第五談 児玉愛美
マッシブステージはサマーソニック開催場の万博記念公園の一番奥にある。
雑木林と竹林を眺め、ゆるい坂道を登っていると、まるで登山をしているような気分になる。
「本当に出られるのかな」
「大丈夫なの?」
周りから心配の声が聞こえてくる。
カバンにメンバーのフォトカードを入れ、No CapのTシャツにグッズのタオルをかけた私は、同じような服装のファンを見て安心した。
懸念しながらも、ファンはステージへと向かっていく。ライラーを信じる人がこんなにもいる、と胸がきゅうっとする。
No Capの事務所が火災に遭い、メンバー四人が死亡した事件は大々的にマスメディアに報じられ、SNSでも話題が尽きなかった。
人気上昇中の悲劇は大きなショックであり、同時に好奇の目も向けられた。
リーダーがTikTokのライブで、
「美々子、香里奈、千世、ジヨンは死んでません。生きてます。ニュースは嘘です」
と泣きながら話したことから、事件はさらに物議を呼ぶ。
リーダーのライラーは、公式から消されても消されても、網目をすり抜けるように「メンバーは死んでいない」「サマソニには五人でステージに立ちます」と書き込み、動画ですっぴんの泣き顔で必死に声を届けた。
ライラーは心を病んで、狂言を繰り返している。
ファンも、そうでない人も、そう判断した。
あまりにも痛々しい姿に目を背けるファン、悲劇のヒロインぶって注目を集めたいだけという悪意ある憶測。Xのトレンドに「No Cap」が消えることはなかった。
四人は生きていて病院で治療中だとか、ライラーは精神科に入院したとか、様々なデマも流れた。
私の心は掻き乱され、仕事のミスが増えて上司に叱られた。
――何を信じればいいのだろう。
ライラーは嘘をつく子じゃない。
千世ちゃんによく「ライラーはすぐ顔に出て、嘘つけないんで」といじっていた。
みんな、生きていて欲しい。
でも火事は本当に起きた。
繰り返し報じられるニュースに、もうやめて、と言いたくなるほど。アイドルの少女たちが火事で亡くなった、ショッキングな映像は消えなかった。
サマソニは行かないでおこう。
泣きながらNo Capの曲を聴いて、そう決めたのに。
No Capはサマソをキャンセルしなかった。
メンバーが死亡しているのに。生き残ったリーダーが心を病んでいるのに。
ファンがサマソの運営に連絡したところ「変更はない」との返事。サマソニが間近になると、ライラーのSNS投稿は途絶えた。
プロデューサの理沙はインスタ、Xの公式アカウントで「Not capはサマソニに出演します」とだけ公言した。一人なのか、メンバーは生きているのかという質問には理沙さんは答えなかった。
そして、また様々な情報が飛び交った。
――ニュースは誤報だったのか。
――新しい演出なのか。
それにしては人が死んでいるなんて不謹慎すぎるし、手が込みすぎている。
でも五人アイドルが一人でステージをやるなんて、前代未聞だ。
マッシブステージは五分で入場規制がかかった。
私は狭い前列に立ち、祈るようにステージを見つめる。
可愛いじゃなくて、カッコイイ。
アイドル界の「異例」の最前線に立った彼女たちの勇気に感動した人は多かった。
女の子は可愛いのが当たり前。
中太りで背が高い私は、それを嫌っていた。もっと女の子のあり様は様々でいいのに。
幼くて可愛いが求められる日本のアイドル界で、クールで自立している、大人になろうとしている少女たちは、私に鮮烈な勇気を与えてくれた。
推しの不幸は自分の不幸だ。
ショックでファンを辞めた人も多い。その人たちを責める気はない。けれど、それでも残った人がこんなにいる。それだけすごいグループだった。
ライラーなら、一人でもやるだろう。
彼女は諦めない。きっと立ち直っているはず。
でも――まだ十代の少女がこんな過酷な思いをしてステージに立つ、それを見届ける私たちは、良いのだろうか。罪悪感もあった。
大人が目を背けたくなるほどの悲劇。
ようやく売れて、大きなフェス出演のチャンスが巡ってきたのに、メンバーは一人を残して死んでしまった。
そんなことを、一人の少女に背負わせていいのだろうか。
待機中に流れていた音楽が止まった。
背が高く、ほっそりとした少女がステージの裾から歩いてくる。
金髪の短いポニーテールに一瞬誰かわからず、周りも戸惑った。
けれど中央に立ってあげられた顔がライラーだとわかると、私の口から歓声が漏れた。
人々のどよめきが、マッシブステージに波打った。
ライラーはあの強い目でステージを見渡し、マイクを口元へと上げる。
「みなさん、来てくださってありがとうございます。まずは謝罪させてください。私は嘘をつきました」
会場の空気は動揺で波打ったが、誰も発しなかった。
嘘、だった。
「メンバーが生きているというのは嘘です。皆さんがご存知の通り……美々子、千世、香里奈、ジヨンは……火事で死にました」
客席から低いすすり泣きが聞こえ始めた。ライラーは深々と頭を下げる。
「みなさんに心配をかけてしまい、すみませんでした。私はもう……だい、じょう、ぶ。大丈夫って言いたかったけど……でも、やっぱり無理なんです」
ライラーの声が涙で濁る。
「だって……だってぇ、ここまでやっと頑張ってきたのに。こんなのってないよ。なんで、なんで、なんでって……どうして私だけ生き残ってしまったんだろう。絶対に、四人が死んだなんて信じたくなかった」
それでも、とライラーは泣きながら続けた。
「死んでしまったのは本当で……けど、こんな辛いこと乗り越えられないよ。私は強くない。でも、それでも。私は続けなきゃいけない。生き残ったから。No Capのメンバーがいかに素晴らしいか、私が受け継いでいかなきゃいけない。だから意地でも、このステージに立つって決めたんです!」
ライラーが叫ぶ。
そして、タオルで顔を拭き、鼻を赤くして潤んだ目で私たちを見渡す。
「私、一人では乗り越えられない。お願いします、今日だけは嘘をつかせてください。まるで四人がここにいるみたいなステージにしてください。美々子、千世、香里奈、ジヨンって、たくさんたくさん名前を呼んでください。私一人じゃないって思わせてください」
ライラーの熱気に、私はタオルを目の端にあてたら。
「わかった、わかったよ、ライラー!」
前にいた女の子が叫ぶ。
それに続いて私も「わかったよ!」と声をあげる。
次々と応援の声がライラーに与えられた。
「ありがとうございます。――お願いします、今日だけは私と一緒に嘘をついてください。私と……共犯者に! なってください!」
ライラーが叫ぶと、音楽が始まった。
重低音のクールなビートに合わせて、ライラーが踊る。目つきは鋭く、動きは以前よりもキレがあった。
歌声は吠えるようで、ラップのリズムは心臓をかき鳴らし、メロウなサビは空気を揺さぶった。
五人でやっていた曲を一人でやっている――その空白を感じる隙間なんてなかった。
「美々子!」
「香里奈!」
「千世!」
「ジヨン!」
私は名前をずっとコールし続けた。後ろの方からも大きな声のコールが響く。
ステージと客席は「嘘」でひとつになった。
ライラーが、ふらついた。
その時、見えた。
千世、ジヨン、香里奈、美々子。
四人がライラーを支えているのを、確かに見た。
千世は背中を、ジヨンは腰を、香里奈は肩を、美々子は腕を、それぞれ支えて微笑んでいる。
清廉な風が吹き、時が止まった。




