幕間:盤上の天才と老将
大陸会議の開催を目前に控え、王都カドアテメは未曾有の喧騒と、そして緊張感に包まれていていた。
そんな中、王城の一角に設けられた騎士たちの休憩室だけが、束の間の休息を許された空間となっていた。
「王手! どうだ、ライアス! わしの『獅子奮迅の陣』の前では、貴様の小賢しい策など通用せんわ!」
部屋の中央では、盤上遊戯『獅子戦争』に興じる騎士たちの輪ができていた。
盤を挟んで、騎士団総司令官であるバルカスが、その厳つい顔を会心の笑みで満たしながら、高らかに勝利を宣言する。
対する副団長のライアスは、「お見事です、バルカス様。完敗いたしました」と、悔しそうに、しかし潔く頭を下げた。
『獅子戦争』。
王、女王、騎士、魔術師といった駒を動かし、敵の王を追い詰める、ロムグール王国で古くから伝わる戦略遊戯だ。
歴戦の将であるバルカスは、この遊戯においても無類の強さを誇っていた。
その、和やかで、しかし熱気のある光景を、部屋の隅の椅子に深く腰掛け、分厚い革表紙の本を読んでいた少年が、ふと顔を上げた。国王補佐官、フィン。
彼は、本の内容よりも、目の前の盤上の、あまりに非効率な駒の動きに、退屈を隠せないでいた。
そして、バルカスの勝ち誇った声を聞くと、わざとらしく、そして、誰にともなく聞こえるように、深いため息をついた。
「……見てるだけで退屈なんだよ。その盤面、あんたが10手前にあの騎士の駒を取った時点で、もう詰んでる」
その、あまりにも不遜な呟きに、部屋の空気は一瞬で凍りついた。
バルカスは、ぎぎぎ、と音を立てるかのように、フィンの方を振り返った。
「……なんだと、小僧。今、何と言った?」
「だから、あんたの勝ちは、10手前から見えてたって言ったんだよ。それどころか、相手のライアスって奴も、25手前にあの魔術師の駒を動かしたのが、致命的なミスだ。もっとマシな手があっただろうに」
フィンの、悪びれる様子もない、淡々とした分析。
それは、この場の、誰のプライドをも逆撫でするには、十分すぎるものだった。
「面白い! 言うてくれるではないか、フィンの若造!」バルカスは、椅子から立ち上がった。
「口先だけの小僧が、戦の何が分かる! よかろう、ならば、このわしと一手、勝負してみるか! その自慢の頭脳とやらで、この老いぼれの、実戦で鍛えた戦略眼に勝てるとでも言うつもりか!」
「へっ、望むところだぜ。あんたらが何時間もかけてるその遊戯、俺なら5分で終わらせてやる」
こうして、休憩室の雰囲気は一変した。
若き天才と、老いたる獅子。
その、あまりにも異質な一戦を、騎士たちは、固唾をのんで見守り始めた。
その騒ぎを聞きつけ、リリアナとロザリアも、呆れたような、しかし興味深げな顔で、部屋の入り口から顔を覗かせた。
バルカスの戦術は、実戦さながらの猛攻だった。
序盤から、騎士の駒を巧みに操り、フィンの陣地へと、嵐のように攻め込んでくる。
だが、フィンは、傍らに置かれた果実水を時折すすりながら、片手間で、まるでただの駒並べでもするかのように、淡々と駒を進めていく。
その動きには、一切の迷いも、力みもない。
「どうした、小僧! 守り一方ではないか!」
バルカスが、苛立ちを隠せずに叫ぶ。
彼の攻勢は、フィンの王の、すぐそこまで迫っていた。
周囲の騎士たちも、「やはり、バルカス様には敵わなかったか」「口ほどにもない」と、囁き始めている。
あと一手で、王手。
バルカスが、会心の一撃となる駒を、自信満々に掴み上げた、まさにその瞬間だった。
フィンは、それまで盤上に向けていた視線を、初めて、バルカスへと向けた。
そして、つまらなそうに、こう呟いた。
「……あんたの負けだ、ジジイ。―――12手先でな」
「な……にぃ!?」
バルカスが、驚愕に目を見開く。
フィンは、もはや盤上を見ることなく、天井の染みを眺めながら、淡々と語り始めた。
「まず、あんたは、その騎士で、俺の王に王手をかける。違うか?」
「なっ……!」
「俺は、女王を一つ下げて、王を守る。するとあんたは、側面から魔術師を動かし、俺の女王を取りに来るだろう。だが、それは罠だ。俺は、その隙に、この端に置いた兵士を一つ進める」
フィンの口から、そこから先の、未来の盤面が、一字一句間違えることなく、紡がれていく。
バルカスがどう動かし、自分がどう応じ、そして、いかにしてバルカスの防御陣が崩壊し、その王が、完璧なまでに逃げ場を失い、追い詰められていくか。
その、冷徹なまでの、完璧な未来予測。
バルカスは、狐につままれたような顔で、フィンの予言通りに、駒を進めていった。
一手、また一手と進むごとに、彼の顔から血の気が引いていくのが分かった。
そして、12手目。
「―――王手。これで、終わりだ」
フィンの言葉と同時に、バルカスの王は、盤上の中央で、完全に孤立し、身動き一つ、取れなくなっていた。
予言と、寸分違わぬ、完膚なきまでの、敗北。
休憩室は、水を打ったように静まり返っていた。
大人げなく熱くなっていた騎士たちは、信じられないものを見たという顔で、言葉を失っている。
バルカスは、ただ、呆然と盤面を睨みつけていた。
長年の戦場で培った、全ての経験と戦略が、この、まだ十代の少年の、たった一つの頭脳の前で、完璧に、弄ばれたのだ。
「……ま、まあ、バルカス様も、たまにはお疲れになることも……」
リリアナが、深いため息と共に、何とかその場を取り繕おうとする。
ロザリアは、その隣で、くすくすと、楽しそうに笑っていた。
フィンは、そんな喧騒を背に、大きなあくびを一つすると、席を立った。
「……もっと歯ごたえのある奴はいないのかね。王様でも、呼んでくるか」
その、最後の皮肉な一言を残し、彼は、まるで何事もなかったかのように、再び、自らの仕事が待つ執務室へと、その歩みを進めていくのだった。
残された休憩室には、ただ、完全に自信を打ち砕かれた、大人げない大人たちの、深い、深いため息だけが、響き渡っていた。
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