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第五十三話:落日の反逆者

 

 静寂が、血と泥にまみれた「王の橋」を支配していた。


 ほんの数十分前まで、鉄と鉄がぶつかり合う音と、断末魔の悲鳴が響き渡っていたのが、嘘のようだ。


 マーカス辺境伯は、壊滅した自軍の残骸と、勝ち鬨を上げるシルヴァラント公国軍、そして、まるで亡霊のように静かに佇むロムグール国王軍に囲まれ、数名の護衛と共に、ただ呆然と立ち尽くしていた。


 その彼の前に、二人の男が、ゆっくりと馬を進めてきた。


 一人は、その瞳に、王としての、冷徹な怒りを宿す、若き国王アレクシオス。


 そしてもう一人は、その全身から、裏切り者への、煮えたぎるような殺気を放つ、老獅子バルカス。


「……アレクシオス…殿。いや、陛下。見事な、ご采配で……」

 辺境伯は、震える声で、何とか言葉を絞り出した。


 それは、命乞いか、あるいは、最後のプライドか。


 アレクシオスは、馬上から、氷のように冷たい視線で彼を見下ろした。


「辺境伯。貴殿に、一騎討ちという名誉を与えるつもりはない。貴殿は、騎士ではない。ただの、国を裏切った反逆者だ」

 その言葉は、彼に死よりも辛い屈辱を与えた。


「捕らえよ」

 アレクシオスの短い命令に、バルカスが自ら馬を降り、辺境伯の剣を、侮蔑と共に叩き落とした。


 抵抗する者はいなかった。王国の最大権力者の一人であった男の反乱は、こうして、あまりにもあっけなく、そして惨めに幕を閉じた。


 橋の南岸から、セレスティナ公女が、数名の護衛と共に駆けつけてきた。


 その顔には、安堵と、そしてアレクシオスへの純粋な尊敬の色が浮かんでいた。


「アレクシオス陛下! ご無事で…そして、お見事な勝利、お祝い申し上げます」


「セレスティナ殿下にも、多大なご尽力をいただいた。心から感謝する」


 二人が言葉を交わす中、捕縛された辺境伯が、兵士に引き立てられながら、最後に、アレクシオスを憎々しげに睨みつけた。


「小僧、勝ったと思うな…貴様が戦っておるのは、わしでも、魔王でもない…もっと巨大な、この世の『影』そのものだ…。お前も、いずれその影に喰われる…」


「貴殿の心配には及ばん」

 アレクシオスは、辺境伯の最後の悪あがきを、冷たく一蹴した。


「反逆者として、王都へ連行しろ。裁きは、法の下で、公正に下す」


 ♢


 その夜、野営地は、勝利の安堵と、仲間を失った哀しみが入り混じった、静かな空気に包まれていた。


 アレクシオスは、後処理をバルカスとセレスティナに任せ、一人、野営地の片隅へと足を運んだ。


 そこに、田中樹はいた。


 彼は、一人、膝を抱えて座り込み、焚火の炎を、ただぼんやりと眺めていた。


 その周りには、勝利に沸く兵士たちの喧騒も、届いていないかのようだった。


 アレクシオスは、彼の数歩手前で足を止め、静かに声をかけた。

「……レオのことか?」


 樹は、ゆっくりと顔を上げた。


 その目には、いつものような自信や、ふてぶてしさはなく、ただ、子供のような、戸惑いの色だけが浮かんでいた。


「……王様か」

 彼は、アレクシオスの問いには答えなかった。


 ただ、もう一度、炎を見つめる。


「……なんかさ。あいつ、俺のこと、すげーって、ずっと言ってたんだよな。俺、勇者だから、すげーって。……でも、結局、死んじまったら、それで終わりなんだな。どんなにすげー奴でも、どんなに弱い奴でも、死んだら、もう、何もねえんだな……」


 ぽつり、ぽつりと、彼が紡ぐ言葉。


 それは、彼がこの異世界に来て初めて、自らの内面と向き合った、痛々しい独白だった。


 アレクシオスは、何も言わずに、静かに彼の隣に腰を下ろした。


 そして、同じように焚火の炎を見つめながら、静かに口を開いた。


「……ああ。ゲームとは、違うからな」


 その、あまりにも場違いな、しかし、あまりにも聞き慣れた単語に、樹は、ハッとしたようにアレクシオスの顔を見た。


「……ゲーム…?」


 アレクシオスは、初めて、王の仮面を脱ぎ捨てた。


 その目に宿るのは、この世界の王としてではない、ただの一人の男としての、深い疲労と、そしてわずかな郷愁だった。


「俺も、お前と同じだよ。―――田中樹君」


 アレクシオスは、彼の本名を、はっきりとした日本語のアクセントで呼んだ。


「は……? はあああああ!? な、何言ってんだよ、王様! なんで、俺の……!?」


 樹は、生まれて初めて幽霊でも見たかのように、顔面蒼白になって後ずさる。


「俺は、相馬譲そうまゆずる。新宿のオフィスで、書類の山に埋もれてた、ただの会社員だった。過労死して、気づいたら、ここにいた」


 アレクシオスは、自嘲するように、そう言った。


「かろうし……?」

 樹が、その聞き慣れない、しかし、どこかで聞いたことがあるような響きの言葉を繰り返す。


「ああ、過労死だ。ブラック企業で、死ぬまで働かされることさ。……俺らがいた世界じゃ、珍しくもない死に方だろう?」


 その言葉は、決定的な証拠だった。


「ブラック企業」「過労死」―――そんな、異世界にあるはずのない、あまりにも生々しい日本語。


 樹の目から、みるみるうちに光が失われ、そして、次の瞬間、まるで堰を切ったように、大粒の涙が、その頬を伝い始めた。


 それは、恐怖でも、悲しみでもない。


 この、あまりにも理不尽で、孤独な世界で、初めて、本当に初めて、自分と同じ言葉を、同じ常識を、同じ痛みを共有できる人間に、出会えたことへの、安堵の涙だった。


「……う……うわあああああああん……!」


 彼は、もはや「勇者」でも何でもなかった。


 ただ、いきなり異世界に放り出され、わけもわからないまま戦わされ、強がっていないと壊れそうだった心が、仲間の死を目の当たりにして、その心が壊れかけていた、十七歳の少年、田中樹に戻っていた。


 アレクシオスは、子供のように泣きじゃくる彼の背中を、ただ、黙ってさすってやることしかできなかった。


 国内の反乱を鎮圧し、ロムグール王国を真に統一したアレクシオス。


 だが、彼の戦いは、まだ始まったばかりだった。


 本当の敵を見据え、そして、隣で泣きじゃくる、唯一の同郷人を、どう導いていくのか。


 王としての、そして、一人の日本人、相馬譲としての、新たな戦いが、始まろうとしていた。


 第一部 了



ここまで御覧いただき、ありがとうございます。

とりあえず、第一部完と言うことで、しばらく幕間を1日1話更新でいきます。

その後、第二部か若しくは新作の投稿を始めようと思います。

またよろしくお願いします。

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