幕間:レオ
アレクシオス国王率いる先遣隊が、エルヴァン要塞へ向けて雪中の強行軍を続けていた頃。
その過酷な旅路の中、軍の士気をある意味で支えていたのは、我らが勇者、田中樹の絶え間ない不平不満だった。
「さみーし、腹減ったし、ケツは痛えし! なんで俺様がこんな目に遭わなきゃなんねーんだよ! バルカスのジジイ! 王様に言いつけて、お前の給料半分にしてもらうからな!」
「やかましい、この穀潰しが! 貴様のその口を動かすエネルギーがあるなら、一歩でも前に進まんか!」
もはや先遣隊の名物詩となったそのやり取り。
休憩の合間、焚火で凍えた手を温めている樹のもとへ、一人の若い兵士が、頬を紅潮させ、瞳を爛々と輝かせながら駆け寄ってきた。
若き兵士レオだった。
「イトゥキ様! お疲れではないですか!?」
「あ? レオか。おう、まあな。俺様にかかれば、こんな雪中行軍、散歩みてえなもんだけどな!」
樹は、焚火に当たりながらふんぞり返って答える。
レオのような分かりやすい信奉者は、彼にとって何より心地よい存在だった。
「すごい……! 俺なんて、もう足の感覚がありません! イトゥキ様は、何か特別な訓練をされているのですか!? 寒さを感じなくする秘訣とか!」
レオは、真剣な眼差しで問いかける。
その純粋な問いに、樹は一瞬だけ考える素振りを見せ、そして自信満々に答えた。
「秘訣か……。まあ、アレだな。気合? やっぱ、勇者は気合と根性! 『寒い』とか思うから寒いんだよ。『これは修行だ』って思えば、逆に燃えてくんだよ、魂が!」
「魂が……燃える……! なるほど!」
レオは、何か天啓を得たかのように目を輝かせ、ぶんぶんと頷いている。
◇
その数日後。
行軍の最中、レオは再び誇らしげに樹に駆け寄ってきた。
「イトゥキ様! ご覧ください、私はイトゥキ様のお言葉通り『気合』で乗り切ろうと、鎧の下は薄着でございます! これも修行かと!」
「はぁ? バカじゃねえのお前、風邪ひくだろ」
樹は思わず素で返してしまった。
レオの、常軌を逸した熱烈さには、さすがの樹も若干引いていた。
「イトゥキ様は、王都での『昏き日』の事件の折、ただそこに立たれただけで、千もの『呪われ人』を鎮められたと、吟遊詩人の方が歌っておりました! あの時、イトゥキ様はどのような心境で、どのような祈りを捧げておられたのですか!? ぜひ、我々にもその教えを!」
レオは、身を乗り出し、食い入るような視線で樹を見つめる。
その目は、もはや尊敬を通り越して、狂信に近い光を宿していた。
「(千!? いつからそんな盛られてんだよ……てか、祈りってなんだよ、俺なんもしてねーし……)あー、まあ、アレだよ。企業秘密? トップシークレット? とにかく、簡単に教えられるもんじゃねーの!」
樹は、レオの圧に負け、後ずさりしながら答える。
「そうでしたか! 大変、失礼いたしました! では、せめて! この、イトゥキ様が今お使いになられている手綱の切れ端を、ひとかけら……! お守りとしてお譲りいただけないでしょうか!」
「いや、ただの革紐だろ、これ!?」
「いいえ! イトゥキ様が触れたものは、全てが聖遺物となり、我々を守る力となるはずです! お願いです、イトゥキ様!」
レオが、本気で馬の横に膝をつき、祈るように手を差し出してきた。
その異様な光景に、樹は完全に引いてしまった。
「わ、わかった! やる! やるから、ちょっと離れろ! 近えよ!」
樹は、馬番に頼んで手綱の端を少しだけ切ってもらうと、それをレオの手に押し付けるように渡し、逃げるようにその場を離れた。
背後から「ありがとうございます、イトゥキ様! 生涯の宝にします!」という、感極まった声が聞こえてきたが、もはや振り返る気にもなれなかった。
「……なんなんだよ、あいつ……。マジで、ちょっと引くわ……」
樹は、一人、自分の馬に乗りながら、先ほどのレオの狂気じみた瞳を思い出し、小さく身震いした。
だが、すぐに彼の思考は、いつもの自己中心的な軌道へと戻っていく。
「……まあ、でも……それだけ、俺様がカリスマってことだよな。うん。アイドルの追っかけとか、こんな感じなんだろ、きっと。やっぱ俺って、どこにいてもスターなんだよな!」
樹は、口の端をニヤリと吊り上げ、少しだけ胸を張った。
背後から注がれる、レオの熱烈な視線が、もはや、それほど不快ではなく、むしろ、心地よいBGMのように感じられ始めていた。




