10 異世界に転生したら村八分にされた
毛むくじゃらのおっさんを目の前にして、俺は飛び起きた。
息子をいつまでも荒ぶらせているわけにもいかない。おっさんから受け取った貧相な腰巻きで慌ててカバーする。
「お、おはようございます。えーとカサンドラ、こちらは?」
俺は飛び起きた。息子をいつまでも荒ぶらせているわけにもいかない。おっさんから受け取った貧相な腰巻きであわててカバーする。
「わたしの死んだお父さん……」
「死んだお義父さん?!」
「……の、お兄さんの息子さんです」
俺は死んだ義父が復活したのかと思って驚いたが、違ったらしい。
背格好は俺とかわらない身長でずんぐりむっくりしている。腕もV字ネックの貫頭衣から見えている胸元も毛むくじゃらではないか。もっさりとしたヒゲも蓄えていて熊みたいなおっさんだ。
「カサンドラの従兄のオッサンドラだ」
おっさんが言った。
名前、まんまじゃねえか。
俺が隆起した息子を押さえていた手で握手をしようと差しのべたが、おっさんは微妙な顔をしただけで握手をしてくれる事は無かった。
精一杯フレンドリーな俺にとても失礼なおっさんだ。
「カサンドラに婿ができたと聞いたから来てみたのだが、お前がそうか」
「はじめましてシューターです。今は死んだカサンドラの親父さんの跡を継いで、猟師見習いをやっています」
俺はペコリ頭を下げた。
「お前、元は戦士だったそうだな。、裸を見せつけているだけあって無駄のない体作りだ。それと祝儀がわりだ、これをやる。あと食料を持ってきてやったから、少しは食の足しにしろ」
「……気を使ってくださらなくても」
「ありがとうございます。ありがとうございます」
いつもの癖で俺は低姿勢で頭を下げた。
受け取ったそれは短剣だった。ショートソードというやつである。
どうせ祝儀をもらえるなら服の方がいいのだが、まあ剣は何かあった時に質にいれるという手もあるか。
「この男のためではない、苦労をしているカサンドラのために持ってきたのだ」
「オッサンドラ兄さん……」
二人は妙に向き合って、見つめ合っていた。
あの、俺そっちのけで妙な感じなんですけれども。俺、席外した方がいいですかね?
「それで今日は何をしに?」
いたたまれなくなった俺は質問をしてふたりの妙な雰囲気を妨害してやった。
人の嫁と変な雰囲気作ってるんじゃねえ!
「オッサンドラ兄さんは鍛冶職人なんです」
「へえ。それで?」
「……シューターさんが、鍛冶をやる様にと言っていたので連れてきました。その、鍛冶をするなら兄さんを紹介した方が早いと。わたしは矢に鏃をつけるだけの簡単なお仕事しかできませんし……」
「?」
何を言っているんだうちの奥さんは。
鍛冶? 俺はそんな事を言っただろうか。
「猟師なら狩猟道具の手入れや槍、鏃の準備もいるだろう。いい心がけだ」
「? ど、どうもありがとうございます?」
「だが、その前に格好はどうにかならんのか、鍛冶場に出入りするなら裸だと火傷するぞ」
「ですよね。よく言われます」
でも着るものがないからしょうがないよね。
「お前、全裸がいいのか」
「いや服が無いんです。服、この家にはこれしかなくて」
カサンドラからチョッキを受け取った俺はそれに袖を通しながら返事した。
「鍛冶場の手伝いをしたら駄賃をやる。あまったらそれで服を買え」
「それはもう。よろこんで!」
というわけで、俺は義従兄のおっさんに連れられて鍛冶場に行くことになった。
カサンドラにあんたは来ないのかと質問したところ、拒否された。
「わたしは家事があるので、その」
新婚夫婦はすれ違いのままである。
◆
今俺は、鍛冶場の裏手にいる。
そして全裸の俺は、手斧を片手に薪を割っている。あれ、デジャブじゃね?
確かこの世界に来たばかりの頃も、そんな事をやっていたよね?
なぜまた全裸なのかというと、それは暑いからである。
汗をかくとチョッキが臭くなってしまうので、これは仕方がない。腰巻は一心不乱に薪を割っていると、サイズがあわないのでボロリした。
まあ、全裸の方が動きやすいしな。
呆れた顔のオッサンドラも、隣で俺の割った薪を運ぶ作業をしていた。
「猟果はどんな調子だ」
「先日からリンクスを仕留めるのに罠を仕掛けてまわったんですが、駄目でしたねぇ」
「だろうな。あいつらはなかなか仕留められない」
「ベテランっぽいッワクワクゴロさんというひとと一緒にまわったんですがね」
「そうか」
「かわりに今日は、森から帰る途中に狐を一匹仕留めました」
「なら、そのうち腰巻きが立派になるな」
なるほど。ボロ布の腰巻きより毛皮の腰巻きの方が立派だ。
ッワクワクゴロさんに狐皮をなめしおわったら譲ってもらえないか交渉しよう。
そんな事を考えながら薪を割る。
鍛冶場では大量の薪が必要らしかった。この薪を木炭にするらしく、自分たちが使う分を用意するのも鍛冶職人はそれもまた仕事の範疇なんだそうだ。
俺は下働きをここでやった後に、慣れた頃合いを見計らって槍のとぎ方や鏃の加工の仕方を教えてもらう事になった。
猟が無い時は、頑張ってここで働こうじゃねえか。
ちなみに。
オッサンドラは見た目こそおっさんだが、年齢はまだ二十歳過ぎという事だった。なんだ俺より若いじゃねえか。
「おっさんは、鍛冶の方はやらなくていいんですかね?」
「うちの鍛冶場には親方を含めると五人いる。今日はお前の相手をしていてもいいと言われている」
「そうなんですか。大変ですね」
俺はへえと適当に返事をした。
「シューターと言ったな」
「はい」
「お前、この村に骨をうずめるつもりか?」
カコンと薪を割ったその瞬間、その質問に俺は手を止めておっさんを見やった。
おっさんはヒゲぼうぼうの面に真面目な表情を浮かべていた。
「そうですね。カサンドラを嫁にもらいましたし」
そう返事をしたものの。
俺はあまり、これからの事を考えたことが無かった。
俺は異世界人だ。地球人で日本人だ。ゴブリンがいてワイバーンのいるこの世の中はきっとファンタジーな世界だ。地球の過去でも未来でもないだろう。
そうすると俺は元いた世界に帰る事ができるのかできないのか。
今朝、俺は夢を見た。
夢の中でこの世界に飛ばされる直前の記憶を追体験した様な気がする。
あれは俺が異世界に飛ばされた、あるいは死ぬ直前の夢だったんだろうか。俺、死んだのかな。死んだんだったら、それは転生した事になる。死んでないなら転移だ。
しかしどうだろう。
俺は元のままの姿でこうしてこの世界にいる。記憶だって残っている。死んだとすれば俺は中年のままこの世界に生まれてきたのだ。
そういえば、俺が林の中でさまよっている時、どんな格好をしていたのか覚えていない。もしかしたら全裸で生まれてきたんだろうか……。
生まれ変わったんなら、普通はあかちゃんからスタートだろ。
リセットしろよ神様!
たまらず俺は心の中で文句を言った。
「それならば覚悟を決めろ。この村で猟師への風当たりはとにかく辛いぞ。おじは大変苦労していた」
生活も、人間関係も。と、おっさんは小さく続けた。
「村八分か……」
俺はつぶやく。
どうして猟師が村八分にされるのだろうかと、俺は考えながらまた手斧を振った。
慣れたもので、少し前まで一週間余り続けた作業だから今では体が苦に思わない。
ひとつは、生活収入が不安定で猟果が無いと村にただ飯を食わせてもらわないといけないからだろう。
かつて狩猟採集で生計を立てていた人類は、やがて農耕を覚えたわけだ。
農耕生活はその日暮らしの狩猟採集生活よりも、ぐんと暮らしぶりが安定する。不作もあるにはあるだろうが例年蓄えておけばそれが不作の年に放出する事ができる。
生活が苦しければ、それだけ嫁の貰い手がいないのかもしれない。
この世界にどこまで恋愛結婚が存在しているかわからないが、たぶんそんな自由はほとんど許されないだろう。
あってもそれは街での話だ。
ここでは俺とカサンドラの婚姻を決めたように、きっと女村長や親たちが取り決めるのだ。
だとしても若い娘を持つ親として、わざわざ生活の安定しない猟師に嫁がせようという人間はいないのかもしれない。逆にカサンドラの様な猟師の娘はもらい手が無いのかもしれない。
なるほど、だから厄介者である猟師たちは村八分なのか。
もうひとつは、たぶんこうだ。ッワクワクゴロさんの言葉を思い出してみると、猟師や木こりにはゴブリンが多いと言っていたはず。ゴブリンに娘を嫁がせたいヒトの親はあまりいないのかも知れない。
なるほどゴブリン差別か。
悲しいけれどゴブリンは村長を頂点としたこの村の階層で最下位にいるのだろう。
ファンタジー世界でもゴブリンは雑魚だもんな。ホブゴブリンになって出直してこいってか。
「村を出たいなら手引きをするぞ」
ふと、バラバラになった薪を集めている俺に向かって、オッサンドラがそんな事を口にした。
「村から出る?」
「そうだ。脱柵だ。よそ者のお前がこの村に居ついたところで誰もいい顔はしないだろうが、逃げ出したところで誰も気にもしないだろう」
「でもそれなら、残されたカサンドラの立場が悪くなるんじゃ……」
もらったばかりの嫁の事を考えて俺は返事をした。
「それも含めてしっかり考えるといい。逃げる気になったら、旅銭ぐらいは用意してやる。村に残るなら、覚悟を決めてお前が認められる様に頑張る事だ。あとはお前次第だ、よそから来た戦士よ」
おっさんはそう言って、鍛冶小屋の中に引っ込んでいった。
◆
おっさんの言葉は何を意味するのか。
俺は色々と考える。
俺は田舎の育ちだが、あいにく村八分の経験はした事が無い。なぜなら祖父母がとても社交的な人間だったからだ。
特に、誰にでもきさくな祖母は地元周辺ではよく知られた世話役で、漁業組合の副会長まで任されるほど顔の広さがあった。
おかげで家族は何不自由なく地元で生活をしていたもんだ。
けれども地元には、どの家族ともあまり親睦を交わさない一家がいた事を俺は知っている。
今にして思えば、あれが村八分というやつだったのかも知れない。
年の近い女の子がその一家にはいたが、普段からあまり一緒に遊んだことは無かった。少女はいつも年の近い妹とふたりで遊んでいた気がする。俺たち兄妹も何かの遠慮が働いてあまり声をかけなかった。
そんな家の婿として俺がやって来たと思えばいい。
なるほど村八分は大変そうだ。
この村で生活をしていくなら、当然その覚悟が必要というわけだ。
そりゃ当然の事だな。だとすれば自分の暮らしをよくするためには地位を築く、つまり村人に認められるためには結果を出さねばならないわけだな。
そして俺は猟師だ。
少し前の事だが、俺はとあるマーケティングを専門にする会社でバイトをやっていた事があった。
その会社では、クライアント企業に新規の事業を提案したり、現在進行形のプロジェクトを改善を提案するのが主な業務内容だった。つまり、最近流行りのコンサル会社というやつである。
小さな会社だったので、バイトに過ぎない俺がそこの取締役の若い青年と一緒に営業回りをするのが日々の仕事だった。
その時に青年取締役が教えてくれたことがある。
コンサル屋が提案を持ち込んでクライアントを籠絡する方法はいくつかある。
まずはは「これは面白い」と思われる事と「それが実際に可能である」と思わせる事だ。企画書の内容はその様に作ればいい。俺が苦手なパワーポイントで提案を作ると、いつもそれを青年取締役が清書してくれた。
面白い提案にはいつもクライアントが食いついてくれたものだ。
それと、クライアントの信頼を得るためにまずトップを取り込んでしまう事である。
担当部署のリーダーや、経営者そのもの。これを味方にしてしまえば大概の要求や提案はアッサリ通過してしまうのである。
では、この村にそれを置き換えると誰か。
村長だな。
あの女村長にまず認めてもらう事だ。彼女は確か騎士爵の位を授けられた立派な領主さまである。女村長さえ籠絡できれば、俺はこの村で村八分にされる事も無いだろう。
たとえ不満があったとしても実績があれば表だって文句は言われないし、女村長が言わせない。そのはずだ。
そのためには実績が必要だ。
コンサル会社が求められる成果は、売上だろう。経営コンサルなら全体の、企画コンサルならプロジェクトごとの。
置き換えるなら、この村でなら暮らしぶりをよくするのか、あるいは猟師として大物を仕留めるのか。
そうすると、リンクスの一頭や二頭は簡単に仕留められるぐらいの腕前を磨かんといかんなぁ。
いろいろと考え事をしながら俺は額の汗をぬぐった。
空には雲ひとつなく晴天で風は穏やかだった。
春の小風は心地よいな、などと思っていると雲ひとつないはずの空に黒々とした妙な雲が見える。
その黒い雲は風の割りに翔る様に俺の視界を横切っていき、降下していく。
「わ、わい、ワイ、ワイバーンだ!」
ワイはバーンやないで?
どこからともなく聞こえてきた誰かの悲鳴に、そんな頓珍漢な事を俺が思っていると。
次々に村の散在する家々から、村人たちが飛び出してくるのであった。
「あれワイバーンだ!」
ワイバーンは家畜を襲った。




