第四十七話:救援の角笛、獅子の激突
エルヴァン要塞の内門が、巨大な攻城槌の最後の一撃を受け、轟音と共に砕け散った。
木片と石の破片が飛び散り、その向こう側から、勝利の雄叫びを上げるオークやトロールの、おぞましい顔が雪崩れ込んでくる。
「……これまで、か」
司令官グレイデン・アストリアは、血と泥にまみれた顔で、そう呟いた。
副官ゲルトを失い、兵士のほとんどは満身創痍。
矢は尽き、魔法の力も枯渇寸前。
もはや、奇跡が起こる余地はなかった。
だが、彼の瞳から、闘志の光は消えていない。
「聞け、エルヴァンの最後の兵たちよ!」
グレイデンは、傍らに突き立てていた、亡き友の部隊旗を掴み、高く掲げた。
「我らの背後には、ロムグールがある! 我らが王がいる! 獣どもに、この門の内側を、一歩たりとも踏ませるな! 騎士の誇り、その命で示せ!」
彼は、大剣を構え、押し寄せる魔物の群れに向かって、死を覚悟した最後の突撃を敢行しようとした。
兵士たちもまた、司令官のその鬼気迫る姿に、最後の力を振り絞り、雄叫びを上げて続こうとする。
まさに、その、全てが終わろうとしていた瞬間だった。
ブオオオオオオオオオッ!
戦場の喧騒、魔物の咆哮、その全てを切り裂いて、一つの、澄み切った、しかし力強い音が、谷全体に響き渡った。
それは、角笛の音だった。
一つではない。
二つ、三つと、その音は重なり合い、絶望に沈む戦場に、一つの旋律を奏で始めた。
ロムグール王家に、古来より伝わる、出陣と勝利のファンファーレ。
「……な、なんだ……この音は……?」
突撃しようとしていたオークたちが、戸惑ったように足を止める。
グレイデンもまた、剣を構えたまま、信じられないといった表情で、音のする方角―――南の、雪に覆われた稜線を見上げた。
「……馬鹿な。まさか……」
次の瞬間、その稜線の上に、いくつかの旗が、まるで森のように現れた。
風に翻る、黄金の獅子を刻んだ、ロムグール王家の紋章旗。
その中心で、黒い鎧を纏った一人の騎士が、静かに剣を掲げている。
軍の規模は決して大きくはない。
だが、その一団から放たれる気配は、絶望的な戦況を覆すほどの、強烈な希望の光を放っていた。
「……おお……」
グレイデンの目から、熱いものが込み上げてくるのが分かった。
「おおおおおおおおっ! 王が……! 我らが王が、来られたぞぉぉぉぉっ!!」
その声は、もはや司令官のものではなく、死の淵から生還した、一人の兵士の、魂からの歓喜の叫びだった。エルヴァンの、生き残った全ての兵士たちが、空を仰ぎ、涙ながらに雄叫びを上げた。
稜線の上。アレクシオスは、眼下に広がる地獄絵図と、陥落寸前のエルヴァン要塞を、その目に焼き付けていた。
「……間に合った、か。いや、ギリギリだ」
彼の隣で、バルカスが、その厳つい顔を怒りに歪ませる。
「あの獣どもめ……! 我が弟子たちを、ここまで……! 陛下、ご命令を!」
「かしこまりました!」
アレクシオスは、敵軍の布陣と、数で圧倒的に不利な自軍の戦力を、一瞬で見比べた。正面からの衝突は、自殺行為だ。
「バルカス!」アレクシオスが叫ぶ。
「騎馬隊を率い、敵の右翼を突け! 狙いは一点、正門前の敵をこじ開け、グレイデンたちと合流する道を作れ!」
「御意!」
「リリアナは、上空から炎の魔法で、敵陣を撹乱! 騎馬隊の突撃を援護せよ!」
「お任せください!」
「残りの歩兵部隊は、私と共に、中央から圧力をかける! 」
「全軍!突撃!!」
アレクシオスの号令一下、救援の角笛が、今度は攻撃開始の合図となって、高らかに鳴り響いた。
「うおおおおおおおっ!」
バルカス率いる、新生ロムグール騎士団の騎馬隊が、雪の斜面を、まるで雪崩のように駆け下りていく。
その先頭に立つバルカスは、まさに老いたる獅子そのもの。
その手にした大剣が、冬の太陽を反射して、ギラリと光った。
完全に不意を突かれた魔王軍の右翼は、その凄まじい突進力の前に、なすすべもなく蹴散らされていく。
馬蹄が地を揺るがし、騎士たちの槍が、オークの分厚い胸板を紙のように貫いていく。
「な、何事だ!? 敵の援軍だと!?」
「どこから現れた!?」
敵陣は、一瞬にして大混乱に陥った。
「見たか、若造ども! これが、ロムグール騎士団の戦い方よ!」
バルカスは、馬上から大剣を振るい、敵兵を薙ぎ払いながら、獅子奮迅の働きを見せる。
その姿は、味方の兵士たちの士気を極限まで高め、敵兵の心を恐怖で凍りつかせた。
その頃、敵本陣の丘の上で、戦況を眺めていた“魔王”モルガドールは、その巨大な顔に、初めて苛立ち以外の感情を浮かべていた。
最初は、邪魔な羽虫が現れたことへの、純粋な怒りだった。
だが、敵の騎馬隊の、その中心で戦う一人の騎士の姿に、彼の目は釘付けになった。
(……ほう。あの老いぼれ……。ただの人間ではないな。その剣筋、その気迫……長年、死線で磨き上げられた、本物の戦士の匂いがする)
モルガードールの、血と殺戮にしか興味のなかった心に、久しく忘れていた感情が蘇る。
強者と戦いたい、という、純粋な闘争本能。
「ククク……ハッハッハッハ! 面白い! 実に面白いぞ、人間ども! この我を、ここまで楽しませてくれるとは!」
彼は、指揮を執るのも忘れ、巨大な玉座から立ち上がると、傍らに立てかけてあった、身の丈ほどもある巨大な戦斧を、その手に掴んだ。
「ようやく、骨のある獲物が現れたわ!」
モルガドールは、丘の上から、まるで巨大な隕石のように、戦場の真っ只中へと跳躍した。
着地の衝撃で、地面が揺れ、周囲にいた味方のオークたちが、十数体も吹き飛ばされる。
彼は、他の雑兵には目もくれず、ただ一人、獅子のように荒れ狂うバルカスだけを見据え、一直線に、地響きを立てて突進していく。
その、あまりにも巨大で、おぞましいまでの殺気に、バルカスもまた、気づいた。
「……来たか、大将首が」
老獅子の口元に、不敵な笑みが浮かぶ。
彼もまた、この戦場で、己の全霊をぶつけられる相手の登場を、どこかで待ち望んでいたのかもしれない。
バルカスは、馬の向きを変え、向かってくる巨大な影を、正面から迎え撃つ。
老いたるロムグールの獅子と、戦場に君臨する魔の巨魁。
二人の「獅子」が、今、エルヴァンの雪原で、互いの全てを賭けて、激突しようとしていた。




