大人の別れ方
0時を過ぎた頃、疲れた顔をして直樹が家に戻ってきた。
いつものように夜食を用意し、スーツの上着を受け取りながら、昼間の健吾の話を
どう切り出そうかとチャンスを狙っていた。
「やっぱり家にまゆが居てくれると嬉しいよ。明かりのある部屋に帰るのっていいな」
冷蔵庫からビールを取り出し、一口飲みながらテーブルにつき夜食を食べ
「美味い!」とニッコリ微笑んでいた。
「あ、、、うん。あのさ、、、直樹、、、今日の、、、」
「いつもこうして、まゆのいる家に帰ってきたいな」
あたしの言葉を被せて直樹が話しをした。
まるで、健吾の話をしないように邪魔をしているように。
「あ、、うん」
「まゆ。引越してこないか。そうしてくれたら、俺、今よりは残業減らすよ。一緒にいる時間、
できるだけ増やすように頑張るから」
「いや、、、その前にあたしまだ返事してないし」
「なんの返事?」
「えー!直樹と別れるかどうかって・・・話」
「あぁ。あれね。もういいじゃない」
「なにがいいの?」
「きっと俺達、前より上手くやっていけるよ。俺もまゆを一人にしないように気をつけるし。
それに、まゆさえ良ければ商品課に残れるように上ともう一度話してもいいよ」
「ちょ、、そんなことじゃなくて。商品課がどーのじゃなくて。あたし5月には東京に
行くよ?だって祐子さんと約束したもの」
あたしの言葉はまるで聞かなかったように直樹は箸を動かしながらパクパクと夜食を口に運び、視線はその先にあるTVに向いていた。
「今日、、、健吾と何を話したの?」
「ん?まぁ、、、たいした話じゃないよ」
「教えてくれないの?」
「聞いても面白く無いこと〜」
いつものあたしなら、、きっとここで「分かった・・・」と直樹に気を使って黙る所だけれど、
さすがに今日はそんなこと言ってられない。
「面白くなくても教えて欲しい。健吾に聞いても教えてくれないんだもの。直樹から聞けって。
だからあたし今日ここで待ってたの」
「マツから「まゆと別れてやって欲しい」って言われた。でも俺は断った。ただそれだけ」
それだけ言って直樹は二本目のビールの缶を開け、グッ・・・と一口飲んだ。
「直樹さ、、、あたしが東京行くのやっぱり反対なんだね。商品課の話まで出すなんて」
「そりゃね。まゆには側にいて欲しいもの。もしも仕事が今のままで、こっちにいるって
言うなら、掛け合うことだって可能だよ。まゆ次第でどうでもなるよ」
「もう決まったって言ったじゃない・・・」
「だから掛け合うよ。なんとかなると思うし」
この前はもう決まったと言っていたのに。掛け合うなんて言ってくれなかったのに・・・
「でも、、いまさら祐子さんに断るの悪いから、、、仕事は今のままでいいよ。
上に掛け合ってくれなくていいから」
「別にまだあっちの仕事が始まった訳じゃないだろ。取り合えず、今のまゆのポジションは
確保しておいて問題無いんじゃない?明日にでも部長に言っておくよ。
後さ、引越し来週くらいにどう?来週なら俺も時間あるし」
「だから、、、いいってば。それに今、引越ししても二度手間だもの・・・」
「大丈夫だよ。俺、来週は連休取るよ。それまでに、、、」
「直樹・・・」
あたしの話なんか聞く気が無い直樹の話を割り込んで止めた。
「やっぱり、、、あたし、、、このままじゃまた流されちゃう。直樹、全部自分の
都合ばっかりじゃない・・・」
「俺の何が不満?」
「何って・・・」
「一緒にいなかった事?それならこれから気をつけるって言ってるだろ。仕事のことだって
まゆが今の所にいたいなら、そうしてあげるよ。わざわざ遠くに行くこと無いんじゃない?」
「結局、、、全部反対なんだね・・・」
「反対っていうか、、そのほうがまゆの為だよ。俺はまゆが一番良い状態にいられるように
したいんだ。ここに住めばずっと一緒にいられる。できるだけ早く帰るように頑張るし、
仕事だって好きなだけしていいよ。一番良いことだろ?」
「直樹は、、、結局自分のことしか考えていないんだよ。あたしのことなんか考えてない。
自分から離れるのが面白く無いんでしょ。言うこと聞かないのが嫌なんでしょ」
「まゆが思うほど世間は優しく無いよ。ここにいれば俺が守ってあげるよ」
「やっぱり、、、あたし無理みたい。直樹が思うような生活できない」
ため息をつき、あたしの顔を見て困った子だ・・・という顔をした。
「まゆ。俺の側にいな。きっとあっちに行けば後悔する時が必ずある。
辛い思いすること無いよ。離れたら、本当に俺達終わりになるかもしれないよ?」
(自分で決めろ!)
健吾の言葉が頭に浮かんだ。
「うん。分かってる。それでも行きたいの。直樹がいなくなっても行く」
しばらく黙って顔を見た後に、直樹はフゥ・・・とため息を吐き、
隣に来てキュッ・・・と軽く抱きしめた。
「もう・・・こうしてもドキドキしない?」
直樹の胸に顔をつけたまま、その言葉を聞いていた。
そして、、、言われたようにドキドキしない自分を感じた。
いつの間に、こんな気持ちになってしまったんだろう。
いまひとつキチンと断れないのはきっと自分の自信の無さで、直樹と一緒にいたいと
いう気持ちはとっくの昔に消えていたのかも・・・
「ごめんなさい。もう、、、前みたいに、、、」
クィ・・と顔を上に向け、少し強引に唇が重なった。
けれど、やっぱり前のように胸が締め付けられるような、あのドキドキ感は消えていた。
ただ無言で受けるキスがこんなに寂しいモノだったなんて・・
ユックリと唇が離れ、覗き込む直樹の顔が淋しそうだった。
「もっと早くに、、、まゆの気持ちに気がつくべきだったな・・・俺」
無表情で直樹を見つめたまま少しだけ体を離し小さく(ううん・・・)と首を振った。
「でも、あっちに行ってどうしても辛くなったら、その時は俺の所に帰ってきてもいいから。
きっと辛いと感じることもあるだろうし、嫌になる時もあるはずだから。
そんな時、いつまでも無理しないで戻っておいで」
「ううん・・・。もう嫌なことから簡単に逃げない。あたし、、いつもそうだったから。
どんなに辛くても頑張ってみる。力が足りないのは分かっているけど、
それでも頑張ってみる」
「ん・・・。やれるだけやってみたらいいよ。そこそこ出来るだろうから」
フフフ・・・と笑い、ポンと頭に手をやりクシャと撫でた。
あたしは、、この優しい手にいつも甘えていた。
何度もこの手に助けられてきた。
「直樹、、、ありがとう」
「本当は行かせたくないけれど、まゆの気持ちが変わらないみたいだし、
仕方無いな。まぁ・・・マツの話聞いたらもっと行かせたく無くなったけど」
「健吾がなんて?」
「ん?いや、、、何も無い所から1から始めるのって大変だなと思ってさ。
きっと、、、まゆは戻ってこないだろうけど」
(・・・?)
「俺があっちに出張の時は、できるだけ顔を見せること。後、こっちに戻ってきたら
キチンと連絡をしてくること。それが守れるなら、別れてあげる」
「それって・・・ちょっと変じゃない?」
「どうして?」
「普通、、別れたら会わないでしょ・・・」
「だって嫌いになって別れる訳じゃないもの。それに限りなく低い可能性だとしても、
まゆが戻ってくるかもしれないしれないだろ?
それまで悪い虫がつかないようにチェックしないと」
「なにそれ・・・」
心配してくれているんだなと感じた。
たぶん直樹くらいのベテランからすれば、今のあたしができる仕事の結果なんか
大体予想はつくのだろう。
相手の意見を無視してまで別れると言う女に、ここまで優しくできる直樹が
やっぱり同年代とは違う大人の男だなと思った。
普通ならば怒って「勝手にすればいい」と最悪な終わり方になるのに。
「あっちに行っても俺のこと散々引きずってね」
笑顔で言う直樹に思わず笑ってしまった。
「もぅ・・・なにそれ」
「前の彼氏くらい引きずって寂しい顔してね。あの顔、、結構きついから」
「え?」
「まゆ、、最初の頃、ずっとそんな顔してたろ。あの顔見る度に俺は間違ったことを
したのかなって思ってた。遠くにいる恋人の存在なんかって否定していたけど、
案外離れていても、気持ちって変わらないのかなって思うことあったよ」
あたし、、、そんな顔していたんだ。
いつまでも心のどこかに消えないカオルの存在を直樹は気がついていた。
「俺からのプレゼントは簡単にゴミ袋に入っちゃうけど、彼の物は大事にしているみたいだし」
「えーっ!なんで知ってるの!!」
「ダンボールに「絶対開けるな!」なんて書いてあったら、気になるでしょ。
ちょっと、、、ショックだったな。写真のまゆ、、最高に良い顔してたし」
「直樹・・・。ごめんね。でも、直樹がいてくれて、本当にあたし、、助かったの。
それは嘘じゃない」
「ん・・・。分かってるよ。
きっと、、、まゆが俺の所に戻ってくることがあったら、その時は今と違ってもっと
上手くやっていけるって思ってる。だから、微かな望みで待ってるよ」
「いや、、、それは、、、」
「やっぱり俺が一番だって感じたら、その時は戻っておいで。
逃げるとか恥ずかしいとかそんなこと考えないで、俺の側にいたいと思ったのなら
それが本物だと思うから。
でも、俺だってまゆだけに執着しないぞ?チャンスは逃さないからね。
だから、あまり重く考えるな。俺だってモテるんだから〜」
「ありがとう・・・」
「こんな良い男、振ってまで行くんだから頑張ってこい!」
自分で「良い男」という所が直樹らしいけれど・・・
それでも「頑張ってこい!」という言葉に元気がでた。
自分の家に戻り放りっぱなしのダンボール達を整理し始めた。
どこかにまだ直樹と元に戻ったら・・・そんなことを考えて本気で準備をしていない
所があったけれど、もう迷いは無い。
強がって少しだけ困らせてやる・・・とかそんな気持ちが確かにあった。
あんなにアッサリとさよならも言わないで、サクサクと話が進んだことにも
どこかに納得いかない気持ちがあった。
けれど、最後に見せてくれた直樹の「別れない」という態度が本当は嬉しかった。
これで何も問題が無く、話し合うことも無いまま東京に行けば、
きっとあたしは直樹との2年間を後悔したかもしれない。
何かある度に直樹のせいにして、責任を押し付けたかもしれない。
でも、もうそんな気持ちは消えた。
応援してくれた直樹に感謝の気持ちでいっぱいだった。
「やっぱり、、、直樹を好きになってよかったな」
貰った物達は、姉にあげることにした。
二人で一番最初に撮ったプリクラをこっそりと手帳に貼り微笑んだ。
あまり良い思い出を残してあげられなかったかもしれないけれど・・・
プリクラの中の二人の写真は、緊張してガチガチの引きつり笑顔のあたしと、
あたしが大好きだった笑顔をした直樹がピースをしていた。




