第五十九話:呪いの社、潜入
黄昏が、呪われた森を、さらに深い闇へと誘っていた。
一行は、呪詛の中心である「古びた社」を望む、小高い丘の岩陰に潜んでいた。
肌を刺す邪気は、森の奥へ進むにつれて、もはや物理的な圧力を伴って、一行にのしかかってくる。
「……息が詰まりそうだ。こんな濃密な呪い、初めてだぜ」
闇滅隊のリーダー、ファムが、忌々しげに吐き捨てる。
「ロザリア殿、大丈夫か?」
バルカスが、隣で小さく震えているロザリアを気遣う。
彼女の顔色は、紙のように白い。
「は、はい……。大地が、ずっと、悲鳴を上げていて……。でも、大丈夫です。やらなくちゃ」
彼女は、自らを鼓舞するように、強く頷いた。
その後ろで、田中樹は、ただ、生唾を飲み込むことしかできなかった。
空気が重い。寒い。そして、怖い。
レオが死んだ、あの戦場の匂い。
それが、この森の全ての木々から、葉の一枚一枚から、立ち上っているような気がした。
彼は、震える手で、懐に入れたレオの形見の木彫りの鳥を、強く握りしめた。
「……時間だ」
ファムは、空の色の変化を見極めると、短く告げた。
「作戦を開始する。ハヤテ、シズマ。頼んだぜ。派手に、な」
「承知」
「御意」
二人のヤシマの剣士は、音もなく闇に溶け、社の東側へと、風のように消えていった。
数分後。
森の東の奥深くから、甲高い金属音と、断末魔の叫びが、立て続けに響き渡った。陽動は、成功したようだ。
「よし、行くぞ! ナシル、あんたが目だ! 俺たちは、西から、最短ルートで祭壇を目指す!」
「心得た」
ファムとナシルが、本隊から離れ、獣のようにしなやかな動きで、社の西側へと駆け出す。
「我らも進む!」
バルカスの号令と共に、護衛騎士たちが、ロザリアと樹を囲むように、鉄壁の陣形を組んだ。
彼らは、社の正面へと続く、荒れ果てた参道を、一歩、また一歩と、慎重に進み始めた。
視点は、先行するファムとナシルへ。
「ちっ、面倒くせえのが仕掛けてあるな」
ファムは、参道から外れた獣道の、木の根元に張られた、ほとんど見えないほどの細いワイヤーの前で、足を止めた。
「ただの物理トラップだ。俺がやる」
彼女は、愛用のピックを取り出すと、慣れた手つきで、一瞬のうちにその罠を無力化した。
「待て、ファム」
だが、その先へ進もうとした彼女を、ナシルが制した。
「どうした、砂漠の坊主」
「……この先の地面、何かおかしい。邪気の流れが、不自然に淀んでいる」
ナシルは、懐から取り出した『真実の鏡』の欠片を、そっと地面にかざした。
すると、何もないはずの地面が、鏡の光を反射して、一瞬だけ、禍々しい紫色の魔法陣となって浮かび上がった。
「幻術で隠された、呪詛の罠か。踏み込めば、足元から魂を喰われる類のものだ」
「……へっ。あんたのその目、相変わらず役に立つじゃねえか」
ファムは、いつものように、悪態とも称賛ともつかぬ口調で言った。
ナシルは、それに答えるでもなく、ただ静かに頷き、先を促した。
長い暗闘の中で、二人の間には、もはや余計な言葉は必要なくなっていた。
二人が、慎重に罠を迂回した、その時だった。
左右の木の幹から、音もなく、二つの影が飛び出してきた。
黒曜石ギルドの「影の番人」。陽動に釣られなかった、手練れだ。
「死ね」
番人の一人が振るう刃を、ファムが短剣で弾き返す。
だが、もう一人の番人が、その死角から、本隊の方向へ、警報の矢を放とうとしていた。
ファムが叫ぶより速く、ナシルが動いた。彼は、懐の『真実の鏡』の欠片を、雲間から射す僅かな月光にかざした。
磨き上げられた鏡の面が、夜の光を一点に収束させ、強烈な閃光となって番人の顔面を撃ち抜く。
「ぐっ!?」
幻惑ではない。
ただ、純粋な光による、一瞬の眩惑。
だが、死線において、その一瞬は、永遠にも等しい。
その隙を、ファムは見逃さなかった。
彼女の身体が、地を這うように沈み込み、番人の懐へと潜り込む。
そして、閃光のような一撃が、番人の喉を、声もなく切り裂いた。
一方、その頃。
中央の参道を進む、バルカスたち本隊。
「……ロザリア殿。社の中心に近づくにつれて、呪詛の気配が、指数関数的に増大しています。このままでは……」
青ざめた顔のロザリア。
樹は、ただ、バルカスの巨大な背中の後ろに隠れ、ガタガタと震えていた。
怖い。
帰りたい。
ステーキが食いたい。
そんな、いつもの思考すらも、この場の圧倒的な邪気に、飲み込まれそうになっていた。
やがて、一行の目の前に、社の本殿と思われる、ひときわ大きく、そして、禍々しいオーラを放つ建物が現れた。
先行していたファムとナシル、そして、陽動を終えたハヤテとシズマも、いつの間にか合流している。
「……外の警備は、あらかた片付けた。だが、問題は、この先だ」
ファムが、本殿の、固く閉ざされた巨大な扉を指差す。
その扉全体が、まるで生きているかのように、紫黒の魔力で脈打っていた。
「強力な、封印の結界です」
ロザリアが、苦しげに呟く。
「そして、呪詛のエネルギーが、この扉を通じて、社全体に供給されています。これを破らなければ、中には……」
「物理的な破壊は、おそらく無意味だ。下手に手を出せば、呪いが暴走し、この森全体が、一瞬で死の大地と化すだろう」
ナシルが、冷静に分析する。
八方塞がりか、と思われた、その時。
ヤシマの剣士、シズマが、静かに一歩前へ出た。
「―――道は、我らが斬り拓く」
彼は、ゆっくりと、腰の『霊刃』を抜き放った。
刀身が、闇の中で、青白い、静かな光を放つ。
彼は、その切っ先を、脈打つ呪いの扉へと向け、深く、そして静かに、呼吸を整えた。
「ハヤテ」
「応」
相棒のハヤテもまた、霊刃を抜き、シズマの背後に立つ。
二人の霊力が、共鳴し、高まっていくのが、肌で感じられた。
シズマが、その全ての精神を、切っ先の一点に集中させた、まさにその瞬間だった。
扉の、その内側から。
くっくっくっ、と。
まるで、赤子の夜泣きをあやすかのような、あるいは、これから始まる饗宴を、心待ちにしているかのような、楽しげで、そして、底なしに邪悪な笑い声が、確かに、全員の耳に届いた。
その声を聞いた瞬間、ロザリアは、これまで感じたことのない恐怖に、その場にへたり込んだ。
社の奥に潜む「何か」は、彼らの到着を、最初から、全て、知っていたのだ。
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