第六十話:嘆きの森の主
古びた社の、固く閉ざされた扉。
ヤシマの剣士、シズマが、その全ての精神を、霊刃の切っ先の一点に集中させた、まさにその瞬間だった。
扉の、その表面が、まるで生きているかのように、ぶるりと脈打った。
そして、その中央から、黒く、粘つくような呪詛が、じわりと滲み出す。
それは、あたかも、この社そのものが流す「嘆きの涙」のようだった。涙が滴り落ちた場所から、紫色の、おぞましい光を放つ「眼」が、ゆっくりと開かれた。
「……何!?」
その「眼」に睨みつけられた瞬間、一行は、魂の芯まで凍てつくような、凄まじいプレッシャーを感じた。
「怯むな! 斬れ、シズマ!」
ハヤテの叫び声に、シズマは、寸分の迷いもなく、その刃を振り下ろした。
「―――破邪顕正!」
シズマの霊刃が、結界の核―――開かれた「眼」の中心を、正確に貫く。
ギシャアアアアアアアアアアアアアッッ!!
これまで聞いたこともない、甲高い、断末魔のような絶叫が響き渡る。
次の瞬間、凄まじい轟音と共に、呪いの扉は、内側から爆ぜるように、木っ端微塵に吹き飛んだ!
吹き荒れる邪気の嵐に、一行は思わず腕で顔を覆う。
やがて、嵐が収まった時、彼らの目の前には、社の本殿へと続く、暗く、そして、おぞましい気配に満ちた道が、ぽっかりと口を開けていた。
「……行くぞ」
バルカスの低い声を合図に、一行は、覚悟を決め、社の本殿へと、足を踏み入れた。
本殿の内部は、自然の洞窟をくり抜いて作られたような、歪な空間だった。
壁や床は、黒い粘液のようなもので覆われ、中央には、巨大な、脈打つ心臓のような、おぞましい「呪物」が安置された祭壇があった。
この地の生命力を吸い上げ、呪詛に変える、まさに呪いの発生源だ。
しかし、そこには、人の姿は一人もいなかった。
「罠だ! 皆、警戒しろ!」
ファムが叫んだ瞬間、本殿全体が、まるで生きているかのように、激しく震え始めた。
床や壁から、黒くねじくれた巨大な木の根が、無数に突き出してくる。
それらは、社の石材や、転がっていた魔物の骨などを、まるで捕食するかのように取り込みながら、一つの巨大な、人型の何かを形作っていく。
顔はない。
ただ、その胸の中心に、先ほど扉に現れたものと同じ、紫色の、涙を流す樹液のような光が灯る、嘆きと怒りの集合体―――この森を、土地を、守っていたはずの「古の森の主」が、呪いに取り込まれ、歪められた姿だった。
「……カ……エ……レ……」
地響きのような、苦悶に満ちた声が、洞窟全体に響き渡る。
次の瞬間、森の主は、その身体から、無数の鋭い茨の鞭を放ち、一行に襲いかかってきた!
「盾を構えろ! 前衛は、絶対に下がるな!」
バルカスと護衛騎士たちが、大盾を構え、その物理的な猛攻を、必死に食い止める壁となる。
盾に叩きつけられる茨の一撃一撃が、鋼を容易く凹ませ、凄まじい衝撃を彼らの腕に伝える。
「ちっ、こいつ、硬えだけじゃねえ!」
ファムは、俊敏な動きで茨をかわしながら、森の主の足元へと潜り込む。
だが、足元の地面が、突如として、底なしの沼のように変化し、彼女の動きを封じようとした。
「ファム! 足元に気をつけろ! 敵は、この洞窟そのものだ!」
ナシルが、鏡の欠片で、呪詛の魔力が大地を流れる様を看破し、叫ぶ。
「ならば、その流れ、断ち切るまで!」
ハヤテとシズマが、左右から同時に仕掛けた。
二人の霊刃が、森の主の、太い腕となっている木の根を、次々と斬り祓っていく。
だが、斬られたそばから、床や壁から新たな根が伸び、瞬時に再生してしまう。
「キリがないぞ、これでは!」
ハヤテが、焦りの声を上げる。
「ロザリア殿、どうだ!?」
バルカスが、後方で守られているロザリアに叫ぶ。
ロザリアは、青ざめた顔で、必死に、森の主から発せられる「声」に耳を澄ませていた。
「苦しい…痛い…助けて…うらめしい…人間…許さない…」
その断片的な声から、彼女は、この化け物が、元々は、この森を愛する、心優しき存在であったことを理解した。
「ダメです! あの人を倒しても、ダメなんです! あの人は、ただ、苦しんでいるだけ! 本当の敵は、あの祭壇にある『呪物』です! あれを浄化すれば、きっと、森の主も、元の姿に…!」
ロザリアの叫びに、一行の目標が定まる。
だが、祭壇へ至る道は、荒れ狂う森の主の、茨と呪詛によって、完全に閉ざされていた。
「道は、我らが作る!」
バルカスは、覚悟を決めた。
「ハヤテ殿、シズマ殿! 合わせてもらうぞ! 全力で、奴の注意を引きつける!」
「承知!」
バルカスとヤシマの剣士たちが、残った全ての力を振り絞り、森の主の正面から、決死の攻撃を仕掛ける。
その猛攻に、さすがの森の主も、その意識を、三人の戦士へと集中させた。
「ロザリア殿、勇者殿! 行けぇ!」
バルカスの絶叫が響く。
その声に、ロザリアは、恐怖で動けない樹の手を、強く握りしめた。
「行きましょう、勇者様! 私たちにしか、できないことです!」
「む、無理だって! 俺、行ったら死ぬ!」
「死なせません! 私が、貴方を、絶対に守りますから!」
ロザリアの、その必死の瞳に、樹は、レオの最後の顔を重ねていた。
二人は、仲間たちが命がけで稼いだ、ほんの一瞬の隙を突き、呪詛の嵐の中心、脈打つ祭壇へと、走り出す。
それに気づいた森の主が、地を揺るがすほどの、怒りと嘆きに満ちた咆哮を上げた。
陽動を仕掛けていたバルカスたちを薙ぎ払い、その、最も巨大で、最も禍々しい茨の腕を、祭壇へと向かう、か細い二人の頭上へと、無慈悲に、振り下ろした。
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