第六十五話:無法の港、最初の接触
ロムグール王都カドアテメを出発して、十日。
連合合同特殊部隊の面々は、それぞれのルートを通り、それぞれの身分を偽り、大陸南西に位置する、巨大な中立自由港、ヴァンドールへと集結しつつあった。
最初にこの街に足を踏み入れたのは、リリアナだった。
彼女は、王国最強の魔術師としての身分を隠し、シルヴァラント公国の裕福な小貴族の令嬢として、シルヴァント経由で豪華な客船でヴァンドールのメインポートに降り立った。
「……すごい、活気ですね」
彼女が目にしたのは、混沌そのものだった。
大陸中のあらゆる人種、あらゆる言語が、巨大な渦となって混じり合っている。
船乗りたちの野太い怒号、商人たちのけたたましい呼び込みの声、そして、路地裏から聞こえてくる、怪しげな音楽と、微かな血の匂い。
富と、暴力と、そして、自由が、危険なバランスの上で成り立っている街。
それが、ヴァンドールの第一印象だった。
彼女の傍らには、一人の侍女が、影のように寄り添っている。
侍女の装いをしてはいるが、その冷たい瞳と、一切の無駄がない所作は、およそ侍女のものとは思えない。
帝国の将軍ヴァレンティンが、この合同部隊に「監視役」として送り込んだ、女諜報員ヘルガ。
リリアナは、その背中に突き刺さるような、冷徹な視線を感じながら、内心で深いため息をついた。
この任務は、味方であるはずの人間とも、戦わねばならないのだ。
次に、一介の傭兵として、大型の乗り合い馬車で街に入ったのは、ライアスと、サー・レオン。
そして、彼らに「護衛」される、気弱な見習い神官役の勇者。
「……空気が、悪い」
シルヴァラントの騎士、サー・レオンは、その清廉すぎるがゆえに、この街の空気に、眉をひそめていた。
ライアスは、そんな彼を諌めながら、周囲への警戒を怠らない。
そして、樹は、その圧倒的な情報量と、行き交う人々の、剥き出しの欲望の視線に、ただただ気圧されていた。
もはや、不平不満を言う気力すら、湧いてこないようだった。
闇滅隊の四人は、とうの昔に、街の闇へと溶け込んでいた。
ファムは、孤児のふりをして、スラム街の情報を収集し、ナシルは、物乞いに扮して、港の荷物の流れを監視している。
ハヤテとシズマは、その気配を完全に消し、街の屋根から、仲間たちの安全と、敵の動きを、静かに見守っていた。
彼らが、合流地点として指定されたのは、港の倉庫街の一角にある、薄暗い酒場「クラーケンの眼」。
夜になり、一行は、時間をずらしながら、一人、また一人と、その酒場の扉をくぐった。
リリアナとヘルガは、旅の貴族と侍女として、隅のテーブルへ。
ライアスとサー・レオンは、仕事を探す傭兵として、カウンターへ。
樹は、ライアスに言われた通り、ただ、存在感を消して、師の後ろに座っている。
ファムは、ウェイターの目を盗んで、いつの間にか、店の最も暗い影の中に、音もなく潜んでいた。
全員が揃った。だが、商業同盟からの案内人、『鴉』と名乗る男は、一向に姿を現さない。
(……どうなってやがる)
ファムが、苛立ちを募らせ始めた、その時だった。
「へい、お待ちどおさま」
酒場の、気のいい看板娘が、リリアナたちのテーブルに、注文していないエールのジョッキを、人数分、置いていった。
「……頼んでいませんが?」
ヘルガが、冷たい声で制する。
「あら、ごめんなさい。あちらの席の、旦那様からですわ。『遠い国から来た、美しいお嬢さんたちへ』ってね」
看板娘は、そう言うと、カウンターで一人、薄ら笑いを浮かべてこちらを見ている、裕福そうな商人を指差した。
リリアナは、困惑しながらも、ジョッキを手に取った。そして、その底に、小さな黒い羽根の模様が、描かれているのに気づいた。他のジョッキにも、同じ模様が。
(……こいつが、『鴉』か!?)
リリアリナが、商人の男へと視線を送る。男は、意味ありげに、にやりと笑った。
だが、その直後。酒場の外で、何かの騒ぎが起こった。
「なんだなんだ!」「衛兵だ!」「手入れか!?」
店の中が、にわかに騒がしくなる。
その混乱の最中、先ほどの看板娘が、再び、リリアナたちのテーブルへと近づいてきた。
そして、皿を拭くふりをしながら、誰も気づかぬほどの小さな声で、囁いた。
「―――今夜、丑三つ時。第七埠頭、一番奥の倉庫で。……『鴉』は、お待ちしております」
そう言うと、彼女は、何事もなかったかのように、他の客の元へと去っていった。
リリアナは、息を呑んだ。さっきの商人は、囮。
本物の『鴉』は、この娘……あるいは、この娘すらも、使い走りに過ぎないのかもしれない。
この街では、何一つ、見たままを信じることはできなかった。
♢
深夜。
霧が立ち込める、第七埠頭。
潮の香りと、魚の腐った匂いが、霧に混じって漂っている。
ファムが、闇滅隊の代表として、一人、指定された倉庫の前で待っていた。
ナシルとハヤテ、シズマは、周囲の建物の屋根の上から、その様子を監視している。
やがて、霧の奥から、一人の人影が、音もなく現れた。
それは、昼間の看板娘でも、商人の男でもない。腰の曲がった、年老いた船乗りだった。
「……時間通り、か」
老人は、しゃがれた声で言った。
「『獅子は、今、北風に哭いている』」
それは、事前に決められた、合言葉だった。
「……『だが、夜明けには、東の空が焼けるだろう』」
ファムが、冷静に返す。
「……ふっ。ボルグの旦那も、物好きなこった。こんな、命知らずのガキどもを、この街に送り込むとはな」
老人は、そう言うと、懐から、一枚の、汚れた羊皮紙を取り出し、ファムに投げ渡した。
「お前らが追ってる、『オリオン商会』。奴らは、表の倉庫は使わん。客に見せるための、ただの飾りだ。本当の『荷』は、全て、旧市街の外れにある、この第十三倉庫に運び込まれる」
羊皮紙には、ヴァンドールの、詳細な裏社会の地図が描かれていた。
「次の満月の夜。三日後だ。『特別な積荷』が、この倉庫に運び込まれる手筈になっている。中身を拝むなら、その時が、唯一の好機だろう」
老人は、それだけ言うと、ファムに背を向けた。
「忠告しといてやる。この街では、衛兵も、役人も、誰も信じるな。オリオン商会は、この街の半分を、すでに金で買っている。そして、残りの半分は、奴らを恐れて、見て見ぬふりをしている。―――お前らは、この街では、完全に、孤立無援だ。せいぜい、野垂れ死なないことだな」
『鴉』と名乗る老人は、そう言い残し、再び、濃い霧の中へと、溶けるように消えていった。
ファムは、手に入れた地図を握りしめ、仲間たちが待つ隠れ家へと、その身を翻した。
目標地点、目標日時、確定。
無法の港町ヴァンドールを舞台にした、連合合同部隊の、最初の作戦が、今、始まろうとしていた。




