表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
82/227

第六十六話:蜘蛛の巣での三日間

 

 無法の港湾都市、ヴァンドール。


 その喧騒と、退廃的なまでの活気は、王都カドアテメとは全く異質のものだった。


 アレクシオスの元で秩序と再生が進むロムグールとは対極の、剥き出しの欲望が渦巻く街。


 連合合同部隊の面々は、その巨大な蜘蛛の巣に、一滴の雫のように、それぞれのやり方で溶け込んでいった。


 作戦開始一日目。


 彼らの隠れ家は、ボルグが手配した、仕立て屋の二階にある、埃っぽい屋根裏部屋だった。


「―――これが、『鴉』から得た情報と、この街の裏社会の地図だ」

 潜入任務の現場指揮官であるファムが、テーブルに広げた羊皮紙を指し示し、作戦会議を始めた。


 その場にいるのは、出自も、立場も、そして忠誠を誓う相手すらもバラバラな、即席のチーム。


 部屋には、緊張と、互いを探り合うような視線が交錯していた。


「目標は、三日後の満月の夜。オリオン商会の第十三倉庫に運び込まれる『特別な積荷』の正体を突き止め、可能であれば、これを奪取する。いいな?」

 ファムは、チームを二つに分けた。


 自らが率いる、諜報と潜入を主とする偵察チーム。


 そして、ライアスが率いる、リリアナと勇者を護衛し、隠れ家で待機する支援チームだ。


 作戦開始二日目。


 街は、静かな緊張感に包まれていた。


 東方諸侯が送り込んだ諜報員、ジエンは、その真価を発揮した。


 彼は、朝には港で働く日雇い労働者に、昼には羽振りのいい商人に、そして、夜には酒場の酔っぱらいへと、その顔と、雰囲気と、そして訛りまでをも完璧に変え、街の噂を収集していく。


 一方、ファムとナシルは、第十三倉庫周辺の、直接的な偵察を行っていた。


 二人の連携は、一年半の暗闘を経て、もはや言葉を必要としない域に達していた。


 その時、ファムは、自分たちとは別の影が、倉庫の反対側で、同じように偵察活動を行っているのに気づいた。


 帝国の諜報員、ヘルガだった。


 彼女は、チームでの情報共有を無視し、独自の判断で動いているのだ。


 ファムは、音もなくヘルガの背後に回り込み、その首筋に、短剣の切っ先を突きつけた。


「―――何してんだ、帝国の犬。抜け駆けのつもりか?」


「……自分の目で確かめているだけよ。貴女たちの情報が、信用できるとは限らないから」

 ヘルガは、冷たい声で、そう言い放った。


 二人の間には、見えない火花が散っていた。


 その頃、隠れ家では、静かだが、同様に張り詰めた空気が流れていた。


 ライアスとサー・レオンは、武具の手入れをしながら、万が一の事態に備えている。


 リリアナは、テーブルに広げた、ヴァンドールの詳細な地図の上に、特殊な水晶をかざし、街全体を流れる魔力の流れを、慎重に読み取っていた。


 田中樹は、そんな仲間たちの姿を、部屋の隅から、ただ、黙って見ていた。


 以前の彼なら、退屈だと騒ぎ立て、腹が減ったと喚き散らしていただろう。


 だが、今の彼は少し違った。


 シルヴァントでの一件。


 レオの死。


 そして、アレクシオスの告白。


 それらは、彼の価値観を、根底から揺さぶっていた。


 彼は、初めて、自覚したのだ。


 自分以外の人間が、皆、それぞれの知識と、技術と、そして覚悟を持って、「仕事」をしているという、当たり前の事実に。


 そして、自分だけが、その輪の中で、何も持たない、役立たずなのだ、と。


 樹は、おもむろに立ち上がると、リリアナの元へと、おずおずと歩み寄った。


「……おい、リリアナ」

 その、静かな声に、リリアナは、驚いて顔を上げた。


「イトゥキ様? どうかされましたか?」


「それは……何やってんだ?」

 樹は、テーブルの上の、複雑な光の線を放つ地図を指差した。


「え? あ、これは、ヴァンドールの魔力の流れを可視化した地図ですわ。敵の拠点である倉庫の周囲に、どのような魔術的な警備が敷かれているか、その弱点を探しているのです」


「……ふーん」

 樹は、地図に描かれた、彼には意味不明な紋様と、それを真剣な眼差しで読み解くリリアナの横顔を、しばらく見比べていた。


 そして、ぽつりと、呟いた。


「……俺には、さっぱり、わかんねえな……。あんたは、すげえんだな。王様も、フィンも、ロザリアも……みんな、自分の仕事、ちゃんとやってる」

 その言葉には、いつものような、からかう響きはなかった。


 ただ、純粋な、そして、少しだけ羨むような響きがあった。


 リリアナは、彼の、あまりの変化に、言葉を失った。


 樹は、そんな彼女から視線を逸らし、自分の手のひらを見つめながら言った。


「……なあ。俺は? 俺は、ここにいて、何すりゃいいんだ?」

 それは、彼が、この世界に来て初めて口にした、「自分の役割」についての、問いだった。


 その問いに、最初に答えたのは、彼の背後で剣の手入れをしていた、サー・レオンだった。


「何を言われるのですか、勇者殿!」

 彼は、目を輝かせて立ち上がった。


「貴殿が、ただ、そこにいてくださるだけで、我々の士気は上がり、そして、貴殿のそのお身体から発せられる『聖なる気』が、我々を、見えざる呪詛から守ってくださっているのです! それこそが、貴殿にしかできぬ、最も重要なお役目!」


「……聖なる、気?」

 樹は、きょとんとして、自分の身体の匂いでも嗅ぐかのように、くんくんと腕を嗅いだ。


 リリアナは、そんな二人のやり取りに、くすりと笑みを漏らした。


「ええ、そうですわ、イトゥキ様。貴方様は、私たちが、安心して、それぞれの仕事に集中するための、『希望』であり、そして『盾』なのです。ですから、どうか、自信を持って、堂々と、そこにいてくださいな」

 その、二人の、あまりにも真っ直ぐで、純粋な信頼の言葉に、樹は、どう反応していいか分からず、ただ、顔を真っ赤にして、再び、部屋の隅へと戻っていくしかなかった。


 作戦開始三日目、満月の夜。


 偵察を終えた闇滅隊も合流し、隠れ家に、全員が集結した。


 ファムが、この三日間で得た、全ての情報を元に、最後の作戦会議を始める。


 その、張り詰めた空気の中で、田中樹は、黙って、仲間たちの顔を見つめていた。


 まだ、怖い。


 まだ、何も分からない。


 だが、ほんの少しだけ、彼は、自分が、この、とんでもないチームの、一員であることを、受け入れ始めているような気がしていた。


 窓の外、ヴァンドールの港に、一隻の、黒い帆を掲げた船が、ゆっくりと、その姿を現した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
今気づいたこの作品MIMIさん(アーティスト)の曲がすごい合う!! (固有名詞出してしまいすみません)←だったら最初から書くな(笑)
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ