第四十三話「聖剣街道」
ドルディアの村を出る前日。
エリスとミニトーナが喧嘩をした。
結果は言うまでもない事だが、エリスの圧勝。
当然だろう。
エリスはルイジェルドの鍛錬についていけるレベルだ。
特に訓練も受けていない年下の女の子が相手では、それこそ相手にならない。
弱いものイジメだ。
これは一言、注意したほうがいいかもしれない。
エリスがそういう子だというのは知っているが、彼女ももうすぐ14歳だ。
14歳といえば、まだまだ子供だが、
無差別に相手を殴っていい年齢じゃない。
しかしさて、なんと言うべきか。
今まで俺はエリスの喧嘩を止めたことがなかった。
冒険者ギルドでの諍いも、大体ルイジェルドにまかせてきた。
そんな俺が、今更何を言うべきだろうか。
冒険者と村の少女では違うのだ、とでも言うべきなのか。
「ち、違います、ミニトーナが悪いんです」
そう主張したのは、テルセナだ。
彼女の話によると、雨期が終わったので旅立つと言うエリスを、
ミニトーナが引き止めたらしい。
エリスは引き止められた事を嬉しそうにしつつも、旅を続ける旨を説明。
我儘をいうミニトーナを、エリスが言い含める展開だ。
いつもと逆だな。
しばらく、話し合いが続いた。
最初は落ち着いていた二人だったが、
やがて議論はヒートアップ。
ミニトーナが暴言を吐き始める。
その暴言には、ギレーヌや俺の事も混じっていた。
エリスは、それを、ムッとした顔をしつつも、ぐっとこらえたらしい。
落ち着いた感じで言い返していたらしい。
結局、最初に手を出したのはミニトーナだった。
エリスに喧嘩を売る。
勇気ある行為だ。尊敬に値する。
俺にはとても真似できない。
とはいえ、エリスはその喧嘩を買ってしまった。
容赦なく、いつものようにボコボコにした。
「エリス」
「なによ!」
と、ここで俺は一旦、状況をよく見てみる。
まずミニトーナ。
負けたはずだというのにかなり興奮していて、フーフー言っている。
エリスにボコられてなお、心が折れていないのだ。
エリスは大の大人でも簡単に心を折る。
詰めの甘い女ではない。
ということはだ。
「ちゃんと手加減したんですね」
「……当たり前よ」
エリスはそっぽを向いて、そう言った。
以前のエリスなら年下相手だろうと、自分に歯向かった相手には、決して容赦しなかった。
俺が言うんだから間違いない。
「いつもなら、もっと酷いことをしてますよね?」
「……友達だもん」
エリスの顔を覗きこむと、ツンと口を尖らせて、バツの悪そうな顔をしていた。
ふむ。
殴ったことを、少々後悔しているらしい。
今までのエリスにはなかったことだ。
この三ヶ月でエリスは少しは大人になったのかもしれない。
俺の見ていないところで、彼女もちゃんと成長しているのだ。
なら、俺から言うことは一つだ。
「明日、別れる前に仲直りはしておいた方がいいですよ」
「…………やだ」
まだ子供か。
---
最終日、旅の準備で忙しい事もあり、聖獣様とは会わなかった。
また犯人が連れ出すかと思っていたが、
聖獣様はなぜか現れなかった。
その代わり、深夜に二人の侵入者があった。
「あっ!」
小さな叫び声と、ガタンという大きな音。
そんな二つの音で、さすがの俺も目が覚めた。
最近、どうにも緩んでいるなと思いつつ体を起こし、
脇においてあった杖を手に取る。
泥棒にしてはお粗末な気配だ。
ルイジェルドはとっくに気づいているだろう。
ふむ。
「テルセナ、もっと静かにするニャ」
俺は杖を手放した。
ルイジェルドが黙っているわけだ。
「ごめんトーナ、でも暗くて」
「よく目を凝らせば見えるニャ……あっ!」
また、ガヅンという音がした。
「トーナ、大丈夫」
「痛いにゃ……」
しかし、本人はヒソヒソと話しているつもりなのかもしれないが、
声量が大きいせいで丸聞こえである。
彼女らの目的はなんだろうか。
金か、それとも名声か。
それともこの俺の体が目当てなんだろうか。
なんてな。
どうせエリスだろう。
「あ、ここかニャ?」
「くんくん……ちょっと違うような」
「構うこたニャい。どうせ寝てるニャ」
彼女らは俺の扉の前で止まると、ガチャリと中に入ってきた。
恐る恐る、という感じで部屋の中を見渡し、
ベッドに腰掛ける俺と、バッチリ目があった。
「ニャ……!」
「どうしたのトーナ……あ」
ミニトーナ、テルセナがそこにいた。
薄手の皮のワンピース。
尻のあたりに穴があいており、ぴょこんと尻尾が顔を覗かせている。
獣族特有の寝間着姿である。
実に可愛らしい。
「こんな夜更けにどうしました?
エリスの部屋は隣ですよ」
出来る限り小声で言った。
「ご、ごめんニャさい……」
そう言いつつ、彼女らは扉を閉めようとして、
ふと、止まった。
「そういえば、お礼、言ってニャかったニャ」
「あっ、と、トーナ?」
トーナは思い出したかのように言って、部屋の中に入ってきた。
テルセナもびくびくとその後ろに続く。
「助けてくれてありがとうニャ。
お前が治癒魔術を掛けてくれなければ、
死んでいたかもしれなかったって聞いたニャ」
そうだろうな。
あの怪我は結構危なかった。
俺ならとっくに心が折れている怪我だ。
よくもまぁ毅然とした態度を崩さずにいられたもんだと思うよ。
「お安い御用ですよ」
「おかげで傷跡も残らなかったニャ」
トーナはそう言いつつ、ワンピースの裾をペロンとめくり上げて、
綺麗な生足を見せてくれた。
しかし、部屋が暗いせいか、その奥が見えない。
見えそうで、見えない。
キシリカ様、なぜあなたは暗視の魔眼を持っていなかったんですか……。
「トーナ、はしたないよ……」
「どうせ一度は見られてるんニャから、いいニャ」
「でも、ギュエスおじさんが言ってたよ、人族の男は万年発情してるから、不用意に近づいたら襲われるって」
万年発情。
失礼なことを言う。
でも間違ってはいない。
「それに、あたしの体を見て興奮するニャら、お礼としては好都合……ニャ!? 寒気が!」
「いつまでもスカートの裾を上げてるからだよ」
その時、俺はトーナの足なんて見ていなかった。
冷や汗を垂らしながら、脇に置いたはずの杖を握りしめていた。
隣の部屋から、鋭すぎる殺気のようなものがじわじわと漏れ出している。
「こ、こほん。お礼は受け取りました。
エリスは隣の部屋にいるので、どうぞ」
子供でも、不用意に怪我の跡なんかを見せるもんじゃない。
お医者さんごっこが趣味の危ないおじさんに襲われたら大変だ。
「そっか、でもほんと、ありがとうニャ」
「ありがとうございました」
二人はぴょこんと頭を下げて、部屋を出て行った。
ちょっとしてから、俺はこそこそと移動し、壁に耳を付ける。
隣室ではエリスが不機嫌そうな声で「なによ?」なんて言ってるのが聞こえた。
腕を組んでいつものポーズを取っているのが目に浮かぶ。
トーナとテルセナの声はやや聞こえにくい。
いや、エリスの声が大きすぎるのか。
ハラハラしながら、聞いていたが、
エリスの声が次第に穏やかになっていった。
大丈夫そうだ。
俺は安心して、ベッドに戻った。
彼女らは一晩中、語り合ったようだ。
何を話していたのかはわからない。
トーナもテルセナも、まだまだ人間語は達者というわけではない。
エリスも多少なら獣神語を覚えたようだが、
しかし会話が出来るほどでもない。
ちゃんと話し合いは出来たのだろうか。
と、不安だったが、
翌日、別れ際、エリスはミニトーナの手を握り、涙を浮かべてハグをしていた。
仲直りはできたらしい。
重畳重畳。
---
聖剣街道。
それは大森林を一直線に縦断する街道である。
かつて、聖ミリスが作り出したこの街道には魔力があふれている。
周囲が水浸しだというのに、街道だけはカラカラに乾いており、
また、この街道には、一切魔物が出ないらしい。
そこをドルディア族にもらった馬車を使い、移動する。
彼らは、旅に必要なものを何からなにまで用意してくれた。
馬車+馬。
旅費(ミリス金貨5枚+ミリス銀貨5枚)。
消耗品等。
これなら、ザントポートに戻らなくても、ミリスの首都まで移動できるだろう。
よし出発。
という段階になって、なぜかサル顔の男がやってきた。
「いやー、そろそろミリスまで戻ろうかと思ってた所だ。ちょうど良かったぜ。俺も乗せてってくれよ」
新入りは、そう言って、図々しくも荷台に乗り込んでくる。
「あらギースじゃないの」
「お前も付いてくるのか?」
俺を除く二人から、文句の声は無い。
知り合いだったのか、と聞いてみると。
どうやら、ギースは俺の知らない間に二人への根回しをしっかりと行なっていたらしい。
エリスとトーナ・テルセナの輪に入って面白い逸話を語ったり、
ルイジェルドとギュスターヴの話の輪に入って二人をヨイショしたり。
お調子者の本領発揮という手管で、二人に取り入っていたらしいのだ。
俺の見ていないところで。
ゆえに、二人に簡単に受け入れられた。
「よし、なら出発するぞ!」
ルイジェルドの掛け声と共に、馬車が走りだす。
獣族が見送ってくれるのに手を振りながら、
エリスが涙を浮かべてミニトーナたちを見ているのに、ちょっと感動しながら。
しかし、俺の心の中には、ちょっとだけモヤッとしたものが残る。
ギースのせいだ。
ついてきたいのなら、最初からそう言っておけばいいのだ。
わざわざこんな、裏でこそこそ動くような真似をしなくても。
普通に頼めば、断る事なんてないのだ。
「おいおい、先輩。そんな睨むなよ」
結構なスピードで走る馬車の中、俺は不満気な顔をしていたのだろう。
ギースはニヤリと笑うと、俺の耳元に口を寄せた。
「先輩の恋の手引きをしてやったのは俺だぜ?」
と、何やら変なことを言い始めた。
恋の手引き。
はて、俺は結局、この三ヶ月、猫耳娘にも犬耳娘にも手を出すことなく終わった。
エリスとの仲も進展していない。
ギュエスとは最初より仲良くなれたが、それだけだ。
あれが恋?
馬鹿いっちゃいけないよ。
俺にそういう趣味はない。
「恋の手引きってなんだよ」
「聖獣に会わせてやったじゃねえか」
「聖獣……」
意味を考える。
理解。
「あっ」
こ、こいつか!
こいつが犯人か!
何が恋の手引きだ!
冤罪だって言っただろうが。
いや、そんなことより。
「ど、どうやって聖獣様を連れだしたんだ!」
「そいつぁ企業秘密よ。
まああいつら馬鹿だからな。
ちょっと絡め手を使ってやれば連れ出す事ぐらいはできるのよ」
事も無げに、自慢気に言った。
いや、そんな。
ヤバイだろ。
だって、獣族の人ら、むちゃくちゃ怒ってましたよ。
見つけたら八つ裂きにするとか、そんな感じでしたよ。
「な、なんでそんな危ないことしたんだよ」
「だって、お前、犬が好きなんだろ?」
「冤罪だって言っただろうが」
「そうだったか? まあ、いいじゃねえか」
ギースは軽い調子で、ヘラヘラと笑っていた。
途端に、不安になってくる。
こいつ、もしかして、かなりヤバイ奴なんじゃないだろうか。
一緒に旅をするのはマズイんじゃないだろうか。
「ルイジェルドさん。馬車を反転させてください」
「なぜだ?」
「聖獣様を連れだした犯人を突き出します」
「わー、まてまて!」
ギースが慌てて俺の口を塞ごうとする。
だが、こいつのせいで俺は疑われたのだ。
ここは心を鬼にして、罰を受けてもらう必要があるだろう。
「大丈夫だ新入り、ちゃんと弁明はしてやる。
もしかすると全裸で牢屋に入って冷水とか浴びせかけられるだろうが、
それぐらいは我慢しろ」
「おい、まてよ! 本気かよ!
いいか、馬車を用意してやるように言ったのも俺だからな。
あいつらには、モノで謝罪するっていう文化はねえんだ。
だから、許してくれよ!」
サル顔も必死だった。
愛嬌のある顔だ。
こいつは悪い奴ではない。
それは牢屋に一緒に入っていた俺もよく知っている。
悪意を持って、聖獣様を連れだしたわけでもないはずだ。
しかし、うーむ。
「ルーデウス」
「なんですかルイジェルドさん」
「許してやれ」
「旦那! さすが旦那だ! いやあ、旦那の事は前々から男前だと思っていたんだよ!」
ほんと、こいつは……。
それにしても、
「ルイジェルドさん。いいんですか。こいつは、あなたの大嫌いな悪党ですよ?」
「お前のためを思ってやった事だろう」
ルイジェルドの判断基準は、よくわからない。
あれがよくてコレがダメ。
いや、これはもしかすると、ギースの根回しの結果かもしれない。
うまくやりやがったな、サル野郎。
「そう、そうなんだよ旦那! 先輩のためにやった事なんだよ! それが大事になるなんて思ってもみなかったんだ。それでつい調子に乗っちまったけど、決して誰かを貶めようなんて思っちゃいねえんだ!」
正直な所、こいつには恩もある。
裸で寒かった所に、ベストをもらった恩だ。
恩というには小さな事だが、
冤罪だとわかってなお疑ってくれた獣族より、よっぽど好印象だ。
ま、いいか。
結局、誰も困ってないしな。
獣族の護衛も、今回のことを教訓にするだろう。
そうして、無理やり納得することにしよう。
「付いてくるのはいいけど、
新入り、お前、スペルド族は怖くないのか?」
と、ルイジェルドに聞こえるように話す。
こいつは、ルイジェルドがスペルド族だと知っているのか知らないのか。
酒盛りに参加したのなら、聞いていてもおかしくないが……。
後になってから、「スペルド族マジコエー」とか言い出されても嫌だしな。
「まさか、怖ぇよ? 俺も魔族だからな。
スペルド族の怖さは子供ん時からよぉく聞いてるってもんよ」
「そうか。ちなみにルイジェルドはああ見えて、スペルド族だ」
そう聞くと、ギースは眼を細めた。
「旦那は別だ。命の恩人だからな」
何かあったのか、
と、ルイジェルドに目線を送ると、知らないとばかりに首を振った。
少なくとも、この三ヶ月で彼を助けた、という事はないようだ。
「やっぱ憶えてねえか、もう30年も前だもんな」
そう言って、ギースは語り出した。
出会いあり、別れあり、山場あり、濡れ場ありの超絶ストーリー。
ハードボイルドな超絶イケメンが旅に出ると言えば、
百人の女から行かないでと懇願され、
後ろ髪を惹かれつつ故郷を旅立ち、旅先で謎の美女と……。
長いので一言でまとめると、
彼が駆け出しの冒険者だった頃、
魔物に襲われて死にかけていた所を、
ルイジェルドに助けてもらったらしい。
「ま、30年前のことだし、ことさら恩を感じてるわけでもねーけどな」
スペルド族はこえーけど、旦那は別だ。
サル顔の新入りは、そういって笑った。
ルイジェルドも心なしか表情が緩い。
俺は因果応報という言葉の意味を知った気がする。
よかったね。ルイジェルド。
「ま、しばらくは一緒に頼んまー。先・輩☆」
こうして、サル顔の新入りが『デッドエンド』に……。
入ったわけではない。
彼はあくまで、次の町までだ、と念押しをした。
彼のジンクスでは、四人でパーティを組むとろくなことがないのだとか。
そのジンクスを守って、一人で牢屋に入れられていれば、世話はないがな。
まあ、パーティに入らないなら、入らないでいい。
こうして、俺たちの旅に、一人の同行者が増えた。
---
俺たちは馬車のスピードに任せるまま、
ただひたすらに大森林を駆け抜ける。
本当にまっすぐな道だ。
直線が地平線の彼方、ミリス神聖国の首都まで続いているのだ。
なんでこんな道があるのか。
魔物も一切出ない。
水はけもやけにいい。
疑問に思った所、ギースが説明してくれた。
この街道を作ったのは、世界の一大宗派である、ミリス教団の開祖。
聖ミリスである。
ミリスが一太刀振るった結果。
山と森を両断し、魔大陸にいる魔王を一刀両断したのだとか。
その逸話からこの道は『聖剣街道』と呼ばれている。
さすがにねーよ、と思うところだが、
聖ミリスの魔力は未だに残っている。
それが証拠に、今のところ、魔物にも一切出会ってない。
馬車がぬかるみに足を取られる事もない。
順風満帆。
まさに奇跡だ。
ミリス教団が宗教として強い力を持っているのも頷ける。
だが、俺はむしろ、身体に悪影響がありそうで怖いと思っている。
魔力というものは便利だ。
だが、動物を魔物に変化させたり、
二人の子供を中央大陸から魔大陸まで転移させたり、
良くない事も起こしている。
魔力が多いというのは、怖いことでもあるのだ。
まあ、魔物に襲われないというのは楽でいいが。
---
街道脇には、一定距離ごとに野宿するポイントのようなものがある。
そこで野宿の準備をする。
食事はルイジェルドが適当に森で狩ってくるので、特に問題はない。
たまに、近くの集落から獣族が商売に来るが、特に買うものも無い。
大森林は言うまでもない事だが、植物が豊富である。
街道脇には、香辛料として使える草花が数多く生えている。
俺はかつて読んだ植物辞典を元に、それらを採取した。
しかしながら、俺の料理スキルはそれほど高くない。
この一年間でそれなりに上達したとはいえ、
『まずい』が『ややまずい』に変化する程度だ。
大森林は食材が魔大陸よりも上質だ。
魔物だけでなく、普通の動物もいる。
うさぎやイノシシといった、普通の獣だ。
そうした生き物の肉は焼くだけで十分うまい……のだが、
せっかくだから、よりうまい肉を食いたい。
食への探求は、いつだって貪欲だ。
そこでギースが登場する。
彼は野宿料理の達人だった。
俺の取ってきた野草や木の実から魔法のように香辛料を作り出し、
肉を華麗に味付けてみせたのだ。
「言っただろ? 俺ぁなんでも出来るのよ」
自慢気に言うだけあって、その肉はマジでうまかった。
ステキ、抱いて!
と、思わず抱きしめてしまったぐらいだ。
かなり気持ち悪がられた。
俺も気持ち悪かった。
お互い様だね。
---
「暇ね」
今日も今日とて食事の準備をしていると、
エリスがぽつりとつぶやいた。
食材:ルイジェルド
火と水:俺
料理:ギース
この完璧な役割の前に、エリスのすることは無かった。
せいぜい薪拾いであるが、ここは森の中。すぐ終わる。
よって、彼女は手持ち無沙汰である。
最初の頃は、一人で黙々と剣を振っていた。
俺とギレーヌに散々反復練習を強いられてきた彼女は、何時間でも剣を振ることが出来る。
かといって、それが面白いかというと、そういうわけではないらしい。
現在、ルイジェルドは狩りに、
ギースはスープを煮込み、
俺は作りかけのフィギュアに着手している。
この1/10ルイジェルドは完成まで時間が掛かる。
だが、売れるはずだ。
付加価値を付けるのだ。
こいつがあればスペルド族に絶対に襲われない、
むしろ仲良くなれる。とかなんとか言って。
それはさておき。
エリスは暇を持て余している。
「ねえ! ギース!」
「なんだお嬢、まだできてねえぜ?」
ギースはスープの味を確かめつつ振り返る。
そこには、いつものポーズで仁王立ちしているエリスがいた。
「私に料理を教えなさいよ!」
「いやだね」
即答だった。
ギースは何事もなかったかのように、料理を続けた。
エリスは一瞬だけ呆けた顔になった。
しかし、すぐに気を取り直し、叫んだ。
「なんでよ!」
「教えたくねえからだよ」
「だから、なんでよ!」
ギースは大きくため息をついた。
「あのなお嬢。剣士は戦うことだけを考えてりゃいいんだよ。
料理なんざ無駄だ。食えりゃいいんだよ」
ちなみにこの男。
食えりゃいい、なんてレベルの料理はしていない。
店を開けるレベルだ。
なんとか皇が口から光を放ったりはしないが、
近所で評判の料理店、ぐらいにはなる。
「でも、料理が出来たら……その……ねえ、わかるでしょ?」
チラチラと俺の方を見ながら、エリスは言いよどむ。
なんだいエリス。
何が言いたいんだい。
ハッキリ言ってご覧よ。
「わからねえな」
ギースはエリスに冷たい。
なぜかはわからないが、結構厳しい言い方をする。
俺やルイジェルドに対してはそうでもないが、
エリスにだけは結構突き放した言い方をする。
「お嬢は剣の才能があるじゃねえか。料理なんていらねえよ」
「でも……」
「戦えるってのは幸せな事だぜ?
この世界で生きてくのに、それ以上の事は必要ねえよ。
せっかくの才能が濁るだけだ」
エリスはムッとした顔で、しかしギースに殴りかかる事はしなかった。
ギースの言葉には、なぜか奇妙な説得力があった。
「てーのは建前だ」
ギースはよしと頷き、スープをかき混ぜる手を止めた。
そして、石の椀によそっていく。
ちなみに、器は俺が作ったものだ。
「俺はよ、料理は二度と教えねえって決めてんだよ」
ギースは、かつては迷宮に潜るようなパーティにいたらしい。
六人パーティで、自分以外は一つのことしかできない、不器用な連中だったらしい。
当時のギースの口癖は「お前ら、ソレ以外に何も出来ねえのかよ」というものだった。
そのパーティは、歪なりにもうまくやっていたらしい。
だが、ある日、パーティの女がギースに対し、料理を覚えたい、と言い出したらしい。
男を落としたければ胃袋を掴め、というのはこの世界でも有効らしい。
ギースはしょうがねえなあと言いつつ、女に料理を教えた。
料理のおかげか否か。
それはわからないが、
結果として、女はパーティの男とくっつき、そのまま結婚。
二人はパーティを脱退してどこかへと行った。
なんだかんだで重要人物だった二人が抜けたことで、パーティ内は荒れた。
パーティ内は喧嘩と無関心が渦巻き、
まともに依頼も受けられなくなり、
すぐに解散となった。
とはいえ、ギースは何でも出来る男だ。
剣と魔術の才能は無いが、それ以外はなんでもできる。
だから、すぐに次のパーティを見つけられると思った。
結果は惨敗。
当時、ギースは多少なりとも名の売れた冒険者だった。
だというのに、彼を拾うパーティはいなかった。
ギースはなんでもできた。
冒険者に出来る事なら、大抵なんでも、だ。
つまるところそれは、
ギースの出来る事は、誰かが出来る事だという事だったのだ。
高ランクのパーティなら、全員で分担してやるような雑事だったのだ。
ギースは気付いた。
自分の居場所はあのパーティにしか無かったのだ、と。
不器用な奴らがいるから、自分という存在が生きたのだ、と。
それから、ギースは冒険者という職業を半ば廃業。
遊び人(ギャンブラー)として生きていくことにしたのだそうだ。
「だからな。女に料理はダメなんだ」
ジンクスだ。
と付け加えた。
俺に言わせてみれば、ギースのジンクスなんてどうでもいい。
料理ぐらい教えてやればいいと思う。
このスープだってうまい。
一口飲んだだけで口の中がシュビドゥバダッハーンという感じになる。
俺が教わりたいぐらいだ。
なので、助け舟を出してやることにする。
「新入りが不幸になったのはわかったけど、
料理を教わった女の方は幸せになったんだろ?」
なら教えてやれよ、と思って聞く。
すると、ギースは首を振った。
「女が幸せになったかどうかは知らねえよ。
会ってねえからな」
でも、とギースは自嘲げに笑った。
「男の方は、幸せじゃあ、なかったな……」
だから、ジンクスなのだろう。
落ち込んだ表情の彼を見ていると、俺は何も言えなくなってしまった。
うまいはずのスープが、ちょっと味気なくなった。
ルイジェルド、早く帰ってこないかな……。
---
ある日。
休憩地点の道端に、奇妙な石碑を見つけた。
膝ぐらいの大きさで、表面には変な文様が描かれている。
一つの文字の周りを、7つの文様が囲んでいる。
確か、真ん中の文字は、闘神語で『7』を現すのだったか。
他の文様は、どこかで見たような、見たことないような。
俺はギースに聞いてみる事にした。
「おい新入り、この石碑は何だ?」
ギースは石碑を見て、あー、と頷いた。
「こりゃあ、"七大列強"だよ」
ほう、七大列強。
「"七大列強"、何だそりゃ?」
「この世界で最も強いとされる、七人の戦士のことさ」
なんでも、第二次人魔大戦が終わった頃、
技神と呼ばれる人物によって定められたものだそうだ。
技神は当時最強と呼ばれていた人物だ。
そんな人物が定めた、この世界における、最強の七名。
この石碑は、それを確認するためのものだという。
「確か、そういう話なら旦那が詳しいはずだぜ。旦那!」
ギースが呼ぶと、近くでエリス相手に鍛錬をしていたルイジェルドがやってきた。
エリスはその場で地面に大の字に倒れ、ゼーハーと息を整えている。
「”七大列強”か、懐かしいな」
ルイジェルドは石碑を見つけると、眼を細めた。
「知っているのかルイジェルド」
「俺も若い頃は、いずれ”七大列強”の一人に数えられるようにと鍛錬を積んだものだ」
ルイジェルドはそう言って、遠い眼をした。
ずいぶんと遠い眼だ。
遠い、遠い。
……どんだけ昔なんだ。
「あの文様はなんなんですか?」
「あれは、各人物の紋章だ。現在の七名を表している」
ルイジェルドは一つ一つ指差しながら、現在の七名を教えてくれた。
現在の七名は、
序列一位『技神』、
序列二位『龍神』、
序列三位『闘神』、
序列四位『魔神』、
序列五位『死神』、
序列六位『剣神』、
序列七位『北神』、
と並んでいるらしい。
「へえ。でも、"七大列強"なんて聞いたこともないですが?」
「”七大列強”の名が轟いていたのは、ラプラス戦役までだからな」
「なぜ廃れたんですか?」
「ラプラス戦役で大きな変動があり、その半数が行方不明者になったからだ」
ラプラス戦役には、技神を除く当時の”七大列強”が全員参加していたらしい。
しかし、そのうち3名は死亡。
1人は行方不明。
1人は封印という結果になった。
五体満足で生き残ったのは、当時では龍神だけらしい。
一応、準最強と呼ばれる者たちが繰り上がりでランキング入りし、それから数百年掛けて、下位列強の座を奪い合ったものの、『最強』という単語からはほど遠いものとなった。
さらに現在。上位四名の居所がわからない。
技神・行方不明
龍神・行方不明
闘神・行方不明
魔神・封印中
確実に強いとされる上位がこれでは、ランキングとしての体をなしていない。
なので“七大列強”は次第に廃れ、人々の記憶から忘れ去られていった。
……といった所か。
ちなみに魔神がランキングから消えていないのは、死亡ではなく封印状態だからだろう。
「当時で生きてる人って、どれだけいるんですか?」
「さてな。400年前でも、技神は実在を怪しまれていた」
「そもそも、なんで技神はこんな順列を作ったんですか?」
「なんでも。自分を倒せる者を探すため、という話だったが、詳しいことは知らん」
まるで深○ランキングだな。
「この石碑もかなり古いものですし、もしかすると、今では順列に変化があったかもしれませんね」
とつぶやくと、ギースが首を振った。
「いや、それは魔術で自動的に変わるらしいぜ」
「え? そうなんですか? どうやって?」
「知るかよ」
ということらしい。
石碑の文字が自動的に変わる。
どうやっているのだろうか。
この世界の魔術には、まだまだ俺の知らない事が多い。
魔法大学に行けば、そのへんも学べるのだろうか。
それにしても"七大列強"か。
この世界には妙にチート臭い奴が多いと思ったが、どうにも付いていける気がしないな。
まあ、世界最強を目指しているつもりはない。
あまり強さには拘らないようにしよう。
---
大森林を抜けるまでに1ヶ月かかった。
だが、一ヶ月だ。
たった一ヶ月で、大森林を走り抜けることが出来た。
道がひたすら直線で、魔物が一切出ない。
ゆえに移動に専念できた、というのも一つの理由だが、
馬の性能も良かった。
この世界の馬は疲れ知らずなのだ。
1日に10時間ほど休み無しで走り続け、しかも翌日にはケロっとしている。
何か魔力でも使っているのか。
実にスムーズに森を抜ける事ができた。
アクシデントと言えば、俺が途中で痔になったぐらいだ。
もちろん、誰にも言わず、コッソリと治癒魔術で治した。
エリスは修行と称して、馬車の上でずっと立っていた。
危ないからやめなさいと言ったのだが、何が危ないの、という感じのバランス感覚だった。
俺も真似してみたら、翌日は足腰がガクガクになった。
エリスは凄いなあ。
青竜山脈を抜ける谷。
その入口には、宿場町がある。
炭鉱族が経営する宿屋街だ。
冒険者ギルドは無い。
だが鍛冶場町としても有名らしく、武器屋防具屋が軒を連ねている。
ここに売ってある剣は安い上に良い物だ、とギースが教えてくれた。
エリスが物欲しそうな顔をしていたが、金に余裕があるわけではない。
どうせ、ミリスから中央大陸に渡るのに、スペルド族がどうので金が掛かるのだ。
無駄遣いはするべきじゃない。
今のエリスの剣だって悪いものじゃないしな。
けれどやはり俺だって男だ。
厳つい剣や鎧が並んでいるのを見ると、年甲斐もなくワクワクしてくる。
とはいえ、やはり年格好と服装の問題なのか。
店番をする炭鉱族に、「坊主には合わねえんじゃねえのか?」と笑われた。
これでも剣神流の中級だというと、ちょっと驚かれた。
まあ、金が無いから冷やかしなんだけどね。
ギースの話によると、
ここは街道の分岐点となっているらしい。
山伝いに東に進むと、炭鉱族の大きな町があるそうだ。
北東に進むと長耳族の、北西に進むと小人族の領域が広がっている。
この街に冒険者ギルドが無いのは、その立地に問題があるのかもしれない。
また、山の方に入って行けば、温泉もあるらしい。
温泉。
非常に興味のある話だ。
「温泉ってなによ」
「山からお湯が湧いてるんですよ。そこで水浴びをすると、それはもう気持ちいいんです」
「へぇ……面白そうね。でも、ルーデウスもここに来るのは初めてよね? なんで知っているの?」
「ほ、本で読んだんです」
『世界を歩く』というガイド本には、温泉の事は書いてあっただろうか。
確か載っていなかった気がする。
しかし、温泉か。
いいな。
この世界には浴衣はないだろうが。
濡れた髪、桜色に染まる肌、湯に浸かって呆けるエリス……。
温泉という場所にはソレがある。
いや、別に混浴じゃないか。
違うよな?
でも、万が一混浴だったら、どうしたものか。
ぜひとも確かめなければいけない。
「雨期が終わったばっかりだから、山の方はいま大変なはずだぜ?」
迷っていると、ギースに反対された。
山歩きに慣れてない奴が行くと結構時間が掛かるらしい。
というわけで、温泉は諦めた。
残念。
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聖剣街道は青竜山脈へと入っていく。
馬車二台がすれ違える程度の広さの道。
それが山を真っ二つに割っている。
谷底である。
しかし、ミリスの加護のおかげか、落石は滅多に起こらないらしい。
もし、この道がなければ、北へは大きく遠回りしなければならない所だ。
この山には滅多に青竜は出ないとはいえ、
魔物は多く、通過しようと思えば多大な危険を伴う。
そんな所に、魔物が一切出ないショートカットを作ったのだ。
聖ミリスが崇められる理由がよくわかる。
三日で谷を抜けた。
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こうして、俺達は大森林を抜けた。
人族の領域へと入ったのだ。
第4章 少年期 渡航編 - 終 -
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