404 耳を澄ませば、耳を澄まされる 後
怒り狂ったマイサンドラの表情は羞恥によるものだろうか、耳まで朱色に染め上がっていた。
天秤棒で天井を突いて壁を蹴り飛ばした後、その棒を寝台に放り出したかと思うと俺の手を引っ張る。
何がはじまるんだと油断していた俺は、そのまま暖炉のところまで連れてこられた。
どうしてここで脱ぎ始める?!
「上等な生地の肌着だから、汚れるともったいないでしょ」
「まあ確かに」
「旦那は全裸だから問題ないわね。じゃあ行くわよ、あいつらの驚いた顔を拝んでやろうじゃないの?!」
「えっ拝むって、ここから向かうの?!」
静まり返った彼女の部屋で、大きく溜息を零したマイサンドラは悪い笑みを称えた。
全裸になってもその点は恥ずかしがる様子も無く、熟れた胸を奔放に投げ出したまましゃがみ込んで、暖炉の中に頭を突っ込むではないか。
そこから手が伸びて俺を引っ張り込もうとする。
何かヒソヒソ話が聞こえた。
たぶん暖炉と背中合わせになっている隣の雁木マリの部屋から漏れ聞こえるものだろう。
「随分隣は激しくやっているみたいね……」
「シッ、もしかしたらぼくたちの会話を聞かれていたのかも知れないよ」
「耳聡いご主人さまの事ですから、そういう可能性もありますね。行為の途中で休憩中にお聞きになられたのかも知れません」
「さっきのガタっていう激しい音は何かしら? 寝台の脚が折れたとか……」
「いくらシューターさんでも、ぼくそんなに激しいエッチは経験した事ないよ。おふたりはどう?」
何を聞いているんだエルパコは……
暗闇の中で何となくマイサンドラの視線を感じた気がする。
俺の手が触れると、触らないでとばかり侮蔑の一撃でピシャリとされた後、慣れた手つきで肩を貸せをハンドタッチで指示された。
言われるがままに肩を差し出す様に姿勢を突けると、ペタペタと肌を触れられた直後に折った腕に足をかけて肩に登り、そこからスルスルと上に向かって進みだすではないか。
煙突の構造はこうだ。
部屋ごとに設置されている暖炉の入口は、隣り合わせの暖炉の排気口と合流して最終的には各部屋に張り巡らされているダクトと合流できるらしい。
もともと掃除がしやすい様にレンガに足掛けが出来る様にも工夫されている。
ここを使い、見分けのつかないゴブリン三兄弟の末弟ッジャジャマくんが掃除と称して別館に侵入できたのはいい思い出だ。別館建屋の一階部分と屋上部分に繋がっている。
当然、個別に部屋と繋がっているし、隣り合わせのマリの部屋、直上のカサンドラの部屋にもつながっているわけだ。
「隣は聖女様の部屋で間違いないわけだけれども、反対の部屋にも誰か居たみたいだわ」
「マジかよ。隣は誰が住んでいるんだ?」
小声で俺が聞き返すと、いち早く水平に走るダクトに登った彼女が引っ張り上げてくれるついでに返事が飛んできた。
「相部屋で使われていたはずだわ、奴隷どもの」
「と言うと、冬場でもご苦労な事に全裸でご奉公しているみなさんか」
「旦那の妻たる奴隷の方たちよ……」
つまりマドゥーシャ、クレメンス、モエキーおねえさんの三人が使っている部屋という事か?
そのうちのふたり、女魔法使いとクレメンスは先程まで俺たちと一緒に過ごしていたわけだからな。
「旦那とわたしが情事に至るのではないかと聞き耳を立てていたに違いないわっ。でもそっちはどうでもいいのよ……」
「か、カサンドラか」
「あの女が命令して、わたしをダシに使ったというのが許せないわ。驚かせて意趣返ししてやりましょうよ旦那ッ」
何を怒っているのかと思えば、先ほどのマリやエルパコたちの会話の事だろう。
マリの部屋で武器の密輸入か何かが行われていたはずだが、その際に俺の意識を引き付ける役割としてマイサンドラ本人が使われた点をお怒りなのだろう。
いったいどんな武器を密輸したのか非常に俺も気になるところだが、彼女はそれを指示したであろう大正義奥さんに対して恐ろしい敵愾心を抱いていたのである。
「ゴホゴホ、しかし煙たいな。隣が暖房をガンガン焚いているのか」
「いえ消しているはずよ、気付かれるでしょ静かになさい」
「意趣返しって何をやるつもりなんだ」
「ふふふ、わたしとラブラブなところを見せつけてやりましょう……」
駄目だコイツ大分酔っている間違いない。
暗闇の中で俺の背中に手を回してきたマイサンドラは、油断していると俺を引き寄せて唇を奪ってきた。
むせる俺の口を封じたのではない。
他の奥さんよりも大胆なきらいのある彼女だが、時と場合をわきまえてほしいものだ。
唇の隙間を割って入り込んで来た舌は、俺の前歯を舐める様に触り、そしてアゴを引き上げられて深々と吸われた。
すると排気口を通してふたたびこんな会話が聞こえてきたのである。
「静かになったわね。そのまま寝入ってしまったのかしら……?」
「可能性はありますね。ご主人さまは激しくお求めになられた後、必ず体を預けて脱力されますので」
「ぼくはいつも腕枕をしてもらっているよ。シューターさんはぼくの体を撫でながら、気が付いたら寝息を立てているんだ。暑い日も寒い日も、引っ付いていると安心なんだよ」
「あ、あたしの時はもう少したんぱくな気がするわ。どういう事か問い詰めないといけないわね……」
やめてくれ!
恥ずかしい事を俺の居ない場所で奥さんたちが話し合っているっ。
何となくマイサンドラの唇が口角を釣り上げてみせた気がした。
ぷはあと離れた瞬間に彼女の顔が俺の耳元に近づいて、
「言われているよ旦那。ハーレム大家族の大黒柱として、しっかり統制はとっておかないといけないんじゃないのかい」
「統制ならカサンドラに任せているんだ」
「そんな事だから覗き見をされたり聞き耳を立てられたりしているんだ。旦那は警戒心が強そうに見えて、いつもどこか抜けているところがあるからね」
「そんな事はないはずだッ」
「おとといだったか、タンヌダルク夫人と昼間に抜け駆けをしていた時なんて、みんなで遠慮して近づかない様にしていたぐらいだよ」
吐息が耳をこそばゆく弄んだものだから、俺は時と場合をわきまえず息子に苦しい思いをさせてしまった。
けれどもマイサンドラは酔って何をしでかすか行動も支離滅裂。
するりと俺の背中から手を放して、少し引き返そうとする。
明らかに酒のせいだ。そのままマリの部屋から聞こえてくる会話に興味津々の様だった。
「どうしても家族は揃って寝室でお休みするというルールもありますので、よほどご主人さまが深酒をしない限りは、仮眠をした後は寝室に移動しますもんね」
「まあシューターは仕事場に詰めているあたしとか、カラメルネーゼ卿のところに来た時は戻らないみたいだけれども」
「ガンギマリーさまもやっぱり抜け駆けしているのとおんなじじゃないか。ぼくはそう思うよ」
「そ、それぐらいの役得がないと、あたしもやってられないのよ!」
こんな奥さんたちのやり取りを耳にするとは思いもしなかった。
俺は参った気分になりながら顔をしかめてしまう。
あまり、というかこれ以上近づくと耳聡い奥さんたちに感づかれてしまう間違いない。
マイサンドラがいくら猟師で潜伏技能に秀でているといっても、危険な事には違いないのだ。
まして酔っている彼女が何かをしでかす可能性だってある……
などと思っていると、
「これを受け取ったご主人さまの顔が想像できます」
そんな男装の麗人の言葉が聞こえたのだ。
何だ、何かのたくらみ事なのかと俺が耳に意識を集中させようとしたところ。
急に暗闇の中でマイサンドラが振り返った様な気がした。
そして突如、俺の耳を塞いでくるじゃないか。
ちょ、やめろ。
奥さんたちの悪巧みかも知れない会話を聞き取れないじゃないか!
「あいつは天秤棒をいつも愛用の武器にしていたわりに、専用の天秤棒を持っていないからね。きっと特注品をプレゼントされれば喜ぶと思うわ」
「ぼくはシューターさんが喜ぶ顔を早く見たいんだ。みんなで書いた感謝のお手紙は喜んでくれるかな?」
「自前の天秤棒は貧相だものね。あはは」
「ぼくとお揃いだよ」
マイサンドラ何をするんだやめろ!
俺は肝心な会話を完全に聞き逃してしまった。
確かに奥さんたちがモゴモゴとやり取りをしていたのは理解できたが、詳細までは聞き取れなかったのだ。
そして今度はマイサンドラが強引に俺を押し返そうとしてくるではないか。
「…………」
「どういうつもりだマイサンドラ」
「……旦那、もどろ?」
「いや何がしたいのかサッパリわからん。意趣返しはどうした」
「いいからいいから。そんな事より、わたしこんなところでキスばっかりしていたから、我慢できなくなっちゃったんだよね」
俺をグイグイ押し返しながら彼女はそう言う。
妙に体をアチコチと触ってくるものだから、俺はようやく収まって来た息子の反抗期を抑えきれなくなってしまうじゃないか。
「とにかく、何が起きているのかわたしは理解したから。旦那もやっぱり妻たる者たちの事は信頼するべきよ」
「…………」
◆
そんな風に押し切られてしまい、俺は結局マイサンドラの部屋まで戻って来たのである。
結局、武器の密輸だなんだとやっていた雁木マリたちのやり取りはまるでわからないままだった。
その件についてマイサンドラは、
「何も心配する必要はない事だけはわたしが保証するわ」
「いやしかし、」
「まあむしろ、あなたは奥さんたちにどれだけ愛されているかを喜び、感謝するべきね」
「どういう意味だ?」
「旦那は黙って、今日のところはわたしに抱かれていればいいのよ。むしろわたしのところにこの件の情報が回ってきてない事が業腹だけれども……」
たぶん明日にでも署名させられるんでしょ、などと勝手にわかった様な顔をして俺の方に向いてくるのである。
わけがわからないよ……
全裸になって排気口の中をゴソゴソやったものだから、マイサンドラのお肌は煤だらけになっていた。
そんな彼女が頬に付いた煤を腕でこすりながら俺にこんなことを言う。
「旦那、酷い顔だよ」
「あんたも大概酷い顔なんだけどな」
「旦那はその顔で息子も元気だから、もっと間抜けだよ?」
「ちょ、それはあんたが情熱的にべたべた触って来るから、しょうがなく。ちょ、このまま寝台に倒れたら部屋が汚れっ――」
「わたしが掃除するんだから、そんな事は気にする必要ないわ」
まるで合気道の技でも使われた様に、次の瞬間には俺は足をかけられ膝カックン、そのままドンと軽く小突かれて寝台に転がされてしまった。
そして恥ずかしがり屋の息子まで、身ぐるみ剥がされてしまったのである。
「いいからわたしに任せなさいな」
「ちょ、カサンドラとか隣で他の奥さんたちが聞いてるんだろ?!」
「声を聞かれるのは、旦那の方だからわたしは恥ずかしくないわ。ふふふ、じゃあいただくわね?」




