79 奴はカムラ 13
どれぐらいの時間が経ったのだろうか。
外はだんだんと暗がりになって、サルワタの森の向こう側にそびえる山々に太陽が陰っていった。
俺はというと、鎮静効果だかがあるという香薬の焚かれた皿はさっさと運び出して、タンヌダルクと一緒に部屋の空気を換気する。
それからカサンドラの側にずっと付いていてくれたタンヌダルクは、エルパコが戻ってくると猟師小屋に戻る様に言っておいた。
「こういう事態があった後だから、ふたりとも必ず一緒に行動する様にしなさい」
「はいわかりました、旦那さま」
「わかった」
カサンドラと一緒に鎮静の香薬を嗅いでいたふたりの事も気になったが、司祭さまの見立てでは問題なさそうである。
「眼と舌を見た限りは何かの中毒症状が出ている様には見えません。助祭が何かの細工をお香の中にした事はありえると思うのですが、たぶん心が疲れているご夫人にだけ効果が出る様に工夫をしていたのでしょう」
「まあとにかく、何か体におかしなことがあったらすぐに診療所に来なさい」
「わかりました。旦那さまのお着替えは明日の朝にお持ちしますね」
「わかった」
眠りについたままのカサンドラを気にしながらも、タンヌダルクとエルパコは退出した。
去り際にエルパコに確認したところ、
「村長さまが、夜になったら診療所へ相談に来ると言っていたから」
「わかった。例の三人の娘たちの共通点についてだな」
「うん……」
女村長に伝わったのならそれでいい。
ふたりの家族が出ていき、夜のお勤めがあると司祭さまがいなくなってしまうと、俺はカサンドラの手を取って静かに考え事をした。
犯人捜しはもちろん、しなくてはいけない。
けれども俺は今後の事を色々と考えなくてはいけない時期に来ているのではないかと思った。
俺たちの家族が生活するのに、村の中はあまりにも窮屈だ。
やれよそ者、鼻つまみ者の猟師、それに獣人だミノだとうるさいわけだ。
これが俺ひとり村で生活をするというのならばいい。
俺だけなら誰に何と言われようと、適当にペコペコしておけばその場はしのげるしな。
だが家族がいるのならそうはいかない。
俺の見えないところで何をされているのかわかったものじゃないというのは、これほど恐ろしい事は無い。
むかし俺の妹のひとりが学校で軽いいじめにまきこまれそうになった時も、これはひどく腹を立てたものである。
原因が俺だった事もなおさらだ。
俺は子供の頃から空手をやっていたから、喧嘩には自信があったんだな。
だから俺に何かいちゃもんをつけてくる人間は早々いなかったけれど、その妹ならば相手にしやすい。
仕返しに俺が飛び出して行ったら、両親にこっぴどく怒られるハメになったのもいい思い出だね。
小学生中学年頃の話である。
しかしこれを村の中でやるわけにはいかない。
そんな事をすれば村に俺の居場所は無くなってしまうだろうしな。
女村長を裏切るつもりはないけれど、ひとつの方法として村を出る事も考えないといけないのかもしれない。
しかし、そうすると生活はどうなる。
俺の嫁はカサンドラだけではなく、タンヌダルクだっている。
エルパコは近頃、俺たちの事を家族だと言ってくれるけれど、まさか街に出て生活をするのに一緒に稼いでくれと言えるものではない。
そもそもタンヌダルクの兄タンクロードバンダムが、ここを出ていくなんて事は許さないからな。
ドロシア・ミノ同盟が決裂である。
してみると、悲しいけれどこの村で居場所づくりをしていかないといけないのだ。
そのためには、徹底的に俺と俺の家族にとって不利になる事は排除していかなければいけない。
後ろ指をさされるだけならまだいい。
こういう暴力に訴えるやり方が、俺にとってまったくの無意味だと言う事をわからせる必要があるのだ。
ふとカサンドラの顔を見やると、濡れタオルの位置を調整する様にして彼女が手を額に運んでいた。
「どうだ、少し落ち着いたか」
「はい。今はとても気分がすっきりしています」
「そうかそうか」
「さっきまでは、気持ちがぼんやりしていたというか。今は意識がはっきりしています」
「うん。よかった」
カサンドラの髪をなでてやりながら俺はそう返事をした。
嬉しそうにカサンドラが俺を見上げてくる。
「……何だか、ひさしぶりのふたりっきりですね」
「そうだなあ。今は家族が一杯になっちゃったからな」
「旦那さまにダルクちゃんにエルパコちゃん。それからバジルちゃん」
「カサンドラ、君が抜けている。俺の大事な奥さん」
「そうでした。えへへ」
「俺の奥さんはとてもかわいいな。気丈で、献身的で、それでいて美人だ。俺の自慢の奥さんだな」
「いきなり何を言ってくるんですか」
カサンドラの顔色はやや朱い様だが、まだ体調がすぐれないのかな?
なんてね。
「旦那さま」
「ん?」
「わたし、こんな事になってしまいましたけど。これからもシューターさんの妻でいてもいいんですね」
「当たり前だよ。これからもずっとカサンドラは俺の大事な奥さんだよ」
そうやって俺はカサンドラとふたり見つめ合い、いつしか互いに唇を重ね……
「コホン……お取込み中のところ申しわないが、少しよろしいかの」
「そ、村長さま」
「ししし失礼しました!」
俺とカサンドラがあわてて顔を上げると、そこには疲れた顔をした女村長が、やや意地の悪そうな顔をして俺たちを見比べているではないか。
「ああ、要件はすぐに終わらせるので、そうしたらふたりでゆっくり過ごしてもらえばよい。なあに直ぐに終わるからの」
◆
咳払いをして居住まいを正した俺とカサンドラのところにやって来た女村長は、ドレスをつまみながら空いていた簡易イスに腰を下ろした。
「今しがた、街に送った伝書鳩が村に戻ったぞ」
「おお、そうするとッヨイさまに手紙が届いたのですか」
「それだけではない。ッヨイハディたちは今朝がた一番で、街を発ったという知らせを届けてくれた」
女村長は先日、司祭さまに用意してもらった文と、女村長がッヨイさまにあてた手紙、それからオーガが流浪している原因についての証言をまとめた手紙の三通を伝書鳩に託した。
「ッヨイさまに送った手紙の文面は何とあったのでしたっけ」
「村で人員が不足しているから、ただちに応援に駆け付ける様にという内容だな。殺人事件に放火と、事が急を要していると書き込んでいたので、恐らくすぐに動いたのであろさ」
「なるほど、それで雁木マリも来るのですか」
俺はカサンドラの手を取りながら質問した。
村で最も聖なる癒しの魔法が得意である助祭さまが逃亡した上に、まったく信用ならないという事がわかった今であれば、マリの到着は待ち遠しい。
避妊の治療なんてなかった。なんて事になれば、これは手遅れになっては困る。
「そうだの。手紙によれば騎士修道会の聖少女たちも加わっているらしい」
「たち、という事は複数人なのですね」
「恐らくそうだろう。司祭が湖畔に聖堂をという話をしていたし、オーガの件も事情聴取をする必要があるから、大人数でここに向かっているのかも知れぬ」
「なるほど」
「先ほどこの事はエレクトラとダイソンに使いをやって、湖畔で営屯しているギムルと、冒険者ギルドのカムラの元へ走らせた」
つまり、しばらくの間は騎士修道会の人間の数が頼みに出来るというわけか。
もちろん騎士修道会が陰謀と関わり合いになっていなければ、という事だけどな。
「それならば安心です。ッヨイさまはようじょですがたいへん強力な魔法使いですからね。いざ荒事になっても抑止力になるでしょう」
「うん。それぐらいに成長しておるのであれば、わらわも姉として安心だ」
おばさん、ですよね。とは言わないでおいた。
「今夜は村に戒厳令を敷く」
「どういう事ですか?」
「窓の外を見てみよ、どうやらどす黒い雨雲が空を覆っているだろう。今夜は大雨が降るぞ」
「なるほどなぁ」
俺はカサンドラを手伝って上体を起こしてやると、ふたりして窓の外を覗き込んだ。
「湖畔の向こうから雨雲が来るときは、決まって嵐になるといいます」
「そうなのか?」
「お父さんが昔から言っていました。この嵐がやって来た後に、本格的な夏がくるのだと」
なるほど、俺たちの元いた世界で言う梅雨みたいなもんなのかね。
「嵐はしばらく数日は続くだろうから、シューターも川の増水には気を付ける様に。それに騎士修道会の連中が来るのであれば、これ以上ひと死にを出すわけにもいかん。今夜は大事をとって外出禁止を命じたのだ」
「それがいいでしょうね」
「ただし川の増水がひどい様であれば、水を外に逃がす必要がある」
「はい」
「堤防の一部を崩して、開拓中の湿地に水を流し込む際は動員がかかるので、その時はお前も出て来る様に。カサンドラには申し訳ないが、その時はシューターを借りるぞ」
「はい。その時は」
俺の顔を飛び越して、カサンドラとアレクサンドロシアちゃんがお互いに顔を見合わせて会話した。
◆
女村長が「さてわらわはお邪魔虫なので、雨が降り出す前に退散するとしよう」などとニヤニヤしながら退出していくのを見送ると、俺たちは再びふたりきりになった。
アレクサンドロシアちゃんはからかって「頑張れお兄ちゃん」などと言ってきたが、さすがにいまはそういう気分ではない。
「嵐が来るのは毎年の事なのかな?」
「はい、そうですね」
「じゃあ、川が決壊する様な事も度々?」
「いえそれは何年かに一回です。この土地はあまり雨が降らない場所ですけれど、サルワタの山に嵐がぶつかる事があるんですね。その時に長い雨が続くことがあります」
山が近く雨の良く振るその場所から地下水が沸くので、普段はあまり雨が降らなくても森は緑豊かなのだろう。
しかし山に嵐がぶつかると、しばらく停滞するという事か。
やがて嵐が四散して、そして本格的な夏が来ると。
この土地の風物詩というわけか。
元いた世界ほど湿気の強い場所ではなかったけれど、夏が来ると一気に湿り気たっぷりの暑い季節が到来するのかもしれない。
そんな風に今年の夏を予想していると、やや強い風が出来の悪いこの世界の窓をばちばちと叩く様になり出した。
やがてぽつぽつと雫が窓に付きはじめる。
「雨が降り出しましたね」
「ホントだ、戸締りしておこうか。ここには雨戸みたいなものはないのかな?」
「何ですかそれは」
どうやらないらしい。
妻は小首をかしげながら俺を見上げていた。
まあそもそもガラス窓があるのは女村長の屋敷か、ここ教会堂の施設ぐらいのものだしな。
村人はそんな事を気にしなくてもよいらしい。
そう言いながら黒く塗りつぶされた外の景色を見やったところ。
ランタンかカンテラか何かを片手に、村の小道を歩く人間の姿が見えた。
村人だろうか。
もしかするとこの嵐で畑の様子が気になって、川の増水を見に出てきたのかもしれない。
アレクサンドロシアちゃんは戒厳令なんて事を口にして外出禁止と言っていたものだけど、農業を生業にしている主だった村人にとっては、命令よりも畑の方が気になるらしい。
「まあ、増水したら大変だしな。もしかしたら見回りの役割を持った村人かも知れない」
「シューターさん。雨の夜は冷えるのでカーテンをしめしょうか」
俺が思考の一部を漏らしながら引き続き外を見ていると、寝ていればいいのに寝台から起き上がったカサンドラが、カーテンに手をかけようとしていた。
「俺がやるから君は寝ていなさい」
「はい、でももう気分は落ち着いたので……」
「ん?」
会話の途中で、先ほどの村人が向かう先が気になって視線を戻す。
距離が少し近づいたのかずいぶんと人影ははっきりと見える様になってきた。
「奥さんちょっと」
「はい?」
「君は眼がいいよね。あれを見て、あの外を移動している村人が誰なのかわかるかな?」
「どうでしょう。見てみないとわかりませんが」
ふたりして黒塗りの外の景色に眼をこらす。
揺れるカンテラに照らされて、鎖帷子がきらきらと光っているのが見える。
殴りつける雨の中、低い姿勢で走り抜ける男の姿だった。
身を寄せたカサンドラが「冒険者さまでしょうか」と呟いた声が聞こえた。
「奴はカムラだ……」
俺はごくりと生唾を飲み込んだ。
小題回収の話です。




