不安な気持ち
翌日の朝。
少し遅れて健吾が出勤してきた。
朝からカオルが空港に迎えに行き二人で事務所に顔を出した。
昨日わがままを言って泊まってくれたカオルは朝の5時頃に
「眠くて死ぬかもしれん・・・・」とフラフラしてあたしの家を出た。
祐子さんが健吾にいろいろと会社の説明を
している間、カオルと二人向かい合ったデスクに座り
お互いあまり言葉を交わす事無く仕事をした。
カオルは結構、普通に話し掛けてはきたが、
どちらかというと、あたしのほうがヨソヨソしい感じで接していた。
一夜明け、罪悪感がどんどん増していた・・・
朝、化粧をする時、鏡を見てあまりの目立つキスマークに
唖然とし、まだ暑いのに秋用のハイネックを引っ張り出し
なんとか隠して出勤した。
カオルの服装も似たようなハイネックを着て暑そうな顔をしていた。
お互い目が合いその服装にちょっと笑った。
その笑った顔を見て、背中越しにいる望月さんに見えないように口だけを動かし、
(昨日よかった?)と何食わぬ顔でいうカオルが小憎らしかった。
呆れた顔をして目線をそらしたあたしを見てニヤニヤと笑いながら仕事をした。
話が終わり、健吾が二人のデスクの隣に置いた、新しいデスクに
腰を降ろし、やっと緊張が取れた表情で話かけてきた。
「そんじゃ、後はまゆと仕事割り振りすれってさ。
書類は全部やってくれんだろ?俺は動き専門で〜」
「甘い! きっちり分担させてもらいますからね。
じゃぁ・・・健吾の担当は・・・」
書類をパラパラとめくり割り振りをするあたしを見て口を尖らせていた。
その作業を見ながら、隣のカオルに(今日飲みにいく?ダーリン)と
冗談を言って笑っていた。
「部屋・・いつ決めるんだよ?」健吾にカオルが聞いた。
「ん?そうだな〜 でもほら、家電とか全部揃ってるし
別にいいじゃん。ゆっくりで〜」
そう言って健吾はあまり急いで部屋を決める気が無いような
ことをカオルに言った。
そんな健吾を見て
(そのほうが・・・・彼女が部屋に来ること無いからいいな・・・)
そんなことをポツリと考えた。
「俺だって都合とかあるじゃん。気使って外出もできねーだろ?
早く部屋決めろよ。日曜付き合ってやるから〜」
「いいよ?好きなとこ出かけても。なに?どこ行くの」
健吾の言葉にカオルはハッキリと言わず、
「いや・・・いろいろと・・・」そう言ってまた仕事を始めた。
昨日の話が本気なら・・・彼女に別れると言うのかも・・・
そうして欲しいような、でも、もしかしたら別れないのでは?
そんな不安な気持ちにもなった。
その(いろいろ)の中にちゃんと自分は入っているのだろうか。
そんなことを思いながらも、また苦しい気持ちになっていた。
「なにボ〜としてんの?」健吾の声で我に返り
「あ・・ごめん。えーと・・・じゃあココと・・・あとコッチと・・・」
慌てて健吾に説明をした。
「お前等その服ってこっちで流行ってるの?すげぇ暑そうだけど」
二人の時期はずれなハイネックに冷ややかな視線で健吾が言った。
「え?・・・・ほら、、あたし昨日風邪で具合悪くなったから、、
ちょっと厚着しようかなって・・・」
「俺も、エアコンで喉痛くてさ!その、、予防に」
同時に言う二人に
「俺、聖徳太子じゃあるまいし、同時にわかんねって。
まぁ、いいけどさ。で、、、どこだって?」
自分から話題を振ってきたくせに、サラリと無視して
仕事のことを言う健吾に、(聞けよ!)と思いながらも
そのまま仕事に話を戻した。
健吾が来てくれたおかげで仕事は驚くくらいスムーズに進んだ。
いつもはあんな感じだけど仕事となるとやはり真面目でセンスが良かった。
その日から定時とはいかないが、ほぼ時間は7時を過ぎること
無く仕事は片付いた。
健吾とカオルはなんだかんだと文句を言いながらも、毎日楽しく
二人で暮らしているようだった。
あの日以来、昔のように朝と夜にカオルからメールが来るようになった。
そして、自然とそれを心待ちにしている自分もいた。
夜にいつまでも返信をして、まるで子供のようにウキウキしている自分がいた。
<そろそろ健吾に怪しまれてる。また明日な>
その文字に<また>と書いてあることにすら嬉しくなっていた。
そして寝るときに決まって、名前しか知らないカオルの彼女を思い浮かべた。
ただ漠然とだが、(連絡来なくて待ってるのかな・・・)とか
(もうカオルのことなんか忘れちゃって他に誰かいたりして・・)とか・・・
勝手に考えては、最後には(でもカオルはあたしと同じようにメールしてるかも)
そう思い不安になった。
昔であればもっとズケズケ言えたのに、今の自分の立場からしては
絶対言ってはいけないような気がした。
(う〜ん。愛人って感じだ・・・)なったこともないのに、そんなことを考えていた。
翌日も定時には仕事を終え、健吾とカオルと3人で会社を出た。
「お前等、俺の歓迎会とかしてくんないの?」
「普通・・・それって自分から言わないよね?」とカオルと笑っていた。
「んじゃ、行くか?」と適当な所で3人で食事をした。
「まゆ、休みとかなにやってんのよ?」どーせ暇なんだろ?と言う感じで健吾に
聞かれ、「別に?普通に家にいるけど・・・」と答えた。
「ふーん。そうなんだ。カオルと遊んだりしないの?」二人を見て言われ、
同時に驚き首をブルブル振った。
「そうなんだ?別に遊べばいいじゃん。家も近いんだし」
「まぁ、、な。うん。今度そうする」
「う、、うん。今度ね。今度」とお互い動揺しながら答えていた。
「なんでそんなに驚くの?」不思議そうな顔をされ、
「驚いてないよ。別に〜」と誤魔化した。まだ健吾にはちょっと言えないと感じた。
「そういや、部長今週くるな。俺にも「飲みに行くか?」って言ってたけど、
さすがに遠慮するわ。まゆ連絡きたら断っておいて」
「へ?そうなんだ・・・・ けど平日でしょ?」
「うん。もう来てるかな?なんにも言って来ないのか?」
「えーと・・・」どことなく視線を感じた・・・
フッと横を見るとカオルの視線を感じ、その視線が妙に痛かった。
「忙しいとかじゃないの?」そう誤魔化してしらんぷりをした。
「俺、ちょっとタバコ買ってくる・・・」不機嫌そうな顔をしてカオルが席を立ち、
(かー!本当にコイツ!)と健吾を睨んだ。
「ん?なに」
「カオルの前で直樹のこと言わないでよ!」
「う〜ん・・・まゆさ。カオルと、、その、、最近二人で会った?」
いきなりそんなことを言われて驚き、「会ってないけど?」と嘘をついた。
「そっか・・」それだけ言って健吾は普通の顔をしてビールを飲んだ。
「なんでそんなこと言うの?」
「ん?いやぁ・・・ 見間違いかもしれないから。いいや」
「なにが?」
そう言うと小声で耳元に口を寄せ、
「カオルさ、、首にキスマークみたいのあったんだよな。チラッとしか見えなかったから
本当かわかんないけど・・・寝るまで首にタオル巻いてあいつアホだぞ」
「か、、彼女じゃないの?どうしてあたしなのよ!」
「ん?そうなのかなぁ〜?」
「それ以外無いでしょ、自分じゃ無理だし・・」
「いや、そうだけどさ。だってお前にもあったから」
「えぇぇぇー!無いから!痣だよ」
子供の嘘より下手かもしれない。
けど、取りあえずそう言って誤魔化してみた。
「お前、痣なんかあったっけ?」
「あ、、あるよ!どこのことか知らないけど」
「いや、そこ・・・の。あ、、、それ、お揃いじゃないの?」
「えぇぇぇー!次は何?」いきなりチョーカーを見られ慌てて健吾の顔を見た。
ちょうどそこにカオルが戻り、タバコの封を開けていると
いきなりネクタイを揺るめ、Yシャツのボタンを外しチョーカーを見た。
「な、、なに!なんだよ」驚いてタバコを反対に銜えカオルが健吾を見ていた。
「ふ〜〜〜ん・・・お前等・・・ 戻ったの?」
ニヤニヤしながら言われ、オドオドとしながらも
「戻ってない!」
「戻ってないもん!」と同時に言って顔を見合わせ「うん!」と頷いた。
「ふ〜ん。まぁいいけど。お互いいるもんねぇ〜」
ニヤッと笑い何も無かったかのようにビールを飲んでいた。
健吾に言ったほうがいいのかな・・・
そう思いながらも、頭の中で「お前、とったのかよ」と言われるんじゃないかと
思うと何も言えなかった。
カオルをチラッと見ると、目が合ったが黙っていた。
「あ、明日の打ち合わせさ・・・」
急に仕事のことを振られ
そのまま、その話しはウヤムヤになった。
助かったのか、そうじゃないのか分からなかった。
帰りにうちの家の前を通り、「じゃ、また明日ねー」と手を振り急いで中に入った。
なんとなく健吾がこれからカオルを責めるんじゃないかと思った。
(カオル・・・健吾になんて言うのかなぁ・・・)
そう思いながら部屋でボ〜としていた。
そろそろ寝ようかという時間に携帯にメールが入り、それを見ると
<健吾が何も言わないのが逆に気持ち悪いんだけど・・・>と書いていた。
<それは気持ち悪いね。けどしらんぷりのほうがいいんじゃない?>
と返信しておいた。
<そうだな。じゃ、また明日>
そのメールを見ながら、いまさら健吾にまで嘘をつかなきゃならない
関係だと思うと情けなくなってきた。
このことを知ったら、健吾はなんて言うんだろう・・・
健吾も知っている人なのに、「お前等最低だな」と言われそうだと感じた。
昔からそんなところにはうるさい所があったから。
翌日、健吾は別に普通だった。
(本当にこいつ・・・よくわかんないよなぁ・・・)
そう思ったが、何も言われないのをいいことに黙っていた。
その日の昼、倉庫でカオルと二人きりになる時間があった。
「あのさ、健吾が家決めたら、ゆっくり遊びに行くから。
ちょっと・・・・一人にするのもなんだし、それにまゆのとこ行くって
言いづらいしさ、、別に隠す訳じゃないんだけど、、、
その、、まゆの彼氏がハッキリしてからのほうがいいかなって・・・」
「あたしより、、、カオルの彼女のほうが、、アレじゃない?
健吾も知ってる人なんでしょ?」
「え、、いや、、、その、、うん」
アレってなんだよ・・・・自分で言っていて思った。
お互いモヤモヤとハッキリしない言い方をした。
カオルって・・・・浮気とかできる人なんだな・・・
もしかしてあたしと付き合っていた時も、コッソリこんなことしていたのかな・・
そんなことを思いながら、仕事をするカオルを見ていた。
その次の日。
仕事を終え、家で書類のチェックをしているとインターホンが鳴った。
(なんだよ・・・もう11時なのに・・・)
受話器をあげるとそこにはカオルがいた。
「どうしたの?」
「あ、コンビニ行くって出てきたんだけど・・・」
「その帰り?」
「いや、、、遊びにきた・・・」
そう言われ、健吾にコソコソしながらも会いに来てくれたのが嬉しかった。
部屋に入り、机の上の書類を見て、
「そんなに仕事好きなんだ・・・ 帰ってからやらなくてもいいじゃん」と
呆れて顔をしていた。
「うん。けど、暇だしねぇ。今やっておけば少しは楽かなってさ」
トントンッと書類を集めて簡単に片付け、冷蔵庫からビールを出してカオルに渡した。
「ビール・・・って。彼氏来たの?」
「え?来てないけど。カオルが飲むかなって買っておいたの」
テーブルの上を綺麗にして、フッと顔を見ると変な表情をしていた。
「なに?どうしたの」
「いや・・・別に」
「なぁに?なんか言いたそうな顔してるじゃない〜 言ってよ」
「もう彼氏に、、言ったの?」
(おっと・・・そっちかよ)
「あ〜。うん・・けどもう言わなくても、、、こっち来てから仕事のこと以外では
電話もしないし、、、その自然消滅になりそう、、かも?」
白々しい嘘だなと自分で思った。
「それじゃダメだろ。ハッキリ別れないと、あっちも忙しい人なんだろ?
たまにこっちに来た時にまゆの家に来ることだってあるかもしれないし。
その、、もし、そんな話しするならできれば、、電話のほうがいいけど」
「うん・・・そうだね」
そう答えたが、自分の中ではカオルに「彼女と別れた」といわれたら、
適当な嘘をついて「こっちも大丈夫」とか言えばいいかな・・・
そんな程度に考えていた。
ちょっとシーンとした空気の中、側にあった紙に適当に落書きをしていた。
なんとなく視線を感じて、自分の手元を見ると
<N・MUKAIDA>とキッチリと直樹のネームが入った万年筆が
素敵なくらいカオルのほうから見える状態だった。
慌ててそれを隠した・・・・が。
「それ見せて」と言われ「やだ・・・」と後ろに隠した。
ジロッと睨む視線に、「もぅ・・・使わない・・」とテーブルの下の書類と一緒にしまった。
「もう使わないとかじゃなくてさ・・・ どうなのよ、、本当のとこは」
「え・・・ あのさ。カオルのほうはどうなの?こっちのことばっかり言うけど」
「俺ぇ?俺は、、その、、、大丈夫だよ。いつものことだし」
「いつもって?」
「相変わらずマメじゃないし。そんなもん」
なんとなく目をそらして言った。
「カオルってさ、、、彼女いるのに、あんなことできるんだね」
「あんな、、、って。お前だってそうだろ」
「あたしと付き合ってた時もしたことある?」
「無いよ!ある訳ないだろ!」
「ふ〜ん・・・・」
今、そんなことを言える立場じゃないのに、直樹のことを詰め寄られて
つい口から出てしまった。
「ふ〜んてなに。じゃあ言わせてもらうけどな。俺はお前が向田って人と一緒にいる時、
お前のことずっと想ってたんだぞ?留守電聞いて、仲直りできると思って
毎日電話してたんだぞ。なのに、お前なにしてた?」
カオル独特の静かな口調で淡々と言われた・・・・
「本当に根に持つ人なんだね・・・・」
「当たり前だろ。結局嘘ついた俺が悪いけど、簡単にコロリとあっちに流れて
本当は俺、健吾から聞いてあんなに怒ったこと無かったんだぞ」
目がまた怒っていた・・・
そりゃ怒ることだろうなと思ったけれど、ここで(先に嘘ついたの誰?)とか言うと
もっと話しが大きくなると思い、黙っていた。
「まゆ、、、いつ言う気?」
「近いうちに・・・ カオルは?」
「じゃあ俺もそのくらいに」
なんて怪しい相談なんだろう。
ペットボトルを持ち、カオルの隣に座りまだ少し怒っている顔を見ていた。
そのまま黙って浅く座るカオルの背中に顔をつけた。
その温かさにやっぱり安心した。
勝手に離れて、また勝手に戻ってきたあたしのことを受け入れようと
してくれているカオルに、どう謝ればいいんだろう・・・
「まゆ・・・・」
「ん?」
そのまま背中に頬をつけてカオルの声を聞いていた。
「悪いけど、今日はする時間無いわ・・・」
その声に「しないよ!」と背中を叩き、せっかく謝りの言葉を考えて
浸っていた気分がスッカリ冷めた・・・
「いや、、、したくて甘えてるのかと・・そりゃ俺もしたいけど、さすがに時間が・・・」
「そんなことばっかりだね・・・・あんた・・・」
呆れて顔を見て笑った。
「全部済んだら・・・その時は一緒に住んでくれる?」
その問いに頷けばきっとカオルは一緒にいてくれるだろう。
人のモノを取る人は必ず取られる・・・そんなカルマを思い出した。
次は自分がそんな目に会うのかもしれない・・・
その時、あたしは今よりも、もっと辛いのかもしれない。
何も言わずに黙ってカオルに抱きついた。
軽く頭を撫でながら、「ちゃんと戻ってこいよ・・・」
少しだけ笑いながら言うカオルの優しい声を耳元で聞き、その言葉に涙が出た。
そのまま小さく頷き、泣き顔を見せないように肩に顔を乗せた。
やっぱり恨まれても、どんなカルマを背負ってもカオルの側にいたいと感じた・・・・




