第七十三話:最後の宿場町
聖勇者の、偽りの巡礼団が、王都カドアテメを出発してから、数週間が過ぎた。
ロムグール王国の豊かな大地を抜け、どの国の支配も完全には及ばない、広大な中央平原を横断する。
その旅路は、大きな波乱もなく、しかし、常に、張り詰めた緊張感の中で、続いていた。
一行は、聖都サンクトゥム・ルミナへと続く、最後の関門である、巨大な宿場町「サン・クレール」に到着した。
この街は、聖都への巡礼者たちで、常に賑わっている。そして、その巡礼者たちを管理し、聖都へと導く、アルカディア正教の、巨大な修道院が、街の中心に、そびえ立っていた。
しかし、一行が、その街に足を踏み入れた瞬間、彼らは、ある異様な光景を、目の当たりにする。
街の中央広場で、一人の痩せた、その瞳に狂信的な光を宿した若い司祭が、多くの貧しい身なりの民衆を前に、演説を奮っていたのだ。
「―――聞け、虐げられし、神の子らよ!」
司祭の声は、大きく、そして、よく通った。
「神は、言われた! 富める者が、天国へ入るは、ラクダが、針の穴を通るよりも、難しい、と! なのに、どうだ! この世界の、王侯貴族、そして、肥え太った聖職者たちは、我ら、貧しき者から搾取し、その富で、贅沢の限りを尽くしているではないか!」
その言葉に、民衆から、怒りの声が上がる。
「彼らは、言う! 金を払えば、罪は許される、と! その、輝かしい『免罪符』一枚で、どんな悪徳も、見ぬふりをされる、と! 馬鹿げている! 我らの、日々の、慎ましやかな祈りこそが、神への、唯一の道なのだ!」
「そうだ!」「その通りだ!」
民衆の熱気は、どんどん、高まっていく。
その光景を、巡礼団の面々は、それぞれの立場で、複雑な思いで、見ていた。
「……なんと、嘆かわしい。神の教えを、己の都合の良いように捻じ曲げ、民衆を、憎しみへと、扇動している」
シルヴァラントの騎士、サー・レオンは、その、あまりにも過激な説教に、顔をしかめた。
「ふん。面白いではないか」
帝国の将軍ヴァレンティンは、その光景を、楽しげに眺めている。
「教会も、一枚岩ではない、ということだ。腐敗は、いつだって、内側から、始まるものだからな」
「……」
田中樹は、ただ、黙って、その司祭の顔を、見つめていた。
彼の言っていることは、難しい。
だが、その、怒りと、悲しみに満ちた声は、不思議と、彼の心に、引っかかっていた。
やがて、演説は、さらに、過激になっていく。
「我らの、聖都への道を、阻む者は、誰であろうと、神の敵だ! たとえ、それが、領主の軍であろうとも!聖騎士団であろうとも!」
その言葉に、街の治安を守る、領主の兵士たちが、ついに動いた。
「そこまでだ、妖僧め! 貴様の、その不敬な言葉、もはや、聞き過ごせん!」
兵士たちが、司祭を、取り押さえようとする。
それを、狂信的な民衆が、阻もうとする。
「やめろ!」「この方に、手を出すな!」
広場は、一触即発の、混乱と、暴力の渦に、包まれた。
「……ライアス」
リリアナが、巡礼団の護衛隊長である、ライアスへと視線を送る。
「承知している。―――全隊、これより、この場を、速やかに、離脱する! 陣形を崩すな! 民衆にも、兵士にも、決して、手を出すな!」
ライアスの指示が飛ぶ。
彼らの任務は、あくまで、聖都への巡幸。
ここで、無用な争いに巻き込まれるわけには、いかない。
一行は、混乱する広場を、足早に、抜けようとした。
その時だった。
暴徒と化した民衆の一人が、近くにあった、果物屋の屋台をひっくり返し、その手に、ナイフを握りしめ、領主の兵士へと、襲いかかったのだ!
「神の敵に、死を!」
「やめろ!」
サー・レオンが、叫ぶ。
だが、間に合わない。
誰もが、血の惨事を、覚悟した、その瞬間。
ガッ!
どこからともなく飛んできた、一つの小さな石つぶてが、狂信者の、その手首を撃ち抜いた。
ナイフが、カラン、と音を立てて地面に落ちる。
狂信者は、手首を押さえ、その場にうずくまった。
「……え?」
その場にいた、全員が、息を呑んだ。
そして、その視線は、一人の、少年へと、注がれた。
田中樹だった。
彼は、いつの間にか、馬から降りており、その手には、まだ、次の、石つぶてが、握られていた。
「……なんで、だよ……」
樹は、うずくまる狂信者と、助けられた兵士を、交互に見ながら、震える声で呟いた。
「なんで、同じ、人間同士で、殺し合おうと、してんだよ……。ワケ、わかんねえよ……」
その瞳には、もはや、恐怖も戸惑いもなかった。
ただ、目の前の、あまりにも、理不尽な光景に対する、深い哀しみの色だけが浮かんでいた。
「勇者……様」
その、これまで、誰も見たことのない、勇者の姿に、ライアスも、リリアナも、そして、ヴァレンティンですら、言葉を失い、ただ、立ち尽くしていた。
ファムだけが、幌馬車の影から、その光景を、じっと、見つめていた。
一行は、その、後味の悪い事件の後、何事もなかったかのように、その宿場町を、後にした。
彼らは、この旅で初めて、魔物でも、ギルドの暗殺者でもない、最も厄介な敵と遭遇したのだ。
それは、「正義」を信じ、暴走する、「人間」そのものだった。




