164 ダアヌ夫人の登場です!
俺の肘にはL字に固定されたギブスが嵌められている。
上等とは言えないお仕着せの服の上から右腕のギブスを吊る三角巾の姿。俺はその格好でサルワタ外交使節団の大使としてダアヌ夫人の主催する晩餐会へと出席した。
「利き腕を封印してしまえば、いざどれぇが暴れてもみなさんで何とかできると思うのです」
そう口にしたのはッヨイさまである。
俺の背中には魔法陣と何らかの文字によって構成された呪いのタトゥーが浮かび上がっているのだし、もしもその仕業がゴルゴライ領主の嫡男だったナメルシュタイナーの呪いだった場合。
このまま晩餐会に出席して突然俺が暴れ出しでもしたら、外交問題になりかねないのである。
「とても痛々しいです、シューターさん。お体は大丈夫でしょうか……」
「まあ実際に怪我をしているわけじゃないからね」
「はい、その事はわかっておりますけれども。その、お背中が」
そう言う事も考慮して、ようじょがお得意の土魔法を使って簡単には壊す事が出来ないギブスを装着したのだ。これはよく考えたもので、確かに俺の利き腕である右手をまともに使えなくしてしまえば、それだけで出来る事は圧倒的に限られてしまう。
最初はそれならとニシカさんの「左足もギブスで固定して、使えなくすればいいんじゃねぇか」という提案も検討されたのだけれど、
「それはまずいわ。右腕に左足、とあまりシューターが傷だらけの体で晩餐会に出席したら『触滅隊の討伐でサルワタ隊は指揮官が負傷するほどずいぶんと苦戦をしたものだ』と、侮られてしまいかねないもの」
雁木マリによってニシカさんの提案は「やり過ぎ」という事になった。こういう演出は適度にしておくのが一番だ、とマリが行ったのである。
しかしおかしなもので、触滅隊討伐の名目的な指揮官はリンドルの実質的支配者であるマリアツンデレジアが担っていた。
ついでに言うと彼女は貴族軍人の出身と言うわけではなく、文字通り王都の箱入り娘のお貴族さまご出身だ。
現場での総指揮を担当したのは実戦経験が豊富な雁木マリであり、作戦を担当したのはようじょである。
俺はサルワタ隊の隊長みたいな位置づけだったみたいだけれど、どちらかというといち兵士として走り回っていたと言った方がいいんだけどなぁ。
「とにかく、あまり無様な格好をしていると舐められるという事ですわ。特に辺境に敵なしと売り出し中のシューター卿の怪我の具合が酷いというのは問題なのですよ。この辺りが妥協点という事かしら」
そんな風に俺に慰めの言葉をかけてくれるカラメルネーゼさんに、浮かない顔をして曖昧な返事をしておいた。
晩餐会の会場となったのは、リンドル市中の第四階層にあるダアヌ夫人の邸宅だった。大きな広間を有しているという点では、この地方の分限者の血筋というだけあってリンドル城館のそれと比べても遜色のないものだ。
俺たちは予定の時間ギリギリにどうにか入場すると、そのままサルワタのために用意された会場スペースに腰を落ち着けて、場内を観察していた。
「あちら側の席が、リンドル市中にある各職人ギルドの集まりですね。それから向こうにあるのは商会の会頭のみなさんたちの席、あちらは商業ギルド長と冒険者ギルド長」
「ふむふむ、向こうは?」
「向こうはですね、ダアヌ派に属している領内経営を担任するお貴族さま方の席となっているみたいです」
事前にダアヌ邸の家令から会場内の配置を聞き出していたベローチュは、こういうところで官憲出身の生真面目さが出ている。ありがたいね!
「それから最後に、あそこに見えているのが娼館を経営している会頭が数名と、奴隷商人ですね」
「…………」
男装の麗人が俺たちサルワタの人間だけに聞こえる様に声をすぼめてそんな風に言った。
俺たちがリンドルに向かって起伏の激しい峠を移動していた時の事。触滅隊による襲撃を受けた事があったのは記憶に新しい。
あの時に連中は俺たちが貴族の御一行と見て、同行者の貴族婦人に見えたカサンドラたちを闇の奴隷商人に売り払おうと考えていたらしいからな。
闇の奴隷商人などとひと口に言うが、実際には表でも素知らぬ顔で商売をやっていると考える方が普通なのだ。
商人には商人の世界の掟があって、闇で商会株を持たない人間が裏取引を許すほど商人たちも甘くはないだろう。
「してみると、あの中に触滅隊と繋がっている可能性のある商会があると見るべきかもしれないわね……」
「その辺りは是非にもわたくしにお任せくださいましな。奴隷商人の事は奴隷商人が一番知っているというものですわ」
雁木マリが奴隷商人たちのスペースに鋭い視線を送っていると、隣からカラメルネーゼさんが志願してくれたのである。
彼女は王都中央で王侯貴族たちとパワーゲームに興じてきた経験もあるし、それだけでなく本職の奴隷商人でもある。ついでに貴族軍人として戦場を知っている経験もあるので凄みまであるからな。
この際交渉事では自慢の蛸足も使い所はないけれど、それを抜いても余りある頼もしさである。
「そうだな、餅は餅屋だ。お任せします」
「ええ、そうして下さるとやりやすいですわ。わたくしはあの奴隷商人どもと、それから冒険者ギルド長との交渉を担任させていただきますわ」
「ではッヨイさまは、商業ギルド長と交渉をやっていただけますか。飛龍の部位を特約契約で売る件、この際どうにかして上手く纏めたい」
「わかったのです。商業ギルドと職工のみなさんの交渉もやっておきたいですねー」
それからそれぞれが主に誰と交渉に当たるかを、会場内を見回しながら俺たちは決めた。
雁木マリはハーナディンとともに、まずオッペンハーゲンに接触を試みる。サルワタには騎士修道会とブルカ聖堂が味方しているのだと暗に匂わせておくためである。
「そのついでにあたしがあなたと婚約者の立場であることも口にしておけば、サルワタに対する見方が連中も変わるというものよ。対ブルカ伯の包囲網形成が現実的なものだと認識するはずだわ」
「わたしも、オッペンハーゲンの公商会とは接触しておいた方がいいでしょうか」
「そうね。義姉さんにも一緒に付いてきてもらおうかしら」
リンドル領内の村々や集落を支配する代官のお貴族さまたちの相手は、当然軍人畑の人間が交渉を持つ事になった。ベローチュとタンスロットさんがこれにあたる予定であるけれど、まあ男装の麗人がいれば異形のミノタウロスというタンスロットさんも上手にサポートしてくれるだろう。
「俺はどっちかというと外交向けではないんですが、大丈夫ですかねベローチュさん」
「自分の事は何も問題ありません。リンドルとは領境を接しているのでいくつかの代官とは面識もありますので、この際はそのツテでタンスロットさんを紹介出来るかと思います」
「それならありがたいですね。シューター閣下、頑張ってみます」
ミノ族長みたいにフンスと鼻を鳴らして見せたタンスロットさんが白い歯を見せてくれた。
問題はすでに会場内にひと足早く到着していた、所在無げなシェーン子爵くんである。
彼は基本的に自分の事をお飾り領主だという自覚があるのか、以前も敬愛する義母マリアツンデレジアにいいところを見せようとして、そこを上手くブルカ辺境伯の手先に利用され、踊らされていたからな。
今回はその事を警戒してか御台のマリアツンデレジアが、自分の信用の置ける側近を数名、シェーン少年の側にべったり張り付かせていた。
またおかしな事をしでかしてもらっては困るのは俺たちも同じである。
従ってサルワタから送り出すのは、エルパコという事になった。
「ぼくがいけば、いいの?」
「そうだ。頼めるかな、エルパコくん」
「シューターさんの命令なら、何だって頑張るよっ」
「これは命令じゃなくて、お願いだからな」
お願いされたんじゃ余計に断れないよ。などと、上目遣いでけもみみをピクピクさせながらエルパコは応えてくれた。
シェーン少年はけもみみに怪我を負わせたという負い目があるからか、はたまた自分の目の前でけもみみが裏切りを働いた自分の部下を拷問にかけた姿を見ていたからか、どうも一歩引いて逃げ腰になっている節があるからな。
警戒させるという意味では最高にいいかもしれない。
そうしてフリー状態になっている俺だけれども、これには理由があった。
「偉いひとは鷹揚に構えて、この席でくつろいでいるのがいいのです。どれぇにお近付きになりたい人間が、勝手にすり寄って来る事は、明々白々なのです!」
賢くもようじょ曰く、それをしっかりと見定めるのが俺の役割という事らしい。
側には前回と同じ様に、俺とお揃いの知らないロゴ付きサーコートに、白タイツ姿のニシカさんが控えている。
基本は笑顔でお近づきになる商人たちを見守ってもらうが、おかしな人間が来たら飛龍殺しの眼光で黙らせるという寸法だった。
「おう、オレ様は笑顔が似合う長耳レディだからな。任せてくれよ」
白い歯を見せて豪快に笑ったニシカさんである。
しかし、そのニシカさんの笑顔が本番で見られることはなかった。
晩餐会が始まり、主催のダアヌ夫人が会場に姿を現して軽く挨拶をする。
その後にまっすぐ彼女が向かった先が、俺のところだったのである。
「サルワタのシューターと申しましたかの。話がある故、付いてまいるのじゃ」




