幕間:王宮料理人の溜息
ロムグール王国の王城、その厨房は、今、戦場だった。
俺、王宮料理長である、ギヨームの、人生で、最も、混沌とした戦場だ。
「おい、料理長! 今日の俺様の昼飯は、まだか! もちろん、グランボアの、一番いい肉を使った、特上のステーキだよな! 焼き加減は、ミディアムレアだぞ!」
厨房の入り口で、ふんぞり返って、そう叫ぶのは、我らが「聖勇者」イトゥキ様。
その手には、どこからか、くすねてきたのであろう、焼きたてのパンが、すでに握られている。
「勇者様! また、つまみ食いを! いい加減になさいませ! それに、ステーキは、晩餐まで、お預けだと、何度、言ったら、お分かりになるのですか!」
俺は、お玉を片手に、怒鳴り返す。
これが、ここ、数週間の、俺の、日常だった。
先代王の時代も、酷いもんだった。
味も分からぬくせに、ただ、珍しいだけの、そして、やたらと、手間のかかる料理ばかりを、要求された。
貴族どもは、厨房にまで顔を出し、最高級の、葡萄酒や、干し肉を、勝手に、持ち出していく。
料理人としての、誇りなど、あったもんじゃない。
だが、アレクシオス陛下のご治世となり、全てが変わった。
陛下は、質素ではあるが、心のこもった料理を、いつも、「美味かった」と、そう、言ってくださる。
若き補佐官のフィン様は、帳簿を片手に、無駄な食材の廃棄をなくし、効率的な、予算の運用を、厳しく、しかし、的確に、指導してくださった。
そして、恵みの大地の癒し手、ロザリア様は、「太陽の実」のような、我々が、見たこともない、新しい食材と、その、素晴らしい調理法を、教えてくださった。
俺は、料理人としての、本当の、喜びを、取り戻しつつあったのだ。
この、とんでもない、食いしん坊の、勇者様さえ、いなければ。
「なんだとー! 俺は、この国を救った、英雄だぞ! 昼飯に、ステーキを食うくらいの、権利はあるだろ! それとも、なんだ? 俺に、腹を空かせて、魔王と戦えってのか!」
「口答えをしない! バルカス様から、勇者様の、厳しい修行のための、特別な食事メニューを、預かっております! 今日は、栄養満点の、野菜と、豆のスープです!」
「げえっ! 豆! 俺は、豆が、嫌いなんだよ!」
勇者様は、そう叫ぶと、厨房の中を、逃げ回り始めた。
俺は、お玉を振り回し、その後を、追いかける。
まるで、トムとジェリーの、追いかけっこのようだ、と、若い見習い料理人が、笑いをこらえているのが、視界の端に入り、俺は、さらに、頭に血が上った。
「待て、コラァ! この、役立たず……いや、聖勇者様め!」
◇
その日の午後。
厨房は、つかの間の、静けさを、取り戻していた。
俺は、アレクシオス陛下の、夕食の準備をしていた。
今日のメインは、陛下が、お好きだという、シンプルな、鶏肉の香草焼きだ。
俺は、鼻歌混じりに、鶏肉に、丁寧に、塩と、ハーブを、すり込んでいく。
確かに、勇者様は、とんでもない、頭痛の種だ。
だが、不思議と、今の、この、騒々しい厨房は、嫌いではなかった。
活気がある。
皆が、笑っている。
そして、何よりも、俺の作った料理を、「美味い」と言って、腹の底から、喜んでくれる者たちがいる。
俺は、ふと、窓の外を見た。
練兵場では、あの、勇者様が、鬼の形相のバルカス様に、また、しごかれているのが、小さく、見えた。
「……ふん。せいぜい、精進なされよ、勇者様」
俺は、誰に聞かせるともなく、そう、呟いた。
「腹が、減ったら、また、いつでも、いらっしゃい。……とっておきの、豆のスープを、ご馳走いたしますぞ」
俺の、その、ささやかな、しかし、心のこもった溜息は、夕食の、香ばしい匂いと共に、王都の、活気ある、黄昏の空へと、吸い込まれていった。




