121 回廊の街 中編
「見てください、シューター卿の奥さまの肖像画を描いているのですが、なかなかの出来栄えでしょう!」
芸術家を気取るヘイヘイジョングノーさんの部屋を訪れたところ、彼がそんなことを口にした。
馬車の中で必死に絵を描いていると思ったら、うちの奥さんのバストアップ画を描いていたらしい。
差し出された画板のカサンドラはよく特徴が捉えられていて、見る者にこれがカサンドラだと理解させる程度には上手い。
俺は絵の事も芸術の事もよくわからないが、この絵が素人のものでないことだけはよくわかった。
「確かにうちの奥さんだ」
「そうでしょうとも。僕をお引き立てくださったシューター卿へのご恩に報いるためにも、精一杯書かせていただきました」
シューター卿などと、普段言われ慣れない言葉を口にされて、ちょっと気恥ずかしい俺である。
今の俺は街で情報収集に出かけるために、近頃手放せない上等なおべべを脱いでいた。
さすがにむかしこの世界に来た頃の様な全裸チョッキ姿というわけではないが、この世界のどこにでもいる労働者と変わらないような、安っぽい麻シャツにズボンである。
こんな姿でシューター卿などと、お貴族さまみたいな呼ばれ方をすると違和感たっぷりだね!
俺は改めてカサンドラの微笑を描いたラフスケッチを見た。
「うん、君を連れて来たのは正解だったようだねえ。これから俺たちは辺境諸侯の街を歴訪する予定だから、それら諸侯とのお近づきの印にも、ご夫人方に肖像画をプレゼントしたいと思ってね」
「それはすばらしいご提案です! 腕がなりますね」
褒められてうれしそうなヘイジョンさんを見て、よし本題を切り出す。
「ところで相談なんだけども」
「何でしょう?」
「ヘイジョンさんはいつも人物画を中心に書いておられますが、専門は肖像画だったりするんですかね」
「いやあ、そんな事はないです。僕ぁ食い詰め芸術家ですからね、言われればもちろん何でも書きますよ。これまでにも建物の絵を描いたり、神話のワンシーンや幻獣を描いたり、何も題材がないときには蟻んこを描いていた事もあります」
「蟻」
帽子のズレを気にしながらそう俺に語ってくれたヘイジョンさんは、ゴソゴソと旅荷をほじくり返して一冊の写生帖を取り出した。
羊皮紙のそれをペラペラとめくってみると、木炭か何かでガリガリと描き込まれた動きのある人物がや虫に魚、あるいはへんてこな建物までもあった。
「風景画も描けますかね」
「もちろんバッチコイです。何を描けばいいんですか?」
「ずばり、この街の景観ですね」
街の景観、という言葉を口にした俺を見返しながらヘイジョンさんは眼を丸くした。
ヘイジョンさんの写生帖を見た限りにおいて、かなり自在に絵の類は描ける人間だという事は容易に想像できた。
特に建物画の描写などは、ラフスケッチのくせによく特徴をとらえている。
問題はこれをお願いしてやる気を出してくれるかどうかだな。
「この街の景観、つまり見取り図的なものが欲しい。色付きである必要はないし、街の具体的な構成がどうなっているかがその絵からわかればいい」
「ふむ……」
「この街に限らず今後、訪れた街や城塞なんかの外観をうまく捉えた絵があれば、大変ありがたい」
「色付きでない、という事はこの画をどこかに飾るという目的ではないんですね」
目ざとく片眉を吊り上げて見せたヘイジョンさんが質問を切り出してきた。
この絵の目的がどこにあるのか、芸術家として気になるのだろう。
俺はそのあたりの事をどう説明すればいいのか、慎重に口を開いた。
「そういう事になるかな。目的は情報だ。俺たちサルワタの人間がそれぞれの街について情報が共有出来るように絵という形に落とし込みたいんだ」
「なるほど、目的は戦争のためですね」
どうやら、この会話から簡単に正解を導き出してしまったらしい。
さて、ヘイジョンさんはどういう反応をするだろうか。
むかし俺はとあるゲームの下請け会社でアルバイトをしていた事があった。
そこで経験した失敗だが「落書きでいいからとにかく絵を間に合わせてくれ」という様な上からの指示を真に受けてそのまま外注のイラストレーターさんにお願いしたところ、ひどくヘソを曲げられた事があった。
同じ失敗を繰り返さないためにも、言葉を選びながら説明しなくちゃいけない。
ましてや彼が言う通り、その絵は戦争の道具に使うのだからな。
「あんたはこの画が戦争の道具に使われると言ったら、拒否するかな」
「うーん、どうでしょう」
「嫌ならもちろん拒否してもらってもいい。別に今後は俺たちのために、そういう絵ばかりを描いてくれというわけではありません。アレクサンドロシアちゃんから命じられてやらせるというより、これはあくまでも俺のちょっとした思い付きなんだ」
あくまでも責任は俺にあるという事を説明した後に「どうですか」と少しだけ強く質問をしてみた。
すると、ヘイジョンさんは気難し気に腕組みをしたり、くせ毛の髪をボリボリやってみたりしたあとに愛想のいい顔を作った。
「気に入った。やりましょう」
「ホントですか」
「ええ。包み隠さずお話ししてくださったのは好感が持てます。知らないところで悪用されるよりずっといい。それに、」
真新しい写生帖を旅行鞄らしきずた袋から取り出しながら俺の方に向き直る。
意を決した様に生真面目な顔を作ってヘイジョンさんは頭を下げた。
「僕みたいな食いっぱぐれた芸術家を拾ってくださったのはシュター卿、あなただけです。僕の絵がシューター卿のお役に立てるのなら、ぜひ使ってください」
「お、ありがとうございます、ありがとうございます」
いい返事だ。ついでに俺も頭を下げる。
端から見ているといい大人がふたりしてペコペコやっている間抜けな姿に見えるだろう。
「お前ぇら、何やってんだ」
案の定、俺たちが米つきバッタをやっているところに、ニシカさんから呆れた声が飛んできた。
振り返るとそこには、ラフな格好をしたニシカさんにけもみみ、それから灰色のΠ刺繍の法衣を脱いだハーナディンが立っている。
「やあ、みんな揃ったようだね」
「しかもなんて格好をしているんだシューターは。お前、お貴族さまなんだぞ?」
「お貴族さまの格好をして街をうろついてたらおかしいでしょう」
ニシカさんはいつも通りのブラウス姿ではあるのだが、手甲を外してブラウスは腕まくり、革のホットパンツと革タイツもそのままだが、ナイフをベルトに挟んでいるだけという気楽な装いだ。
ハーナディンは法衣を脱いで鉄革合板の鎧だけになっていた。うん、冒険者スタイルで通る様な格好で、こちらも暑いからか腕まくりしている。
そしてエルパコは、どういう事なの?
いつも着用しているポンチョを脱いで、キャミソールにプリーツスカート姿だった。
自分がサルワタ騎士の従者である事を申し訳程度にあらわしているのが、ニシカさんみたいな革タイツと、腰に下げたお揃いの剣。
「シューターさん、どうかな?」
思えばけもみみのスカート姿をまじまじと見たのは、はじめてかもしれない。
家では下もひもぱん姿でうろついているか、太もものラインが浮き出るぴっちりしたタイツみたいなのを履いているからね。
なんか普段はボーイッシュな女の子が、デートで精一杯オシャレしているみたいだな……
「うん。とても女の子っぽい姿だよ」
「カサンドラ義姉さんが作ってくれたんだ。普段は着るタイミングがなかったけど、今日は旦那さまとお出かけだからオシャレして行きなさいって義姉さんが……」
誰がデートだって?
カサンドラは何をこのけもみみに言ったんですかねえ。
デートじゃないんですよ! 情報集めの仕事なんですよ!
「いいじゃねえか。これで街をうろついていても、仕事上がりの若いカップルみたいに見えるんじゃねえか」
「そうですね。何ならぼくたちの代わりに、酒場に行きますか」
「待った、それは駄目だ! 酒が俺たちを呼んでいるからな!」
などと好きな事を言って盛り上がっている赤鼻のニシカさんと修道騎士ハーナディンだった。
「これから陽も暮れるので、ぼくも酒場に繰り出して情報収集しましょうか?」
「あン、どういうんだ?」
「いやね、酒場でご夫人方の似せ絵を描くんですよ。そうしたら色々とお話を聞きながら出来るので街の情報もあつまるでしょ。陽が暮れたらどのみち街の外観を写生する事は出来ませんからね。景観を描くのは明日の朝いちばんという事にして、僕もついていきますよ」
なるほど。確かにもうすぐ陽が落ちてしまうし、それもありだな。
ヘイジョンさんの言葉に納得した俺は、ひとまずみんな揃って街に繰り出し、いったん酒場に向かおうという事で話が決まった。
「じゃあ行きますか」
「うん。ぼく楽しみだよ!」
俺の言葉にけもみみが元気よく応えると、無い胸を押し付ける様にして腕に手を回してきた。
いや、これもお役目なんで。
デートじゃないからね?




