383 つかまえてごらんなさい
カサンドラの懐からどの様にして路銀袋をクスねたのかはわからない。
けれど明らかに逃亡の意志を持った小柄なスリ野郎は、ちょうど路地に入ってきた数人の住民の間を、器用にスルリとすり抜けて逃走を図ろうとしていた。
「糞ッ、あいつ表通りに逃げやがるつもりだ!」
この場ですぐに剣を抜き放ちながら走るわけにはいかない……
ようやく街らしい雰囲気が形成されつつあるこの城下だ。
サルワタ通りの往来でわざわざ刃傷沙汰が起きた事を印象づけるのは得策ではないし、第一抜剣して駆け抜けるのは経験則上動きが遅くなってしまう事を俺は知っていた。
「シューターさん、笛を使いますか?!」
「矢笛かな? 奥さん今それを持っているのかっ」
「違います旦那さま、首から下げる様に持たされている方です!」
カサンドラの首には防犯ブザーならぬ防犯笛を持たせている。
サルワタ貴族の筆頭奥さんともなればハーレム大家族の最重要人物であるし、要警護対象だ。
本来的な用途は、戦場で仲間を呼び寄せるための笛として形状の違う複数種類を使い分けるものだったがここは戦場ではない。
だが移民や難民を受け入れている間にブルカ側の工作員が暗殺任務で入り込んでいる可能性は捨てきれないからな。
「そうしてくれ! 街の詰所には衛兵がいるし、巡回中の傭兵部隊が近くにいるかもしれない」
「わかりましたシューターさんっ」
一瞬だけ後方から追いかけてくる大正義奥さんの顔を確認しながら、俺は往来の多いサルワタ通りに飛び出した小柄な人物を目視した。
「どけどけどけ、邪魔だぜお前ら!」
「あの野郎、人混みの多い方向にわざと逃げてるな……」
今の俺はそこいらの平民と変わらない姿をしている。
柄の無い白っぽいシャツ(実際には純白ではない)に義父譲りの毛皮のチョッキ、その上から外套を纏っている姿だ。一見すれば良くて兵士の休暇姿か、下手をすれば有象無象の難民のひとりにしか見えないだろう。
一方の子供じみた小柄の相手も、貧民街から飛び出してきた様な下層民みたいな格好で、難民が多数集まっているこの城下では目立つことはない。
正午にさしかかる人間がもっとも集まっているこの時間帯のサルワタ通りから、相手は中央広場を抜けてミノタウロス通りの方向に逃走を図っていた。
ともすれば頭ひとつ小さなその存在は、追いかけているうちに雑踏の中に埋没してしまうのだ。
「ちょっと通りますよ すいませんねえ!」
「おい、何だよぶつかって来やがって。さっきのガキと言いせわしねぇな」
「すいませんねえ! 苦情があればお城のひとに言ってくださいね」
俺は筋骨隆々な人足の男たちに肩からぶつかったが、急ぎ謝罪の言葉を口にしながら先を急いだ。
悪いのは明らかに俺の方だが、このままではスリを見失ってしまう。
何かあれば苦情の類は後で聞くという事で、城館の方角を指さしながら先を急ぐことにした。
「お前さん兵隊か!」
「スリを追っているんだ、小柄な茶色のポンチョを着た子供はどっちにいったかわかりませんか?!」
「ガキか? あっちだぜっ」
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
せめてお礼だけは丁寧に飛ばしながら、相変わらず人混みの中をすり抜けつつ追跡再開だ。
相手は小柄な事が有利に働いて、俺との距離を徐々に引き離しにかかっている。
できたばかりの小さな街とは言っても、グラードは数千の人口を抱えたそれなりの規模だ。通りにはそれなりに人間も賑わいを見せているし、一歩路地から外れれば居住区画か資材置き場に利用されている空地スペースも存在しているからな。
寒さなの中で荒い吐息を白くさせながら何度も吐き出す。
目印となる茶色のポンチョをチラリと発見した時、クソガキの向かう先はちょうど宗教関係者たちの集団の中に飛び込むところだったのだ。
「くそっ、何だってこのタイミングで騎士修道会の人間が礼拝堂の前に集まっているんだ……」
ようやく一番人間の集まっている中央広場の反対側まで駆けてきたところでこれだ。
俺は腰にさした剣の柄を片手で押さえながら、宗教関係者たちの集まっている固まりの方へ足早に急いだ。
カサンドラはすでに後方の人混みの中へ消えてしまっており姿は確認できない。
けれど何処かからピーピーと甲高い笛の音が複数折り重なっているところを見ると、警備の人間が方々からカサンドラのところに集まりつつあるのはわかる。
「考えなしに笛を鳴らしてくれとお願いしたのは失敗だったな。アレを俺が預かっておいて、ここで使った方が良かったかも知れない」
こういう時、頼りになるニシカさんやけもみみと別行動を取っていたのも失敗だったぜ。猟師の勘というものがあるし、獲物を追うのは彼女ら奥さんたちの本能とも言うべきものだ。
防犯笛の音を聞いてカサンドラの方に集まってくれるならば、後で合流する事はできるだろうが。
「すいません茶色のポンチョを着た小柄な人間か子供、この中に入り込みはしませんでしたかねえ?!」
声をかけてみて俺はしまったと思う。
騎士修道会に属する一団は、間の悪い事に全員が似たり寄ったりの茶色のポンチョを身につけていた。
どうすんだよこれ?!
「茶色いポンチョを着た、ですか? わたくしどもは全員こうして女神様への祈りのために茶色い礼服を着ているのですが……」
この街で唯一の宗教施設である城館の麓の礼拝堂出何かの集会をやろうとしていたらしいが、それにしても間が悪い。
老若男女さまざまな人間がいる団体だけに、こんなところに入り込まれると迷惑きわまりないと言うしかない。
しかも聞けばΠマークのサーコートの上から、清楚な外套やポンチョを羽織るのが冬場の風習とか。
そんな事はどうでもいい!
あの糞ガキの顔を思い出しながら、やや強引に人別改めをしつつ全員をくまなく見比べていると、不思議そうな顔をして俺の方をみんなが見返してくるのである。
「あ、あなたさまはご領主さまでございますよね」
「いや俺は領主奥さんの旦那の方だ」
「わたくしどもは、きっちりと修道会の騎士隊長さまに集会届け出を出しておりますので、不具合はないはずですが……」
そこはわかっている。茶色のポンチョの小柄な人間を捜していると説明するのもわずらわしく、返事をしながらも視線だけは目的の相手を捜し求めていると。
ふと数十人の集団の中からコソコソと離脱を試みている人間がいるではないか。
「あ、待て!」
俺は宗教関係者の集団の中でもみくちゃにされながら、こちらにアッカンベーをしやがった。
あの野郎、トコトン俺を馬鹿にする様に最後の最後でお尻ペンペンまでするではないか!
怒り狂った俺はと言うと、退いてくださいと宗教関係者の団体さまからようやく抜け出して、資材置き場になっているサルワタ大聖堂(仮称)の建設予定地に向かったのだ。
◆
今もこの資材置き場になっている建設予定地には、石切場から運び込まれつつある石材やレンガ、それに無数の材木が並べられている。
見上げれば空はあれだけ天気が良かった午前中と打って変わって、いよいよ空模様が怪しくなりつつあった。
獣皮の防水シートを被せられた角材あたりが怪しい。
こういう隠れる場所の多数あるところへ逃げ込んだというのが、いかにも今回計画的な犯行をしたか、普段からこういう事を繰り返している類なのだろう。
石材の上にも視線を送ったり、背後に気を取られたり。
考えてみれば逃走した小柄なスリは、すさまじいすばしっこさだった。
何となく俺を軽く挑発して釣り出した様な態度をしている様にも感じた。尻を叩いたりアッカンベーをした辺りがまさに疑わしい。
「もしこれがただのスリじゃなくて、計画的に俺とカサンドラを引き離すための罠だったりすれば最悪だな。いや、その場合は奥さんが防犯笛をならしたのが功を奏したな」
であるならばその目的は何か。
糞ガキが明らかに子供工作員だった場合、カサンドラと俺を引き離した上で、カサンドラを人質に取るという方向に動いたのだろうか。
いや俺が拉致犯行計画を任された人間なら、犯行チームを二手にわけて俺とカサンドラとそのどちらか一方を拉致するプランを実行するだろう。可能ならば、な。
「俺の優柔不断な性格を考えれば、奥さんを人質に取られれば判断が鈍るかも知れない」
ただでさえカサンドラは過去に悲しい出来事に巻き込まれた事がある。
常に俺の正妻である事に対する誇りと自負を持っている彼女の事だ、今度またその様な出来事に巻き込まれれば、舌を咬みきる事ぐらいはするかも知れない。
そう言う事を考えて俺が日和見な態度に出たとすれば、これはもう拉致工作員の思うつぼである。
だがその目論見は失敗するだろう。カサンドラが防犯笛を吹き鳴らした事でニシカさんやエルパコだけでなく、おそらく衛兵たちがあちらに向かった以上は手出し無用になっているはずだ。
一方、逆に俺を狙って拉致しようと考えたらどうだろう。
恥ずかしくもハーレム大家族の大黒柱であるという事を考えれば、確かに俺を狙うのは非常に効率的だ。
支配者に求められるのはテロには決して屈しないと言う断固たる決意と態度だろうが、仮に俺が何らかの形で囚われの身になった場合は、家族の中で意思統一に失敗する可能性がある。
「だったらマンマとハメられたのは俺の方かも知れないぜ……」
カサンドラに洗脳されたタンヌダルクちゃんやエルパコの場合は、俺が独力で何とかなる、何とかするだろうと一方的に盲信しているところがあるし、反対に取り乱しそうなのは男装の麗人やソープ嬢が候補に挙がる。
アレクサンドロシアちゃんはアレで領主奥さんをやりながらも、子供が産まれたばかりの立場だ。
カールブリタニアには父親が必要だとか言い出して、家族が大揉めでもしようものならその柳眉に皺を寄せて悩みに悩むだろう。
ニシカさんならば全裸救出作戦を主張する間違いない。
などと、馬鹿な妄想をしながら周辺捜索を繰り返していると。
ふと気配の存在を俺は感じてその方向に視線を向けた。
石材を山の様に積んだその場所の上方に、仁王立ちになって俺を睥睨している糞ガキが居たのだ。
「あんたも大概しつこいね。大金持ちのお貴族さまなんだから、路銀袋ひとつ取られたからといってたいした痛手でも無いんだろう?」
「家柄が金持ちだからと言って本人が自由にできるお金をいくらも持っているわけじゃないぜ。そもそも俺たち家族の持っている金は、すなわちサルワタ領邦の領民たちの財産だ。その血肉を手前勝手な理屈で自由にしようとしている、きみの方こそ問題行動だと思うんだがね。ん?」
いつの間にかチラつき出した雪の粉。
偉そうに足を開いて俺を睥睨している糞ガキを見上げていると、その雪が頬に当たってわずかな冷たさを覚えた。
「それは逆だよ。あたしはただ、虐げられてられ攻め滅ぼされた領民たちから巻き上げた金を、奪い返しに来たという理屈も成り立つはずだ」
「きみは面白い事を言うね。まあその理屈を口にする領民がいたところで、完全否定はできないだろう」
腰にさした剣に手をかけながら、どうしてやろうかと一瞬の思案をしつつそう返事をした。
まあ見る者の立場によっては。アレクサンドロシアちゃんに率いられた俺たちが、ゴルゴライ占領にはじまってスルーヌやブルカ街道の周辺、リンドル川の西岸流域をひと呑みに干してみせた事は間違いないからな。
「へえ、それじゃ自分たちの行いを認めるんだね。あんた面白いよっ」
そんな風に大きく返事をして見せた小柄な人間は、果たしてポンチョのフードを外してみせれば少女だった。
透き通る様な白い肌はまるで銀雪の様、フードを外した時にフワリと広がったブラウンの髪は艶やかで、その髪の間から長く延びた耳は彼女がエルフである事を想像させるのに十分だった。
一瞬の間見とれているその隙に、俺は周囲に複数存在していた気配を完全にやり過ごしてしまっていたらしい。
積み上げられた石から木の葉の様に白エルフの少女が着地したその刹那、俺はあわてて剣を引き抜こうとしたけれど、四方の資材の陰から人間どもに包囲されている事実に驚愕した。
「ぐっ、しまった!」
抜きはなった剣をぐるりと回して大の男たちの集団に威嚇をして見せたけれども、もはや多勢に無勢かもしれない。
人足の様な格好をした人間や行商人みたいな姿の者もいる。中には先ほど宗教関係者の集会に加わっていた様なポンチョの人間もいたり。
これはいったいどういう事だ……?!
全員がそうだとは言い切れないが、少なくとも十余りの人間の中には腕に覚えのある存在を纏ったオーラを発している厄介者もいた。
たぶん、それを率いているらしい白エルフ少女もその一人だとおれは思案した。
「この度のご無礼をお許しください、女神様の祝福を受けし全裸を尊ぶ聖なる使徒さま。わけあって人払いをする必要がありましたので、この様な遠回りな方法を選ぶ必要がありました」
「……?」
首を傾げている俺の目の前で。
労働者や修道士の様な格好をした一団も、俺の眼前で態度を豹変させながら平伏してみせた白エルフ少女に従うではないか。
「自分は正妃陛下のご命令により、東方辺境一帯の調査命令を承りましたアルフレッドセイヤママンと申します。見ての通りこの土地では珍しい白色エルフの血筋ですので、悪目立ちせぬ様に身を隠しての接触をさせていただきました。どうぞお見知り置きを、シューター卿」
白色エルフの少女は、ほとんどぺったんこのお胸に右手を付いて、高貴な身の上に対する礼を取って見せたのである。
いいね!
ではなく、どういう展開だよこれ?!
ただいま東京出張中のため、更新が不定期になりご不便をおかけします。
お返事は帰宅後にさせていただきます!




