72 奴はカムラ 6
鍛冶場にやってくると、その裏手で何やら作業をしているひとりの鍛冶職人がいた。
もじゃもじゃのおっさんではなかった。
家族そろって村の中を移動していたので、もしカサンドラとおっさんが顔を合わせればどうしたものかと思ったけれど、よかった。
カサンドラにエルパコでも付けて先に家に帰そうかとも思ったのだけれど、またジンターネンさんたちに囲まれて、仮にも暴力沙汰にでもなったら大変だと躊躇したのだ。
結果的にはこの選択は間違っていなかったらしい。
「やあ、こんにちは。少しお願いしたい事があるのだけどねえ」
俺が気さくに挨拶をしながら近づいていくと、どうやらキラキラと白刃輝かせている刃広の剣を手に持った若者がこちらを向いた。
「あんたは確かよそ者の……」
「はい、猟師のシューターです」
一瞬だけ気さくに返事を返してくれそうに手を上げてくれたけれど、俺が俺だとわかった途端にそのトーンは低いものになってしまった。
やっぱり今もって村の中では不審人物かよそ者扱いされているのかもしれない。
ついでにここで騎士と名乗るべきか猟師と名乗るべきか、ちょっと悩んでしまったではないか。
まあ自分からへりくだって奴隷のシューターですと言う気はない。
今の俺は全裸でもないし、半裸でもない。
ちゃんと上等な生地でカサンドラが仕立てたシャツを着ていたし、その上から義父の形見のチョッキを着ていた。
夏だからこんな恰好をするのも実は気が引けるのだけど、どういうわけかカサンドラが毎朝かならず「お召し物です」と出してくるので着ている。
いち度だけ「暑いからいいや」と言ったところ、とても嫌そうな顔をされたので以後大人しく身に着けている訳だ。
カサンドラは思っている事がすぐに顔に出るタイプなので、あれは嫌そうというよりも悲しいという風に理解している。
まあ何にせよ、このチョッキは猟師のスタンダードな格好だ。
猟師親方のッワクワクゴロさんも四六時中身に着けているし、鱗裂きのニシカさんも黄色いシャツの上から身に着けている。
俺も猟師の誇りを忘れないために、これを着けておくべきだろう。
そういう意味で猟師のシューターと名乗ったのは良かったらしい。
「あんたが付けあがって偉そうにしない点は評価できるな。この鍛冶場でも奴隷堕ちしたよそ者は疫病神だから、さっさと追い出した方がいいとみんな言っている」
「はあ、恐縮です」
何が恐縮なのかわからないが、俺はいつもの通りペコペコしておいた。
すると青年鍛冶職人が、俺の後ろに控えているカサンドラやタンヌダルクちゃんたちを胡乱な眼で見やった後に質問して来る。
「で、何の用だい?」
「実はこの短剣を研ぎなおしてもらいたくて」
「ふん、貸してみな」
俺が鞘ごと差し出したオッサンドラソードを受け取った青年は、剣を抜いて刃の具合を確かめた。
「かなり使い込んでいるな。これは確かオッサンドラが叩いた剣だったはずだが。もじゃひげは、こんな状態であんたに差し出したのかい?」
「いやあ。実は村を出ている際に、ちょっとオーガと一戦やりあいましてね」
「この欠けた部分は、骨にあたったものだな。それとこの刃こぼれも、妙に一か所に集中している」
「ええ。受け太刀をする場所はかならず決めた場所でする様に心がけていますので」
「ふうん、騎士に任命されるだけの腕はあるってこったな」
そう言った青年が、すっと一瞬距離を取って見せた。
まさか俺に斬りかかるつもりか?! と驚いて距離を縮めようとすると、
「はっはっは、やっぱり腕は確かだな。僕が剣を振り回せる距離を潰そうとしてみせたわけか」
「あまり試さないでくださいよ。俺はこれでも臆病者でね」
格闘技大好き人間だが、人殺しが大好きなわけじゃない。
しかし俺は驚いた。
この青年、先ほども剣の扱いについて色々と言葉を並べてみたし、今も剣の心得がある様な構えを取って見せた。
「その、鍛冶職人というのは武器にも精通しているのでしょうかねえ」
「あ? そりゃそうだろう。僕たちは武器の特性がわかってないと、武器の作りようがないし改良も出来ないだろう」
「ははあ、そりゃそうだ」
「まあ、あんたほど武器が扱えるわけじゃないよ。あんた、棒きれ一本でギムルさまを打ちのめしたって噂じゃないか。そんな人間はこの村にあんたぐらいしかいないから、安心していいよ」
「ありがとうございます、ありがとうございます」
釈然としないまま褒められて、俺はひとまず礼を口にしておいた。
「さて、剣の研ぎ直しだったな。親方は今、あんたたちが使う建設用の釘やら針金やらを作っているところだから、手が空いていない。何人か職人も現場に引っ張り出されているからなあ」
青年はいったん短剣を鞘に納めながら俺の方を向き直った。
「職人が駆り出されているんですか? 何のために」
「新しい集落に鍛冶場を作るって話、村長さまが言い出しただろう」
「ええ確かに」
「だから炉をこさえるのに僕たちが駆り出されているんだ。オッサンドラとッピタゴラが確か行っているはずだ」
オッサンドラという言葉を聞いて、また背後にいるカサンドラがビクリとするのが伝わって来た。
ッピタゴラというひとは知らないけどたぶんゴブリンだろうな。
で、おっさんがここにいないのは彼もゴブリン鍛冶職人と駆り出されていたからなのか。なるほど。
「オッサンドラも大変だよね。村長さまの命令で強制労働を命じられたと思ったら、炉造りのためにまたひと仕事だ。まあ、あいつは辛気臭いし、居ない方が鍛冶場も楽しいけどね。じゃあついて来な」
俺たちは鍛冶場の中に案内されて、付いていく。
「いつまでに仕上げればいい?」
「刃を研ぐのはすぐに終わるんじゃないんですか」
「包丁やナイフじゃないんだから、欠けた部分も鉄を足すし、刃幅も合わせないといけないだろう。研いで刃がちびれば鞘も合わなくなる。数日は預かる事になるよ」
それは困った。俺が持っている武器らしい武器と言えば、このオッサンドラソードか後はメイスぐらいである。
「代わりの剣を借りて置くというわけにはいきませんかねえ。護身の武器がないんじゃちょっと見回り警備するのも心もとないです」
「それならこれを持っていくといいよ」
奥の部屋の、武器が武器立てに立てかけてある部屋に案内された。
いつぞやワイバーンに襲われた時に、ここから武器を拝借した事があったはずだ。
「こっちにならんでいるのが、武器の預かり時に貸し出す武器だ。好きなのを持っていきな」
「ありがとうございます。では遠慮なく」
とりあえず短剣の代わりは短剣にしておこう。
警備用の武器は一応、天秤棒でも持っておけば何とかなりそうなんだけど、それでは騎士として格好が付かないしな。
騎士なら帯剣は大事だ。
「それでいいのか?」
「ああ、これにします。サイズもだいたい同じぐらいだし、腰に差しても違和感がないでしょう」
「わかった。じゃあ三日後にでも取りに来てくれ」
そんな事を言いながら青年鍛冶職人が頷き返した。
奥の武器部屋から出てくると、タンヌダルクちゃんとカサンドラが、商品棚に並んでるいくつもの瓶を物珍しそうに見ている。
そのうちのひとつを手に取って、タンヌダルクちゃんが中をのぞき込んでいた。
「あ、こら。それは硫黄の粉末だから扱いに気を付ける様に!」
「?」
「ああ、燃える砂ですね」
「そうだよ! それは炉の火力を上げる時に使う粉末なんだ。だから君たちは勝手に触らないで!」
血相を変えた青年が、タンヌダルクちゃんから瓶を奪って元の場所に戻した。
これだから素人は、とか小声で呟いているのを聞いて、タンヌダルクちゃんがぶすりと頬を膨らませた。
「だめですよダルクちゃん。素直に謝らないと旦那さまのお立場が悪くなってしまいます」
「でもぉ義姉さん、ちょっとぐらいいいじゃないですかぁ」
「ふん、でっかいおっぱいで胸を張っても、僕は許さないからな。さあ用も済んだ事だから出て行ってくれ」
俺たちは追い出されてしまった。
まあ当初の予定である剣を研ぎに出すという目的は果たしたからいいか。
鍛冶場から追い出されたところで。
「旦那さま」
「ん?」
「わたしわかっちゃいました!」
ふと立ち止まったタンヌダルクちゃんが、大きな胸を揺らしてこちらに近づいて来る。
何だよ、落ち着け。荒ぶる胸はニシカさんだけで十分だからねっ。
「硫黄です」
「硫黄? さっきのか?」
「そうです硫黄です。建設現場の付け火でも、確かシューターさん、硫黄か何かが使われていたと言っていましたよね!」
「あ!」
勢い勇むタンヌダルクちゃんの言葉に続いて、カサンドラまでぽんと手を叩いてそう言った。
「確かに油か硫黄を使っていたと、お調べになられていた時に仰っていました。でも、それって……」
「ああ、硫黄は確かに火の回りをよくするために使うかもしれない」
むかし俺が子供の頃に読んだ三国志か何かで、名軍師諸葛亮も硫黄を火計かなにかで使っていたような気がする。
仮に油と硫黄を両方使えば、どういう効果が得られるんだろうか。
俺は理系か文系かで言えば体育会系だ。
だから細かいところはわからないが、よく燃える事は確かだろうな。
「なるほど。硫黄の粉末がある場所といえば、火の取り扱いをしている鍛冶場という事か」
「し、しかもオッサンドラ兄さんは建設現場にも出入りしているみたいですし」
「いやそれは今は関係ないだろう。俺が現場にいた時は、おっさんはいなかったし。いや、待て」
鍛冶職人は武器の仕上がりを確かめるために、試し切りをする事があると言っていた。
おっさんも多少は剣の心得があるという事か。
武器の使い方については少なくとも良く知っているという事だ。
「個人の恨みという事であれば、おっさんも怪しい」
「そんなまさか、オッサンドラ兄さんが」
俺がボソリと言うと、悲壮感漂うカサンドラが立ちくらみの様にふらりとした。
慌ててタンヌダルクちゃんと俺が支える。
「とにかくもう家に帰ろう。どのみち俺たちは夜回りしないといけないからな、早く帰ってひとっ風呂あびて、仮眠しておこう」
「は、はい」
「タンヌダルクちゃん、肩を貸してやりなさい」
「わかりました旦那さまっ」
◆
俺の名は迷探偵シューター、三二歳。
湖畔の建設現場で殺されたふたりのゴブリンと放火の犯人を追って、真相究明に奔走している男である。
少し前までは猟師で奴隷で騎士だったんだけど、今は聞き込み調査と事情聴取ばかりを繰り返してる。
とりあえず犯人の目星はついていないが、容疑者は数名浮かんでいた。
「はい旦那さま、お風呂が沸きましたので順番に入ってくださいな」
「お、おう。ちょっと待って今ぬぐから」
ひとりはサルワタ領内の冒険者ギルド長カムラ。
剣術の心得は当然あり、ブルカの街からやってきた。
当然ブルカの冒険者ギルドから派遣された人間なので、ブルカ領主との繋がりがあるという可能性は大だ。
しかもマッピング中のエレクトラたちを付け回していた不審人物の情報を握りつぶしていた。
怪しい。
「シューターさん、お背中をお流しします」
「ありがとう、ありがとう」
もうひとりは教会堂の司祭さま。
むかしは騎士修道会で軍事訓練を受けていたので、武器の取り扱いは昔取った杵柄だ。
手には真新しい剣を握ったと思しきまめがあった。
考えてみれば教会堂の関係者という事は中央の権力者や各地の領主たちと関係があってもおかしくない。
そもそもこの村に派遣されてくる以前は、どこに配属されていたのだろう。
これは怪しい。
「旦那さま、ぼーっとしてないでわたしの背中も流してくださいよう」
「タンヌダルクちゃんは相変わらずお胸が大きいね」
「旦那さまの助兵衛!」
最後に浮かんだのが、俺も見落としていたおっさんだ。
彼は俺の最初の妻カサンドラの従兄であり、妻に懸想していた人間である。
鍛冶職人という立場上、仕上げた武器の試し切りをやっているという事がこの際鍛冶場を訪れた時に発覚した。
つまり多少の剣の心得があったという事だ。
しかも鍛冶場の炉の火力を上げるために、硫黄などの取り扱いの知識があり、これを手に入れるのも立場上容易であるという事だ。
これはますます怪しい。
「しゅ、シューターさん痛いです。もう少し優しくこすってください」
「ご、ごめん。ついボーっとしてて……」
サルワタの森の開拓村一帯を治める騎士爵アレクサンドロシアは、辺境の中でも最も僻地に領土を持つ王国の領主だ。
当然、そこから先に広がる土地は切り取り勝手次第、つまり開拓すれば開拓するだけ自分の領地にする事が出来る。
ただしその開拓作業は自弁であり、ミノタウロスもいればワイバーンまでいるこの僻地の事だから、これは一種のギャンブルである。
しかし亡き夫の意思と義息子のために財産を残すと決意の固いアレクサンドロシアちゃんは、この土地に自分だけの領土を築き上げるのだと宣言した。
それが湖畔の城とその城下である。
これは危機感を持った周辺領主たちを犯行に及ばせる可能性を高めるのではないか。
「だ、旦那さま! 前はわたし自分で出来ますから。結構ですよう!」
「ありがとうございます、ありがとうございます」
ひるがえって個人の犯行という事であれば、結果的にではあるけれど、自分から想い人を奪ったおっさん、もといオッサンドラは重要参考人としてしょっぴいてもいいぐらいだ。
個人か組織か。
さて犯人は誰だ。
考え様によっては、オッサンドラとカムラ、あるいは司祭さまが共闘しているという可能性もある。
どれも怪しい。
「旦那さま、さっきからずっとぼんやりしてますよね」
「犯人の事できっと悩んでおいでなんですよ。お裸のままずっと寝台に腰かけてますし」
「湯冷めしちゃいますって言ってるのに、これだから全裸を貴ぶ部族は……」
「ほら、ダルクちゃん。ご先祖さまの悪口を行ってはいけません」
「はぁい。じゃあちゃっちゃと、エルパコちゃんの体を洗っちゃいましょう」
いずれにせよ、繋がっている繋がっていないという事は抜きにして。
カムラほどの使い手はエルパコを常時つけておくのが正しい。
司祭さまは、俺の勘では多少腕が鈍っている感じだった。
刺殺されたゴブリンの死体は腹にひと刺し、頸根を切断。
首の血脈を断ち斬るのはそれなりに日常的に剣を触っていないとできない技術のはずだ。
これは昨日今日、剣を持ち出して訓練したところで出来る事じゃないだろうか。
わからんな、結論を急ぐのは良くない。
「ぼ、ぼくはいいよ」
「そんな事を言わずにこっちに来なさいよ」
「そうですよ。身綺麗にしておかないと、シューターさんの立派なお嫁さんになれません」
「ぼくは男の子だって。あ、やめて……」
あとはおっさんか。
オッサンドラが剣の扱いに慣れているというのはまったく失念していた。
だがおっさんから剣が出来る様なオーラみたいなのは、感じた事が無い。
普段は人を殺すための訓練をしていないから、そういう雰囲気が外に出ていないというのも考えられる。
ふむ。毎日型の練習をしているだけの中学生ぐらいの道場生に、俺は殺気めいたものを感じた事は無いからな。
そう考えるとおっさんの動向がもっとも怪しい。
「どうしてエルパコちゃんはそんなに恥ずかしがるのですか?」
「ぼ、ぼく。お尻のあながふたつあるから、恥ずかしくって……」
「?」
「女の子なんだから、当たり前でしょう」
「そっちはお尻の穴じゃないんですよ、エルパコちゃん」
君たち、俺は考え事をしているんだから、ちょっと静かにしてくれないかな。
おじさんは今、考え事をしているんだ。
俺はもそもそと膝の上に這い上がって来たバジリスクのあかちゃんを抱き上げながら続きを考えた。
よし、エルパコにカムラは任せるとして、俺はもっとも怪しいおっさんの周辺をまず夜回りの最初のルートにして、そこから教会堂の方まで回るとしよう。
「キュウ?」
バジルくん、君はおじさんが夜回りに行っている間、しっかり番バジリスクとしてお母さんの事を守る様に。
怪しいやつが近くに来たら、しっかり臭いを覚えておくんだぞ。
あとバインドボイスで警報を出す様に。
「びえっくしょい!」
そんな事を考えながら肥えたエリマキトカゲの頭を撫でていると、俺の方が口からバインドボイスを吐き出してしまった。
「だから言ったんですシューターさん。夏でもちゃんとお召し物を」
「あーっ駄目です。旦那さまの腰巻き、返しなさいエリマキトカゲ!!!」




