第25章:さくらさくら
【SIDE:望月那奈】
私が道明と結婚の約束をしたのは私がこの町を去る間際の事だった。
桜が舞う季節、小学校を卒業したばかりの3月後半。
私が中学に上がる頃に急に転校の話が出てきた。
親の仕事の都合で九州に行くことになってしまう。
私はその頃から既に道明の事が好きだったの。
3歳年下の従弟、道明は可愛い弟のような存在だった。
別れる事がすごく寂しくて、悲しくて。
私もまだ小学校を卒業したばかりで、恋愛も憧れるだけだった。
だから、道明と付き合うとかそんな事を考えてたわけじゃない。
でも、大事な男の子と離れたくない気持ちはあったの。
その日は引っ越しの準備も終わり、私は道明の家に遊びに来ていた。
叔母さん達と楽しく会話をしていたら咲良ちゃんがやってくる。
「お姉ちゃん。お兄ちゃんがね、桜を一緒に見に行こうって」
「道明君が?」
「うん。あっ、お兄ちゃんのお気に入りの場所知ってる?桜の公園の展望台のところ」
何度か道明と一緒に行った事がある。
桜が綺麗な公園の展望台。
あの場所で見る桜は本当に綺麗で私も好きだった。
「えぇ、知ってるわ。あの場所に道明君はいるの?」
「那奈お姉ちゃんを待っているって」
道明からのお誘いに私は嬉しくなる。
数日前に私がいなくなるって話をしてショックな様子だった。
その道明との思い出がひとつでも多く欲しかったから。
「私は友達と遊びに行ってくるね」
「いってらっしゃい」
咲良ちゃんを見送ると私も出かける準備をすることにした。
とても綺麗な桜が咲いていた。
道明は桜の木の下で私を待ってくれていた。
お気に入りの帽子をかぶり、道明はこっちに気付くと軽く手を挙げる。
「……那奈姉ちゃん」
「どうしたの、道明君?」
いつもと比べて低い声、道明は風邪気味だったのを思い出す。
彼は季節の変わり目で数日前から風邪をひいていた。
「まだ風邪は治らないの?」
「……うん」
「早く良くなると良いわね」
しばらくふたりで一緒に桜を見ていた。
やがて、道明の方からあの約束を口にしたの。
「あのね、那奈姉ちゃん。もういなくなっちゃうんだよね?」
「そうよ。お父さんの仕事が転勤になるの。嫌だけど、私も一緒についていかなくちゃいけなくなる。道明君とも別れなくちゃいけないの」
「……寂しいなぁ。ずっと、那奈姉ちゃんと一緒にいたいのに」
ずっと一緒にいられると私も思っていた。
それがこんな形で離れてしまうなんて……。
「でも、これでずっとお別れってわけじゃないから。また会いに来るわ」
「ホントに?」
「本当よ。きっと、私だって道明君に会いたくなるもの」
私はいつものようにお姉さんらしく、年上っぽく振る舞う。
でも、道明は私の思いもよらない約束をしてきたの。
「……だったら、那奈姉ちゃん。大人になったら俺と結婚してくれる?」
「え?あ、え?」
子供の約束、そう言ってしまえばそれまでのよくある約束。
子供ゆえに、純粋な思いに私はドキッとしてしまう。
「俺は姉ちゃんのこと、好きだから……」
「み、道明君……本気なの?」
桜の花が私たちの間にひらひらと舞う。
「だからね、約束しよ?那奈姉ちゃんが帰ってきてくれたら……」
道明は純真な笑顔を見せて言った。
「俺と結婚してね、那奈姉ちゃん」
その一言から私の心は彼に奪われた。
淡い初恋だった気持ちが本気に変わる瞬間。
それからは私の方が結婚という気持ちを強く抱いた。
まさか、その約束をした道明がすっかりと約束を忘れちゃうなんて思わなかったけどね。
その数年後、私はこの町に戻ってきた。
懐かしい昔を思い出しながら私は道明とお花見をする。
「……那奈姉と咲良がまさか俺をめぐって争っていたとは」
「道明、にやけすぎ。シスコンはダメなのよ?」
「分かってるけどさぁ。咲良がブラコン宣言なんて思ってもいなかったからな」
妹の咲良ちゃんに好かれて浮かれ気味な道明。
ホント、何だか複雑な気持ちになる。
「むぅ……」
「ごめんなさい」
私が不満そうに睨みつけると彼は苦笑いを浮かべる。
「あはは……」
私達は展望台まで来るとゆっくりとベンチに腰を下ろす。
ここから眺める景色は私も道明も気にいっている。
「懐かしいわね。小さい頃はここによく来たもの」
「そうだね。おー、桜も満開で良い時にこれたよね」
ピンク色の絨毯、散った桜の花びらが地面に広がる。
風に乗って散る桜はとても美しい。
「……あの時も、こんな風に綺麗な桜吹雪だったわよね?」
「あの時ってどの時?」
「道明が私にプロポーズをしてくれた時よ」
この2週間、私はこの話題を避けてきた。
道明は私との結婚の約束なんて忘れてしまっていたから。
それがすごくショックで、裏切られた気持ちみたいに思いたくなくて。
ようするに不安だったの。
私がこんなに思いを強くしているのに、道明にはその気がなかった。
「うぐっ……やっぱり、覚えてないなぁ」
「道明。本当に覚えてないの?ここで貴方は私に結婚してって言ってくれたの」
「う、うーん。あのさぁ、それって那奈姉がここから出ていく寸前の話なんだよね?」
「そうよ。私が転校する直前の春のことよ」
いくら子供同士の約束でも覚えてないはずがない。
私は不安を抱えたまま、彼を問い詰めてみる。
「俺ってホントに約束したのかな?」
「……道明、お姉ちゃんは悲しいわ。挙句の果てになかったことにしようなんて」
「い、いや、違うんだってば。母さんにも聞いたんだけど、俺ってその当時、風邪をひいて寝込んでたらしいんだよね」
そう言えば、あの時の道明も風邪をひいて辛そうにも見えた気がする。
「結局、那奈姉の見送りの当日まで布団の中で、別れの際も駅まで見送れなかったくらいだったんだってさ」
「……はい?そんなはずはないわ。前日にはちゃんと私とお花見したもの」
「それが問題なんだよ。俺の仮定を言ってもいい?」
道明はなんとも言い辛そうに伏せ目がちに言う。
「その婚約の話って那奈姉の夢だったんじゃない?少なくとも、母さんの話を聞く限り、俺は身動きできなかったわけだし」
「私の夢?妄想?……そ、そんなわけ……ないじゃない」
人の記憶なんてあやふやな物で、思いこみってこともある。
あれは私の作りだした、都合のいい夢だってことなの?
「ほ、ほら、夢って現実の影響をもろに受けたりするじゃん?ゲームやアニメの世界が夢に乱入ってのもよくあるし」
「満開の桜、風邪気味の道明、結婚の約束……あれは全部が私の夢?」
もしも、それが真実だとしたら……?
「うぅっ……う、嘘よ……そんなことない、はず……」
彼の話と違い、私の方には証拠がない。
道明の言う事が正しい可能性が高い。
私ってば自分勝手な思い込みで何やってるの~っ!?
ど、どうしよう……親戚中に既に私と道明の関係は認めさせちゃってるのに!?
「あ、あっ……ぐすっ……」
私はショックでぐったりとうなだれる。
大事な子供の約束、それは私の勝手な記憶違いだった。
「な、那奈姉?あ、えっと、その……もしかしたら、フラフラ~って風邪で意識がない俺が那奈姉を誘って約束したのかもよ?熱のせいで記憶がない、とか」
「違うわ。私も思いだしたの。あの約束の後、道明はいきなり消えちゃったのよ。私はこの公園を探してもどこにもいなくて、家に帰ると道明は布団で寝ていたの。あの時は、道明が風邪で調子をまた崩しちゃったんだと思っていたけど違うのね」
そもそも、道明は家から出ずに、ずっと寝ていたの。
勝手な夢を見て、約束したと思い込んでいたのは私の方だった。
「あははっ。なんだ、全部……私の夢で、道明と何の約束もなかったんだ」
彼を好きだった私が去り際に都合のいい妄想をしていただけ。
道明が覚えていないのも当然だ。
だって、全部……私の思い込みだったのだから。。
「ごめんね、道明……私、勝手に思い込んでみたい。こんなの怒るよね、呆れるよね」
どうしよう、こんなことが真実だったなんて……道明に嫌われちゃう。
落ち込む私の髪に桜の花びらがひっつく。
「……那奈姉、落ち込まないでよ。思い込みって仕方ないことだと思うし。それに……それが那奈姉の願望なら嬉しい」
その花びらを道明はそっと指で払うと私に笑顔で言うんだ。
「――ここから始めない?俺たちの関係、ここから変えていかない?」




