32 ダンジョン・アンド・スレイブ 7
突然現れたバジリスクに、俺は身構えた。
片手に持ったメイスは、いかにもライトバンほどのサイズがある地を這うトカゲの暴君には心もとない様な気がしたが、頼れる武器はこれしかない。どうやら短剣は、重厚なうろこの鎧をまとった相手には通用しなさそうだった。
もしも弱点があるとするならばワイバーン狩りの名人、鱗裂きのニシカがそうしていた様に一撃必中で眼を射ぬくしかないわけだが、弓は無い。
こんな事なら村から弓を持ってくればよかったぜとも思ったが、あの技はニシカさんがいなければ成立しない。
弱点はどこだ。
人間に置き換えれば眼以外なら鼻頭、耳、呼吸器が集中する部分。子供の頃に読んだモノの本によれば、恐竜は脳を複数個所持つなんて書かれていた気がするが、だとすると脳を揺らすという行為も果たしてどこまで効果的かはわからない。
その上、記憶もあいまいだ。
ドーモ、バジリスクさん! ひとつ手加減をお願いします!
そんな事を必死で考えていると、ようじょが魔導書を広げて例によって栞を特定のページに挟んでいた。
「ッヨイさま、下がって!」
「大丈夫なのですどれぇ、ッヨイがまず一撃を入れます!」
手を引っ張ろうとした俺はようじょの言葉で躊躇した。
いや相手はライトバン=トカゲだぞ?!
ゴルルルル、とバジリスクが低い唸り声を上げた。どうやら相手も俺たちといきなり邂逅した事で戸惑っているらしい。
先手を取るならば今なのだが、ご主人さまを引き下がらせて俺が飛び出るべきか……
「お前、ッヨイの一撃が終わったら入れ違いに突入するわよ」
「いいのかよッヨイさまに任せて!」
「見てなさい、ッヨイは強いわよ……」
雁木マリにたしなめられて俺は思いとどまった。
よし、一撃を食らってどれだけバジリスクの体力を削れるかはわからないが、その後に柔らかい懐を攻めるか、可能なら鼻っ柱に一撃だ。
「倒す必要はないわ。次の一撃まで相手をけん制――」
雁木マリがそう言い終わるよりも早く、ようじょの魔法攻撃の準備が整ったらしい。
全身にオーラをまとったゴブリンの子供が、圧倒的である様な存在感をまき散らす。
そしてようじょの手元が印を踏んで、
「フィジカル・マジカル・どっかーん!」
次の瞬間に、洞窟の地面から次々と触手が伸びた。
戸惑って攻めあぐねていたバジリスクに、次々とそれが襲いかかる。
触手形状のうねうねしたもの、それから明らかに楔の様に尖ったもの、それらが複数入り乱れて下腹からバジリスクを攻撃した。
「今よ、左右別れて攻撃!」
何の打ち合わせも無く、俺は雁木マリに急かされて攻撃態勢に移った。
雁木マリはようじょに信頼を置いているのか、まったくその動きに焦りや不安が無い。
地面から伸びた棘の数本は、確かにバジリスクの腹を何本かが差し込んでいた。
当然抵抗した地上の暴君は後ろ脚で棹立ち姿勢を取ろうとしたが、ここは洞窟の中でもかなり道幅が狭まっている場所である。
それができないために一瞬前足を浮いただけで、うねうねした触手に胴体が絡まれて大地に引き戻された。
「行けぇ!」
隣で雁木マリの手先から、先ほどまで小さな照明魔法だったそれがテニスボールほどに燃え上って、地上の暴君の顔を攻撃した。
威力がどれほどのものかまではわからない。けれども確かな手ごたえがあって、バジリスクが咆哮した。
ドオオオオンという、洞窟の隅々にまで響きわたるドラゴンの仲間たち特有の恐怖の戦慄だ。
俺は必死になって踏みとどまろうとするが、やはり駆け込んでバジリスクの側まで来たところで棒立ちになってしまった。
だが雁木マリは違う。
ファイアボールを放った後、立て続けに何かのカプセルポーションをキめて、バジリスクの咆哮を無効化させていたのだ。
なんて頼もしいやつだ。
そして硬直した俺を蹴り飛ばすと、自らも長剣を逆手に持って、バジリスクの額に一撃を入れたのである。
「はあああああっ!」
「グオオオオン」
やばい。
俺は直感的に、硬直が解けた瞬間には駆け出していた。
バジリスクの事を俺は四足歩きのティラノサウルスと比喩した。だがあれは間違いだ。
こいつは熊の様な存在だ。前脚の一撃を食らってしまえば、雁木マリは一瞬で殺される。
だから駆けだした俺は雁木マリに飛びついて、あわや彼女の首を消し飛ばしかねないチョップの一撃を回避した。
そのまま地上を転がって受身を取りつつ、短剣を引き抜いて地面に刺す。
「これを使え!」
雁木マリの長剣はバジリスクの額に刺さったままである。手を離したから今命があるのだが、彼女にはもう武器が無い。だから俺の短剣を使ってもらう。
俺は少々心もとないが、メイスでどこかに攻撃をするしかない。
拘束されているが暴れ続けるバジリスク。
特に尻尾の周辺が危険そうだ。そしてッヨイさまの拘束魔法はそろそろ限界らしい。
「どれぇ! もう少しだけ時間稼ぎできますか?!」
「何とかしてみます」
ちょっと厳しいなぁ。
眼を狙うのも厳しいが、他があるとしたらどこだ。耳か。耳だ!うねうねの拘束が緩みそうになった瞬間に、俺は大地を蹴って走り出し、おもいきりバジリスクの耳の穴に一撃叩き付けてやった。
ドオオオオオオンッというかつてない怒声で、俺は吹き飛ばされた。
痛みか、それだけでは無く怒りか。
そのバインドボイスには衝撃の魔法でも乗っている様に風圧を叩きつけた。
怯むな立ち上がれ!
視界の端に、背後に走り込む雁木マリがいた。
やはりこの女、実戦経験があるからだろうか、少々の不具合があった程度では心が折れないらしい。
その雁木マリがバジリスクの尻尾先端を斬りつけた。
後ろにバジリスクの意識を持っていかせるつもりか。
俺も立ち上がると、びるびるの泥触手から抜け出したバジリスクの隙をうかがう。ヤツめの意識は俺と雁木マリのどちらに向けるべきか迷っているらしい。
だがその戸惑いは命とりだったな。
何しろ、ここは人工遺跡ではなく自然洞窟だ。ダンジョンの道幅が一定していないので、地形を使えば人間さまの方が有利に戦えるんだ。
ッヨイさまがいる方は洞窟の幅が狭くなっていて、俺の側は広さが少しあるが、ここで向きを変えるにもバジリスクには大変だろう。そして雁木マリのいる場所はまた狭まっている。
無理にでも向きを変えようとしたのが失敗だったね、熊トカゲくん。
「脚をやる!」
「すぐに頸根を断つわ!」
意志疎通があったわけではないが、ほぼ同時にそう叫んだ俺と雁木マリは、やはりほぼ同時に動いた。
向きを変えようと左前脚を差し出したバジリスクに、俺はメイスを思い切り振りかぶって攻撃してやるつもりだ。
狙うは小指辺りに痛恨の一撃だ。
どんな硬い動物だって、面積の狭い場所は防御力も低いんだぜ。
問題は攻撃した後がノープランという事だろうか。
まともに避ける場所が足りないダンジョンでは、受身回避をしなが戦いづらい。
雁木マリさん、修道騎士だったよね。村の教会堂の助祭さんたちとは同じ神様を崇めてるのかな。だったら癒しの魔法頼むぜ。
俺はバジリスクの小指の骨を粉砕してやった。
当然の様に、いや想像以上に痛がったのだろう。
天井が低い事も忘れて後ろ脚立ちになったバジリスクである。そしてその瞬間にポーションをガン決めで狂人化した雁木マリが、首元に短剣の一撃を見舞ってくれた。
だが当然の様に暴れたバジリスクの前脚で、いとも簡単に雁木マリは弾き飛ばされる。
さすがに庇ってやれない。俺も絶体絶命だ。
「どれぇ! 逃げてください」
そんな言葉が俺たちを救ってくれた。
俺の、俺たちのようじょさん。小さいゴブリンの冒険者の手元から、グリモワールから、炎を帯びた一本の土の槍が翔け走った。
まさに処刑人の一撃。大地の炎槍はバジリスクの左胸を貫いた。
見とれている場合ではなかったが、わずかの間それを観察してしまった俺である。
心臓を貫かれて崩れ落ちてくるバジリスクを避けながら、見苦しく這いずりまわって俺は逃げた。
うわようじょッヨイ。じゃなくて、強い。
もし初撃でこれが可能なら、俺たちの出番はまるでなかったな。
◆
ぴくりとも動かない雁木マリに俺は不安になったけれど、こいつはまだ生きていた。
「大丈夫かよ」
「ポーションを、水色のポーションをちょうだい……」
口だけを動かして、大の字になって転がっている雁木マリは、必死の視線で俺に訴えた。
言われた様に、弾帯みたいにベルトに装着していた無数のポーションの中から、水色のものを外す。そして戦闘中にどこかへいってしまった注入器具を探して拾い上げた。
セットの仕方は簡単だった。
ガラス玉のカプセルをどうやって人体に注入させるのか不思議だったが、雁木マリの土で汚れた二の腕に乗せて、注入の押し込み口に力を入れるとそれは雁木マリの体へと移転していった。
「ふああ、脱力するぅ」
薬でもキめた様な顔をしやがるぜ。
むかし俺はオカマバーでボーイをやっていた事がある。剃り残しのヒゲが青々と残ったママが閉店後の掃除をしている時に、野太い声で悲鳴を上げた時の事ふと思い出したのだ。
店が入っている雑居ビルの共同トイレから注射器が見つかって大騒ぎになったのだ。どうやら誰かが違法の薬物をここで摂取したのだろう。
案の定、雑居ビルにある階段踊り場で、どこかの店の客が脱力して転がっていたのだ。今の雁木マリは、その顔をしている。
大丈夫かこいつ。
「しばらくすれば回復するわ。今使ったのは回復のポーションよ」
とても幸せそうな顔をした雁木マリがそう言うので、まあ納得しておいた。
ッヨイさまは。
小さな俺のゴブリンのご主人さまは、心配そうに雁木マリに膝枕なんかしてやっている。
「ガンギマリーはすぐ無茶をするのでいけないのです」
「しょうがないじゃん。あたしはけん制役で、あんたが主攻撃役なんだから。もう少し戦うスペースがあればやり方もあったんだけど、咄嗟近接戦だからしょうがないね」
そう。咄嗟戦だった事と、戦うスペースが狭すぎた事で俺たちは苦戦を強いられた。
雁木マリのファイアボールも、たぶん一定の広さがあればけん制攻撃としても何射かできたのではないか。
だがあれは命中すると爆発するので、何発も打ち込めば俺たち自身の視界を妨げるしな。
使いどころが難しい。
「それより。平気そうな顔をしていますけど、どれぇは大丈夫なのですか?」
「どういうわけか無傷ですッヨイさま」
正確には無数の擦り傷、打ち身はあるだろう。
けれども体を普通に動かす分には無理のない状態だった。
「このまま雁木マリーの回復を待って、地底湖の状態だけ見ていきましょう。マッピングの詳細を取り直すのは、今回はちょっとあきらめるのです」
「そうですね。マリにもあまり無理はさせられませんし、それがいいでしょう」
もうこのダンジョンの主は倒したんだしな。
振り返った俺は、雁木マリの剣が額にささったまま転がっている地上の暴君を見てそう思った。




