032.たとえ地に落ちても
「でもマスター……それってホントにいいんですか?」
「うん?」
伶実ちゃんと遥のにらみ合いがようやく終わった後、ふと思いついたように伶実ちゃんが小さく呟く。
その右手で握られた拳を、悲しそうな顔で見つめながら。
……はて、いいって何のことだろうか。
「その……二股されて両者別れるっていう計画はわかりました。でもその……評判というかなんというか……」
「あぁ…………」
なるほど評判か。確かに聞かないとまずいかもな。
その言葉を受けてチラリと遥を見ると、開かれた掌を見つめながら「えへへぇ……」とだらしない笑みをこぼしている。
…………事情を知ってるからいいけど、はたから見ればちょっと不安になる光景だな。
「遥」
「ん~? なになにマスター! もしかして恋人のアタシとイチャイチャする練習!?」
「なにそれ……違う違う。 イチャイチャするどころかすぐ別れるんだし」
「え~!?いいじゃん! ちょっとくらい~~!!」
小走りで俺の隣に駆け寄ってきた遥は、椅子に座る俺の肩を右へ左へ大きく揺らしてくる。
あー。揺れが丁度いい感じにマッサージに…………いや、これ酔いそうだ。
彼女たちが見ている手…………それは厳正な審査の結果、俺と付き合う設定は遥が請け負うことになった。
伶実ちゃんがグーで遥がパー。負けたほうが請け負うと思ったが、2人の間だと勝ったほうがその役割を担うらしい。
そしてその結果に悔いが残るのか、伶実ちゃんはずっと右手に作った握りこぶしを見つめている。
……別に付き合うといって本当にそういうことじゃないのに。事案なっちゃうよ?俺捕まっちゃう。
2人もまだまだ俺みたいな男はお断りだろうに。
「それは俺お縄になっちゃうからね。 違くて、遥も高芝も、評判はいいのか?」
「ふぇ?評判?」
「……?私もですか?」
その反応から察するに、そこまで頭が回ってなかったらしい。
俺も思いつきで、そんな先のことまでは言われるまで気づかなかったしなぁ。
「あぁ。少なからず2人とも俺と付き合って別れる設定なんだ。同情はされるだろうがその後……本当の恋人を探す時に噂とかで支障にならないかと思ってな」
そう。一時的に解決しても、その後彼女らに恋人ができる時。この設定が足枷になってしまうのではないだろうか。
もしくは今でも人気者の遥は二股された噂が流れることで対応に追われ、その後の生活に影響が出ないとも限らない。
「いえ、マスター。私がいいたいのはそういうことではなく――――」
「アタシは全然大丈夫だよっ!じゃなきゃ引き受けないもんっ! 友達もみんないい子だし、本当の恋人だってその…………気にしないし…………」
伶実ちゃんが声を掛けてくるのに被せて来るのは明るい遥の声。しかし段々と言葉に力が無くなっていった。
きっといつか来る未来の旦那様の事を考えているのだろう。頬も赤いし。
いつか彼女もそういう恋人ができるだろう。遥が好きになるくらいだし、勉強もできて人格も良い、素敵な人なんだろうな。
「だっ……だから! アタシのことは何の心配もいらないからねっ! あかニャンはどう!?」
「私ですか……? 私はその……今の状況を変えられるなら……なんでも…………」
まぁ、高芝は状況を変えるために俺と恋人関係っていう無茶な設定を突然思いつくくらいだしな。その後のことは考えきれないだろう。
でもこんな可愛らしい子が俺と付き合うって大丈夫?不名誉な記憶にならない?
「ってことでレミミン、アタシたちは心配しなくていいよ!じゃなきゃマスターの恋人になんてならないしね!」
「……なぁ遥。距離近くない?」
「え~! いいじゃんちょっとくらい~! アタシたち付き合ってるんだしっ!」
「設定だけどな…………」
ススス……と俺の真横に近寄ってきて腕に触れてくる遥。
それくらいなら全然構わないんだけど、なんていうか……恥ずかしい。
顔が熱くなっているのを悟られないように遠くの天井を見上げていると、ふと反対側にも何者かが触れる感触に気が。
「…………私も」
「ほえ? あかニャン?」
「……高芝?」
「わ……私もあなたのフィアンセですし……その……助けてくれるのならこのくらい……構いませんよ…………」
肩が触れるくらいに近寄ってきた彼女は、そっと腕を絡ませるように伸ばしてきて、ついには指と指を絡ませるように俺の手を握ってきた。
いわゆる恋人繋ぎだ。思わず高芝へ目を向けると、彼女は見られないように顔を逸らしているものの耳まで真っ赤になっている。
なんという両手に花。しかも修羅場にならない。
思いもよらぬ彼女らの行動とその手の柔らかさに驚いていると、ふと正面に立つ3人目の少女に気がついた。
「皆さん……私のこと……忘れてませんか?」
「ぁっ…………。いやぁ~、アタシがレミミンのこと忘れるわけないよぉ~!」
「おっ、おう。伶実ちゃんも、2人の評判まで心配してくれてありがとな」
正面に立つ彼女は……笑顔だった。
しかしその裏には明らかに怒りが籠もっている…………やばい、真面目な彼女のことだ、店で変なことをするなと怒っているのだろう。
俺はしまったと思いつつも、彼女らとは目を逸らして頬を掻きながら御礼の言葉を口にする。
「もうっ!私がいいたいのはそういうのじゃないんですっ! マスター!あなたの評判の話です!!」
「…………俺?」
想像もしていなかった言葉に彼女と目を合わせると、ムーッ!と頬を膨らませて明らかに怒っている顔がそこにあった。
彼女は思い切り眉を釣り上げながら、もう一歩俺との距離を詰めてくる。
「マスターが特定されて、噂が学校の外に広がっちゃったらどうするんですか! 店には私以外誰も来なくなっちゃうし、もう今日みたいに学校に遊びに行くこともできなくなっちゃうんですよっ!!」
「…………」
絶句――――
彼女の怒って伝えてくる様に、俺は何も答えることができなかった。
そっちについては全く考えてなかった。
まさか伶実ちゃんが心配してくれてたのが2人じゃなくって俺だったとは。
正直、2人には悪いけど嬉しい。でも、そうなっても伶実ちゃんは…………
「まったくもう……マスターなら真っ先に気にしなければなりませんのに――――」
「伶実ちゃんは来てくれるんだね。そうなっても」
「――――っ!!」
虚を突かれたように。
彼女は肩を持ち上げ目を丸くして驚く仕草を見せる。
「ま……まぁ私はここのアルバイトですし! それに……ここはもう私の生活の一部ですから……」
茶色の髪をイジイジと弄るように、俺から目を逸らしながらも顔を赤くして恥ずかしがってくれる伶実ちゃん。
……そっか。生活の一部って思ってくれるんだな。
「ありがと、心配してくれて。 でも大丈夫。元々お客さんが来ることがないんだし、伶実ちゃんが来てくれるならそれだけで十分だから」
「そ……そうですか…………。 なら私は……ずっと……ずっとこの店に――――」
「あ~! 何レミミンだけいいとこ取っていこうとしてるの~!!」
「キャッ!!」
もう一歩。もう一歩と近づいてもはや抱きしめられるほどにまで近寄ってきた彼女が、潤んだ瞳をこちらに向けて来た瞬間。遥がそんな伶実ちゃんを横から抱きしめるようにガバっと抱きついてきた。
思いもよらぬ衝撃に俺の目の前から横に数歩動いた伶実ちゃんは、遥をその身で受け止めて言葉が遮られてしまう。
「たとえマスターが嫌われちゃってもアタシもずっとここに通うよ~! もうマスターのデザート無しや生きられないんだからっ!!」
「生きられないって大げさな…………ん?」
大げさにデザート好きをアピールする彼女に苦笑していると、ふと袖が引っ張られていることに気がついた。
伶実ちゃんに遥がそこに居るとくれば…………背後には高芝が。彼女は恥ずかしそうにしながらも、しっかり俺の服を握って引っ張ってきている。
「ま……まぁ、私が原因ですし。 私もここの常連さんになってあげますよ……」
「高芝まで…………」
「…………灯でいいです」
「えっ?」
「だからっ! 高芝なんて他人行儀じゃなくって灯でいいですって!! …………フィアンセなんですから」
怒ったように、恥ずかしそうに主張してくる灯は、言い捨てるように伶実ちゃんを抱きしめる遥を抱きしめに走りに行く。
俺はそんな3人で抱き合う少女たちを見て、彼女たちが居るなら学校中の生徒たちに嫌われてもいいとさえ思うのであった。




