閑話 夫からの手紙
夫はとてもいいひとです。
いつも裸で過ごしていて少し寒そうになさっているけれど、貧乏なわたしの家にやって来ても、何ひとつ文句を言いませんでした。本当はいい服を着ていただきたのですが、生活の苦しいわたしには何もしてあげる事はできません。
けれども、時々その視線が怖かったのも事実です。
夫は、わたしが寝ている時も、服を着替えている時も、体を洗っている時も、それからおトイレをしている時もよくまじまじと見てくるのです。遠い故郷の生まれというので、夫はわたしのやる事なす事が珍しいのかも知れません。
でも、目つきが怖いです。
夫と結婚する事になったのは、村長さまのご命令があったからでした。
遠い土地からやって来てサルワタの森で迷子になっているところを、見つけられたそうです。全裸を貴ぶ部族のご出身だそうで、保護した時には全裸でした。
けれど村のみなさんはそれを訝しみ、要領を得ない説明をする夫を捕まえてしまったのだとか。
いろいろあって許された夫と、わたしは村の物見の塔の地下牢で知り合いました。これからはこの男の世話をしろとお命じになられた村長さまは、とても無慈悲な方だと思いました。父を亡くして身寄りも少ないわたしをよそ者に嫁がせるなんて。
全裸を貴ぶ部族の方と聞いたので、あの巨大な猿人間の仲間なのかとわたしはとても恐ろしかった。
けれど、普通の人間でした。
安堵したのもつかのま、全裸で地下牢の主みたいにくつろいでいる当時の夫は、どこかとても得体のしれないものの様で、不気味でした。
わたしが結婚するという知らせを聞いたオッサンドラ兄さんは、すぐにも飛んできてわたしを心配してくださいました。
夫が留守の時、
「よそ者で、元は戦士だったという全裸を貴ぶ部族の男と聞いた。今からでも村長にかけあってやめさせる」
「そ、その様な事を村長さまに言ってはいけません。オッサンドラ兄さんにもしもの事があったら、わたしはいよいよ少ない身内をなくしてしまいます」
「そこは大丈夫だ。あの怪しい男の方から自分の口で離縁を言い渡す様に工夫する、任せるんだ」
「で、でも」
オッサンドラ兄さんは齢が近い事もあって、むかしから頼れるお兄さんという感じの従兄でした。
けれどこの頃、どこか兄さんの態度はおかしいです。
特に父がなくなってから、何かあるとすぐに「ひとりは何かと不便だろう」と、言ってくださいます。
それはとてもありがたい事なのですが、兄さんはただの親戚という以上に、わたしによくしてくれるのです。
今のわたしは夫のある身分ですからあまりよくしていただくと、ただでさえご近所の眼がよくないのに、ますますわたしは追いつめられてしまいます。
「おい小僧、いい加減にカサンドラに近づくのはやめにするんだな」
ある時、ッワクワクゴロさんがわたしの家を訪れて、いつもお土産を持ってきてくれるオッサンドラ兄さんをご注意なさいました。
「しかし、カサンドラはその。身寄りも無く苦労をしているので」
「ばっかかお前は、カサンドラはシューターの嫁だ。夫がいる人間なら、夫が身寄りだろう」
「俺とカサンドラは、それこそカサンドラが生まれてからずっと続く仲だ。昨日今日の出て来たあの男と俺を比べれば、どちらがより深い身寄りかわかるものでしょうに」
オッサンドラ兄さんは、わたしへの気遣いか食い下がってくださいましたが、ッワクワクゴロさんにアゴ髭を引っ張られて折檻されたみたいです。
これ以上はオッサンドラ兄さんにもご迷惑をかけれれません。
だからもう、うちにはこないでくださいとわたしは言いました。
オッサンドラ兄さんはとても悲しい顔をして、それからしばらくわたしの顔を見に来ることはなくなりました。
◆
夫が街にお出かけになるという事が、村長さまの命令で決まりました。
夫婦の生活というのは、まだどのようにしていいのかわたしにはわかりませんでした。
まだ新婚で十日あまりを過ごしたばかりですし、わたし自身は覚悟を決めていたのですが、夫はどういうわけかわたしに手を出そうとはしませんでした。やはり村長さまのご命令で決められた結婚がご不満だったのでしょうか。
けれどもその一方で、夫はわたしにこう言いました。
「いきなり夫婦になろうなんて言っても、君もきっと動揺している事だろう」
だからゆっくりと夫婦になっていこうと仰ってくださったのですが、あの時の夫はとても興奮気味で、このまま押し倒されるんじゃないかと思うと、その時まだ心の準備のできていなかったわたしは、拒絶してしまいました。
今にして思えば、夫はそれ以後、わたしに手を付けようとしなかったのです。
わたしから、よそ者の夫を受け入れる様に、努力しなければ。
ッワクワクゴロさんが時々訪ねてきてくださり、お芋や清潔な布を下さいました。
夫の事を支えるのが嫁の役割です。わたしはその布でいつも全裸で寂しそうにしておられる夫のために、下着を作ってみました。たいそう喜んでくれた矢先に、夫は街に旅立っていきました。
少し、夫との距離が狭まった気がします。
夫がいつ戻って来るのかは村長さまからも夫からも聞かされていませんでした。だから、夫が街道を旅立っていく姿を、せめてひと目お見送りしようと、家の前でお待ちしておりました。
気恥ずかしかったわたしですが、夫を見かけると、ついつい手を振ってしまいます。
すると、夫もわたしに応えて、手を振ってくださいました。
「いってらっしゃ、シューターさん」
夫が旅立ってからはまた父が亡くなってからと同じ様に静かな生活にもどりました。
非力なわたしでは猟師の娘であっても、できる事は知れています。
近所の猟師さんの奥さんがたと、皮をなめす作業をしたり、畑の手入れをしたり。
シューターさんが耕してくれた畑だけは、わたしひとりででも守らなければなりません。
そう勇んでみたものの、やはりわたしひとりでは限界がありました。
腰を軽く痛めてしまって、ッワクワクゴロさんにお叱りを受けました。
「こういう事は、俺んちの馬鹿弟どもにやらせればいいんだ。いつでも俺に言ってくれ」
「ありがとうございます。ありがとうございます」
「おう。その言い方を聞くと、シューターを思い出すな。あいつ元気にやってるかな」
「そうですね。夫がよく言っていましたね」
ッワクワクゴロさんと、寝台に横になったわたしとでふたりでころころと笑いました。
ある日、久しぶりにオッサンドラ兄さんが訪ねてきました。兄さんはわたしが腰を痛めていると聞いて、居てもたってもいられずに来てくださった様です。
嬉しいのです。嬉しいのですけれど、夫が不在の家に、例え身内と言っても、未婚の男性が来たのでは、あらぬ誤解をまねいてしまいます。
だからわたしは、やんわりとオッサンドラ兄さんにお断りを入れたのですが……
「シューターに聞いていた。りんご酢が無くなっているから、届けに来たぞ。酢は薬にもなる、これを飲んで元気になってくれ」
「オッサンドラ兄さん。ご近所に妙な噂が立ってはいけません、だからうちに来られるのはその……」
「何だ、何でも俺に言ってくれ。数少ない家族じゃないか」
「か、家族といいましても。わたしたちは従兄妹ですし」
いつもより強気のオッサンドラ兄さんは、怖かったです。
けれどもその時、ちょうど村長さまの跡取り息子さまであるギムルさまが来られたのでした。
「入るぞ。貴様……」
「ぎ、ギムルさま」
「お前、この家で何をしている」
「俺はカサンドラの従兄です。家族がここにいたって別におかしいことじゃねえ」
ギムルさまはその言葉を聞いて、腰の剣を引き抜かれました。
オッサンドラ兄さんが殺されるのではないか、わたしは一瞬そう思ったのですが、剣を突きつけられた兄さんは、腰を抜かしながら逃げていかれたのでした。
斬られなくてよかった。
そんな風にわたしがほっと胸をなでおろしているところ、
「無事でなによりだ。いや、村長にお前が腰を痛めていると聞いたので、無事ではないか」
「いいえ、たいした事ではないので大丈夫です」
「そうか。ならいい」
ギムルさまはわざわざそれを言いに来られたのでしょうか。
それだとしたら、興奮して見境の無くなったオッサンドラ兄さんから偶然守っていただき、とても感謝しなければいけません。
兄さんはとてもいいひとですが、同時にとても思い込むと一途なひとでした。何か悪い道にふみはずさなければいいのだけれど。
「そうだ。実は今しがたブルカの街から戻ったところでな」
「お勤めお疲れ様です。すると、あの。シューターさんは」
夫が帰って来る。
そう思ってわたしは胸が高鳴りました。
けれども、どうやらそれはぬか喜びだった様です。
「残念だが、シューターは今しばらく街に残る事になっている」
「そう、ですか……」
「そうだ。俺の命令だ、恨むなら俺を恨め」
「恨むだなんて、そんな……」
ふうとため息を口にしたギムルさまは、申しわけなさそうな顔をして懐を探っておいでです。
お役目なのだから、夫の帰りが遅くてもしっかりと家を守らないと、シューターさんにお叱りを受けてしまいます。
ギムルさまがわたしに差し出したのは小さな紙と、それは手鏡でした。
「これをお前に渡しておく。シューターからの土産と手紙だ」
「ギムルさま、たいへん申しわけございません。わたしは字が、読めません」
「お前たち夫婦が無学であることは俺が知っている。だから代わりに代読する。コホン……」
前略、カサンドラはお元気ですか。
こちらはよろしくやっております。ブルカの街はとても大きいです。
夜も灯火があちこち溢れて、都会の雰囲気に圧倒されますが、飯はカサンドラの作ったものが一番です。
ところでギムルさんの命令で街にしばらく滞在する事になりました。
早く逢いたいですがこれも役務です。愛する妻へ
「という様な事を確かお前の夫が言っていたはずだ」
「言っていた、と言うのは? あの手紙に書いて、あるんですよね」
「書いてあるのは、所要により滞在延期となりました。早く逢いたいですがこれも役務です。愛する妻へ、とだけだ。だが手紙に書けなかった分を、あいつが口にしていたのはこんな内容だったはずだ」
「手鏡はその……」
「お前のために、あいつが手ずから選んだものだ。後生大事にしろ」
「あっありがとうございます、ありがとうございます」
「フン、そういう言葉はシューターに言え。それと似たもの夫婦みたいな礼を口にするな」
「あっはい。そうですね、そういたします」
わたしはギムルさまから受け取った手紙と手鏡を見ました。
鏡を覗き込むと、そこには頬っぺたを桜色にした女がこちらを見ていました。
シューターさんのご無事を毎日お祈りしています。
はやく帰ってきてくださいね。
これにてブルカの街編は終わりです。
以後もよろしくおねがいします!




