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第七十七話:再会の掃除屋

 聖都の月は、まるで何かを隠すかのように、厚い雲に覆われていた。


 その、あまりにも清浄な闇の中を、五つの影が、音もなく疾駆していた。


 月明かりを避けるように、館の屋根から屋根へと飛び移り、彼らが目指すのは、ただ一点。


ルミナリア大聖堂の裏手に、忘れられたように佇む、古びた礼拝堂。


 やがて、目的地を目前にした建物の屋根に、五人は、寸分の音も立てずに降り立った。


 眼下の礼拝堂は、聖都の他の建物とは明らかに異質な、冷たく、そして、よどんだ空気を纏っていた。


まるで、この場所だけが、聖都の光から見放されているかのようだった。


「…行くぞ」

 ファムの低い声を合図に、一行は地上へと降り立つ。


 闇滅隊のナシル、ハヤテ、シズマ、そしてリリアナ。


それぞれの専門家が、それぞれの役割を果たすべく、無言のまま、礼拝堂の扉へと向かった。


 礼拝堂の扉は、古びて、ところどころが腐りかけている。 


 ファムが、その錠前に、愛用のピックを差し込んだ。

「……古いが、ただの錆びた錠前だ。これなら時間はかからねえ。……だが、妙だ。あまりにも、無防備すぎる」

 スラムの勘が、この単純すぎる状況に、警鐘を鳴らしていた。


「待って」

 リリアナが、杖の先を、そっと扉にかざす。


「……おかしいですわ。これほど不思議な気配がする場所なのに、扉そのものには、何の魔術的な防御も施されていません。まるで、ここには何もないと、見せかけているかのように……」


「ナシル」

 ファムが、短く促す。 


砂漠の民、ナシルは、静かに頷くと、懐から『真実の鏡』の欠片を取り出し、扉にかざした。


磨き上げられた鏡の面が、ぼんやりと、周囲の光を反射する。


 だが、その鏡面に映し出された光景は、彼らが肉眼で見ているものとは、異なっていた。


 鏡の中では、古びた木の扉の、そのすぐ隣の、何もないはずの壁が、まるで陽炎のように揺らめき、その奥に、黒曜石で作られた、ルーン文字が刻まれた、もう一つの『扉』の姿が、うっすらと浮かび上がっていた。


「……これか」

ナシルが、低い声で呟いた。


「本物の扉は、強力な認識阻害の結界で隠されている。俺の鏡がなければ、見つけることすら不可能だった」


「ただの幻術ではありませんわ」


リリアナが、そのルーン文字を解析し、戦慄に声を震わせた。


「この扉に刻まれているルーン文字は『魂』を変換する、古代の呪詛術式……! 迂闊に触れれば、魂ごと、喰われます!」


「……とんでもねえ罠だ。つまり、この礼拝堂は、ただの囮。本物の入り口は、最初から、死ぬ気で来ないと、開けられねえってことか」

 ファムの言葉に、一行は息を呑んだ。


「わたくしが、この術式を、一時的に欺きます」

リリアナは、覚悟を決めた。


「わたくしの魔力で、擬似的な『魂の鍵』を作り出し、結界に流し込む。その隙に、ファム、扉を」


「へっ、お嬢様にしては、言うじゃねえか。任せな」


 リリアナが、全神経を集中させ、杖の先に、複雑な光の術式を編み上げていく。


それは、彼女の魔力を、極限まで消耗させる、危険な賭けだった。


ヤシマの剣士たちが、彼女を護るように、周囲の警戒を固める。


 やがて、リリアナが作り出した光の鍵が、黒曜石の扉に触れた瞬間。


 扉のルーン文字が、一斉に、おぞましい光を放った。 


 その、ほんの一瞬、結界の機能が、偽りの鍵へと集中する。


 その隙を、ファムは見逃さなかった。


彼女の指先が、黒曜石の扉の、目に見えない継ぎ目に、神業のような速さで、特殊な器具を滑り込ませる。


 ギシリ、と、空気が軋むような音を立てて、真実の扉が、その重い口を開いた。


 その先は、完全な闇。


そして、魂が凍てつくような、怪し気な気配だけが、渦巻いていた。


 一行は、覚悟を決め、その闇の中へと、足を踏み入れた。


 階段を、一歩、また一歩と、下へ進むにつれて、その気配は、物理的な圧力となって、五人にのしかかってきた。


 階段の踊り場。


その中央に、二つの人影が、彼らを待ち構えていたかのように、静かに立っていた。


「……あらら。また会ったニャ、ロムグールのネズミさんたち」

 一人は、獣のような耳と尾を持つ、俊敏そうな男。


その口元には、獲物を見つけたかのような、獰猛な笑みが浮かんでいる。


「…………」

 もう一人は、小柄で、人形のように無表情な少女。その指先からは、月明かりを反射してきらめく、無数の、鋼の糸が、すでに放たれている。

 王都で、闇滅隊が取り逃がした、黒曜石ギルドの「掃除屋」コンビだった。


「てめえら……!」

 ファムの目つきが、一瞬で、スラムの野良猫から、手負いの獣のそれへと変わる。

「まさか、聖都の、こんな場所にまでいやがったとはな!」


「おしゃべりは、そこまでだ」

 獣人の男が地を蹴った瞬間、その姿は、ブレて見えなくなるほどの速度で、一行の死角へと回り込んでいた。

 同時に、少女の指先から放たれた鋼線が、蜘蛛の巣のように、階段全体を覆い尽くす!


「シズマ、リリアナ殿を!」

 ハヤテが叫ぶ。彼の霊刃が、迫りくる鋼線を、火花を散らしながら弾き返す。シズマは、無言でリリアナの前に立ち、その身を盾にして、襲い来る獣人の爪を、霊刃で受け止めた。

 キィン!と、甲高い金属音。シズマの身体が、その衝撃に、数歩後退させられる。


「ナシル、糸の軌道は読めるか!」

 ファムは、柱の影に身を隠しながら叫ぶ。

「多すぎる! 上下左右、全ての空間が、奴の『領域』だ!」

 ナシルの鏡には、無数の、死の軌跡が映し出されていた。


「―――なら、その領域ごと、燃やすまでですわ!」

 リリアナが、杖を高く掲げる。

「【我が身を焦がすは聖なる焔! 浄化の光よ、螺旋を描け! スパイラル・フレア!】」

 彼女の詠唱に応え、炎の渦が、階段全体を薙ぎ払うように、鋼線の巣を焼き尽くしていく。


「ちっ、魔術師が、厄介だニャ!」

 獣人の男が、炎を避けて、大きく後方へと跳躍する。

 その一瞬の隙。それこそが、ファムが待っていた、唯一の好機だった。

 彼女は、炎が壁を作る、その影を利用して、一気に、糸使いの少女の懐へと、地を這うように潜り込んでいた。


「もらった!」

 ファムの短剣が、少女の、その無防備な喉元へと、閃光のように迫る。

 だが、少女は、表情一つ変えなかった。彼女は、自らの指に絡ませた、一本の、最も強靭な鋼線を、鞭のようにしならせ、ファムの短剣を、いとも容易く、弾き返した。


「なっ……!?」

 驚愕するファムの、そのがら空きになった胴体へと、獣人の男が、死角から、音もなく、その鋭い爪を振り下ろしていた。


「しまっ……!」

 ファムが、死を覚悟した、その瞬間。

 二振りの、青白い光を放つ刃が、獣人の爪を、寸前のところで、十字に受け止めていた。ハヤテとシズマだった。


「我らの前で、仲間に指一本、触れさせると思うな」

 ハヤテの、静かな怒りが、その場の空気を支配する。

 狭い、暗い、地下階段で、五人の専門家による、死線上の攻防が、激しく、火花を散らした。


「ナシル! 少女の方の、糸の『癖』は読めるか!」

 ファムが、少女の猛攻を紙一重でかわしながら叫ぶ。

「読めている! 奴は、三本一組で、時間差をつけた波状攻撃を仕掛けてくる! 次の攻撃の起点は、天井の、あの岩だ!」


「よし……!」

 ファムは、ナシルの言葉を信じ、賭けに出た。

 彼女は、少女に背を向けるようにして、一気に、ハヤテたちが戦う獣人の男の方へと、突貫したのだ!

 それは、あまりにも無謀な、自殺行為に見えた。


「ファム!?」

 ハヤテが驚愕の声を上げる。

 だが、ファムの狙いは、獣人ではなかった。

 彼女は、獣人の、その屈強な身体を、ただの『踏み台』として利用した。

 その背を蹴り、天井へと跳躍する。

 そして、ナシルが予測した、天井の岩陰から、まさに放たれようとしていた三本の鋼線を、空中で、その身を捻りながら、二本の短剣で、全て、弾き返した!


「なっ……!?」

 初めて、糸使いの少女の、人形のような顔に、驚愕の色が浮かんだ。

 自らの、完璧なはずの攻撃が、読まれていた。


 そして、その一瞬の硬直が、彼女にとって、致命的な隙となった。

 ファムは、着地と同時に、懐から、特殊な網を投げ放った。それは、錬金術師が作った、魔力を帯びた獣の腱で編まれた、捕縛用の投網。網は、正確に少女の上半身を覆い、その自由を奪った。


「てめえらぁっ!」

 相棒を無力化され、獣人の男が、怒りの咆哮を上げた。

 だが、もはや、彼一人で、この四人を、相手にできるはずもなかった。


 彼の最後の、捨て身の突撃。

 それを、ハヤテは、霊刃の腹で受け流し、体勢を崩させる。

 その背後に、音もなく回り込んでいたシズマが、鞘に収めたままの刀の柄頭で、獣人の首の後ろを、正確に、そして、容赦なく、打ち据えた。


「ぐっ……」

 獣人の男は、声もなく、その場に、崩れ落ちた。


 後には、網にかかり、悔しそうに歯噛みする少女と、気を失った獣人。そして、息一つ乱れていない、闇滅隊の面々、杖を構え直すリリアナだけが、残された。

 誰一人、傷つくことなく、しかし、完璧な連携で、敵を無力化する。

 それこそが、彼らの真の力だった。


「……へっ、当然だ」ファムは、気を失った獣人を一瞥し、拘束した少女を睨みつけながら言った。「それより、問題はこの先、か」


 彼女の視線の先には、踊り場からさらに下へと続く、完全な闇が口を開けていた。

 ここまでの道のりですら、これほどの番人がいたのだ。

 この先に、一体何が待っているのか。

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