59 ミノック・アウト 後編
戦闘開始の合図とともに俺たちは互いに飛び込んだ。
ほとんど何も考えないで相手の顔面だけを狙う拳の攻撃。
少しでも様子見をしようなんて後ろ向きな戦い方ではたぶん勝てないだろうと俺は思っていたが、案の定タンクロードバンダムは俺と同じ様に、初撃から顔面を打ち抜くつもりだったらしい。
俺の拳はサウスポースタイルから左打ち。
タンクロードバンダムはオーソドックスの構えから右打ち。
だが俺の方に若干の有利さがあった。
体は俺の方が小さく本来的にはリーチでタンクロードには届かないのだが、俺のパンチは下半身の飛び込み、腰の回転、上半身の伸び、胸の張りといった四つの動作によって、通常よりぐいっと前に攻撃が伸びるのである。
逆にタンクロードの方は通常の打撃なので、これは威力では申し分ないが、自分のパンチの陰に俺の拳が入り込む格好になって、何が起きているのか一瞬伝わらなかったはずだ。
「おおいいぞ、シューターやれ!」
「兄さん!!」
ギャラリーの声が俺の意識のどこかに聞こえて来た。
タンクロードは殴り掛かる途中で俺の攻撃が顔面を捉えようとしているのを察したのか、拳に腰を乗せ続ける事が出来なくなって体制を若干崩した。
俺の拳はアゴを外れたが、代わりに首に一撃を加えてやることが出来た。
だがここで終わらないのがタンクロードバンダムが最強の闘牛マンたるゆえんだろう。
俺の伸び切った体はある意味で捨て身な攻撃をした結果なので、軸足がぶれている。
今なら蹴り放題と思われたのか、タンクロードも軸がぶれながらもハイキックを見舞って来た。
それこそアクション俳優の様な、綺麗な弧を描く一撃だ。
構えが不バランスの状態でもこんな蹴りが出来るなんてのは、とんでもない格闘センスだ。
俺は腕を引き揚げながらそのハイキックを受け止めた。
ダンッという重い一撃で、俺はそのキック一発で腕の筋肉がヘタる様な感覚を覚えた。
攻撃がガードされても、それが一切無駄にならない事をこの野牛の族長は知っているのだ。
打撃や蹴りをガード出来たからといって、盾である腕は何度も攻撃を受ければ耐久力が落ちてやがて破壊されてしまうのだ。
すぐにも俺は距離を詰めようとインファイトに入った。
距離が少しでも空くと、ハイキックを自在に使えるタンクロードにとってかなり有利であることがこれでわかった。
本当は下段回し蹴りで徐々に相手の機動力を奪う作戦もあったのだろうが、これはすれ違い様にやっていく事にしよう。
また距離を縮めながら裏拳気味の一撃をタンクロードの顔に浴びせる。
何度も顔を狙っておけば、野牛族長の意識をそこに持っていけるはずだ。
むしろそういう試合の組み立て方をしないと、隙が作れない。
けれどもタンクロードの振りかぶる様なフックが俺を狙って来た。
暴力的なその腕の振り込みを避けるべく俺が体を畳んで回避しようとすると、今度は膝を突き立ててきやがる。
これはあかん。
こいつは完全に俺たちの知っている現代的格闘技スタイルを習得している。
俺たちの元いた世界で格闘技が急速に発展したのは、二〇世紀の中盤になってからの事だ。
つまり最近の事なのだ。
中世ヨーロッパのノリであるこのファンタジー世界で、すでにここまで格闘スタイルが確立していたのは驚きだった。
それが証拠に、俺が現代的格闘技ならばどの流派や集団でも活用している横への動きとでもいうか、回り込んで対応しようとするスタイルに、タンクロードはしっかりと付いてきていた。
古流空手なんてものは、完全に縦深の戦闘スタイルに特化したところがあって、回し蹴りや側面に移動しての裁きなんてのは、ごく最近になって取り入れられていたというのに。
野牛族長は俺の回り込みの動きに合わせて、同じ様に側面に移動して絶対に不利な場所を晒さない様に動きやがった。
今こそローキックだ!
俺がタンクロードの動きを止めるべく下段回し蹴りをしてやったところ、ガードのために脚を上げて対処された。
まじか!
しかも今度はタンクロードからローキックを仕掛けて来た。
俺も慌ててガードの脚を上げたにもかかわらず、ドンという何もかも破壊するようなハンマーの一撃が俺の膝を叩いた。
そうなのだ。
どうやら俺たちの知っている下段回し蹴りと、この世界の下段回し蹴りとでは、破壊しようとする場所が違うらしい。
俺たちの元いた世界は関節の付け根からやや上を叩いて、筋肉ごと破壊するというイメージだったのだが……
タンクロードは骨の接合部ごと潰すような勢いだ。
人間は関節部分がとにかく弱いからな。
「いってぇ!」
めちゃくちゃ痛かった。
これはアレだ、むかし木で出来た電信柱をひたすら蹴り続けて鍛えていたという、少林寺拳法の武道家が修行して体得したとされるローキックだ。
俺も一度だけ少林寺をやっていた中年にこの蹴りを見舞われた事があるが、骨の髄までビリビリして、そのまま転げた事がある。
だが、ここで痛いと泣き言を口にしたら無様に負ける事が確定して、まさかの奴隷転売堕ちである。
「フンス、どうした。来ないのか?」
「そんな安い挑発には乗らないんです、よ!」
やり返すつもりで言葉に乗せてミドルキックを放った。
俺の蹴りは、元いた世界ではそれなりにしっかりとした体格だったので、威力はそれなりに期待できるものだったはずだ。
しかしこの世界で、しかもミノタウロス相手となると身長差も体格差もあるので、こんなものはけん制にしか使えないかもしれない。
せめてガードを崩すためにと思って左のミドルキックを放ったが、例によって現代的格闘技の動きを見せたタンクロードが腕でガードしながら前進して来た。
くそったれめ!
ミドル攻撃を潰されて着地とともに、俺と野牛は殴り合った。
何でビーフマン相手に完全不利なインファイトをしているんだ俺は。
突きの応酬と、時おりローキック。
何だこのフルコン空手みたいな殴り愛は。
殴り合いじゃない、殴り愛だ。
こういう、突進力のある未知の相手と戦う場合は相手の下段を意識的に集中して攻撃するとよいとされる。
俺もそれにのっとって今対処しているのだが、外野はもっと俺たちに激しい殴り合いを要求しているらしく、激しいブーイングや発破の声が飛び込んできていた。
「くるくる回って、どういうつもりだ!」
「顔だ、その牛面を潰せ!」
「シューターさんガードが下がってます!」
「村最強の裸族はその程度なの?!」
いったん距離を取った瞬間に、すぐにタンクロード自慢のハイキックがやってくる。
だがちょっと待ってほしい、大ぶりの蹴りは隙も大きいのだ。
「ちょこまかと!」
「くっ!」
「フンス!」
ハイキックが空を切った。
残念でしたまた今度!
そんな狂人めいた強靭なキックはいりません。
そう思った時期が俺にもありました。
ハイキックが空を切ったと思ったらもうひと回転して、後ろ回し蹴りが飛んできた。
ほげぇ!
咄嗟にガードの腕を上げたが、完全にガードの上から押しつぶされる様に俺は顔で威力をもろに受けてしまった。
反則だろ、威力ありすぎだろ!
丸太ん棒みたいな脚で俺を足蹴にするな!
「何やってるんだシューター! ケチョンケチョンにしてやれよ!」
「脚だ、脚をつかえシューター!!」
「そうだ魔法は。魔法で圧倒したらどうですかシューターさん!」
「兄さんの背中に追撃です!」
気楽なもんで、ギャラリーからニシカさんとッワクワクゴロさんが野次を飛ばしていた。
意識が朦朧としながらも俺は距離をとらずに一気に前蹴りをしてやった。
タンクロードも姿勢が崩れる。
ざまあみろ!
「そうだやれ! 目潰しだ!」
「それはいかんぞ、目潰しは反則だ!」
「シューターさんしっかり!」
「兄さんはこの程度じゃやられませんよ!」
意識を一瞬でもそちらに回してしまえば負けてしまうので、ギャラリーに手だけで「まだ俺はやれる」と声の方に合図をしてタンクロードを睨み続ける。
むかし俺が沖縄空手の古老に指導していただいた際、言われた言葉があった。
技は必ず掛け合わせるものだ。ひとつを軸にしてそこから相手の弱点の穴を広げろ。
何を言っているのか意味が解らなかったが、先生がやってみせると簡単だ。
沖縄北部育ちの先生は体の小さな方だったが、だいたい平均的身長で他の人間より若干だけ肩幅のある俺が相手になると、古老と俺では大人と子供みたいなサイズ違いだった。
してみるとリーチに劣る先生は、俺を誘ってさらりと懐に入り込ませると、俺の姿勢を崩す事だけに集中して技をかけ、気付けば先生の肩が俺のみぞおちに入り込んでいて、俺は悶絶して倒れた。
後は倒れた俺に先生が馬乗りになっていて、殴られはしなかったがそのまま実戦なら死んでいただろうと覚悟したものだ。
流れるような動作だった。
まあその流れる様な動作をすぐに今ここで再現する事は不可能だが、技ひとつに頼らずに連携は大事なのだ。
ボクシングでもワンツーで終わらずに三打目を出していく事はとても大事である。
たぶん泥仕合に持ちこめば勝ち目もあるかもしれないが、逆もありえる。
泥仕合の中で形勢不利になると、一撃で試合が決まらずにズルズルとボコボコにされる可能性がある。
しかも事実上、まいった禁止。
得意の崩しから、決め技に持っていくために俺は改めて試合を組み立てる事に集中する。
「どうした、だいぶ焦った表情だな。フンス」
その挑発には返事をしない。
代わりに俺が何発か下段回し蹴りをしてやると、脚への負担を警戒してインファイトに持ち込もうとしてきた。
その瞬間に俺は握りしめた拳で思いっきり、胸骨をしたたかに叩き込んだ。
完全に俺のアゴだか頬だかを殴り抜けるつもりのパンチを狙っていたはずだ。
だが、それよりわずかに早く、精一杯の一撃が胸骨に打ち込まれた。
沖縄古老に教わったその一撃に、ミノタウロスの表情が変わった。
野牛の一族からすれば明らかに体の小さい相手の一撃が、どうも彼の体の中の何かを変化させたのだ。
つまり呼吸を乱れさせたわけだ。
それに気づいた瞬間の驚きを見届けながら、俺は一瞬にして距離を取った。
そのままサウスポーからの左手追い突き、何か特別な名前を付けていたわけではないが、その切り札のパンチを送り出した。
完全に呼吸が乱れて混乱したタンクロードバンダムが、俺の攻撃から身を守るためにガードを咄嗟にあげた。
だが残念でした。
お約束通りに彼のガードの下を俺のパンチが走り、そこから軌道が変更してアゴを捉えた。
タンクロードバンダムは倒れたのだ。
今日は2秒間に合わなかった!
ごめんなさいごめんなさいごめんなさい…
ついでに内容に納得いかない箇所があったので修正入れました。




