最終話:異世界国王に転生したものの、召喚勇者がマジで役に立たない件
アルカディア大陸に訪れた平和は、もはや人々の営みの中に深く根差し、確かなものとなっていた。
王都カドアテメの城前広場は、年に一度の「解放記念式典」を祝う晴れやかな熱気に満ちている。
俺、アレクシオス・フォン・ロムグールは祭壇の前に立ち、集まった騎士たち、諸侯の代表、そして王都の民を前に、追悼の言葉を述べていた。リリアナの魔法が増幅した俺の声が、広場の隅々にまで響き渡る。
「―――我々は、多くのものを失った。王都を守るために、老獪な知恵の全てを最後の忠義に変えた宰相イデン・フォン・ロムグール。東方の影を狩る戦いで、仲間を守る盾となって散った若き剣士シズマ。そして、北の激戦で、砕けた牙を最後の誇りとして燃やし尽くした騎士レナード・フォン・ゲルツ……」
俺は、一人一人の名を、その魂を慈しむように、ゆっくりと紡いでいく。
「名もなき多くの兵士たちが、命を賭して我らの道を開いた。そして、一人の若い兵士がいた。彼は、ただひたすらに勇者を信じ、小さな背中を守るために、若すぎる命を散らした。騎士レオ、君の勇気を、我々は決して忘れない」
広場の喧騒が、嘘のように掻き消えた。兵士たちは兜を脱いで胸に当て、民は固く目を閉じ十字を切る。誰もが、今は亡き英雄たちの魂に、祈りを捧げていた。
「そして、忘れてはならない名が、もう一つある」
俺は、一際、強く、そして澄んだ声で続けた。
「千年の昔、絶望的な戦いの中で、最後まで世界を救おうと戦い、あまりにも気高い魂故に、世界の絶望を一身に背負い、光の全てを燃やし尽くした英雄がいた。名は、勇者ハルキ。彼の苦しみと悲劇の上に、我々の今の平和は成り立っている。今日この日、我々は、彼もまた、この世界を救った真の英雄であったと」
歴史の片隅で、悲劇の英雄として僅かに語り継がれてきた伝説の名が、今、建国の英雄たちと並び称された。観客席の片隅にいた賢者セレヴィアが顔を伏せ、肩が震えているのを俺は見た。
「英雄たち彼らが命を賭して守り抜いた世界を、より良く、より豊かな場所へと導くこと。それこそが、残された我々の責務である。皆、顔を上げてほしい。我々の戦いは終わった。だが、我々の、未来を築くための歩みは、今、ここから始ま―――」
荘厳な演説の、最も重要な一節を。
一つの、あまりにも場違いな絶叫が、粉々に打ち砕いた。
「おーーーーーい! 王様ぁっ! そのかったるい話、まだ終わんねーのかよぉぉぉっ!!」
人垣をかき分け、我らが勇者、田中樹が飛び出してきた。数年前よりいくらか精悍になったが、瞳に宿る光は、相変わらずだ。背後から、もはや怒る気力すら失せたかのような、諦観の表情を浮かべたバルカスが、やれやれと首を振っている。
「腹が減って死にそうだぞ! 英雄への褒美は、神聖にして不可侵な権利だろうが! ステーキ! 約束の、特上のステーキはまだか! なあ、ついでにレオの墓にも一枚、供えてやろうぜ! あいつ、腹減ってっかもしんねえし!」
樹は、式典の厳粛な空気など微塵も意に介さず、祭壇の前までずかずかと歩み寄ると、高らかに宣言した。
広場が、凍りつく。諸侯の代表たちは顔を引きつらせ、聖職者たちは呆然と口を開けている。
だが、次の瞬間。
くすり、と、どこからか笑いが漏れた。やがて、広場全体が、温かく、そしてどうしようもなく楽しげな、大爆笑に包まれた。
「また始まったぞ、勇者様のステーキ催促が!」
「これがないと、勇者様は締まらねえ!」
悲しみに沈んでいた心が、このどうしようもない男の、生命力そのもののような叫びによって、無理やり「生きる」方へと引き戻されていく。
民衆は、知っているのだ。このどうしようもない男が、紛れもなく、世界を救った英雄であることを。
俺は、呆れを通り越し、もはや一種の愛おしさすら覚えながら、眼前の光景を眺めていた。
涙を流しながら、腹を抱えて笑う民の姿。そして、その中心で「なんだよ、何がおかしいんだよ!」と、一人だけきょとんとしている、我らが勇者。
―――ああ、そうか。
心の底から、一つの真実に行き着いた。
俺は、涙を流しながら笑っている老婆の顔を見た。
千年前の勇者ハルキは、彼女の涙を見て、己の無力さを呪っただろう。英雄として、完璧であろうとしたが故に。
だが、この男は、己の無力さなど、とうの昔に受け入れている。いや、そもそも気にしてすらいない。
彼は、英雄であろうとしない。ただ、田中樹として、腹を空かせ、ステーキを求める。その、あまりにも人間的で、どうしようもない姿が、人々に「それでも生きていていいのだ」という、最強の免罪符を与えている。
―――そうか。
人々が求めていたのは、神に近い、完璧な英雄ではなかった。
どんな悲劇の只中にあっても、自分たちと同じように、腹を空かせるだけの、英雄としては、マジで役に立たない男だったのだ。
俺は、込み上げてくる笑いを、もう、抑えることができなかった。
そして、まだ何か言いたげな樹の肩をぽんと叩くと、集まった全ての者たちに向かって、高らかに宣言した。
「―――式典は、以上だ! 今宵は、英雄たちの魂に感謝し、未来を祝う宴を開く! 全員に、腹一杯の食事とエールを振る舞おう! もちろん、勇者殿には、大陸一のステーキをな!」
「「「おおおおおおおっっ!!」」」
地鳴りのような歓声が、平和な王都の空に、高らかに響き渡った。
宴が始まり、人々が勝利の美酒に酔いしれる中、俺は一人、城のバルコニーから喧騒を眺めていた。
厨房の方角から、樹と料理長が「焼き加減が違う!」「うるさい、食いしん坊勇者め!」と、恒例の言い争いを繰り広げる声が聞こえてくる。
俺は、夜空に浮かぶ月を見上げながら、再び、笑みを漏らした。
王としての戦いは、これからも続いていく。
だが、それでいい。
この、どうしようもなく騒がしくて、温かい日常を守るためならば。
たとえ、隣にいるのが、比類なき英雄であり、世界で一番マジで役に立たない勇者だったとしても。
希望に満ちた物語は、ここで幕を閉じる。
【了】
…その頃。
アルカディア大陸とは、異なる理に支配された世界。
血と鉄錆の匂いが満ち、空には常に三つの不吉な月が浮かぶ、修羅の世界『外の大陸』。
無数の、敗者の魂を練り上げて作られた玉座に、一つの影が、座していた。
数年前、世界の裂け目の向こう側から、ほんの一瞬だけ、ありえないエネルギーの奔流が、こちらの世界にまで漏れ出してきた。
奔流をその身に吸収した影は、何万年もの間、ただ闘争だけを繰り返してきたこの修羅の世界で、初めて、絶対的な「王」として、君臨した。
「王」は、ゆっくりと、立ち上がった。
そして、玉座の影から、三つの月が照らす光の中へと、姿を現した。
絹のような銀髪は腰まで流れ、大きな瑠璃色の瞳は、慈愛ではなく、底なしの虚無を映している。
姿は、服装は、顔立ちは、かつてアレクシオスたちの前に現れた、あの女神と瓜二つだった。
唇が、絶対的な支配者の響きをもって、開かれた。
神々しい顔に浮かぶのは、救済ではなく、ただ、自らがもたらす、新たな世界の法則への宣言。
『―――新たな理を、始めよう』
【完】
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
長い物語も、みなさんが読んでくれたからこそ最後まで走り切れました。
一応はここで完結ですが……正直なところ、この世界や登場人物たちはまだまだ頭の中で動いています。
もしかしたら続きがある?かもしれません。
そのときはまたぜひ覗きに来てもらえたら嬉しいです。
そしてちょっと告知を。
後日、新作、
「異世界小田原城!〜難攻不落の城と共に、異世界で安寧を築く〜」
を投稿します!投稿開始時期は、またXや活動報告等でお知らせします。
今度はまたガラッと雰囲気の違う物語になりますが、よければこちらもチェックしてみてください。
改めて、ここまでお付き合いいただきありがとうございました!
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よろしくお願いします。




