王都の真実
マージが持ってきてくれた水には、レモンの果汁が入っていたようだ。口にするとすうっとした柑橘の香りとほんの少しの苦さが、口内の粘つきと胸の奥のわだかまりを少しだけ解消させてくれたように感じられた。
その後、ベッドに横になってうとうと微睡んだ。眠いわけではないが、まだ頭がうまく回転しない。
すっきりしない思いで横になっていると、どれほど時間が経過しているのかもよく分からなくなった。
ドアのノックで微睡みから覚めたときには、窓から差し込んでくる日光はほんのりオレンジ色になっていた。
「……はい?」
「僕だよ、セリア。入ってもいいかな」
デニスの声だ。
セリアはこくっと唾を呑み、デニスの入室を促した。
入室してきたデニスは今帰ってきたばかりのようで、出かけたときと同じ服装だった。セリアはベッドから体を起こし、ベッドサイドの椅子を勧める。
「お帰りなさい、デニス。……その、いろいろとごめんなさい」
「君が謝る必要はない。それに、町の人には既に礼を言っているのだろう? だったら心配しなくていいよ。元気になったらまた、皆に顔を見せに行けばいい」
デニスは椅子に腰掛け、顔を上げた。
「……さっきまで吟遊詩人と話をしていたんだ。僕たちの身の上を明かすことはできなかったから不安だったけれど、彼も君のことを案じていたようで協力してくれたよ。……もし元気があるなら話をするけれど、どうかな?」
「……ええ、お願い」
セリアはベッドの上で体の向きを変え、デニスに正面から向き直った。
ベッドの中で泣いた。弱音も吐いた。
それに、この田舎町にもいつか王都の情報が入ってくるだろうということはずっと前から分かっていたことだ。それが予想外の方法で、しかも想定外の内容で届いてしまっただけのこと。
(ちゃんと向き合わないと)
セリアの表情が改まったのを見、デニスは切り出した。
「まずは――吟遊詩人について言うと、彼は一月くらい前にファリントン王国に立ち寄った。王都ルシアンナで曲を披露しようとしたんだって。それで、市民と話をしているうちに巷で噂になっている国王絡みの恋愛話を耳にし、それを歌の主題にしようと思いついたそうだ」
各地を回って歌を吟ずるのが本職である彼らからすれば、旅をして各地の出来事を歌として書き留めるのは当然の行動だ。それも、その国で噂になっているネタや社会事情などは歌のテーマにしやすい。彼も嬉々として飛び付いたことだろう。
「僕が有給を取って王都を出発したのが二月ほど前。その頃はそんな噂はなかったから、僕が出てから広まったんだろう。……彼が歌った内容は、住民から聞いた噂話ほぼそのままらしい。彼は追放されたのが聖奏師だってのも知っていたけれど、歌う際に分かりやすく、しかも感情移入しやすくするように『聖奏師』関連の単語を省略して『お姫様』って表現したそうだ」
つまり、勝負の経緯などはともかく、城を追放されたお姫様――セリアのことだ――が平民の娘――ミュリエルのことだろう――に逆恨みして殺害を企てたが返り討ちに遭い、投獄されたという嘘情報は事実王都でまことしやかに流れているのだ。吟遊詩人の創作ではなかったようだ。
「……王都では、私は稀代の悪女扱いされているのね」
ぽつんとセリアは零した。
勝負に負け、身分も栄光も何もかもをなくした。
このまま大人しく城を出て行けば、平穏無事に暮らせると思っていた。
いつしかセリアの名は皆から忘れられ、「そういえばそんな人もいたっけ」くらいになってしまえばいいと思っていた。
ところが、セリアの名は風化するどころか悪女として皆に広まってしまっている。グリンヒルに来た吟遊詩人は運良く身分や名前を伏せて吟じてくれたが、セリアの名も身分も他国まで響いているかもしれない。セリア、というのがファリントン王国周辺ではありきたりな女性名であるのが不幸中の幸いである。
デニスの表情が厳しいものになったので、セリアは慌てて付け加える。
「吟遊詩人の方を恨むつもりはないわ。彼は歌を広めるのが仕事なのだし、聞いた話を悪い方に創作したりはしなかったもの」
「……うん、僕もそう思う。それに彼曰く、ファリントン王国の国王をモデルにした歌を歌うことに関して、城の了承を得た上でのことだそうだ」
「……城下町にある騎士団詰め所などに申請したのかしら?」
「そう言っていたな。彼が一度書面に表した歌詞は一度城まで持ち込まれ、上層部の確認を受けている。その際、『この歌は非常に優れているので、是非とも各国で広めるように』との言葉を受けたのだそうだ」
「なっ……!」
デニスの言葉に、セリアは絶句した。
セリア投獄などの箇所は、国民たちの間で語られるうちに尾ひれが付いたのだとばかり思っていた。
だが、その部分も含めて上層部は歌詞を承認している。しかも、「各国に広めよ」と一言添えて。
「……そんな大嘘を広めてどうするの!? それに、いくら私を勘当したとはいえ叔父様が黙っているはずがないわ!」
叔父のことは、きっと永遠に好きになれないだろう。
だが彼ならば、「セリア・ランズベリー」として書類にも残っている姪がありもせぬ罪を着せられるなんてことがあれば、城に猛抗議するだろう。実際にセリアがやらかしているならともかく、当の本人はファリントン王国から離れた緑の丘で暮らしているし、叔父たちもセリアが戻ってきていないことは分かっているはずだ。
だがデニスは目を伏せ、首を横に振った。
「……黙っていてごめん。実は、ランズベリー公爵家は僕が出発するちょっと前に没落してしまったんだ」
「……え?」
「一番の原因は、筆頭になったミュリエルと衝突したことだろう。君の……従妹だったかな。その子が新しく聖奏師団に入ったのだけれど、筆頭であるミュリエルとうまくいかなかったそうだ。国王は既にミュリエルを重用していたから、結果としてランズベリー公爵家は国王に刃向かったことになり――ほとんどの権利を剥奪されてしまったんだ」
「……う、そ――」
セリアはぎゅっとシーツを握りしめた。
あれほど狡猾で権力欲に忠実な叔父が、権利を剥奪されるなんて。
それほどまで彼らはミュリエルのやり方に賛同できなかったのだろうか。
「君が去った後も、しばらくの間はランズベリー公爵家もうまくやっていたみたいだけどね。例の公爵家の聖奏師は、最後の最後でミュリエルに泣きついたようだけど相手にされなくて除名。今の公爵たちは首の皮一枚で繋がっている状態だ。といっても議会での発言力は皆無だし、針のむしろ状態。いっそ一族全員で国外逃亡した方がいいかもってくらいだったよ」
「そんなになの……」
「それだけ、今の王都――いや、ファリントン王国は国王とミュリエルの天下なんだ。この二年間で国王の中でどういう変化があったのかは分からない。僕だって、ミュリエル親衛隊入隊を断ってからは冷遇されてきたって言ったよね? そういうことだから、あの吟遊詩人の歌が上層部から承認された理由も――正直腹が立つけれど、納得なんだ。彼は何となく僕たちの事情を察したようで、これから先あの歌は歌わないし当分はファリントンには行かないと言っていたけれど……王都で広まっている噂をもみ消すのは不可能だろう」
今デニスの口から語られた、王都の現状。
それが真実なのだった。




