第二十二話:慧眼の公女と、大陸を動かす布石
シルヴァラント公国の公女セレスティナが王都に滞在して二日目の朝。俺、アレクシオス・フォン・ロムグールは、国王執務室でズキズキと痛むこめかみを指で押さえながら、山積する書類の山と格闘していた。
(昨日の謁見は、まさに嵐だったな……)
思い出されるのは、我らが勇者、田中樹の暴挙と、それに全く動じず、むしろ面白がって見せたセレスティナ公女の、あの底の知れない微笑み。
(あの公女、ただの可憐な姫君ではない。間違いなく切れ者だ。こちらの内情も、勇者のポンコツぶりも、全て見透かした上で、俺という王の器を測りに来ている。だが、好都合でもある)
俺の脳裏には、大陸全土を巻き込む壮大な構想が描かれ始めていた。
いきなり大陸中の国を集めて「魔王と戦うぞ!」と叫んだところで、実績も信用もない小国の、しかも元「愚王」の言葉に誰が耳を貸す? だからこそ、まず作るのだ。このシルヴァラント公国という、ガルニア帝国に対抗する上で最も重要な隣国と、盤石な協力関係という『成功モデル』を。
この最初の成功例こそが、日和見を決め込む他の国々を動かす、最大のカードになる。
「陛下、失礼いたします。シルヴァラント公国との具体的な協力協定に関する草案を、フィン殿と共に作成してまいりました」
リリアナが、少しだけ隈の目立つ、しかし充実した表情のフィンを伴って入室してきた。
フィンの手には、びっしりと数字と図表で埋め尽くされた羊皮紙の束が握られている。
「王様、昨日のあの姫さん、見かけによらず結構肝が据わってるじゃねえか。おかげで、こっちも遠慮なく、両国にとって最も効率的な協力案を叩き台として作れたぜ。まあ、向こうの役人がこれを見て卒倒しなけりゃいいがな」
フィンは、相変わらずの不遜な態度で、しかし確かな自信を滲ませて草案を俺に差し出した。
「……見事なものだ、フィン。経済、軍事、そして物流。あらゆる角度から分析されている。これは単なる二国間協定の草案に留まらん。いずれ他の国々…特にヴァンドール商業都市同盟のような実利を重んじる連中に見せるための、完璧な『雛形』になるだろう」
俺がその戦略的価値を評価した、まさにその時だった。
「陛下、シルヴァラント公国のセレスティナ公女殿下が、本日午後の正式な会談の前に、ぜひロムグール王国の『新たな力』を拝見したいと……。特に、ロザリア殿の薬草園と、フィン殿の執務の様子にご興味がおありのようです」
(なるほど……。単なる会談だけでなく、こちらの『実力』をその目で直接確かめようというわけか。良いだろう。見せてやろうじゃないか、この国の新たな息吹を。そして、我々と組むことがどれほどの利益になるかを)
その日の午後、俺はセレスティナ公女とその補佐官を伴い、城内に新設された薬草園とフィンの執務室を案内した。ロザリアの持つ奇跡的な農業・薬草学の知識。
フィンの持つ国家財政を根底から覆すほどの分析能力。
その二つの「新たな力」を目の当たりにしたセレスティナ公女の瞳には、驚きと共に、確かな信頼の色が浮かんでいた。
彼女は聡明なればこそ、この才能が自国、ひいては大陸全体にとってどれほど重要かを即座に理解したのだ。
夕刻、改めて設けられた会談の席。俺は、彼女に真っ直ぐに向き直り、俺の真意を告げた。
「公女殿下。フィンやロザリアの力、ご覧いただけたかと思います。我が国は、彼らと共に、必ずやこの国難を乗り越える覚悟です。ですが、これはロムグール一国のための力ではありません。私は、このロムグールとシルヴァラントの同盟を、来るべき『対魔王大陸戦略会議』の揺るぎない『礎』としたいのです。 我々二国がまず固い絆で結ばれ、具体的な協力体制と成果を示すことで、大国も、他の小国も、我々の本気度を認めざるを得なくなるでしょう。これこそが、大陸全体の足並みを揃えるための、最初の、そして最も重要な一歩だと、私は信じております」
俺の言葉に、セレスティナ公女はハッと息を呑み、そして、深く、心からの敬意を込めた眼差しを俺に向けた。
「……アレクシオス陛下。あなたの慧眼、そして大陸全体を見据えたそのご覚悟、しかと拝見いたしました。完敗ですわ。いいえ、我がシルヴァラントは、最良の同盟国を得ることができました。これほどの叡智と慈愛に満ちた人材を揃え、それを大陸の未来のために使おうとされるあなた様がいる限り、魔王の脅威も決して恐るるに足りません。我が国は、ロムグール王国とその大義に、未来永劫の友好を誓います」
まさに、両国の新たな同盟が、盤石なものとして結ばれようとした、その時だった。
ドッタンバッタン!
会議室の扉が、外から激しく叩かれる音と、何かを追いかけるような騒がしい足音が響き渡る。
「待てコラァ! この勇者(と書いて、ただの食いしん坊と読む)め! またつまみ食いか! 今度こそ許さんぞ!」
「うっせーな! 俺は腹が減ってんだよ!」
次の瞬間、扉が勢いよく開き、我らが勇者・田中樹が転がり込んできた。
そして、彼の目は、テーブルの隅に置かれていた、セレスティナ公女が持参した見事なフルーツタルトに釘付けになったのだ。
「うおっ! なんかすげー美味そうなケーキ発見! 俺、これ食う!」
樹は、誰の許可も得ずに、そのタルトに掴みかかり、大きな口でガブリと頬張った!
「「「あああああああっ!」」」
リリアナと、セレスティナ公女の侍女の悲鳴が重なる。会議室の空気は、一瞬で凍りついた。
(……この布石が台無しになるだろうが、この大馬鹿者がぁっ!)
俺の胃が、再び臨界点を超えた悲鳴を上げた。
だが、セレスティナ公女は、その光景を前に、怒るでもなく、呆れるでもなく、ただただ楽しそうに、そして慈愛に満ちた目で微笑んでいた。
「ふふっ……。陛下、ご心配なく。勇者様が気に入ってくださったのなら、タルトも本望でしょう。それに……」
彼女は、俺を見つめ、確かな信頼を込めて言った。
「これほどの『嵐』を乗りこなし、大陸の未来まで見据える船長がいる船ならば、どんな荒波も越えていける。わたくし、そう確信いたしましたわ」
その言葉が、嘘偽りのない本心であることを、はっきりと示していた。
シルヴァラントとの同盟は、大陸を動かすための最初の、そして最も重要なドミノを倒したに過ぎない。
これから、このドミノをどう広げていくか……。ロムグール王国の、そして俺自身の本当の戦いが、今、始まろうとしていた。
俺の胃は、今日もまた、フル稼働だった。
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