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第百八十三話:それぞれの道

 

 あの、世界の理を書き換えるほどの光が世界を包み込んでから、数年の月日が流れた。


 アルカディア大陸は千年ぶりに訪れた平和の中で、着実に新しい時代への歩みを始めていた。神に見捨てられ、それでも自らの足で立つことを選んだ、人間たちの物語の始まりだった。


 【旧帝国領:鷲の再興】

 崩壊したガルニア帝国の旧帝都。


 中心にそびえていた壮麗な黄金の鷲の宮殿は見る影もなく、瓦礫の山と化している。だが、瓦礫の中から、新たな国を築こうとする者たちの力強い槌の音が響き渡っていた。


「―――遅い! その石材一つ運ぶのにどれだけ時間をかけている!」

 鋭い叱責の声が再建作業に励む者たちの背中に突き刺さる。


 声の主はヴァレンティン。

 傲岸不遜を身に纏っていた帝国の将軍は、華美な装飾を捨て泥と汗にまみれながら自ら復興の指揮を執っていた。


「申し訳ありませんヴァレンティン様!」

「ですがこの瓦礫の山では思うように……」


 弱音を吐く元帝国兵の残党たち。彼らは皇帝を失い国を失い、一時は生きる意味すら見失っていた。


 そんな彼らを奮い立たせたのは、この氷の仮面を持つ男の熱い情熱だった。


「言い訳は聞かん。お前たちはそれでも帝国の鷲を胸に抱く兵か。ならばその手で新たな礎を築け。かつての虚飾にまみれた帝国ではない。力と秩序そして誇りを取り戻すための真の帝国をだ」

 言葉に兵士たちの瞳が力を取り戻す。


 彼らはヴァレンティンという新たな指導者の下に、再び一つの旗の下に集おうとしていた。


 そんな彼の元へ一人の女性が音もなく歩み寄る。瓦礫の上とは思えないほどしなやかで、よどみない動きだった。


「―――相変わらず口の悪いこと。それでは人がついてきませんわよヴァレンティン様」


「ヘルガか。貴様こそ東方の偵察任務はどうした。もう終わったのか」


「ええおかげさまで。東の領主共もようやく一枚岩になることを決めたようですわ。もっともあの小国の王がいなければ、あと百年はかかったでしょうけれど」

 ヘルガはくすりと笑った。


 彼女はかつてヴァレンティンの密偵として暗躍していた。魔王との危機が迫る中、闇滅隊に身を寄せ情報網と戦闘技術で貢献したが、戦いが終わった今、彼女は再びヴァレンティンの影としてその覇道を支える道を選んだのだ。


「それで? 成果はあったのか」


「もちろん。商業都市同盟との新たな交易路の確保。そしてシルヴァント公国からの技術支援。……あなた様が瓦礫を眺めていただけではないことの証明ですわ」


「……ふん。口だけは達者なことだ」

 ヴァレンティンは吐き捨てると空を見上げた。


 脳裏に蘇るのは、あの最後の戦いの後、王都カドアテメで交わした小国の王との会話だった。


『―――帝国は貴公に任せる。ヴァレンティン将軍』


『……ふん。俺に敗戦処理を押し付けるか。小国の王も人が悪い』


『人聞きの悪いことを言うな。俺は貴公を信じているだけだ。貴公ならばガルニアをより良い国へと導けると』


『……勝手なことを。だがまあいいだろう。叔父上が残されたこの巨大な負債は、誰かが返さねばなるまい。……ただし勘違いするなよアレクシオス。俺は貴様の軍門に下ったわけではない。いずれこのガルニアが再興を果たした暁には、必ずや貴様のロムグールを力でねじ伏せてくれる。それまでせいぜいその玉座で震えているがいい』

 言葉は本心だった。


 今の彼の心にはかつてのような、他者を蹂躙するための渇望はなかった。あの理不尽でどこまでも人間臭い王と、いつか対等な立場で再び覇を競い合いたい。


 純粋な武人としての願いが、今の彼を突き動かしていた。


【エルヴァン要塞:北壁の誓い】 

 大陸最北端エルヴァン要塞。

 無骨な城壁の上には信じられない光景が広がっていた。

 ロムグール王国の騎士たちと屈強なオークの戦士たちが肩を並べ、一つの巨大な弩の設置作業に汗を流している。


「おい人間! そっちの角度が少し甘いぞ!」


「やかましいオーク! 俺の目に狂いはない! それよりお前こそその馬鹿力で滑車を壊すなよ!」

 憎まれ口を叩き合いながらも連携に寸分の乱れもない。


 彼らの間には種族の違いによる憎しみや恐怖は存在しなかった。この北の地を守る戦友としての固い絆があるだけだった。


 城壁の司令塔からグレイデンが光景を見下ろしていた。


「……見事なものだな」

 誇らしげな呟きに、隣に控えていた年老いたオークの族長が深く頷いた。


「……うむ。これも全てグレイデン殿、そして偉大なる王のおかげだ。我ら亜人はもはや誰かの道具ではない。この大地に生きる誇り高き民として、この北壁を守り抜いてみせる」


「ああ。頼りにしているぞ族長」

 戦いの後、グレイデンは自らの意志でこの北の地へ戻ってきた。


 王都での栄達よりも、彼は厳しくどこまでも正直な大地を、そしてそこに生きる者たちを守る道を選んだのだ。


 解放された亜人たちとの交渉は困難を極めた。千年にも及ぶ憎しみの歴史はそう簡単に消えるものではない。だが、グレイデンは決して諦めなかった。


 彼は自ら亜人たちの集落へ足を運び膝を突き合わせ酒を酌み交わし、時には拳で語り合った。


 あまりにも真っ直ぐで誠実な彼の魂は、やがて亜人たちの固く閉ざされた心の扉をこじ開けていったのだ。


「……レナード。見ているか。お前が命を賭して守り抜いたこの世界を。俺は俺なりのやり方で守り抜いてみせる。……お前のように立派にはできんかもしれんがな」

 グレイデンは空へ呟いた。


 横顔は師の背中を追いかけるだけの若き騎士のものではなかった。


 多くの犠牲を乗り越え、自らのそして北の民全ての未来を双肩に背負う覚悟を決めた、真の北壁の守護者の顔をしていた。


【王都カドアテメ:受け継がれる魂】

 王都カドアテメの騎士団練兵場。

 若き騎士たちの鬨の声と剣の交わる音が活気よく響き渡っている。


 中心で一際厳しい声を張り上げているのはマルクだった。戦場で恐怖に震えていたか細い少年は、今や新生ロムグール騎士団の若き指南役として後進の育成に情熱の全てを注いでいた。


「そこまで!」

 マルクの一声で模擬戦を行っていた若い騎士たちが動きを止める。


「なっていない! 貴様たちの剣からは何も伝わってこん! 技を磨く前にまず己の魂を磨け! 何のために剣を振るうのか、誰のために命を賭けるのか! それを見つけられぬ者に騎士を名乗る資格はない!」

 厳しい言葉。

 だが、瞳の奥には誰よりも彼らの未来を案ずる温かい光が宿っていた。


 訓練場の隅で腕を組みながら二人の男が様子を見守っていた。


 一人はバルカス。もう一人は彼の忠実なる副官ライアスだった。


「……ふっ。随分と様になったではないかあの泣き虫坊主も」

 バルカスが髭の奥で満足そうに笑う。


「ええ。ですが師よ。あれでは新兵たちが萎縮してしまいます。もう少し言葉を選ばれてはと、後で私がそれとなく……」


「馬鹿を言えライアス。戦場に言葉を選ぶ暇などあるか。あれでいい。あれぐらいでなければ次の戦では生き残れん」

 バルカスの言葉に、ライアスは苦笑いを浮かべながらも頷いた。


 彼もまたこの数年で大きく成長していた。バルカスの右腕として騎士団の再編を一手に担い、実直で誠実な仕事ぶりは今や王国になくてはならないものとなっていた。


「……今の私がいるのは、司令官と副官殿のお陰です」

 いつの間にかマルクが二人の後ろに立っていた。


「何を言うか。俺は何も教えとらん。全て貴様があの地獄の中で自ら掴み取ったものだ」

 バルカスはマルクの肩を分厚い掌で強く叩いた。


 不器用な温かい激励にマルクは深く頭を下げた。



 平和な光景からすっと二つの影が音もなく消える。闇滅隊のハヤテとファムだった。

 彼らは王城の最も高い尖塔の上から暮れゆく王都を見下ろしていた。


「……良かったのか? ハヤテ。頭領の座を辞退するとは」

 ファムが問う。


「……けっ。柄じゃねえよ俺には。それに俺たちにはまだやるべきことがあるんだろうが」

 ハヤテは北の遥か彼方の空を見つめた。


「……弱まった封印。そして『外の大陸』の脅威。……女神は消えた。だが本当の戦いはまだ終わってはいないか」


「ああ。だから俺たちは影に生きる。光の世界はあいつらに任せて、俺たちは俺たちなりのやり方でこの平和を守り抜く。……それだけだ」

 二人の背中にはかつてのような任務をこなすだけの道具としての虚しさはなかった。


 自らの意志で影の世界に生き、光の世界を守るという気高い覚悟が宿っていた。


【シルヴァント公国:新たなる円卓】

 白銀の都シルヴァント。中心に位置する大陸で最も美しいと謳われる「月の宮殿」の一室で、大陸の未来を左右する重要な会議が開かれていた。


 主催するのはシルヴァント公国の公女セレスティナ。円卓にはロムグール、帝国、商業都市同盟、東方諸侯連合、それぞれの代表者たちが顔を揃えていた。


「―――以上が我がシルヴァントが提案する新たな『大陸憲章』の草案です。異論のある方は?」

 セレスティナの凛とした声が議場に響く。


 声にはかつてのような他国を試す響きはない。純粋にこの大陸の恒久的な平和を願う真摯な響きだけがあった。


 隣にはシルヴァントが誇る最も敬虔な騎士サー・レオンが控えている。


 女神が消滅し教皇領が権威を失墜した今、彼の信仰は一度拠り所を失った。だが彼は新たな祈りの対象を見つけていた。


 神ではない。この大陸に生きる全ての人々の平和な未来。そして理想を誰よりも気高く掲げる、自らが仕えるべき若き主君の姿だった。 


【南方とそれぞれの道】

 はるか南、砂漠の王国ザルバード。

 王宮の一室で若き王子ナシルは父である国王に、あの魔王城での一部始終を報告していた。


「―――故に父上。今こそ我らザルバードも北の大陸の者たちと手を取り合うべき時かと存じます。アレクシオス王は信じるに足る男です」

 熱のこもった言葉に国王は頷いた。


「……うむ。ナシルよよくぞ申した。長きに渡る我らの孤立も終わりの時が来たようだな。……早速大陸会議への正式な使節団を編成せよ」


「お待ちください父上」

 ナシルは父の言葉をきっぱりと遮った。


「……何だナシル。何か不満でもあるのか」


「いえ。ですがその使節団に私を加えることはお許しいただけませんか。……私は闇滅隊の一員として生きていきます」

 意外な強い意志を宿した言葉に、国王は目を見開いた。


「……王子であるお前がか。……影に生きると言うのか」


「はい。私はあの戦いで知りました。光の世界を支えるのは名もなき影の者たちの尊い犠牲なのだと。……私は彼らと共にこの新しい世界を影から支えたいのです」

 ザルバードの千年の歴史が今大きく変わろうとしていた。



 王城の一室。

 賢者セレヴィアはペンを走らせていた。


 彼女が綴っているのは予言の書ではない。この千年の長きに渡る戦いの真実の歴史。そして中で懸命に生きた全ての者たちの魂の記録だった。


 穏やかな横顔には千年の悔恨の色はなかった。全てを終え全てを受け入れた一人の女性としての安らかな光だけが宿っていた。



 そして田中樹はといえば。

 彼は王城の厨房で山のようなパンケーキを前に満面の笑みを浮かべていた。

「うめえ! やっぱり戦いの後の甘いもんは最高だな!」

 緊張感のない平和な光景。


 だがそれこそが彼らが命を賭して守り抜きたかった、何よりも尊い日常だったのかもしれない。


 世界は救われた。

 だが、それはめでたしめでたしで終わるお伽話ではない。


 多くの犠牲と新たな世界の理という変化を残して。

 それでも彼らは生きていく。


 この静寂世界の夜明けの中で。

 それぞれの道を。



 本日もお付き合いいただき、誠にありがとうございます。

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