇ」
「もうっ、おばあちゃんったらすぐに自分を年寄り扱いするんだから……」
「ふふっ……この歳になるとどうしてもねぇ……」
これまで聞いた話を総合すると、ナナ――――もとい、黒松 奈々未は自身の祖父母が運営する芸能事務所に所属しているらしい。
たった一組だけの芸能事務所か…………前もいたな、そんな3人組アイドルユニットが。
しかし問いかけた伶実ちゃんはその言葉の中に引っかかるものを感じたようで……。
「親代わり…………ですか」
「あっ……」
「あらら……しまったわぁ。 ゴメンねぇ奈々未。 親って言うつもりがつい話しすぎちゃった」
ふと気になった言葉を復唱すると、まさしくやらかしたかのような表情を浮かべる少女とおばあちゃん。
たしかに……その穏やかな話し方についつい流しそうになったが、今一度考えると引っかかる言い回しだ。
「は、話しにくいことでしたら答えなくても――――」
「いえ、別に隠すことでも……ない……ですし」
アイドルと言いつつも少しオドオドとした様子なのはプライベートだからだろうか。
しかし夫婦相手だと淀みないし、単に人見知りなだけかもしれない。
「その……私が物心付く前にパパとママ……亡くなっちゃった……んです。それでおじいちゃんとおばあちゃんが保護者として……」
「っ――――! すみません。余計な事を聞きました」
「いえっ……いいの。 私も覚えてな……ませんから……」
それは…………知らなかった。
ネットにも載っていなかったから、きっと公にはしてこなかったのだろう。
しまったと慌てる伶実ちゃんにも、なんともないようにナナは微笑みを向ける。
幼い頃にご両親が他界されてたか…………。それはまるで、――のような話だ。
「じゃ……じゃあさっ! 前にやってたライブ!途中まで見たけどすごかったよ!やっぱり緊張するものなの!?」
「あっ、見てくれて……ありがとう……ございます。 あれはですね――――」
ナイス遥!話を切り替えてくれた!!
多少強引ではあったものの話題のシフトした彼女たちは会話を続けていく。
よかった。変な空気にならずにすんだみたいだ。
「……それにしても」
「はい?」
地雷を踏んだことに冷や汗が出たが、無事切り抜けたことに肩の力が抜けてお冷を口つけると、ふとおじいさんが話しかけてくる。
「一度下見した時も思いましたが、やはり良いところですねここは。 入り組んでいて、食べ物は美味しくて、驚くことに奈々未と同世代の子たちまでいる」
「はぁ……ありがとうございます…………」
褒められて……いるんだよな?
にしても下見?どういうこと?こんなお二人を見た記憶が……。
……ってもしや!灯みたいにずっと外から伺われてたとか!?
「マスター、マスター」
「伶実ちゃん?」
いつからここは何人もの人物に監視されるようになったんだ――――そう思い込んで驚いていると、今度は隣から乗り込んできた伶実ちゃんが俺の服を引っ張る。
彼女は肩をつつきながら耳に近づいていって、小声で告げてきた。
「思い出しました。おじいさんとおばあさん……以前来られた方ですよ。ほら、私が働きだして数日後来られたお客さん」
「んん……? …………あ!」
彼女の言葉によって俺の埋まっていた記憶が掘り起こされ、思わず声を上げてしまう。
思い出した!
開店したての頃、伶実ちゃんをバイトに迎えてすぐの時、お客様第一号として散歩ついでのような老夫婦を対応したんだった!!
もしかして下見ってそのこと!?
驚きを隠しきれないままおじいさんに顔を向けると、会話が聞こえていたようで優しくゆっくり頷いてくれる。
「覚えていておいでとは、嬉しいです」
「いえ……はは…………すみません」
まさか伶実ちゃんが覚えているのに店長である俺が忘れているとは。
俺ももっと人の顔を覚えるようにしないとな。こういうことになりかねない。
「いえいえ、お気になさらず。 ……ですがそろそろ時間ですね。 奈々未、そろそろ帰るよ」
柔和な笑みを浮かべているおじいさんは、チラリと腕時計を確認してから唐突に立ち上がる。
時刻は……17時。思ったより話し込んでいたようだ。
「ぇ……もう?」
「ほら、上着を着なさい。今日はまだ予定があるんだから。これでもギリギリまで待ったほうだよ」
「はぁい……」
彼女たちはまだ仕事があるようだ。残念そうにしながらもいそいそとまた黒い服に身を包んでいき、その間に会計を終えた老夫婦は出ていってしまう。
最後に残されたナナは、遥たちの見送りを受けるように1人扉の前へ。
「ナミルン……また会える……よね?」
「それは……」
「遥さん、彼女は忙しいんですから。 ……また、お会いすることがあれば、よろしくおねがいしますね」
少し戸惑う遥を諌める伶実ちゃん。
そんな彼女たちの見送りを受けたナナは、少し逡巡する動作をした後、まっすぐ俺たちを見渡して口を開く。
「…………また……この店に来ます……。 今度は……1人で」
それだけを告げて足早に去っていく少女。
最後の言葉に少し呆気にとられたが、少女が去っていった店は、皆一様に嬉しそうな笑顔を浮かべていた。




