閑話 花嫁修業 ~カサンドラの場合 前編
昨夜投稿した内容に大幅に加筆を加えてみました。
村の娘たちは、年頃を迎えると行儀見習いのために下働きに出るのだそうです。
そういう事情をわたしが知ったのは、実のところ夫との結婚が決まった後の事でした。
幼い頃に母を亡くしたわたしは、猟師の父とふたりで苦しい生活をしていたし、その父もこの冬にワイバーンを仕留め損なって亡くなってしまいました。
猟師の家族というのは、この村では鼻つまみ者に見られているのです。
獲物が捕れなければ、村長さまよりいただける僅かな扶持におすがりするより他のないわたしたちです。
なかなか行儀見習いのために奉公へあがるお屋敷もありません。
それに年頃の顔見知りというのも、ほとんど親戚内か猟師の家族にしかいませんでした。
父のお手伝いをする程度の家事とほんの少しの編み物が出来るだけのわたし。
そんなわたしも十七歳を迎えた頃に父も死んで、本当にこの先わたしは結婚が出来るのだろうかと思っていたものです。
シューターさんの妻になれた事は、わたしにとって本当に幸せでした。
ありがとうございます、ありがとうございます。
それに、花嫁修業らしい事もした事が無かったわたしです。
本当にこれから、夫を支えてやっていけるのか不安があったのも事実でした。
夫は最近、野牛の族長さまの妹にあたるという新しい奥さんを家に迎える事になったのです。
ふたり目の奥さんと、ますますこれからどうしていけばいいのか。
わたしはそんな不安で一杯でした。
その事をご危惧なさっていたのでしょうか。
ある日、夫が湖畔の建設現場にお出かけになった際。
村長さまはわたしをお呼びになられて、次のような事をお尋ねになられました。
「野牛の族長の妹をシューターに押し付ける事になってしまい、カサンドラには迷惑をかけたの」
「い、いえ。とんでもございません」
「わらわとしても、野牛の娘を誰かれと娶らせるわけにもいかない。シューターならば安心だと思っての事だ」
「もちろんです」
「カサンドラならば納得してくれると思った。これからも悪い様にはしないゆえ、安心いたせ」
突然そんな話をされたので、わたしはびっくりしました。
ワイバーンを倒し、ミノタウロスの族長を倒すような立派な夫が、村長さまから信頼されるのは当然の事です。
いずれは新しい奥さんが家にやってくることは覚悟しておりました。
ただ、もう少しだけ夫とふたりきりの生活が続くものと、わたしは思っていたのですが。
その事だけがわたしは心残りでした。
「それでどうだ、シューターとの結婚生活は。何か問題などは起きておらぬかの?」
「お気遣いありがとうございます。シューターさんには大変よくしていただいております」
花嫁修業もした事のないわたしが夫に尽くす事が出来ているのでしょうか。
それでもシューターさんはわたしをとてもかわいがって下さいました。
「ほう、例えば?」
「た、例えばですか」
「そうだ、どの様にかわいがってくれるのかの?」
「お風呂に入る時はいつも体を丁寧に拭いてくださいますし、髪も洗ってくださいます」
最初のうち、もちろん自分の事は自分でやりますと遠慮しようとしたのです。
けれどもそうすると、夫はとても悲しい顔をする事がわかったので、ありがたくやっていただく事にしました。
体を拭いていただく時は、どうしてなのでしょう。いつも念入りです。
そこまで丁寧にしていただかなくてもと言うのですが、夫はそう言うとまた悲しい顔をするので、お言葉に甘える事にしました。
「ほほう。全裸を貴ぶ部族というのは、よほど女が大事とみえる」
「あ、あまりしつこい時もあるのですが、わたしの顔を見ると夫は悲しい顔をしておやめになります。それから、髪を洗ってくださるときはとても気持ちいいです」
村長さまに正直にお話しすると、安楽椅子に腰かけていた村長さまは興味深そうに身を乗り出してきました。
わ、わたしは村長さまに何を言っているのでしょう。
急に恥ずかしくなって、言葉を詰まらせてしまいます。
「なるほど、夜の生活にも満足しておる様じゃな」
「……いえ、そんな」
「よいよい、聞いたのはわらわじゃ」
わたしの顔を見た村長さまは、少し意地のお悪い顔をされてお笑いになられました。
「しかし野牛の娘が嫁いで来たり、猟師の娘を引き取ったりと、あちらの方はご無沙汰であろう」
「は、はい。それは仕方がありません」
家族も増えた事ですし、しばらくはお預けです。
けど、そんな事はさすがに村長さまには言えません。
夫には村長さまがお約束くださった新しい家について、出来るだけ早くお願いする様にと言っていました。
この際だから直接お願いしたものでしょうか。
けれどそれでは夫のお立場を悪くしてしまうでしょうか。
「よい。新しい家についてはもうしばらくすれば目途も立つ。安心せよ」
「あ、ありがとうございます。ありがとうございます」
そう思っていたのを見透かされたのか、村長さまに先に言われてしまいました。
村長さまは何でもお見通しです。
「ところでカサンドラよ」
「は、はい?」
「お前も今や騎士の妻である」
「はい……」
「騎士といえば、わらわに代わり村人を統べる身の上であるの。騎士の婦人として間違いのない礼儀作法を身に着けねばならぬ」
「はい、そうですね」
「特にお前はシューターの正妻であるから、他の妻たちの見本であらねばならぬだろう」
「あっはい」
「聞けばお前は年頃にユルドラを亡くしておるし、行儀見習いに出ていないそうだの。これはいい機会だからわが屋敷で花嫁修業をするといいだろう」
そう言って村長さまは、わたしに遅ればせながらの花嫁修業をお命じになられました。
「家の事もあるだろうからカサンドラとタンヌダルク、ふたりは交互に屋敷へ来るように。お前には読み書きと礼儀作法、家事の差配を学ばせる。タンヌダルクにはわらわたちの風習を覚えさせるかの」
「わ、わたしの方が覚える事が多い様な気がするのですが……」
「正妻であるならば当然だ。精進せよ」
わたしは騎士シューターの正妻なのだそうです。
わたしは正妻。シューターさんの第一夫人。
こうして自分で言い聞かせてみると、とても責任が重大だと思う様になりました。
◆
村長さまのお屋敷にはルクシちゃんという今年で十五になる女の子がいます。
わたしよりふたつも若いのに、行儀見習いとして毎日ご奉公にあがっているいい子です。
村にいる年頃の女の子とお話をするのは、猟師の家族を除くとはじめての事でした。
どうやって仲良くしていいのかわからなかったけれど、ルクシちゃんと一緒にお屋敷の家事一切をお手伝いするうちに、お話をできる様になりました。
村長さまのお屋敷でまずはじめにお手伝いしたのは、お料理、お洗濯、お皿洗いです。
行儀作法の前に、お屋敷のお仕事は何をするのか基本を学びます。
特に料理の工夫と味付けは、働き盛りの夫のために頑張って覚えないといけません。
「あのう。カサンドラさま」
「何でしょう?」
お屋敷の裏手にある調理場でお鍋を煮ていたところ、その日もおずおずとルクシちゃんが話しかけてくれました。
何だか「カサンドラさま」なんて言われ慣れていないので、とても恥ずかしい気分です。
けれども村長さまがルクシちゃんに「騎士の正妻であるから、敬う様に」とおっしゃられていたので、拒否するわけにもいきません。
「カサンドラさまは、あの全裸を貴ぶ部族の奥様になられたのですよね?」
「そうですよ?」
「あの男、目つきがとても嫌らしいし、いつも変な笑いを浮かべて何を考えているかわからないひとなのに、カサンドラさまは大丈夫なのですか?」
ルクシちゃんはあまり夫の事がお好きではない様でした。
聞けば村にやってきた当初から夫の事を知っていて、あまりいい印象は無いようです。
夫は時々わたしたちの事をじっと観察している事があるのですが、とても好奇心旺盛そうです。
「きっと少しでもこの村に馴染める様にと、一生懸命にとわたしたちの風習を観察していたのですよ」
「そうかなあ? ただの助兵衛な視線だったと思うけど。顔と胸ばかりよく見ていたし」
そんな事はありません!
シューターさんはお尻もよく見ていますから……
夫の疑惑を正すために、わたしが代わりに弁明しなくては。
「シューターさんはとても立派な方ですよ。いつもお優しくしてくださいますし」
「立派というほどアソコは大きくなかったと思うけど」
「そ、そういう問題ではありませんから」
「ねえカサンドラさま。夜の方はどうなんですか? やっぱり結婚したばっかりともなると、毎晩お楽しみなんですか? 怖くありません?」
まだ未婚でお年頃のルクシちゃんは、とてもわたしたちの夫婦生活に興味津々の様でした。
こういうのを耳年増というのでしょうか。
わたしの時は、いつも家畜をさばく時にお呼びくださっていたジンターネンさんが、熱心に教えてくださいました。
ジンターネンさんはまだ未婚なのに、とてもお詳しいです。
夫との閨をお話しするのは恥ずかしいですね……
「わたし、てっきりカサンドラさんはオッサンドラさんのところに嫁ぐものだとばかり思っていました」
どうやって説明したものか困り果てていたのですが、すると唐突にルクシちゃんが思案しながらこんな事をいいはじめました。
「だからあの全裸とカサンドラさまが結婚すると聞いて、村長さまもご慈悲がないなぁって思ったんです」
「オッサンドラ兄さんとはただの従兄同士ですから、それ以上何もありませんよ」
どうしてここでオッサンドラ兄さんの事が出て来たのでしょうか。
わたしはとってもビックリしました。
村長さまのお屋敷に花嫁修業に来るまで、わたしは少なくてもルクシちゃんとはほとんどお話もした事が無かったのに。
わたしだけでなく、兄さんの事までどうして知っているのかしら。
「そうなんですか?」
「そうですよ。結婚は村長さまや親戚の大人たちが決めるものですから」
もしかすると、こうして年頃の娘たちが顔を合わせては、いつも恋愛話に花を咲かせていたのかもしれません。
わたしはご奉公の経験も無いので、そういう事を知らなかったのです。
「でもオッサンドラさんが、いつかお話をしていましたよ」
「まあ、どんな事を?」
「自分とカサンドラさんは近く結婚するって」
「そんな話はわたし、聞いていません」
「え、でも。カサンドラさんのお父さんが亡くなる少し前の事かな。あれ?」
わたしは聞いていません。
亡くなった父も、わたし嫁ぎ先は猟師になるといつも言ってました。
「わ、ごめんなさい。あたしったら余計な事を言ってしまったかしら!」
「いいえ、お気になさらないで」
「そ、そう? じゃあ今度はお洗濯をしましょうか」
お料理とお洗濯、時には村長さまからお食事のマナーを教わりながら、わたしの花嫁修業は続きます。
わたしは正妻なのだから、もっとしっかりシューターさんを支えないといけません。
気落ちしていては、駄目。
「村長さまはいつも毎朝寝台のシーツをお取替えするのですよ。それには色々と事情があって……」




