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第五十話:王の一太刀と、最弱の遺言

 

 戦場の流れは、一人の道化によって、あまりにも唐突に、そして完全に覆された。


 指揮系統を失い、伝説の「勇者」の威光に怯える魔物の群れは、勢いを取り戻した連合軍の刃の前に、なすすべもなく崩れていく。


 勝利は、もはや目前だった。


 だが、戦場の中心、その一体だけが、まだ絶望の象徴として、その場に君臨していた。


 “魔王”モルガドール。


 彼は、自軍の崩壊を、そして丘の上で勝利のポーズを取る、あの忌々しい黄金の小僧を、しばし呆然と眺めていた。


 そして、理解した。


 彼は、一杯食わされたのだ。


 あの丘の上の、力が空っぽの小僧に。


 そして、その小僧を操り、この戦場全体の流れを覆した、あの小生意気な人間の王に。



 彼の、単純で、力こそが全てであった世界が、理解不能な「何か」によって、根底から破壊された。


 その瞬間、彼の思考を支配していた疑心暗鬼の霧は、凄まじい怒りの炎となって、一気に燃え上がった。


「オオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!」


 獣の咆哮ではない。


 傷つけられた、誇り高き戦士の、魂からの絶叫だった。


 その声は、戦場の全ての音をかき消し、敵も味方も、誰もがその巨体に視線を向けた。


 モルガドールは、もはや崩れゆく自軍の兵士たちには目もくれなかった。


 その巨大な魔眼まがんが捉えるのは、ただ一人。


 全軍の指揮を執る、黒い鎧の人間の王。


「―――貴様だけは、この手で、八つ裂きにしてくれるわ!」


 モルガドールは、その巨体に見合わぬ驚異的な速度で、アレクシオスまで、一直線に突進を開始した。


 その進路上にいた味方のオークやトロールは、まるで小石のように、無慈悲に蹴散らされていく。


「陛下、お下がりください!」


「来るぞ!」


 アレクシオスの前に、二人の獅子が立ちはだかった。


 傷つきながらも、再び立ち上がった老獅子バルカス。


 そして、友の仇を討つという、復讐の炎をその瞳に宿す若き獅子グレイデン。


 二人の大剣が、モルガドールへと同時に襲いかかるが、怒りに燃える巨魁の前では、その抵抗ですら時間稼ぎにしかならなかった。


 戦斧の一薙ぎが、二人の歴戦の騎士を、木の葉のように吹き飛ばす。


 モルガドールは、アレクシオスの目の前まで迫っていた。


(……ここまでか)


 アレクシオスは、死を覚悟した。


 だが、その瞳から、王としての光は消えていない。


 彼は、もはや自ら剣を振るうことを半ば諦め、その意識の全てを、スキル【絶対分析】に集中させていた。


 脳内に、火花を散らしながら、目の前の巨魁の、ありとあらゆる情報が流れ込んでくる。 


(攻撃パターン、呼吸の乱れ、鎧の亀裂、古傷の庇い……! 勝機は、ない。ない。ない!……いや、ある! ほんの一瞬、コンマ一秒の隙が、生まれる可能性がある!)


 絶望的な状況に、諦めたかのように剣を持った手をだらりと下ろすアレクシオス。


 その状況を見たモルガドールは、アレクシオスなどいつでも殺せると判断したのか、まず、自分に手傷を負わせた、そして、吹き飛ばされたはずが、後ろから迫ってきていた、より厄介なグレイデンへとその矛先を向けた。


「まずは貴様からだ、人間の生き残り!」


 戦斧が、グレイデンの頭上めがけて、天から振り下ろされる!


 その瞬間、アレクシオスは、見出した唯一の勝機に、その声の全てを賭けて叫んだ。


「バルカスッ! 膝だッ!!」


 その一言で、全てを察した。


 吹き飛ばされ、泥にまみれながらも立ち上がったバルカスは、防御を捨て、残った全ての力を、その一点に込めた。


 狙いは、モルガドールが古傷を庇う左膝!


「おおおおおっ!」


 前後のアレクシオスとグレイデンに意識が行っていたモルガドール。


 老獅子の渾身の一撃が、モルガドールの左膝に、盾ごと叩きつけられた。


「ぐっ!?」


 致命的なダメージには至らない。


 だが、その衝撃は古傷に確かな痛みを与え、グレイデンに振り下ろされようとしていた戦斧の軌道が、ほんのわずかに、しかし、致命的に逸れた。


「今だ!」


 死を覚悟していたグレイデンは、その好機を見逃さなかった。


 彼は、逸れた戦斧の柄を自らの肩で受け止めながら、その勢いを利用して、懐へと潜り込む。


 そして、復讐の全てを込めた剣を、モルガドールの脇腹の装甲の隙間へと、深々と突き立てた!


「ぐおおおおっ!? この、小虫がぁっ!」


 激痛に、モルガドールが咆哮する。


 彼は、脇腹に食い込んだグレイデンを、鬱陶しげに左腕で薙ぎ払った。


 そして、その行動こそが、最後の隙を生んだ。


 グレイデンを薙ぎ払うために大きく開かれた、左の脇腹。


 そこには、心臓へと続く、鎧のわずかな継ぎ目があった。


 アレクシオスは、すでに地を蹴っていた。


 彼が叫んだ時から、この瞬間が生まれることを、彼は確信していた。



 彼の身体は、これまでの人生で最も速く、そして最も正確に、ただ一点を目指して飛翔する。


(……そういえば、俺はなんでこんなことしてるんだ。なんで剣を振るって、魔王なんかに立ち向かっているんだ。俺はただの……ただの社畜だったのに……。いや、俺は…)


「俺は、ロムグール国王、アレクシオス・フォン・ロムグールだ!!!」


 彼の剣の切っ先が、まるで、最初からそこへ吸い込まれることが運命であったかのように、寸分の狂いもなく、その鎧の隙間へと、深く、深く、突き刺さった。


「……が…はっ……!?」


 モルガドールの巨大な身体が、びくりと痙攣した。


 彼が、ゆっくりと、信じられないといった表情で、自らの心臓を貫いた剣を見下ろす。


 そして、その剣を握る、小さな人間の王を見つめた。


 時が、止まった。


 やがて、巨魁は、ゆっくりと、その場に膝をついた。


 地響きと共に。


 周囲の魔物たちが、王の敗北を悟り、さらに恐慌状態に陥って逃げ惑う中、アレクシオスは、荒い息を繰り返しながら、ただ、目の前の巨魁を見つめていた。


 リリアナ、バルカス、グレイデンが、急いで彼の元へ駆け寄る。


 モルガドールは、もはや息も絶え絶えだった。


 だが、彼は、最後の力を振り絞り、その巨大な手で、アレクシオスの腕を掴んだ。


 そして、その顔を、耳元へと引き寄せた。


 その声は、もはや、そこにいた四人にしか聞こえないほど、か細い、風のような囁きだった。


「……見事、だ……。人間の、王よ……」


 その瞳には、もはや憎悪はなく、ただ、一人の戦士としての、純粋な称賛の色が浮かんでいた。


「まさか、この、モルガドールが……。人間の、知恵と、勇気に……敗れる、とはな……」


 アレクシオスは、言葉もなく、ただ彼の最期を見守っていた。


 勝った。


 奇跡的に、勝ったのだ。


 だが、モルガドールは、死にゆく瞳で、どこか憐れむように、アレクシオスを見つめて、最後の言葉を紡いだ。


「だが、喜ぶな……。この私を倒したところで、何の意味もない……」


「……私は、あのお方の、偉大なる配下の……四天王の中では……」


「―――最弱、なのだからな」


 その言葉を最後に、モルガドールの巨体は、禍々しい光を放ち始めた。


 掴んでいた手がするりと離れ、彼の身体は、まるで陽炎のように、その輪郭が崩れ、黒い塵と化して、エルヴァンの冷たい風の中に、跡形もなく消え去っていった。


 後に残されたのは、静まり返った戦場と、勝利したはずなのに、誰一人として歓声を上げられない、呆然とした四人の姿。


「……四天王?……最弱……だと……?」

 アレクシオスの、かすれた声が、虚しく響いた。


 彼らは勝ったのだ。確かに「魔王」を討ち取ったのだ……。


 討ち取ったはずだった、魔王を……。


 だが、その勝利は、あまりにも重く、そして絶望的な響きを持つ、呪いの言葉と共にあった。


 本当の戦いが、今、まさに始まろうとしていることを、彼らだけが知ってしまったのだから。


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