028.両手に花の現実
教室が静寂に包まれる。
隣のクラスの喧騒が、遠い世界の出来事のようだ。
ホームルームだからだろう。教室内に父兄の姿はなく、廊下で遠巻きにこちらの様子を見守っている。
つまりこの教室で生徒ではない人物は俺一人だけ。そんな一人だけアウェーな俺に、クラス中の人物の視線が降り注いでいる。
別に悪いことをしたわけでもない。法に触れるようなことだってしていない。ただただ全員が驚きの表情で、何者かと伺っているだけだ。
俺は突き刺さる視線に冷や汗を垂らしながらも隣にいる人物……高芝へと視線を向ける。
彼女はふんぞり返った表情で、それ見たかと自信満々といった様子で俺の腕をギュウッと抱きしめていた。
原因といえば…………高芝の衝撃発言。『俺が彼女のフィアンセ』という唐突な告白がすべての始まりだった。
きっと彼女はその頭脳からクラスでも浮く人物であると同時に、注目を浴びやすいのだろう。だから『秋日和』での会話のように疎まれる事もあり、一人ぼっちにもなってしまう。
そんな高芝の言葉は、教室の時を止めるには十分だった。同時に入ろうとしていた少女2人の時間も止めてしまう。
「高芝……今なんて…………」
「シッ! あなたは黙っていてください」
何の意図があってそんな言葉を口にしたのか。
そう問いかけようとしたが、それより早く彼女が割り込んできてしまった。また、彼女の言葉を皮切りにようやくフリーズから解けたらしい秋穂なる人物は口を震わせながら声を発する。
「フィ……フィ……フィアンセ……ですか……?」
「はい、フィアンセです。寝ても覚めてもずっと考えてる……大切な人です。 これまでヒミツにしてましたが……いつも午前中は、この人と一緒に居るんですよ?」
ありもしないことを平気な顔で言う高芝。
その言葉を受け、俺は彼女に会う前に階段で聞いた話を思い出す。
『何を考えてるかわからない』と、『午前中は何してるんだ』と――――。
後者は彼女に伝えなかったが、きっとどこかで言われていた内容を把握していたのだろう。まさしくその陰口のアンサートークかのように、ニッコリと微笑んで目の前の少女に笑いかける。
と、同時に沸き立つはクラス中の女子。
まさしく黄色の、「キャー!」という声。年頃の少女は恋愛に敏感とはよく聞いたが、それは世代が変わっても変わらないもののようだ。
クラス中のボルテージが最低から最高へと沸き立つのを見届けた高芝は、俺の腕を解いてほんの少しだけ引っ張った。
「高芝…………?」
「ほら、秋穂さん。 秋穂さんはこれまで私のことを心配してくださっていたようですが、私には支えてくれる大切な男性がいらっしゃいますので、ご心配なく」
「…………」
「もちろん将来を誓い合ってますので犯罪ではありません。 でも、午前中は一時も離れたくなくて……授業を休んでしまってすみません」
固まる少女に追撃をするかのように語りかけると、教室の声は更にボルテージを増していく。
次第に引っ張っていた俺の腕は、自らの胸元で抱きしめるように。…………惜しいな。何がとは言わないけど。
「高芝…………」
「あら、乃和さん。 どうしました?」
続いて現れるのは3人の内のもう1人。乃和……といったか。声的に勉強しろって言われていた少女だ。
「そのっ……付き合ってるってことは……もうイチャイチャえっちなこともしちゃったり…………?」
「っ――――!」
さすがにその質問は予想していなかったのか、腕を握る彼女の手が力強くなる。
しかしそれもすぐに緩め、目の前の少女に悟られないよう笑みを浮かべる。
「……も、もちろんです。 フィアンセですもの。毎日毎日………ふふっ」
「まいにっ…………!?」
毎日!?
そんな……俺が知らないうちにそんな事を……!? あ、ウソですよね、分かってます。
俺さえも知らないウソの真実を耳にした彼女も、隣の秋穂同様その場で固まってしまう。
これ……どうやって収拾つけるの?
その阿鼻叫喚の教室を見て逃げ出したくなったところ、力強く抱きしめていた彼女はその腕を開放した後、俺へ耳をよこせと手招きした。
「突然すみません。でも今はこのままで。 とりあえず、ホームルームが終わる前に学校を出てもらえませんか?」
「でもこの惨状は……」
「すみません。今は説明する暇はありません。 とりあえず廊下に…………あっ――――」
動こうとしない俺を無理矢理出すためか、グイッと引っ張って廊下の方へを向いたその時だった。
扉近くに居るは伶実ちゃんと遥。彼女たちは呆気にとられた顔で高芝と目を合わせる。
そうだった…………彼女たちも居たんだ。
「ぁ……ぁっ……遥……先輩…………」
「う……嘘だよねあかニャン……マスターと……付き合ってるだなんて…………」
きっと高芝も、今の今までその存在に気づかなかったのだろう。
声を、手を震わせながら伸びた腕は虚しくも空を切る。
そんな遥を目の当たりにした高芝は、見ていられないように視線を逸らすと、ズイッと側に居た秋日和の2人が高芝に詰め寄ってくる。
「高芝さんっ!それってどういう!?いつからですか!?」
「高芝!一体何をどんな感じで!? ねぇ高芝!!」
「きゃっ! おふたりとも……ちょっと落ち着いてください!」
小さな声で出たお願いなど興奮する2人の耳には届くはずなく、ズンズンと距離を詰める2人に高芝は俺ごと壁に追いやられてしまう。
もう逃げられないと。ギリギリまで追い詰められた彼女は、俺の背中をグンと押して迫りくる2人から逃された。
「すみません。 今は……先輩方をお願いします」
「ぇ…………ウソっ!? この2人を!?」
「お願いします…………」
追い詰められながらも、俺からも秋日和からも視線を逸らしつつお願いする彼女は、苦虫を潰したかのようにつらそうな表情をしていた。
それほどまでに大好きな先輩には知られたくなかったのか……最悪なタイミングで来たものだ、2人も。
沸き立つクラスで暗い顔を浮かべる3人の少女たち。
俺は彼女の言葉に従うように、顔を伏せっている伶実ちゃんと遥の前に立つ。
「ますたぁ…………」
「遥……」
ゆっくりと顔を上げた彼女は、目に涙を浮かべて今にも決壊しそうな状況だった。
俺は何も言わずに彼女の手を握る。まずはここから出ることだ。2人を連れて。
手を握った途端「あっ……」と小さく声を漏らすだけに留めた彼女を横目に、俺はもう1人の少女の前に立つ。
「総さん……ウソですよね…………灯さんと付き合ってるなんて……フィアンセなんて……そんなの、ありえませんよね……」
ブツブツと呟くのはもう1人の少女、伶実ちゃん。
俺への呼び方が変わっていることが気になったが、今は言うべきでもない。
彼女も遥同様手を取ろうとしたが、振り払われてしまい叶うことはなかった。
「ウソです……信じたくありません。 総さんが……総さんが他の女の人とだなんて……。そんなの私、生きてる意味なんて…………」
ブツブツと、ギリギリ聞こえない声量で呟く彼女の腕を再び取ろうとしたが、またも弾かれそうになったため今度は無理矢理、力づくで彼女の腕を取る。
バッと見上げた彼女の瞳は…………虚空だった。
何も入っていない、ただの無。俺はそんな彼女から目を逸らすことなく、ゆっくりとその耳元に近づいていく。
「伶実ちゃん。この設定について店で話すから。今は黙って着いてきて」
「せっ…………てい…………?」
「今は、俺についてきて」
耳元に近づいて、彼女だけに聞こえる声でつぶやくと、僅かながら目に光が灯っていった。
肩の力が抜けた隙を狙って2人を連れて教室を出ていく。
両手に花………といえば聞こえはいいが、その実態は修羅場まっしぐら。
別に俺は2人と付き合っているわけでもないし、好かれてるわけもない。
けれどこうも驚いてくれると、友達……または兄貴分としての信頼くらいは持ってくれているのだろうか。
とりあえず店で説明をしないと全ては始まらない。
そう把握をした俺は、沸き立つ教室に背を向けて、自らの店へと足を向かわせた――――。




