幕間:砂漠の国の決断
明日から、本編再開します。
大陸の南に広がるザルバード砂漠、その中心で美しいオアシスの都が力強く存在していた。
そこが砂漠の民が住まうザルバード王国の王都だった。
涼やかな噴水の音が心地よく響く王宮の一室で、賢者ジャファルは自らが仕える王に大陸会議での一部始終を報告していた。
彼の主であるザルバード王は、日に焼けた深い皺が刻まれた顔で、ただ静かにジャファルの言葉に耳を傾けていた。
「―――以上が、かの大陸会議の顛末にございます、我が王」
ジャファルが報告を締めくくると、王は長い沈黙の後、乾いているが威厳のある声で言った。
「ほう、実に面白い。あの傲慢な帝国の獅子を、北の小国の若き王が手玉に取ったと。それも軍勢ではなく、ただ知恵と一人の愚かな道化を使ってな」
「左様でございます」とジャファルは頷いた。
「アレクシオス王は帝国の『権威』という鎧の隙間を正確に見抜いておりました。そして、かの『聖勇者』はまことに得体の知れぬ存在。ただの愚か者か、あるいは神の気まぐれが生んだ奇跡か。いずれにせよ、あの若き王は最も扱いにくい駒を最も効果的に使ってのけました。あれは戦士の戦い方ではございません。砂漠を生きる狐のそれですな」
王はゆっくりと立ち上がると窓辺へと歩み寄り、その窓の外に広がる黄金色の砂の海を見つめた。
「ジャファルよ、そなたも知っておろう。我ら砂漠の民はこれまで幾度となく嵐をやり過ごしてきた。北の魔王の脅威もいずれ過ぎ去る熱風の一つ、帝国の野心もいずれ力尽きる砂の城。我らはただ深く砂の中にその身を潜め、嵐が過ぎ去るのを待てばよい。それが我らの知恵であったはずだ」
ジャファルは何も答えなかった。
「だが」と王は続ける。
「今回の嵐は少し様子が違うやもしれんな。あの、アレクシオスという若き王。奴はただの嵐ではない。砂丘の形そのものを変えてしまおうとする新しい『風』だ」
王は振り返り、その鋭い目で長年連れ添った賢者を見た。
「そなたの『眼』にはどう映る、ジャファルよ。その風はオアシスを枯らす熱風か、それとも新たな恵みの雨を運んでくる涼風か」
その王の問いに、ジャファルは初めて慈愛に満ちた瞳を細めた。
「それはまだ誰にも分かりませぬ。ですが我が王、ただ一つ言えることがあるとすれば」と彼は静かに、しかし確かな確信を込めて言った。
「その風に背を向け続ければ、いずれ我らは砂に埋もれることになるやもしれぬ、と。それだけでございます」
その言葉に王は満足げに頷いた。
「ふっ、違いない。嵐を待つだけでは、砂に埋もれるだけか」
王は再び玉座へと戻ると、絶対的でありながらどこか疲れたような声で命じた。
「ジャファルよ、我が国最高の密使を選抜し、ロムグール王国へと送るのだ」
「それは、連合への正式な参加を意味しますかな?」
「いや」王は首を横に振った。
「まだ早い。我らはまだ砂漠の民だ。だが、あの若き王という新しい風がどちらへ吹くのか、その風向きくらいは知っておかねばなるまい」
「ロムグールの王に伝えよ。『砂漠の友は、貴方の、その風を、見ている』、と。―――非公式ながらも、これより彼の国と我らは直接情報の道を開く」
その王の決断に、ジャファルは深く頭を下げた。
だが、彼が部屋を辞去しようとした、その時。
王が、静かに、そして、どこか重々しい響きを込めて、付け加えた。
「……ジャファルよ。もう一つ、理由がある」
王の視線は、再び、窓の外の、果てしない砂漠へと向けられていた。
「アレクシオス王が起こす『風』は、我らが想像する以上に、大きいやもしれん。それは、あるいは、この砂漠の最も深い場所に眠る、『あれ』を、揺り動かしてしまうほどの、な」
その言葉に、ジャファルの常に穏やかだった表情が、初めてわずかにこわばった。
「……『砂の下の眠り人』の、ことでございますか、我が王」
「うむ。我らのこの中立は、他国への不干渉のためではない。ただ、『あれ』の永き眠りを妨げぬための絶対の掟。……だが、魔王が目覚め、大陸全土がこれほどの混沌に包まれれば、その余波がいつ『あれ』に届かぬとも限らん」
王の瞳に、深刻な憂いの色が浮かぶ。
「密使の真の役目は、見極めることだ。あの若き王が、来たるべき本当の災厄を鎮めることができる最後の『希望』なのか。それとも……」
王は、そこで、言葉を切った。
「……あるいは、その災厄の引き金を引いてしまう最大の『嵐』なのかを、な」
ザルバード王国が重い沈黙を破ったその本当の理由。
自らが悠久の時をかけて守り続けてきた、世界そのものを滅ぼしかねない巨大な「秘密」を巡る、あまりにも切実な賭けの始まりだった。
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