第七十四話:聖都サンクトゥム・ルミナ
聖勇者の、偽りの巡礼団が、最後の宿場町を出発してから数日。
一行の目の前に、ついにその威容が現れた時、誰もが言葉を失い、馬を止めた。
大陸中央に広がる広大な盆地。
その中心に、まるで天上の都市がそのまま地上に降り立ったかのように、純白の大理石で築かれた壮麗な街並みが広がっていた。
建物の全てが、陽光を浴びて眩いほどに輝き、視界の白さに目が眩むほどだ。
教皇領サンクトゥム・ルミナ。
街の中心には、天を突くかのように巨大な「ルミナリア大聖堂」が聳え立つ。
その幾多の尖塔は、雲間から射す光を捉え、天への階段のように神々しい。
絶えず響き渡る荘厳な鐘の音は、俗世の穢れを洗い流すかのように、清らかに空気を震わせていた。
「……おお……なんと……。これが、女神ルミナリア様の御坐す都……」
シルヴァラントの騎士、サー・レオンは、馬上で呆然と呟き、敬虔な祈りと共に胸の前で十字を切った。
その瞳は潤み、この世の奇跡を目の当たりにしたかのように、畏怖と感動に打ち震えている。
その隣で、帝国の将軍ヴァレンティンは、その壮麗な光景を冷徹な目で値踏みし、その唇の端を、侮蔑の形に、わずかに歪めた。
「ふん。見かけだけは、大したものだ。この街を一つ築くのに、どれだけの民の汗と、そして『献金』が使われたことか。信仰とは、最も金になる商売よな」
幌馬車の中で気配を殺していたファムは、その、あまりにも純粋で強すぎる「光」の圧力に、思わず短剣の柄を握りしめた。
影の中で生きてきた彼女にとって、この街は、肌を焼かれるような、息苦しいまでの居心地の悪さを感じさせた。
「うわー、すげー。なんか、RPGのラスダン前の街って感じだな。セーブポイントはどこにあんだろ。……あ、それより、腹減った。聖地ってからには、なんか、すげー美味い名物とかあんだろーな!」
田中樹の、聖都の余りの荘厳さに、これまでの悩みが消えてしまったかのように、どこまでも場違いな呟き。
その瞬間、彼の隣で馬を並べていた騎士団副団長ライアスの、手綱を握る手に、僅かに力がこもった。
彼は樹の方を振り向くことなく、ただ前を見据えたまま、低く、静かな声で命じた。
「勇者殿。口を慎まれよ。ここは、敵地と思え」
その声の冷たさに、樹は「ちぇっ」と口を尖らせ、しぶしぶ口を閉ざした。
ただ、その勇者の軽口が嬉しくもあった。
荘厳な正門では、純白の鎧に身を包んだ「聖堂騎士団」の一団が、整然と列をなして一行を待っていた。
その中心に、柔和な笑みを浮かべた最高位の聖職者が、静かに立っている。
「ようこそ、聖勇者イトゥキ様、並びに、ロムグール王国使節団の皆様。わたくしは、教皇聖下にお仕えする者の一人、枢機卿ディミトリ・ヴァレリウスと申します。皆様の聖地へのご来訪を、心より歓迎いたします」
その、聞く者の心を穏やかにする声。
ライアスは馬上から降り、この使節団の武官責任者として、完璧な騎士の礼で応じた。
ヴァレリウスの視線が、樹へと注がれる。
「そちらにおわすのが、かの『聖勇者』様でございますか。そのお姿、そして、そのお身体から発せられる、清浄なる御魂の輝き……。なるほど、魔を祓い、大地を癒すという、奇跡の御力、まことのようですな」
その完璧すぎる笑みと、非の打ちどころのない物腰。
樹は、その姿に、かつて自分がいた世界で見た、ある種の人間を重ねていた。
(……うわ、胡散臭ぇ……。こういう完璧な笑顔の奴って、絶対裏でヤバい壺とか売ってるタイプだろ……)
その、あまりにも不敬な心の声が、ごく小さな呟きとなって口から漏れた。
聞き咎めたライアスの眉間が、ピクリと険しくなる。彼は、樹の腕を誰にも気づかれぬよう、しかし、万力のような力で掴み、声なき警告を送った。
ヴァレリウスは、そんな二人の様子に気づくでもなく、穏やかな笑みを崩さぬまま、一行を大聖堂へと導いた。
沿道に集まった無数の巡礼者たちの祈りの声が、波のように彼らを包む。
やがて、一行は、ルミナリア大聖堂の、天にまで届きそうな巨大な扉の前に立った。
重々しい扉が、内側から、ゆっくりと開かれていく。
その向こうから、ステンドグラスを透過した圧倒的なまでの「光」と、荘厳な聖歌隊の歌声が、洪水となって溢れ出した。
天高く続く円天井、磨き上げられた床に映る神々の物語、そして、魂の芯まで震わせるパイプオルガンの旋律。
その、あまりにも強大な聖なる奔流に、一行が足を踏み入れた、まさにその瞬間だった。
「うわあああああああああっ!!」
田中樹が、突然、金切り声を上げて、馬から転げ落ちた。
「い、痛え! 目が、耳が、頭が、割れる! うるせえんだよ、なんだこれぇっ!」
彼は、両手で頭をかきむしり、まるで、見えざる刃に全身を切り刻まれるかのように、白亜の床の上を、苦しげに転げまわった。
その様子は、いつもの仮病や、ふざけた態度とは、明らかに次元が違っていた。
「勇者様!?」
「イトゥキ様、しっかり!」
リリアナとライアスが、慌てて駆け寄る。サー・レオンも、ヴァレンティンも、そのあまりの異常事態に、言葉がない。
聖堂騎士団の間に、侮蔑とも困惑ともつかぬどよめきが走った。
混乱の中心で、枢機卿ヴァレリウスだけが、静かに、その光景を見つめていた。
その顔には、慈愛に満ちた、深い憂いの表情が浮かんでいる。「おお、女神様。可哀想に、勇者様が聖なる気に当てられて……」と、その口は、悲痛な言葉を紡いでいる。
だが、その瞳の奥だけが、まるで氷のように冷たく、一切の感情を映さず静まり返っていた。
その、表情と、瞳との、ほんの僅かな『不一致』。
巡礼団の、荷物番としてその場に控えていたファムだけが、その、悪寒が走るほどの違和感を、決して、見逃さなかった。




