026.一人ぼっち
「わっ! ちょっ! どこまで行く気だ!?」
「…………」
高芝に腕を引っ張られた俺は彼女に連れられてグングン授業の場である科学室から遠ざかってしまう。
廊下を曲がり、階段を上がり、ついには屋上前の扉まで。
そこはさっきまで陰口を言っていた3人組が喋っていた場所だ。階下からの光のみに頼っているこの場は、少し暗く陰湿な雰囲気を漂わせている。
階段をのぼり切る手前で徐々にスピードを落としていった彼女は、登り切る頃には完全に足を止めてギュッと握りしめていた俺の腕を開放した。
「一体何を……ってか、早く戻らないと授業が始ま――――」
パァンっ!
と、堅い壁面に何かを叩きつける等な音とともに、彼女の身体が俺の目の前まで迫ってきた。
それはいわゆる壁ドン。俺を逃すまいとその身体を盾にして、ぶつかる直前で静止する。
小さな身体のせいでその腕は俺の胸の位置で伸ばされてしまってイマイチ迫力に欠けるが、それでも伏せっている顔は何かを思うところがあるようだ。
けれど、待てども待てどもその顔が上がることも声を聞くこともない。ついには学校中に設置されているスピーカーからチャイムの音が聞こえてきた。
あぁ……授業が始まってしまった。俺は別にいいんだけど、この子は遅れてしまっていいのだろうか。
「チャイム、鳴ったんだが……」
「…………」
「教室、行かなくていいのか?」
「…………」
とりあえず聞いてみるも、何の返答もない。
困ったな……とりあえず話が出来ないことには進まないんだけど。
確かに時間があれば高芝の教室も覗こうと思っていた。でも、盛大に遅刻した時点で諦めてたんだよなぁ。
姿を見つけた時は思わず話しかけちゃったけど、失敗だったか……?
「なんで…………」
「……うん?」
小さく何かを呟いた彼女は、ゆっくりと顔を上げる。
徐々に見えてくるその表情は、困惑・悲しみ・そして――――
「なんで……最後の最後に来ちゃうんですか。 私、来ないものと思ってましたのに…………」
そして、先述の2つの感情でも隠しきれないほどの笑みがそこにあった。
正確には、嬉しそうな表情を必死に抑えつける姿が。歪む口元をなんともないように装っているものだからヒクヒクと動き、その目元はもはや笑っているのか怒っているのか微妙なところだ。
けれど声色は決して不機嫌そうなものではない。 明らかに嬉しそうだ。
「もしかして……待ってくれてたのか?」
「なっ…………! そ、そんなわけないじゃないですか! 誰が親でもないあなたのことを……!」
その言葉に虚を突かれた彼女は慌てたように自らの身体を抱いて俺をキッとにらみつける。
でも、さっきの喜びようを見たら……ねぇ。
「別に私は遥先輩にお願いされたから、もし来たらイヤイヤ相手にしてあげようと思っただけですよ! イヤイヤね!」
「相変わらず遥のこと好きだなぁ……」
「当然ですっ! 私にとっての全てですから!」
仁王立ち。
フンと鼻を鳴らす姿は以前にも見た姿だ。
相変わらず高芝は俺のこと嫌ってるなぁ。
ファーストコンタクトが失敗したからか?
「一応来るかなって身構えてたのに……。 それなのに、朝から一向に来なくって……。そんなに向こうが楽しかったんですか?」
「いや、俺が来たのは1時間位前だから。 最初アッチで1コマ見てここに来たって感じ」
「そっ……そうですか。 まぁ、私からしたら何でもいいんですけど」
一瞬驚いたように目を見開いたものの、すぐに顔を逸してその黒い髪を弄る。
なんだかんだ、寂しかったのかもな、高芝は。
来るかもしれないって思わせぶりなことを言って、結局こんな時間になっちゃったし、遥あたりに頼んで一報入れてもらえばよかった。
でも、それならなんでこんな場所まで連れてきたの?
「そろそろ、授業戻らなくていいのか? 授業始まってるぞ?」
「…………別にいいんです。 私が居ても居なくても変わりませんから」
ふとした問いかけに、彼女はスッと複雑な表情に影を落とす。
その顔は、今まで灯っていた感情の火が一瞬にして消え去ったよう。
火の消えたそれはまさしく無表情。俺と目を合わせようとしない彼女の瞳の内には、何の色も映らなくなってしまった。
「確かに頭はいいのは分かってるが、出席日数とかあるだろ?」
「計算してますから。 毎日の午後と少しの補習を受ければ進級できますので」
「そうは言ってもなぁ…………」
俺が戻ろうと促しても頑なに動こうとしない高芝。
視線すら合わせないそれは、何か隠している気さえ思えた。
心当たりはないこともない。もしかして…………。
「なぁ……俺が科学室入る直前に入った女子三人組……あの三人が話してるのが聞こえたんだが……」
「――――!!」
さっきあった事。
その言葉で彼女の肩が大きく震わせた。
きっと何を話しているのか察しがついているのだろう。
たまたま一瞬、話し声が聞こえた程度の俺だ。対象である本人ならもっと深いところまで把握しているかもしれない。
…………そういえば、以前彼女は自ら言っていた。『クラスで一人ぼっち』だと。
そして今日あの三人が話していた内容には『なんで朝から来ているのか』と――――
遥からのお願いということもあるかもしれないが、もしかして俺が来るのを待ってくれていたのか……?
「あ~あっ、なんてタイミングで来るんですかねぇ…………」
俺が当時のことを思い出していると、彼女は一つ大きなため息を吐きながらすぐ近くの階段へと腰を下ろした。
キチンと下にハンカチを敷くのも忘れていない。
「待ってあげてたのは本当です。でもさっき顔見た瞬間、本当に今の私を取り巻く状況を知られてもいいのかって……パニックになりまして…………」
「高芝…………」
小さな声で告げる彼女は、今の複雑な精神状況を表しているようだった。
来てくれた事自体は嬉しいが、いざ目の当たりにするとクラス内で自分の状況を思い出し、それを知られても良いのかとパニックになる。俺が知れば本人に説教するところまで想像したのかもしれない。
「ま、別に隠してるつもりもなかったんですが……。遥先輩には言わないでくださいよ?」
「……いいのか? 遥が知ったら解決してくれると思うが」
優しく、分け隔てない彼女のことだ。
高芝の現状を知って助けを求めれば、彼女の方から話をつけてくれるかもしれない。もしくは、とうに知っていてあえて動いていない可能性もあるんだが。
「いいんです。むしろ変な気を使わせちゃうじゃないですか。私はそういうの抜きで側に居たいんで。 ……そもそも、遥先輩に任せたら余計ややこしくなります。それこそ有名人の先輩を使ったせいで針のむしろになりますって」
「……たしかに」
遥……有名だったんだ……。
でも、ややこしくなるのは一理ある。第三者を使った逆恨みで余計わだかまりが残って、更に陰湿に、更に酷いものになる事も否定できない。
「だから、今のままでいいんです。 別に実害はないですし、遠巻きにコソコソ言われるくらいが、私には丁度いいんですよ」
そう言って自嘲気味に笑う彼女の横顔は、ひどく、ひどく寂しいもののように思えた――――。




