第三談 イ・ヨンジ
お姉ちゃんが韓国に移住してしまってから、私は寂しくてたまらなかった。
お友達もたくさんいるし、優しいお父さんとお母さんもいる。
でもね、お姉ちゃんがいないとK-POPの完コピダンスをして歌っても楽しくないの。
ちっちゃい頃から踊って歌うのが好きな私、「ジヨンの一人ステージ」にいつも拍手をくれたのはお姉ちゃん。
お姉ちゃんは、かわいいアイドルもかっこいいアイドルも教えてくれた。
二人でコンサートのチケットが当たるたびに、大喜びしたよね。お姉ちゃんがいなかったら、真剣に歌とダンスをする喜びに恵まれなかった。
ダンス部の素敵なみんなとも出会えなかった。
お姉ちゃんはね、彼氏に結婚を拒否されたんだ。
在日韓国人とは結婚できないって……それでもうお姉ちゃんの心の中は「韓国」でいっぱいになった。
私は日本人じゃなくて韓国人なんだって。お姉ちゃんは疲れきった顔で行ってしまったから、二度と日本には帰ってこないんじゃないかと心配になった。
「年に一度ぐらいは帰ってくるよ。寂しかったら、もっと本気でダンスと歌をやってみなよ。有名なラッパーの理紗って人がオーディション募集してるから、受けてみな」
私はお姉ちゃんの言う通りにした。
オーディションでは少女時代の「into the new world」を韓国語で歌った。お姉ちゃんが大好きな曲だから。
受かった時はびっくりしたし、「No Cap」のコンセプトはクールでわたしに合うかな、他のメンバーは実力がすごいのに私は浮かないかなって心配だったの。
でも、選ばれたからには精一杯やることにした。
そして名前は、通名じゃなくてジヨンにすることにした。
通名の美奈子より、ジヨンの方が好きだから。
「ジヨン、振り付け覚えるの早いよね」
香里奈が笑顔で言ってくれる。
「覚えるの早くてハッピー。でも、テストは赤点だらけなの」
私はピースして笑顔で言う。
「留年しちゃダメだよ」
美々子に注意されちゃう。
「私が高二になっても、ジヨンもまだ高二だったりしてー」
にやにやと笑って千世が言う。
「だったら同級生じゃーん。同じクラスになれるね、いえーい」
「いや、ちゃんと卒業しろよ!」
笑いながらリーダーのライラーがつっこんでくれる。
てへっとわたしは笑う。毎日みんなでいられてハッピー。
ダンスルームの床を、どれだけ早くクイックルワイパーを動かせるか競争して笑い合う。
壁一面の鏡。
みんなのことが、不思議とこの鏡の中で見た方がよくわかったりするんだ。
香里奈の動きの迫力、美々子の立ち位置のスムーズな移動、小さい千世がみんなの身長に合わせて誰よりも高く飛ぶこと、ライラーはセンターで凄みを見せつけること。
私はみんなといる練習室が好き。
片隅の棚には、わたしたちのCDやタオルやペンライトのグッズ、それぞれが好きなキャラクターのぬいぐるみを置いている。
みんなで住んでるマンションの部屋も好きだけど、ここがホームって感じがするの。
練習は大変だけど、楽しい。
初めてMVを制作した時は、寒いのに薄着でキャーキャー言っててすごく楽しくて、画面の中の自分が自分じゃないみたいにかっこよかった。
イベントに呼ばれた小さなステージ、お年寄りばかりでお客さんはまばらだったこと、小さなライブハウスでアンコールをもらったこと――ひとつひとつ重ねていって、「No Cap」はわたしの居場所になったの。
でもね。
『なんで在日韓国人が日本のアイドルグループにいるの? 在日なら韓国でアイドルやればいいのに。違和感ある』
インスタのその書き込みが、ずしんっと重くて。
ああそうか、お姉ちゃんはこういう「差別」を受けてきたんだ。
これを書き込んだ人はきっと悪意がない。だから余計に怖い。無意識に在日韓国人だからと私をこの国から除外する人。
「違和感」ってなんなんだろう。
私は、日本に生まれて日本で育った。
朝鮮学校に行ってたけど、この国でずっと生きている。それがどうしてダメなのかな。
私は日本でアイドルをやりたい。
このグループが大好きだからなのに。
なんで国籍で決めつけられるの。
「この書き込み、ひどいよ。ジヨンはうちらの大事なメンバーだよ」
ライラーが言ってくれた。
他にも「在日は帰れ」とかアンチコメントが来るたびに、彼女が通報と削除をしてくれた。
「大丈夫だよ、気にしないよ」
みんなに心配かけるのが怖かった。
私は歌を覚えるのは少し苦手で、足を引っ張ってるのにさらに差別にめそめそして迷惑をかけたくなかった。
笑顔でいなきゃだめなの、ジヨンは。
ジヨンはいつもハッピーな女の子。くじけそうになったら「into the new world」を口ずさむ。
練習中、急にお腹が痛くなってトイレに行ったら、生理がきてた。カバンの中から生理用品を取ってトイレに戻って、ふと自分の顔を見ると青白かった。
わたしは、ナニジン?
鏡の中に問いかけても答えは出ない。
だって、私は私で、人種で決められないよ。ねぇ、韓国と日本、どっちもはダメなのかな。私はどっちも好き。
私のことは私で決めたい――それは、わがままかな。
生理になるとメンタルが落ちる。だからいつもより傷つきやすい私に、あのコメントが突き刺さる。
私は手を洗いながら、泣いてしまった。
なんで在日韓国人じゃダメなの。私はどうして否定されてしまうの。アンチコメントを書いた人たちはわたしのことをなんにも知らないくせに。
「ほら、やっぱり、大丈夫じゃないじゃん」
背中がふわっとあったかくなった。
ライラーが私を後ろから抱きしめてくれている。
大丈夫、と言おうとしたけど泣き声が出てしまう。
「泣きたい時は、泣けばいいよ」
ライラーの声はやさしい。
「でも……でも、私はハッピーなジヨンだから。泣いてたらダメなの」
「いいんだよ、泣いても。泣いて弱さを見せられることが、本当の強さだよ」
「でも、強いライラーは泣かないのに」
「私だって泣く時あるし。ほら、思いっきり泣いて。ジヨン、うちらの大事なジヨンだよ」
私は向きを変えて、正面からライラーに抱きついた。
初めて見た時から、この子はとってもすごいと感じた。堂々としていて、「No Cap」のかわいいじゃなくてかっこいい象徴のリーダー。実力をいつも研ぎ澄ませて、みんなの意見に耳をすまして、大人相手にもすごいことを言っちゃう。
ライラーの体温はとっても熱い。
愛してる、と肌で感じた。
くっつけあった頬と頬。ずっと一緒にいたいよ。
「あのね、みんな、わたしは人種差別しんどいよ。守ってね」
わたしはみんなに伝えることができた。
疲れたときは無理に笑うのをやめた。
でもメンバーが衝突した時、泣いてしまうけどちゃんと冷静に「話し合おう」と言えるようになった。
――――いくつもの試練を乗り越えた先は、怖いぐらいに広い広い景色。まさかこんな所まで来るなんて思わなかった。お姉ちゃんがいなくなって寂しいから、そんな理由で始めたのが嘘みたいに、わたしの中には強い意志がある。
それは、ライラーを愛してからしっかりとわたしの中に根をはっていったの。
サマソニは昔、お姉ちゃんに連れてきてもらった。素晴らしいアーティストが数多くいるなか、ステージに立たせてもらうこと、私たちを見に来てくれる人。伝えたいことがたくさんあるよ。
わたしは、ライラーのポニーテールの毛先に触れる。
「いるからね、ここに。だから振り返らず真っ直ぐ行け、ライラー」
わたしの名前は、イ・ジヨンだよ。




