57 ミノック・アウト 前編
俺の名はシューター。
異世界で猟師をやっているはずだったが、近頃はまるで猟師らしい事をやっていない三二歳の村人だ。
ところで今日は総勢十名からなる猟師や冒険者たちが、鹿の群れを追って森の中を移動していた。
俺も猟師として久しぶりに短弓と手槍を持って、猟師らしいことをやっている。
少し前から猟師と冒険者がパーティーを組んで、村周辺に広がる広大な森と草原をマッピングしていたわけだが、その際に見つかった野生動物たちの情報が、有効活用されているのだ。
村の倉庫だった場所が、新しく村に出来た冒険者ギルドだ。
そこに各パーティーの集めた情報が大きな地図に書き込まれていき、動物の情報もピンを刺すなどして、最新のものを記してある。
俺の元いた世界に比べれば恐ろしくアナログな手法なんだろうが、ここでは有効だった。
「あっちに見えたぞ。数は五、六〇頭ばかりの小集団だ。たぶん話にあった情報の群れから別れた傍流だろう!」
新しく村にやってきた冒険者が、小さく、けれども通る声で通告した。
最前列を移動していたニシカさんとッワクワクゴロさんが、まるでここが林の中ではない様に高速で移動していく。
向かう先は鹿の小集団そのものではなく、それより先回りをする様な格好だった。
逆に俺たちは手槍や弓を構えながら、正面からじわじわと近づく方となる。
当初決められていた通りの役割だった。
ニシカさんはまだ弓を用意はしていない。
ッワクワクゴロさんは、自分の手足としてッサキチョさんから譲られた遺産の猟犬たちに指示を飛ばしていた。
猟犬たちの半分がッワクワクゴロさんから別れて、俺たち正面から近づく先頭に移動していた。
ついでにその猟犬の中に、ずんぐりむっくりの肥えたエリマキトカゲがいる。
バジルだ。
えさだけ食べさせているわけにもいかないのでッワクワクゴロさんところの猟犬と一緒に訓練をしてもらおうかと思っていたのだが、ッワクワクゴロさんはさっそく実戦投入を命じてきやがった。
俺のいう事はたいがい聞くので問題ないという事らしいが、子供のうちから狩場に慣れさせておくのも猟犬の正しい躾の方法らしい。
でも、バジルはまだあかちゃんだぞ?
普段ならキィとかなきり声で泣くのがあかちゃんの癖だが、今日はちゃんと狩りに出ているという事を理解しているのか終始無言だった。
これ、大きくなったら確かに狩りに使えそうね。
「どのタイミングで飛び出すんですかね?」
「わからん。ッワクワクゴロさんかニシカさんはもう見えなくなってしまったからな。たぶん矢笛で合図があったら俺たちが飛び出して、鹿を誘導するのがいいんだろう」
俺が隣にいる青年猟師に質問したところ、そういう段取りを教えてくれた。
すぐ背後にはカサンドラとエルパコも控えている。
ブッシュをかき分けながら前進する。
俺たちはみんな低姿勢だ。
俺はあまり弓が得意ではないのであまり使いたくはないのだが、最初の取り決めでは合図とともに一斉に矢を放つという事だ。
二射目、三射目は弓が得意な人間がやればいいが、俺などは手槍片手に飛びだす役割だった。
これは俺と付いてきた冒険者ひとり、それにカムラさんが担当する。
カムラさんはたぶん弓も器用に使える人間の様だったが、追い立て役が冒険者ひとりと俺だけなので、こちらに加わったのだ。
額の汗がうっとおしかった。
いよいよ夏になって来た実感をそれで覚えるが、この草蒸すブッシュの中でこの湿気はかなりきつい。
鹿どもは、少し移動しては地面の草をむしゃむしゃやっていたり、時折首を上げて周囲を見回したりしている。
俺たちは狩りの常道にのっとって風下から西上する形で移動していたので、まだ連中は気付いていないらしい。
猟犬たちまでが低い姿勢でジリ、ジリと進んでいるのを見て、俺がおじさんたちと猟に出かけていた頃の事をふと思い出させてくれた。
ついでにバジルまで同じ様な格好を肥えた体でしているのが微笑ましい。
ただしあいつにはまるで緊張感の欠片もなく、どちらかというと遊びの延長線上に見える。
真似して遊んでやがるのだ。
反対に風上には、こういうのを一番に得意としているニシカさんがいる。
ッワクワクゴロさん自身は、ベテラン猟師ではあったがニシカさんほど機動力がないらしく、やや遅れて付いていくという話だったが、すでにもうここからはうかがい知ることが出来なかった。
よくよく考えると、ワイバーンを狩った時の事を除けば、本格的にこれほど大規模な狩りに参加する事そのものがはじめてかも知れない。
しかも今日は運がいい。
こうして比較的簡単に獲物たる鹿の群れに出くわしたのだからな。
泥臭い匂いと草蒸す匂いが鼻に纏わりつきながら、俺は矢筒から矢を一本抜き取った。
雰囲気で、そろそろ仕掛けると言うのが分かったからだ。
隣の青年猟師は矢を三本片手に持っている。速射するつもりなのだろう。
ふと風に乗ってキューンという矢笛の響きが空を翔け抜けた。
当然だが、ブッシュの切れ間から見える鹿たちが、一斉にもたげていた首を上げた。
何事か、という感じなのだろう。
その途端に、猟犬たちが咆えながらブッシュの中から飛び出した。
「射て!」
青年猟師の言葉と共に、俺たちが一斉に引き絞った短弓を射掛ける。
俺もカサンドラやエルパコと一緒に矢を放ったが、カサンドラの矢は力が足りないのか群れのやや手前に落ちてしまい、エルパコのものは距離だけは稼いだが、これも外れた。
ふたりは慌てて二射目にかかったけれど、俺は犬やバジルと一緒に走り出す。
駆けながら見ると二頭にうまく矢が刺さっているのが見える。
一頭は間違いなくニシカさんが長弓で一撃を加えたものらしく、どぅっと倒れ込んだ。雄鹿だ。
もう一頭はたぶんッワクワクゴロさんや別の猟師たちのものだろう。うまく尻に数本ささっているので、みんな狙いやすそうなのを射かけたところ集中したという事だろうか。
と、思ったところで、バジルがとんでもない事をしでかした。
グオオオオオオオン!
その体のどこからそんな咆哮が出るのやら、バジルがバジリスク特有のバインドボイスを口から吐き出したのである。
当然、駆けだした俺はつんのめりそうになりながら……というか転がって受身を取りながら立ち上がった。
おいおい、そういう事は最初の打ち合わせでちゃんと言っておいてくれ。
俺はうまいことそのまままた走り出したが、カムラさんともうひとりの冒険者は耳をふさいで縮こまってしまったみたいだ。
ついでに一斉に逃げ出した鹿どもも大混乱だったらしい。
棹立ちになってしまったものや、そのまま何もない場所でずっこけた鹿、中には四本足で立ったままジっとしているやつまでいる。
これは入れ食いだ。
俺が必死で鹿の群れに近づくと、手ごろな転げた鹿の肺臓あたりめがけて手槍を思い切り刺し込んでやった。
すぐにも手槍を抜いて次の獲物をと思っていると、まだ鹿は健在らしく起き上がろうとしているので慌ててナイフを抜いて首に突き立てる。
よし、これでいい。
などと思っていると、今度は味方から次々と矢が飛んできたので俺は焦った。
「やめろ! 俺がいるのに! 適当に弓を打つな!」
俺が慌てて大声を上げると、さらに恐ろしい事に強弓から放たれた矢が俺の目の前を過ぎ去るじゃないか。
その矢に度肝を抜かれた俺だったが、見事に立ち上がって一目散に逃げようとしていた鹿の肺臓にぶすりとささりやがった。
「ニシカさん、やめろ! 寿命が縮まる!!」
バジルの硬直化をもたらす咆哮とニシカさんの強弓のおかげで、いとも簡単に鹿を約束通り七頭、仕留める事が出来た。
あっけないぐらい上手く行ったが、俺としては生きた心地がしなかったね。
何しろ目の前を雨あられと矢が飛んできて、ニシカさんにはわざとなのか目の前を射抜かれたんだからな。
抗議してやろうかとブッシュの中から姿を現した鱗裂きのニシカさんを睨み付けると、彼女はぼりぼりと頭を掻きながらとんでもないことを言いやがった。
「ったくよ、張り合いがねえな。なあやっぱ、これからワイバーン仕留めに行こうぜ」
「行かねえよ!!」
◆
三日後、その宴は湖畔の草原で行われた。
双方の人間が簡易天幕を張り巡らしたりして宴席の準備を前夜から続けていたが、朝になるとそこに食材がわんさと持ち込まれて、これもまた双方の料理人たちがせっせと食べ物を用意する。
俺たちの村ではぶどう酒に付け込んだ鹿肉や肝を使った煮物などを用意していたので、事前に寸胴鍋に入れて運び込まれた。
一方の野牛の一族は牛を潰してバーベキューをするつもりだったらしい。
網にかけて焼くアメリカンなバーベキューというわけにはいかず、どちらかというとモンスターをハントするゲームスタイルの鉄串に刺して火に炙りつける様な感じだった。
まあ、料理は順調である。
村の女どもはジンターネンさんの指揮のもとに出来上がった鹿肉スープや贓物煮つけを木の皿に盛りつけて、双方の要人たちに配り始めた。
女村長と野牛族長、それにギムルさんタンヌダルクになぜか俺、がちょっと上等な天幕を囲んでいくスタイルなのは不思議な気分だ。
「なかなか上等な牛肉の様だがお前たちの都市、居留地と言ったか? ではこんな美味いものをいつも食べているのか?」
「フンス、まさかそんなわけがあるか。こうして祝い事がある時に何頭か潰して食べるんだ。普段は必要分だけを潰して、街で少しずつ流通させている。こんなに大量に牛を潰す事はめったにないぞ」
「そうか、機会があれば種牛を分けてもらいたいものだな」
「そういうお前たちこそ、よくこの短期間にこれだけの鹿肉を用意したものだな。フンス、味はともかくとして、お前たちは蛮族というだけあって狩りに長けているらしい」
「あっはっは、言ってくれるわ牛面が」
例によって不味いぶどう酒を口に運びながら、俺はぼそぼそした鹿肉を噛みしめていた。
ぶっちゃけた話をして、国産和牛のいい肉を食べていた俺からするとミノタウロスたち自慢の牛はさほど美味いものじゃなかった。味はこういうところだけアメリカンだ。
ただし、俺はそれほどこのファンタジー世界の味付けに悲観しているわけじゃない。
慣れてくるとこの赤身の牛肉もなかなか歯ごたえがあって悪くないなと思い出すから不思議だ。
だがぶどう酒は不味い。
何しろもとからしぼり粕が残っている様な酒なのに、権力者たちの駆け引きを楽曲にして飯を食っているのだから不味いに決まっているのだ。
俺がため息まじりにぶどう酒の酒杯をおひとりさま用ちゃぶ台に置いたところで、チラリと青年ギムルの顔が見えた。
これから人質として差し出される身分なので、いい気がしないのだろう。
相変わらず考えていることが表情に出る男だ。
「呑んでるか、ギムルさん」
「黙れ」
「黙ってたら親睦会にならないだろう。覚悟はまだ出来てないんですか」
「親睦は野牛とやれ。俺にかまうな」
「あのですね、ギムルさん」
不味いけれど、呑んでいて気の大きくなった俺はギムルに身を寄せて囁く。
「こうなっちゃったもんは、しょうがないでしょう。この状況で何が最善なのかを考えて行動する事ですよ。ピンチは最大のチャンスなんです」
「お前は野牛の一族から綺麗どころの嫁を貰う立場だからいいだろう。族長の妹となれば、有力者の一族だぞ。それに比べて俺は、まだ誰と結婚させられるかもわからんのだ。村に残る人間は偉そうな事を言うな」
苦々しい顔をしてギムルがぶどう酒を一気にあおった。
この男、そういえば酒を呑むと態度が悪くなる傾向があった。
出会ってはじめの頃も、俺のぶどう酒に手を出して剣を抜いたぐらいだ。
街に出た時はわりかし大人しくしていたが、それは旅先という事で本人も自重していたのかもしれない。
今ギムルを見ていると、手酌でぶどう酒を瓶から酒杯に注いで、またごくごくとやっている。
「村長を、義母上の事はくれぐれも頼んだぞ。野牛の誰かが義母上と結婚などという事になったら、俺は暴れるぞ」
「それは駄目です。あんたの義母上がわざわざあんたの将来のためにと足場固めをしてくださってるんだ、親の思いやりはしっかり受け止めなさい」
「嫁が増える人間は羨ましいな! 俺の婚約者も美人だといいんだがな……」
本音はそこか。
まだ誰がギムルに嫁いでくるかも話し合われていないので、もしかすると気が気でないのかもしれない。
ついでに母親の側を離れるのも嫌だというわけだ。
「おい、もし義母上が再婚するなどと言い出した時は全力で止めろ。他人に渡すぐらいなら、お前が俺の父親になれ」
「はぁ? 何だって?」
ギムルの言葉に素っ頓狂な声を俺が上げてしまった。
「いいか、形の上だけでも義母上が再婚してしまえば誰も手出しをしてこんだろう。そうだこれは名案だ。シューター、お前そうしろ」
「あんた、大分酔ってるね?」
「馬鹿を言うな。俺はいつでも元気だ」
酔っているらしい。
ギムルの名案とやらは適当に流しながら、俺はチラリと反対の席に座っているタンヌダルクを見やった。
ちょうど俺たちの村の女がやって来て、不味いぶどう酒を野牛妹に勧めているところだった。
カサンドラが顔を出すかと思ったら、よりによってジンターネンさんだ。
いつもは不機嫌な顔をしているはずなのに、愛想笑いを浮かべているのが気持ち悪い。
女村長は若い綺麗どころを集めるとか言ってたけど、ジンターネンさんのどこが綺麗どころだよ!
あ、ジンターネンさんの勧めをタンヌダルクちゃんが拒否した。
途端にジンターネンさんの顔がみるみる不機嫌になっていったので、俺はあわてて立ち上がって介入した。
「まあまあ、ジンターネンさん。綺麗どころのお姉さんは男たちの相手をしてやってくださいよ。村一番の戦士であるところの俺が、タンヌダルクちゃんの相手をしておきますから」
「ふん、村一番の全裸奴隷がよく言うよ!」
「…………」
その場は何とか治めたものの、問題はタンヌダルクちゃんだ。
俺はつーんと澄ました顔をしているタンヌダルクちゃんをまじまじと観察した。
さて、どう取り繕おうかな。
「何ですか気持ち悪い。どうせわたしの胸をじろじろみていたんでしょう? あのオーガどもみたいに」
「いやあ大きくて目立つものに眼が行ってしまうのは人間の性分ってものでしてねぇ」
「やっぱり蛮族じゃないの……」
「とんでもない。これでも俺は文明人を気取っているんですよ」
俺の中で蛮族といえばニシカさんなので否定する。
「ところで、そんなに人間に嫁がされるのが嫌なんですね」
「当然です。聞けばあなたはもうすでに奥さまがおられる立場だというじゃないですか。わたしは第二夫人ですか? 何さまですか? 蛮族さま?」
「そうなんです、俺はこの春に妻をめとったばかりの立場でしてね、ありがたい事です」
「わたしはちっともありがたくないです!」
「ですよねー」
「ですよねーではないです! どうしてくれるんですか!」
「まあ俺も困ってるんだ正直。村長さまに逆らうわけにはいかないし、カサンドラをどうやって説得したらいいかわからないし。そうだ、タンヌダルクさんが俺は嫌だと言えばいいんじゃないかな?」
タンヌダルクちゃん思い切り嫌だと拒否反応を示せば、結婚の相手は他の誰かに自動的に決まる。例えば美中年カムラあたりなら、生涯フリーの男だし顔も悪くない。
「わたしが兄さんに逆らえると思うの? それともあなたが兄さんを説得してくれるんですかぁ?」
「いや、闘牛のプロフェッショナルらしいので、怒らせるのはちょっと嫌ですねえ」
「じゃあどうするんですかいったい!」
タンヌダルクちゃんはフンスと鼻を鳴らしたついでに、たわわな胸を揺さぶった。
そのまま不機嫌に酒杯を手に取ると、ひと息にぶどう酒を呑みほしてしまう。
ふうと息を付いた後に、ついついげっぷが飛び出してタンヌダルクは慌てて口を押えた。
無理をしているらしい。
「あの、お酒はあまりお強そうでもないんですけど。大丈夫ですかねえ」
「大きなお世話です。お酌、してくださらないの? 村一番の全裸奴隷がわたしの相手をすると言ってたじゃないですか。口だけだったんですか?」
何という口答え。
でもまあ若い女の子がツンケンしているのは、可愛げがあっていいですね。
ジンターネンさんがツンケンしていると更年期障害かな? とか思ってしまうからな。
俺は口を押えたまま酒杯を差し出したタンヌダルクに、ぶどう酒を注いでやった。
「だからね、実はまだ妻には新しい嫁をもらう話、してないんですよ」
「まあ。蛮族と言ったら奥さんを何人もはべらせるのが普通だと伺ったんですけど、違うんですか?」
「いやあ俺、見ての通りの奴隷なんで、蛮族かも知れないけど村のカーストじゃ最下層なんだなぁ」
俺はへそピアスを自分で引っ張って見せて説明した。
「そのピアス、あなたは村一番の戦士なのに、どうして奴隷なのですか」
「いろいろ事情があるんですよ、大人の」
「わかりました、あなたに足枷をはめるためにあの蛮族の女族長があなたを奴隷身分に落としたのですね。でも強い戦士の子種は欲しいから、わたしが嫁がされて子供をつくらされるのね」
お前はいったい何を言っているんだ。
ぶるりんおっぱいを揺らしながら思案気にタンヌダルクちゃんがため息をついた。
「わたしの予定では、自由恋愛をして素敵な白牛の騎士さまと結ばれる予定だったのに。こんな蛮族の全裸戦士と結婚だなんて兄さんにはホントがっかりです……いまどき政略結婚なんて蛮族のする事なのに」
「こら、蛮族蛮族とうるさいよ。大人に失礼な事を言うんじゃない」
「ひっ」
いいかげん腹の立った俺は、タンヌダルクちゃんの頭を掌ではたいてやった。
「…………!」
「ん? 痛かったか?」
「あなた、いま、わたしの、角を、さわりましたね?!」
「ああ、ちょっと当たったかもしれない」
「自分もわたしと結婚するのは困ってるとか言っておきながら、ちゃっかりわたしに求婚するなんてやっぱり蛮族だわ」
「蛮族って……別におもいきり叩いたわけじゃないんだからDVって事は無いだろうが。ポカリともしていないはずだぞ。てか、球根?」
球根なんかどこにもないじゃないか。
「……兄さん、兄さん!!」
見ていると、腰を抜かしてわなわなと震えているタンヌダルクちゃんが、突然に悲鳴を上げた。
「何だタンヌダルク、義弟どのと上手くやっていたんじゃないのか」
「ん、シューターどうした」
何やら政治的な駆け引きの応酬を延々とやっていたふたつの組織の代表者たちが、そろって立ち上がると俺のところにやって来たではないか。
「ここここ、この男が、全裸を貴ぶ蛮族が、わたしの角を素手で触ったんですよぉ……」
「何、本当か。もう求婚なんかしやがって気の早い男だな!」
何がどうなったのか、俺はわけがわからなかった。
あまりにもタンヌダルクが大きな声を出すものだから、ぞろぞろと野牛の一族と村人幹部たちが、俺たちの天幕に集まって来るではないか。
ついでに新妻がいるとえらい事だと思って周囲を見回したら、ひょこりと天幕からニシカさんと一緒に顔を出しているところを目撃してしまった。
最悪だ!
ニシカさん助けて!
「シューター、お前なにをやらかした」
「俺は何もしてませんから!」
女村長の詰問口調に俺は慌てて釈明した。
「いやなに、この戦士がさっそく俺の妹に求婚をしたらしいのだ。俺たちの一族にとって、角を触らせてよいのは夫となる男だけだからな。なかなか度胸がある男じゃないかこの若造は!」
「そうかシューター、覚悟を決めたか。結婚おめでとう、ふたりの嫁を養うのであればご褒美はやはり屋敷をひとつ新築しよう。わらわも内々に考えてた事だが急いだ方がいいの」
何を言ってるんだこの年増村長。
あんた、その顔は状況を何となく理解している上で、わかった上で、あえてみんなの勘違いに乗っかっている態度だぞ!
しかもご褒美って新居だったのかよ。ちょっとムフフ期待してたのに損した!
俺は心の中で色々と叫びまくったが、結局何かを言う前にカサンドラがとても悲しそうな顔で俺を見ていたので絶句してしまった。
◆
「シューターさん、そういう事はもっと早く教えて下さらないと。今後の生活費の事もありますし……」
嫌々をして天幕を飛び出したタンヌダルクのおかげで、追いかけた野牛の一族の大半がいなくなったので俺だけ取り残された様な格好になってしまった。
カサンドラとニシカさんが近づいてきたかと思うと、開口一番嫁がそんな事を行ったのである。
「ちょっと待ってね、これは完全なる誤解だからね」
「誤解もへちまもありません。うちはただでさえ貧乏なんだから、家の増築もしないと……バジルやエルパコちゃんもいるんだから」
カサンドラが指折り数えてぶつぶつと言った。
最後に例によってとても嫌そうな顔を俺に向けた。
「結婚というものは村長さまや大人の親戚が決めるものです。わたしもそういう事は理解しているつもりです」
「う、うん」
カサンドラ、そんな顔で俺を見ないでくれ。
「でもわたし怒ってます。悔しいです。シューターさんはわたしが独占できると思ってたので……」
ぷいとそっぽを向けたカサンドラは立ち上がると、天幕を出て行ってしまった。
こういう時に男同士のギムルが助けてくれるかと思ったが、呑み過ぎて早々に潰れてしまっていたのか、酩酊して舟をこいでいた。
使えねぇと思ったのも事実だが、こういう時は誰かに頼る様ではいけない。
むかし俺がとある企業で企画立案のアイデアを出すだけの簡単なお仕事をしていた事があった。
様々な立場のバイトがかき集められた会議室で、朝から晩まで頭を捻り続けるのである。
俺たちバイトの担当者は四十絡みの男だったけれど、究極まで俺たちを追い込んで、無理難題の中でアイデアを捻り出させたものだ。
予算は無い。だけど何とかこの商品を広げる手段は無いかな?
あるわけねーだろ! ではこのバイトは務まらないので、ギリギリまで自分たちを追い込むしかなかった。
だがこの追い込まれた状況でいろんなアイデアが出た。
あるペット商品を売るのに、他社より買わせるために同列の値段ではなく、あえて値段を上げてセット売りをするだとか、それによって付加価値を作ったり、同じ価格帯で比較させないという方法だ。
担当の男はとにかく切れ者だったな。
彼自身ももちろんアイデアをばんばん出していったが、彼のその追い込まれてなおアイデア捻り出しをするのが、辛くもあり、仕事をしたぜという達成感があったんだな。
達成感については置いておいて、今このピンチをどうにかしなくてはいけない。
俺は妻を怒らせた。
妻は俺を独占したいと言っている。
俺は妻が好きであるわけだが、アレクサンドロシアちゃんの命令も一方で絶対である。
今この危機的状況だから自分自身で解決をしなければならない。
今後俺はどうしていくのか、わかんねえよ!
「おい、シューター。あの牛チチ女と結婚するのかお前?」
「するかどうかわかりませんが、女村長はそのつもりみたいですね」
「他人事みたいに言うんじゃねえ。お前ぇ自身のことだろうが」
「実は知らないうちに俺、野牛の一族の作法でプロポーズしたらしいんですよ、不用意にね……。もちろん女村長は相手が嫌がるなら他の候補も考えるが、婿候補のひとりだと俺を最初から員数には入れていたみたいですけど」
「ふうん、そうかい。なら逃げられない運命じゃねえか」
「けど、俺の故郷じゃ結婚はおひとりさままでって国法で決まっているんです」
「だがここはお前の故郷じゃないだろ」
「そうですけどね……」
ため息をついて、ギムルのいびきだけが聞こえる部屋で不味いぶどう酒をあおった。
「結論なんてわかってんだ。あとはしっかりカサンドラとよく話し合って、タンヌダルクとどう関係を作っていくか決めないとな。あくまで最初にもらった妻はカサンドラなんだから、大事にしないと」
「何だよ、ちゃんと理解してるじゃないか。それでいい」
ニシカさんはそう言うと、ぶどう酒の瓶をラッパ飲みした。
うまい、うまいと言っているところが彼女らしい。
まったく。この世界は俺に優しくない。
◆
そんな甘ったれた事を考えていた俺に、この世界の神は天罰でも下したかったのかもしれない。
天幕に戻って来た女村長とタンクロードバンダムが、ずかずかと俺の前までやって来た。
どういうわけかそこにカサンドラと、タンヌダルクも一緒に後ろについてきた。
タンヌダルクちゃんは後ろで気恥ずかしそうにもじもじしていて、何でかカサンドラがそれを慰めている。
何があったんだわずかな間に?!
「話し合った結果、タンクロードの妹御は本当にお前が村最強の戦士なのか、それを証明したらこの結婚を呑むと言っていた」
「あの、どうやって証明するんですかね、その最強は」
俺が事態を飲み込めず不思議な顔をしたところ、野牛の族長が歯並びのいい白い歯を見せてニヤリとしやがった。
「俺と闘牛で勝負して、漢を見せればいいだけだ。なあに簡単だろう? 全裸を貴ぶ戦士よ」
「ふぁっ?!」
「頑張ってくださいシューターさん。応援しています!」
「そうよ、わたしは戦士の元に嫁ぐのだから、戦士の証明をしてみなさいよ」
嫁と嫁候補までそんな事を言っている。
カサンドラは例によってとても嫌そうな顔をしていたので、俺が黙っていたことがやっぱりご立腹なんだ。
「ちなみにシューターとかいったな。闘牛は正式な試合をする時、お互いに掴み投げが出来ない様に下着一枚で勝負するのが習わしだ。お前も全裸を貴ぶ部族というから、ちょうどいいな」
よくねえ! 何でそこで全裸なんだよ!
「そういう次第だ。わらわも楽しみにしておるので、この勝負、必ず勝て」
「負ければ?」
「負ける事は無いと思うが、無様な負け方をすれば奴隷としてお前をミノタウロスに引き渡す取り決めをした」
非情を告げる女村長に、この世の理不尽さをひしひしと感じた。
何としても、全身の毛穴でこの野牛の族長の暴威を受け止めなければならないのだ。




