387 武装飛脚ニシカ
まだら模様の外套を靡かせながら、荒馬を駆って走り抜けるニシカさん。
彼女は猛然と降りしきる雪をもろともせず、アレクサンドロシアグラードの市中を駆け抜けた。
「武装飛脚だ! 道を開けろッ」
「ニシカ将軍さまが急報でお出になられたぞ、急げその馬車を脇に寄せろ!」
サルワタ通りで巡察に当たっていた衛兵たちが、独特のリンクス獣皮の外套を見て手際よく交通整理をはじめた。
頭上で鞭をまわして感謝の印を見せながらも、いちいち返事をしていられないので先を急ぐ。
そのまま石畳のサルワタ通りを走破すると、グラードの城門をスルーパスして森の道なりに加速した。
サルワタからゴルゴライに至る道のりは、急げば半日で到着する事ができる。
ただしそれは馬を乗り潰す覚悟で休みなく駆け続ける必要があった。
この春にギムルがワイバーン襲撃の知らせをブルカに届ける際は、まる一日を駆け続けて冒険者ギルドに救援要請に向かったものだ。
ただしあの時は気候も穏やかな春で今は真逆の季節である。
「畜生め。これ以上馬脚を速めても、足元を取られて滑りそうになるじゃねえか」
グラードとサルワタの村を繋ぐ街道は交通もまばらで、深くなる雪の形式にわずかの往来も家路を急いでいた。その上道は曲がりくねっていて、馬を操るにも技量が必要だ。
そこを縫う様に駆けるニシカさんと馬は、前方よりやってくる野牛の軍勢と遭遇したわけである。
ニシカさんは挨拶をする時間が惜しいとばかり、左手に持った鞭を頭上で回しながら良く通る声で叫びながらすれ違った。
「武装飛脚だ! ゴルゴライに向けて伝令っ」
何事だ何事だと故郷へと帰還するミノタウロスの兵士たちは驚いていたが、先頭を堂々と進んでいた野牛の騎兵集団はニシカさんに道を譲る。
そのうちの一頭が馬首を返して加速すると、すれ違うニシカさんの馬を追いかけて並走した。
「何事がありましたかっ」
「雪が深くなる前に、今日中にゴルゴライへ伝令を飛ばさなくちゃならねえ。タンクロードの野郎には行軍の邪魔をして悪かったなと伝えてくれ!」
数百の軍勢がぞろぞろと続く長蛇の列だ。
叫びながら会話をしている最中に、ふと紅のマントを羽織った野牛の族長がチラリとニシカさんの視界に収まった。
説明も無く通過する事を詫びる様に彼女が並走する騎兵に言づけると、
「あいわかった! 族長にはしかとお伝えする。お役目ご無事に果たされます様に、この先スルーヌの辺りで深雪に注意されたしッ」
「ああ情報感謝するぜ!!」
会話を終えて並走する野牛の騎兵が離脱すると、ニシカさんはそのまま遠慮なしに軍馬をさらに早く早くと加速させていった。
いったん緩やかに曲がる街道の先に出ると、後はサルワタの開拓村の畑道を貫いて、ブルカ街道に出るだけである。
野牛の行軍が十分にあぜ道を踏み固めてくれたおかげで、凍てついた大地に馬脚が蹄を滑らせる事も無い。
そのままかつての俺の住んでいた領主小屋や新旧の村長屋敷をやり過ごすと、後は道なりにひたすらゴルゴライに向けて駆け続けるだけだった。
半刻も走り続けると、ニシカの頬に張り付いた雪の粉で皮膚の感覚は無くなってしまった。
リンクス皮のまだら模様の外套も、水気を吸って重く体にのしかかってくる。
馬はまだまだ元気だったが、おそらく時速三〇キロ以上を常時出し続けているので、ニシカさん本人は尻が徐々に痛くなってきたそうだ。
「けもみみじゃなくてオレ様を指名してくれた事は嬉しいがよ。やっぱり身軽なけもみみの方が、武装飛脚には向いていたんじゃねえのか!」
誰も聞いていないのをいいことに、ちょうどクワズの村近くを経由する辺りでニシカさんは不満をまき散らしたそうだね。
猟師たちだろうか。
移動中の小集団がクワズとスルーヌ領境の近くで街道脇に固まっているのを見かけた時には、オレ様も気楽に狩りに興じたいものだと密かに愚痴ったらしい。
しかし野牛の騎兵が警告をしてくれた通り、スルーヌ領の村近くまでやってくればブルカ街道が完全に雪に閉ざされている有様だった。
ズボズボと馬が地面を耕して、どこが街道でどこが草原なのかもよくわからない。
これ以上は全力疾走も無理だと判断したニシカさんは、外套のフードに乗った雪をはたき落としながら大きなため息をつくんだった。
「……どうすんだよオイ。いくらオレが我慢して舟を使うと決意しても、こっから先はどのみち河川交通ができねぇときてやがる。おまけに陽も陰り出したから、ますます視界が不明瞭になってくるじゃねえか」
寒さは猟師として雪の森に入り慣れているから、ニシカさんはたいして問題にはしなかった。
馬もいくらか疲れを見せかけていたが、馬脚を遅めた事で持ち直した。
けれど喉の渇きを満たすために、皮袋の水筒に入った芋酒を飲んだのは大失敗だったのである。
しばらく早足程度に馬を駆けさせつつ、探り探り雪に埋もれたブルカ街道を進んでいると、どうにもカッポカッポと揺れるたびに尻穴が刺激されるような気分になって、もよおした。
ニシカさんはジョビジョバの一族ではないので垂れ流しを快しとはしない。
この寒さで街道に誰もいないのをよい事に、馬を降りたニシカさんは道の脇まで移動してこっそり尻を出して用を足す事にしたのだが。
ちょうどその辺りは、晩秋にスルーヌの村の枝郷住民たちが木を伐採していた付近だった。
雪が膝下まで埋まる様な有様では、どこからどこまでが街道で道から外れているのかもよくわからない。
ニシカさんは俺とブルカの街に出かけるまではサルワタの森から外に出かけた事が無い人間だ。
地図を見る事はできるが、そもそも地図など戦場となった場所以外はほとんど睨めっこした事も無い。
猟師は自分のフィールド内の事は何でも知っているものだが、土地勘が無い場所では我が物顔で森を行き来するというのは難しいのだ。
そしてニシカさんは腹痛のために冷静ではなかった。
「まったくよう。腹が冷えちまってしょうがないぜ。やべっ、早くしねぇと……」
街道を挟んで西側にザクザクと彼女は進んだわけだが、そこはスルーヌの村にある中心集落とは反対側で、人里はわずかな集落がある程度の寂しい場所だったはずだったが……
「ん? 何だ、発光魔法か……?」
薄暗い夕刻の森の中に、遠く灯の揺れる家がある事を発見した。
何の疑いも持たずにトイレを借りる事ができるんじゃないかと、馬の手綱を引っ張りながら明かりの灯った場所の方向に進んでいった。
「おう。歩きにくいかも知れねえが、ちょっとの辛抱な」
「ブヒヒヒン」
「用を足したらすぐに街道に戻るからよ」
ニシカさんはゴロゴロと鳴る腹と馬を宥めすかせながら明かりに近づくと。
果たしてそれは、猟師の休憩小屋に使われる様な山荘だったのだ。
似ていると言えば、少し前に俺やニシカさんたち奥さん勢が連れ立って、イジリーの村付近に視察に出た際にお世話になった山小屋みたいなものだろうか。
ただし、こちらは普通に猟師が今も利用していると見えて、山荘の入口にはランタンが掲げられ、着膨れ防寒具を着込んだ人間が切り株に座って見張りをしている。
「よォ! お前さんは猟師なのか、悪ぃが腹の具合が悪いんで、ちょっと便所を貸しちゃくれねえか!」
街道のその辺りで用を足そうと最初は考えたけれども。
そこに便所のある山荘があるならそれに越したことは無いのだ。
この寒さで尻を出せば風邪を引いてしまう事も考えられるし、街道沿いだからもしかするとまる出しの尻を目撃されるかも知れない。
何より雪が解けた後に、ニシカさんのうんこが発掘されたでは始末が悪い。
蛮族であろうと、天下の黄色い将軍さまにも体裁はあるのだ。
「おい聞こえてるのか?!」
腹をさすりながらニシカさんが近づくと、着膨れ防寒具の人間は果たしてうたた寝をしていた。
二度目に大声で彼女が叫んだところで、ビクンと背筋をさせながら傍らに立てかけていた槍に手を伸ばすのだが。
その時になって着膨れ人間が手を伸ばしたのが、猟師が使う様な手槍ではなく、武器そのものとしての歩兵槍だったのである。
「な、何だ貴様は! どこから現れた、合言葉を言えっ」
「ばっきゃろう、合言葉なんてどうでもいいから、それより便所を貸しておくれよっ。早くしねぇと大変な事になるからよ!!」
「べ、便所?」
そうだ便所だ。この馬を頼む!
強引に着膨れ人間に手綱を預けたニシカさんは、静止する着膨れの言葉に耳も貸さずに、山荘の扉に手をかけたのだった。
「便所はどこだ、便所っ……」
「お、おトイレはそちらの奥の仕切りでございます」
「そうかい悪ぃな、ちょっくら貸しておくれ!」
扉を開けると、そこには高貴な雰囲気を漂わせる白色エルフの貴婦人が上等なおべべを身に纏って暖炉に当たっていた。
彼女は氷の微笑を浮かべて、トイレの方向を指さした。
(申ω`) ふぅ間に合ったぜ…




