第六十三話:英雄たちの帰還と、次なる一手
呪いが晴れたシルヴァラントの地は、ゆっくりと、しかし確実に、その生命力を取り戻しつつあった。
枯れ果てた大地からは、ロザリアが残していった種子によって、小さな緑の芽が、健気に顔を覗かせ始めている。
調査団が、王都カドアテメへの帰路で通る村々では、民衆が、まるで神の軍勢を迎えるかのように、一行を熱狂的に歓迎した。
「癒し手様、ありがとうございます!」
「バルカス様、ロムグールの獅子よ!」
そして、ひときわ大きな歓声が、一人の少年に向けられる。
「聖勇者様! 我らの土地を、お救いくださり、誠にありがとうございます!」
花びらが舞い、子供たちが、その手から、拙い花輪を差し出す。
「……お、おう」
田中樹は、馬上で、その熱狂を、どう受け止めていいか分からず、ただ、ぎこちなく手を振っていた。
以前の彼であれば、大喜びで馬から降り、サイン会でも始めていたことだろう。
だが、今の彼は、民衆の、その純粋すぎる信仰の眼差しを、まともに見ることができなかった。
その視線は、あまりにも重い。
彼は、自分は何もしていないと思っている。
ただ、恐怖に駆られ、仲間を突き飛ばし、そして、気絶していただけだ。
それなのに、人々は、自分を英雄だと、救世主だと、信じて疑わない。
そのギャップが、彼の心を、じわじわと締め付けていた。
「……へっ。随分と、殊勝な顔になっちゃって。らしくねえな、『英雄』様よ」
隣を馬で並走していたファムが、ニヤニヤと、意地悪く彼に話しかける。
「……うっせーな。ほっとけよ」
樹は、そっぽを向いて、ぶっきらぼうに答える。
だが、ファムのその言葉には、以前のような、本気の侮蔑はなかった。
むしろ、不器用な少年をからかう、姉のような響きすらあった。
この、あまりにも過酷な任務は、彼ら調査団の間に、奇妙な、しかし、確かな「絆」のようなものを、育んでいた。
♢
王都カドアテメに、一行が凱旋した時、その歓迎は、シルヴァラントの比ではなかった。
「魔王」に続き、隣国を蝕む「呪い」までも打ち破ったという報せは、ロムグール王国の国威を、そして、アレクシオス王への信頼を、絶対的なものとしていた。
王城の大広間で開かれた報告会には、対魔王連合の全ての主要メンバーが集結していた。
「―――以上が、シルヴァラント西部における、呪詛浄化作戦の全容です」
バルカスが、朗々と報告を締めくくる。
ロザリアの専門的な知見、闇滅隊の隠密行動、そして、勇者イトゥキの「聖なる力」による、奇跡的な呪詛の無力化。
その報告に、諸侯たちは感嘆の息を漏らし、商業同盟のボルグは「なるほど、投資の価値はあったようだ」と満足げに頷いた。
セレスティナは、立ち上がり、アレクシオスと、そして調査団の全員に向かって、深々と、そして、最も美しい礼をした。
「皆様の、勇気と、献身に、シルヴァラント公国を代表し、心より感謝を申し上げます。この御恩は、決して忘れませぬ」
その姿を、帝国の将軍ヴァレンティンは、苦虫を噛み潰したような顔で、腕を組みながら見つめていた。ロムグール主導の連合が、またしても大きな成果を上げた。
その事実は、彼のプライドを、そして、帝国の威信を、さらに傷つけるものだった。
会議が終わり、アレクシオスは、側近たちを、再び作戦司令室へと招集した。
祝杯を上げる雰囲気など、そこには微塵もなかった。
「ご苦労だった、皆。だが、休んでいる暇はない」
アレクシオスは、大陸地図を指し示した。シルヴァラントに置かれていた、黒曜石の駒が、一つ、取り除かれている。
だが、まだ、大陸全土には、無数の駒が、不気味に残っていた。
「今回の件で、はっきりしたことがある」フィンが、新たな報告書を広げた。「奴ら、黒曜石ギルドは、一枚岩ではない。王都の『呪われ人』事件、エルヴァンへの侵攻、そして、今回のシルヴァラントの『黒枯れ病』。それぞれ、使われている呪詛の系統や、金の流れが、微妙に違う。まるで、ギルドの内部で、複数の派閥が、それぞれの手法で、我々への攻撃を仕掛けているかのようだ」
「……あるいは、手柄を競い合っている、とでも言うのか」
アレクシオスの言葉に、ファムが頷く。
「ああ。そして、闇滅隊が、社の跡地から回収した、あの暗号化された羊皮紙……。その一部の解読に、成功したぜ」
フィンは、そう言って、一枚の、解読された文書をテーブルに置いた。
「これは、ギルド内部の、資源の輸送ルートを示すものだ。そして、その、最大の中継地点と思われる場所が、ここだ」
彼が指し示したのは、どの国にも属さない、中立の自由貿易港。
大陸の、ありとあらゆる物と、情報と、そして、欲望が集まる場所。
「―――港湾都市、ヴァンドール」
「ボルグ殿の、お膝元か」
バルカスが、唸る。
「ああ。そして、この都市は、どの国の法も及ばない、治外法権の街だ。奴らが、大規模な拠点を築くには、うってつけの場所だろう」
アレクシオスは、続けた。
「我々は、これ以上、後手に回るわけにはいかない。奴らが、次なる呪いを、次なる悲劇を生み出す前に、こちらから、その心臓部を叩きに行く」
彼は、その場にいる、最も信頼する仲間たちの顔を、一人一人、見渡した。
老いてなお盛んな、王国の盾、バルカス。
若き、天才的な頭脳、フィン。
大地に愛された、心優しき癒し手、ロザリア。
闇を知り、影を断つ、闇滅隊のリーダー、ファム。
そして……。
部屋の隅で、一人、静かに、しかし、まっすぐな目で、こちらの話を聞いている、田中樹。
「次の作戦目標は、ヴァンドール」
アレクシオスは、力強く宣言した。
「ギルドの、大陸最大の拠点を、叩き潰す。―――蜘蛛狩りの時間だ」
その言葉に、その場にいた全員の瞳に、新たな、そして、より激しい戦いへの、覚悟の光が灯った。
静まり返っていた勇者の、その唇が、ほんの少しだけ、固く結ばれたのを、アレクシオスは見逃さなかった。




