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第四談 小原千世

 ライラーはあたしのルームメイトだ。

 彼女は脱ぎ捨てたパジャマをあたしのベッドに放り投げるし、あちこちに物を置いて整理整頓するという意識がない。


 ライラーは完璧なリーダーっていうけど、ほんとはめんどくさい。


「千世ー、千世。早く寝ようよ」


 そう言いながらライラーはベッドに入ってきて甘える。あたしは売れてるアイドル研究をTikTokでチェック中なのに。


「まだ寝ない。先に寝ればいーじゃん」


「一緒に寝たい」


「もー、うざいー」


 そうやってやりとりしているうちに、ライラーは寝てしまう。

 あたしはライラーに体をぶつけて、眠る。


 ライラーはオーディションでアリシア・キーズの「Empire State of Mind」を熱唱した。歌唱力に圧倒された。


 最初から頭ひとつ上のとこにいて、彼女から見える景色は小さな私とは違うと思ってた。同じグループになって、ちょっとビビってた。彼女についていけるか。


 でも、最年少だからかすごくかまってくれて、そしていつの間にか立場は逆転しちゃった。


 あたしといる時のライラーは面倒くさがりな甘えん坊。

 お風呂入ってきなさい、とお母さんみたいな小言をあたしに言わせる。


 でも、練習の時やステージではあたしを引っ張ってくれる圧倒的なリーダーだ。頭ひとつ抜けていて、さらに上へ進んでる。

 ライラーは留まることを知らない。

 深呼吸ひとつ。背筋を伸ばすだけで、空気が変わる。


 彼女の変化は面白い、だからキツい練習も一緒にやってて楽しい。


「アイドルなんて、イヤよ。そんなの芸術じゃない」


 バレエ教室のお母さんに反対されたけど、お父さんに助けられて私は上京した。バレエであまり楽しい思い出がない。


 白鳥の湖でプリマドンナを演じて、コンテストで最優秀賞をもらった時、心の底から嬉しくなかった。

 ママは飛び回るほど喜んでいたけど。


 バレエ教室の娘、だから誰よりもちゃんと踊れないといけなくて、バレエはあたしにとっては拘束のダンスだった。あたしよりバレエが好きで楽しんでる子がプリマドンナになれないのも変って思った。


 だから、やめたんだ。


 テレビでたまたま見ていたK-POPアイドルのダンスはパワフルで、衝撃を受けた。こんな体の表現もあるんだ。これやりたい! とすぐにこっそりバレエ教室の練習室で練習した。


「他のダンスもやって勉強したい」


 あたしはお母さんに嘘をついて、週に一度だけヒップホップのダンススクールに通った。

 毎週土曜日のその日、ワクワクして早朝から練習して、思いっきりヒップホップダンスにのめりこんだ。ダンススクールの友達と一緒にカラオケに行くと「あんた、声特徴あっていいね。かわいいしアイドル目指してみたら?」と言われてから、ずっとそれが頭から離れなかった。


 検索したら理紗っていうラッパーの人が事務所を立ち上げてオーディションしてるのが話題になってて、思い切って受けることにした。


 受かった時、お父さんは私を抱きしめて喜んでくれた。

 お母さんは「イヤよ」と拒否した。

 私もお母さんに「もうイヤ、バレエはあたしに向いてない。お母さんのバレエドールはもういや」と拒否した。


 お母さんは高いヒラヒラの子供服をあたしに着せ、髪を長く伸ばして三つ編みにするのが好きだった。でも思春期がきたとき、今までかわいいと思ってた服がダサく見えた。

 へそ出しでミニスカートのギャルの方がイケてる。


 あたしは上京前に長かった髪をばっさり切って、私はかっこいいアイドルになるという決意を見せつけた。

 センター分けのショートはあたしによく似合う。


 そんなあたしのことを、ライラーは「強い子」と言う。

 彼女はメンバーからもファンからも「強い子」だと言われている、そんなリーダーから強いと褒められたのに、喜べなかった。


 ライラーは、強い子じゃない。

 私を強いと認めて、甘えたいという気持ちが彼女のしっかり者の顔の瞳の奥にあった。ライラーは部屋割りで一番年下の千世は私が面倒みる、と嘘をついたんだ。

 ずるいよね、あたしが一番小さいからってさ。


 ライラーは私の学校の教科書を熱心に読んで、どんな授業をしているのか聞いてくる。両親の離婚でニューヨークから日本に移住してきた彼女は日本の学校に馴染めず、中学時代は保健室登校、高校は行かないと選択をした。アルバイトも三ヶ月以上は続かず、ファミレス、コンビニ、スーパー、カフェと転々としている。


 どこにも馴染めない、とライラーは陰りのある顔でバイトを辞めるたびに言った。

 スクールカーストのトップみたいな顔して社交性がない。嫌なことは嫌で出来ない、お世辞も嘘もつけない。


 彼女は一直線だから。曲がることを知らないから、いつだって何かにぶつかってしまう。しんどいけど、でもそれがライラーの生き方なんだ。


 それに、パフォーマンスに全力を注げる、他は一切求めないストイックな生き方はやろうと思ってできるもんじゃない。


「子供のころから高校はホームスクールって決めてた。勉強は好きだけど、人間関係がしんどい。どこかにじっとしてるのも苦手」


 ライラーが言う。あたしは宿題をしながら、できる範囲で勉強を教えてあげた。代わりにライラーは英語の宿題を手伝ってくれた。


「千世、教えるのうまいね。さすがお母さんがバレエ教室の先生だけあるね」


「それ、嬉しくない。あたし、お母さんのこと嫌い」


「あ、なんだ。同じじゃん」


 ライラーが笑う。


「私もママのこと、心の底から好きじゃないよ。親の離婚、いまだに許せない、仕方なかったとは思うけど。ママはダディの音楽性もよく理解できてなかった、音楽を過小評価してる」


 目を伏せたライラーの顔は子供だった。

 どんなステージでも堂々としている彼女の内部を知って、深く共感できるのは、あたしだけなんだと贅沢な気持ちになれた。


「わかるよ。お母さんはアイドルは芸術じゃないなんて言ったけど、間違ってる。歌とダンス、ラップ。総合的な芸術なのに。いつか、価値をわからせてやるよ」


「それ、いいね」ライラーがニヤッと笑う。「でかいステージで、私の音楽性はギタリストのダディに育てられましたって言うんだ。客席のママに聞かせるように。…………ダディに会いたいな」


 ライラーはそう言って、私の肩によりかかってくる。

 ハグをする習慣はお互いを支え合うためだった。

 あたしたちは完全に早熟なアイドルじゃない。

 パフォーマンスのレベルは高くなっても、人間的には未熟なままだった。


 愛ともまだよくわからず、ファンからの熱狂に時に戸惑ったりもする。


 サマソニ大阪の出演が決まった時、あたしは全身が竦んだ。

 なるからにはトップを目指してやろうと思ってたけど、口にしてきた夢が実現するたびに、怖くもあった。

 ライラーは飛び跳ねて喜び、オーマイガー! を連呼していた。

 けれど、私と二人っきりになると彼女は泣き始めた。


「どうしよう、今のままじゃ自信ない。もっとレッスンしなきゃ」


「あたしも怖い。でも、頑張ろう。あのさ、大人にならなきゃ。あたしたちいつまでも十代の子供じゃいられない」


「うん、うん、そうだよ、わかってるよ」


 ライラーはぐすぐす、小さな女の子みたいに泣く。


「あたしから卒業してよね。あたしに甘えるの卒業、一番年下のあたしが年上のあんたをこうやって慰める苦労もわかれよ」


 私はそう言いながらも、ライラーをぎゅっと抱きしめて、背中を撫でる。

 愛しのライラー、ほんとはいつまでも甘えていてもいいんだけどね。


 ライラーは夜中まで過酷な練習をして、食べることも寝るのも忘れていた。ライラーは歌とラップは自信があっても、ダンスのフォーメーション移動で一瞬、不安になることに悩んでいた。


 メンバーはみんな根気よくライラーがスムーズにフォーメーション移動できるよう、練習に付き合った。


 抱きつく体が痩せ細っていくので、私は理沙さんに相談した。


 ライラーをそれとなく練習から呼び出して、息抜きをさせてください。


 レッスン中、理沙さんにLINEをすると、すぐにライラーは理沙さんから電話で呼び出されて外に出た。


 事務所の近くに夜遅くまでやってるオシャレなカフェがあり、そこにライラーを呼び出したと理沙さんから返信が帰ってきた。ライラーのお気に入りのカフェだ。


 カリカリに焼いたホットケーキをライラーは気に入ってる、ちゃんと美味しいものを食べて穏やかになってほしい。


 理沙さんから、ライラーが大きな口を開けてパンケーキを食べている写真が送られてきて、あたしは密かに笑う。


「みんな、リーダーに頼りすぎるのはやめよう。あたしたち、一人一人がステージに立つんだよ。みんなで強くなろう」


 ライラーがいない時に、あたしはみんなに呼びかけた。


「すごい、千世ってほんと考え方が大人だね。うん、頑張ろうね」


 ジヨンが笑顔で言う。


「わかってるよ、そんなこと」


 香里奈はちょっとムッとして言う。


「うん、わかったよ」


 美々子は深く頷く。


 それでもあたしたちも疲れていたので、練習室の床に寝そべってスマホをいじったりと休憩をとった。異変に気づいたのは、ドアの近くにいたジヨンだった。


「なんだろう、煙?」


 焦げた砂糖みたいな甘い匂い。次に金属の味。視界が牛乳みたいに白く濁って、耳の奥でキーンっていう音が膨らむ。

 スマホが床で跳ねる“コトッ”。誰かが笑うみたいに短い音。

 触れた床が熱い。汗が一滴、落ちた瞬間に蒸気になって消える。体が重い、吸えない。

 誰かの名前を呼ぼうとして、口の中に煙を飲んだ。


 ――――暑い。黒のTシャツとショートパンツの衣装でよかった。サマソニ大阪、ついに来た。長かったようにも思う、短かったようにも思う。ライラーはうつむいて、腰に手を当てている。短い金髪のポニーテールに、ジヨンが触れる。けれど、ライラーは気づかない。私は後ろから、ライラーをハグする、彼女は気づかない。


 今日からあんた、一人だ。

 しっかりやりなよ、今日は甘えん坊の卒業式だ。大人になれよ、ライラー。

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