421 ある日の屋内における戦闘訓練模様
商工会議所は、屋内戦闘訓練を行うのために好都合な場所だった。
三階建ての外観に、いくつもの個室が存在している。
敷地の外には塀もあって、馬車や資材を納める倉庫や厩も完備されていて、表は通りに面している。
裏口もあるので、ここから侵入する訓練もしっかり行えるというわけだ。
「んだども。マイサンドラさんたちが訓練する事と、おらたちが部屋の掃除をする事に、どういった関係があるんだすかね」
意味がわからないだす、と言うのはクレメンスである。
寒い中、バケツの中で雑巾を絞る姿を見ていると申し訳ない気分になるが、これも訓練の為である。
「そのう。何でも訓練のために、わたしたちが掃除をしているところをコソコソと移動する練習をしているのだそうですよ」
「カサンドラ奥さまが、わざわざ掃除する理由がわからんんだすよ。サルワタの大正義さまともあろう方が、手ずからホウキで床掃きをしたり、重たい木箱を運ぶのはやっぱり意味がわからんだべ」
「運び込まれた家財道具も、気持ちよく使うためにはよく拭き掃除する必要がありますよ、クレメンスさん」
不平を口にしているクレメンスを相手に、ニッコリと諭しながら自らも掃除に加わるカサンドラだ。
この商工会議所が訓練に好都合な理由はもうひとつ。
ちょうどカラメルネーゼさんが帰還した事で、仕事場兼別宅として機能させるために、使用人たちとともに家具をセッティングしたり掃除をしたりしている事だった。
カサンドラが率先して掃除をするものだから、俺もクレメンスも手を動かさないわけにはいかない。
六本の触手を使って器用にテーブルや家具の拭き掃除をしている蛸足麗人のカラメルネーゼさんなどは、頭巾を被ってフンフンと上機嫌な様子だ。
「案外、家庭的なところがあるんだよねカラメルネーゼさんは……」
彼女は手ずから故郷の料理を振舞ってくれたり、俺の晩酌の相手をしてくれたり。
ゴルゴライの奴隷商館に顔を出した時は、色々と甲斐甲斐しく庶民の奥さんみたいな事をやってくれたものだ。
ちなみに貴族軍人であれば身の回りの掃除や整理整頓は自分でやるのが習わしで、食事も当番制で担当するのだと聞いた。
「そのわりにはアレクサンドロシアさまは、まったく料理や家事をしているところを見たことがないだす」
「でも、領主さまもブリトニーのお世話をしたりする時は、お乳をやったりお洗濯をしたりしていますよ」
「そうなんだすか? んだども、お乳は別に料理をしている事にはならないだす。あんなものは、ややこが出来れば自動的に胸が張って、おっぱいが出るんじゃないんだすか?」
不思議そうに小首を傾げたクレメンスだ。
無い胸を張って大きく両手でバルーンを作って見せた彼女は、まだ見ぬ出産にやがて幸せそうな顔をしているではないか。
「ギムルさんから聞いた話ですと、彼が子供の頃はお料理やお洗濯を手ずからやっておられたそうです。むかしはお屋敷に奉公に出ている下女も少なくて、アレクサンドロシアさま自ら畑仕事までやられていたんですよ」
「ちょっと想像つかないだすなあ。鍬を振るうアレクサンドロシアさま。似合わないだす!」
俺もそんなアレクサンドロシアちゃんの姿は想像できなかったので、クレメンスと顔を見合わせて苦笑した。
蛸足麗人の指図で木箱から食器を運び出していると。
裏口の方から何やら会話が聞こえてくる。
どうやら女魔法使いとモエキーおねえさんがヒソヒソ話をしている様だった。
「……よし、いいですか後輩。わたしがまず先に様子を見るので、後方確認をしながら付いてくるのです」
「了解かもですっ」
「かもじゃだめなんですよ、よろしく頼みますよ本当に!」
「りょ、了解ですっ……」
何をやっているんだあのふたりは……
どうも俺たちにバレずに館内を隠密行動でもする練習の一環なのだろうが、小声になっていないのでモロバレだ。
さり気なく裏口の様子を覗き見しようとクレメンスが気にしていたので、やめておきなさいと注意しておいた。
そもそもモエキーおねえさんは後方支援担当なのだから戦闘訓練に参加する必要はないのだが、一緒になって訓練を行っている。
「後方確認、異常なしかもです」
「そこの部屋から音がしていますが、どうやら閣下たちがお掃除をしている様です。よし、大正義さまが恐ろしくてみんな熱心に作業をしていますね。行きますよ後輩っ」
「はいかもっ」
駄目だこりゃ。
思わず吹き出しそうになるのを我慢しているカサンドラを見て、俺まで苦笑してしまう。
わざわざこっちが「聞こえてませんよ~」という態度を取っている背後で抜き足差し足忍び足で移動している気配がわかった。
今でこそベローチュたちとお揃いの騎士装束を身に纏っているクレメンスだけれども、元は村の幹部に過ぎない彼女だ。
そのクレメンスにすら気付かれている隠密訓練に何か意味があるのだろうかと俺は言いたい。
「シューターさま。おらは言いたかないが、人選を間違えたんじゃないかと思うだ」
「そうは言うけどなクレメンス。あれでも女魔法使いは触滅隊の一員として、リンドル往還を荒らしまわっていた工作員たちの中でも最強クラスの戦闘力があるんだぞ」
「まったく信じられないだす」
俺が女魔法使いマドゥーシャと出会ったのは、山間部にあったタマラン、アマラン、アマノンの三集落での掃討作戦だ。
廃墟の領主館に立て籠もった彼女が見せた大火力の魔法は強烈で、いくつもの護符を使って俺とカラメルネーゼさん、雁木マリを三人相手どって死闘を演じたぐらいだからな。
「ハッキリ言って戦場で一騎打ちをしたら、俺よりマドゥーシャの方が強いぐらいだからな」
「そんな馬鹿な話は信用に値しないだす。何しろ辺境不敗の全裸最強を謳うシューターさまが、あんなセコい銭ゲバの借金娘に負けるなんて、盟主連合軍の誰が聞いても信じるわけがないだべ」
いやあ本当の話なんですよねぇ。
側で雑巾を洗いはじめたカサンドラは、その場にいた貴重な証言者だ。
あの女魔法使いが手も付けられないほど魔法大爆発で大暴れしたのを傍から見ていたからね。
三人がかりでどうにかこうにか隙を付いて負傷させなければ、死傷者が出ていたのは俺たちの方かも知れなかった。
「ッヨイさまやアレクサンドロシアちゃんと肩を並べる大火力魔法に、運動神経も凄いからな」
イジリーの砦に潜入した際も大活躍をしたのは記憶に新しい。
そう考えれば潜伏任務も向いているはずなのだが、これはどうした事か。
もしかすると、これが茶番だとわかっていながら適当に訓練をやっているんじゃないだろうかと、俺は疑いを持ち始めてすらいる……
「そのう、シューターさん。それは恐らく緊張感が足らないのだと思います」
「緊張感……?」
「はい。ああ見えてマドゥーシャさんは面倒見の良い義姉妹で、ラメエちゃんやモエキーさんの事も良くお世話をしています。けれど、あの方はその、おちんぎんが無いとやる気を出さないところがあるので……」
「むむむっ」
確かにご褒美を対価にしなければ働かないという、とても非効率的な奥さんのひとりである。
その点、男装の麗人は上手い具合に彼女を使役している様に思えるが、今度その辺りの事を聞いておかなくちゃいかん。
「しかしカサンドラ奥さま。やっぱりおらには銭ゲバ女魔法使いが旦那さまより強いなんて事は信じられないだすよ」
「それはご安心なさいクレメンスさん。例えシューターさんより強くても今はわたしたちの家族ですからね、裏切るなんて事はありえませんから」
そうだね。
なんだかんだと女魔法使いは裏切る様子も見せていない。
ハーレム大家族の正妻であるカサンドラの眼が行き届いているのだろう。
「それに、夜になれば必ずシューターさんが勝ちますよ。うふふ」
「なるほどそれは納得だす。うふふ」
意味深な事を言っているんじゃないよ?!
そんな眼で息子を見るんじゃない!
◆
隠密訓練は相変わらずペアを変えながら行われているらしい。
いくつかの掃除を終えて、炊事場も綺麗ピカピカになってカラメルネーゼさんが喜んでいたところ。
突然ふっとニシカさんの気配がしたりして俺たちは驚かされる。
あるいはマイサンドラがコッソリと昼食の下準備をつまみ食いに出現したりして、カサンドラに叱責されたりもした。
まあ初日から本格的な戦闘というわけにもいかないだろうから、今日のところは馴らし練習という感じだろうかね。
「野外における戦闘訓練と屋内の戦闘訓練は、別物と考えた方がいい」
訓練の休憩時間での事だ。
カラメルネーゼさんの執務室に集まったみんなを相手に、ニシカさんが説明をしてくれる。
現在ゴルゴライを拠点にして活動中の騎士修道会などは、日常的に平原における決戦を想定した軍事演習を頻繁に実施している。
雁木マリはこれを騎歩の連携だと言っていた気がする。だから陣形訓練と突撃時の行動を何度も繰り返し練習していた。
平時から遠征と奉仕活動を続けてきた彼ら武装教団にとっては、野外活動は大切なんだろう。
しかしグラード城下の軍事責任者たるニシカさんと、その元で指導役を任された男装の麗人は、まったく別種の訓練を日常的に行っている。
彼女たちは警備責任者という立場から、俺たちハーレム大家族の安全をいかに守るか心血を注いでいた。
「どちらも個々の格闘能力を鍛え上げるのは当然として、オレが黒いのに命令させてやっていたのは簡単な事だ」
グラード城館の警備をするにあたって、とにかく敵の侵入を許してしまう死角を徹底して排除する事。
監視塔や館内巡回のルートなどを細かに規定して、どうやらそれは日によって変更させているほどの徹底ぶりだったらしい。
「この辺りは警備任務の経験がある黒いのや、領主さまと相談して決めたんだぜ。しばらく相手に監視の機会を与えると、行動パータンを把握されちまうからな」
「なるほど考えたなあ。日によって警備の巡回ルートを変えるか……」
ドヤ顔で俺たち家族を見回しながら自慢する鱗裂き奥さんに俺が感心していると、傍らで蛸足夫人もふんふんと頷いている。
「確かに後宮警備を担っていた騎士も、同じ様に巡回ルートを日によって変更するなどの暗殺対策をやっておりましたわ。また、それとは別に侵入者がいる場合にそれを炙り出すための別チームもおりました」
「別チーム? ハンターキラーというやつか蛸足ネーゼ」
「そうですわねニシカさん。いちど敵に侵入を許してしまいますと、場内警備は混乱してしまいますわ。それ故に別の指揮系統によって、暗殺者や侵入者を専門に狩る集団を王宮では用意しておりましたわね」
この顔ぶれは近衛騎士の中でもごく数名の限られた人間が担当していたらしく、近衛の後宮警備を担当した騎士であるカラメルネーゼさんも深くは知らないらしい。
「リンドル在陣時にドロシアさんやオコネイルさんとも話したことがありますけれど、誰もその辺りの事は詳しく知らないそうですわ」
「影の対暗殺部隊みたいな連中なのか。いや不気味な連中だぜ」
首を捻りながら俺がそんな言葉を口にした。
ハンターキラーという言葉を聞いて俺が連想したのは、むかし戦争中に潜水艦から輸送船団を守るために、潜水艦狩りを実施した艦隊の事だった。
詳しい事はむかし過ぎて覚えてないが、結論だけを言うと潜水艦狩りを専門とする艦隊を維持するのはとてもコストパフォーマンスに合わないという内容だったはず。
「まあ考えて見なさいよ。日頃から放牧している羊や馬を守るために、ワイバーンや狼に怯えて専門の冒険者を雇って張り付けていたら、経費がかさんで仕方がないというものよ」
「むむ、確かにマイサンドラの言う通りだぜ。出るとわかっている時だけはそうするが、そうでもなければ猟師を側に置いておるだけで十分だ」
するとマイサンドラとニシカさんが、猟師らしい例えで俺たちにもわかりやすく解説してくれた。
牧羊犬と猟師で最低限の警戒をしておけば、わざわざモンスター退治の専門家である冒険者を雇うのはおかしいというわけだ。
「そんな連中がいる事を考えれば、暗殺計画はかなり慎重に行わなければならないというわけか」
「全裸卿、その事についてなのですが、」
「?」
おずおずと意見具申したのは、アップルスター卿だった。
彼女は後宮警備の責任者だった事もあるテールオン妃の身代わり役、いわば影武者だった人間だ。
何か知っているのかと、ふとふとみんなの注目が集まったところ。
「……侵入者の掃討を任務にしておられたのがテールオンさまの役割でした」
「マジかよ」
「テールオンさまの任期中、実際にそのために出動したという事はないと話に聞いてもおります」
「な、そうだったんですこと?! 確かに彼女の噂は貴族軍人時代の同僚からもまるで聞いた事がありませんでしたけれど、それであるならば納得ですわ」
身を乗り出して興奮する蛸足麗人だった。
「侵入の形跡があると報告はありましたが、なかなかその痕跡を追って犯人を見つけ出すのは難しいと、その様にお口になさっている事がありました。基本的には数名の女性騎士が極秘に担任していた様ですが、やはり全裸卿の仰ります通り、非効率な役割を負った任務だった様ですね……」
そうしてみると、やはり要所警備の任務というのは水際で阻止するのが肝要なのだろう。
いったん侵入を許してしまうと、大規模にハンターキラーを展開させなければならないというわけだ。
そして実際に網にかかるかどうかはわからない。
「罠ってもんは、上手くそこに誘導しなければ意味がねえからな。仮にオレたちハーレム大家族でハンターキラーを実施するなら、敵が侵入しやすい場所をあえて作って誘い込む。そこだけをハンターキラーチームで監視させておけばいいってわけだぜ」
つまりオレ様の考えた、通気口の罠は正しかったというわけだ。
ニシカさんは独り納得したようにウンウン言いながら腕を組み、たわわな胸を大きく持ち上げた。
「なあにを知った様な事を行っているのかしら」
けれども呆れた顔をしたマイサンドラによって、その自画自賛は中断される。
「この訓練の総仕上げは、実際にグラードに暗殺チームを侵入させて、全裸卿をわがものにできるかの演習をする事にするわ。いいわね旦那?」
「お、俺が犠牲者になるのか?!」
「そうよ。大切なモノがかからないと守る側も侵入する側も本気にならないじゃない。そういう事で、ひとつ許可を願いたいわねカサンドラ?」
「わ、わかりました。ご褒美は大切ですもんね。マイサンドラ姉さんの仰る事ももっともですから、シューターさんを賭けてやってみても、いいと思います」
そのう、いいですねシューターさん?
先ほどのやる気がイマイチ出ていない女魔法使いの事を含めて、カサンドラは言っているのだろうか。
俺の太ももにさり気なく手を置きながら上目遣いをされると、断り切れないじゃないか!
いったい俺を暗殺目標にして訓練をするなんて、とんでもない作戦を言い出したマイサンドラであるが。
休憩していた実行部隊がそれを聞くと、案外ノリノリの様子である。
ケイシータチバックさんや女魔法使いたちも同様に、そして何故かモエキーおねえさんまでやる気満々である。
「つまりニシカさんたち警備チームのスキを付いて、閣下の体を奪えば。おちんぎんがもらえるというわけですね、おちんぎん!」
「なるほどそれならやる気になるしかありません。マイ・ヌード」
「わたしも頑張って、侵入するかもです!」
かもじゃないんだよ。あんたは後方支援担当なんだよ、モエキーおねえさん!




