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第百七十四話:魔王城到達

 地上の喧騒が嘘のような、静かで冷たい闇。古代の地下道は、世界の深淵へと続いているかのようだった。


 どれほどの時間、その闇の中を進んだだろうか。先を行く闇滅隊のファムが静かに足を止め、前方の微かな光を指差した。


 出口だ。

 俺は、息を殺して仲間たちに合図を送る。リリアナ、ヴァレンティン、バルカス、樹、そして賢者セレヴィア。それぞれの覚悟をその瞳に宿し、俺たちはついに、魔王の領域へと足を踏み入れた。


 そこは、およそ生命が存在する場所ではなかった。

 大地は黒いガラスのように硬質で、空には三つの不気味な月が血のような光を浮かべている。


 風はなく、音もない。ただ、魂が凍てつくような絶対的な静寂だけが、万物を支配していた。


「……ひどい場所。空気が、まるで死んでいるようだわ」


 リリアナが、思わずといった体で呟く。

 彼女ほどの魔術師ですら、この淀んだ魔力には眉をひそめていた。


「うげぇ……。なんか、鉄みてえな味がする。こんな場所に城を建てるとか、どんなセンスしてんだよ、魔王ってやつは」

 樹の、どこまでも場違いな感想が、静寂に虚しく響いた。


 そして、その中心に「それ」は聳え立っていた。


 黒水晶を削り出して作られたかのような、禍々しい城。天を突く尖塔は、見る者の正気を奪うかのように歪な螺旋を描き、城全体がまるで巨大な生物のように、ゆっくりと確実に脈打っているように見えた。


 命の気配が一切ないにも関わらず、城そのものが生きている。その、あまりにも異質な光景に、俺は息を呑んだ。


「……これが、魔王城……」

 バルカスが、その歴戦の経験をもってしても、畏怖の念を隠せずに呟く。


 城内への侵入は、意外なほど容易かった。

 まるで、我々の来訪を歓迎しているかのように、巨大な城門は、音もなくその口を開けていた。


 だが、一歩足を踏み入れた瞬間、俺たちは、自らの常識が、この場所では何の意味も持たないことを悟った。


 内部は、物理法則を無視した、異質な建築様式で構成されていた。まっすぐなはずの廊下は、メビウスの輪のようにねじくれ、天井と床が逆転する。


 壁は、触れると魔力を吸い取るかのような、ぬるりとした黒水晶でできており、その奥から不気味な光が明滅していた。


「陛下、お気をつけください。以前とは違う」

 セレヴィアが、杖を構えながら警告する。


「魔王の魔力そのものが凝縮し、結晶化したものです。城そのものが、我々を敵と認識し、攻撃を仕掛けてくる可能性があります。ここは、城というより、巨大な生物の体内と考えるべきです」

 彼女の言葉を裏付けるかのように、俺たちが進む廊下の壁から、音もなく無数の黒水晶の棘が射出された!


「うおっ!? 危ねえ!」

 樹の悲鳴が響く。


「盾を構えろ!」

 バルカスの号令と共に、俺とヴァレンティン、そして近衛騎士たちが盾を構え、火花を散らしながらそれを弾き返す。


 どれほど進んだだろうか。幾多の物理的な罠を闇滅隊が解除し、セレヴィアが魔力の流れを読んで安全なルートを切り開き、俺たちはついに、玉座の間へと続く最後の広間へとたどり着いた。

 だが、その行く手を、一つの巨大な影が塞いでいた。


 それは、この城と同じ黒水晶でできた、身の丈10メートルはあろうかという巨大なゴーレムだった。その身体には継ぎ目がなく、まるで一つの岩塊から削り出されたかのよう。


 顔に当たる部分には、グラズニールと同じ、不気味な赤い光が明滅している。魔王城そのものを守護するために生み出された、究極の番人。


「……最後の番人、というわけか。随分とでかいのが出てきたもんだな」

 バルカスの声に、緊張が走る。


「フン。ただのデクノボウだ。俺一人で十分だ」

 最初に動いたのは、帝国の将軍ヴァレンティンだった。


 彼の剣が、黒い閃光となってゴーレムの脚を薙ぐ。だが、甲高い金属音と共に、彼の刃は黒水晶の装甲に微かな傷一つつけることなく弾かれた。


「何っ!? 我が剣が、通じぬだと……!」

 ヴァレンティンの、その氷の仮面に、初めて焦りの色が浮かんだ。


「はっはっは! 帝国の秘剣とやらも、見かけ倒しですな、将軍殿!」

 その隙を埋めるように、バルカスが動く。彼は、近くに転がっていた巨大な石柱をその剛腕で引き抜き、ゴーレムへと力任せに叩きつける。


 凄まじい轟音と共に、ゴーレムの巨体が大きく揺らいだ。


「効くぞ! こいつは、純粋な物理的な質量に弱いらしい!」

 バルカスの、歴戦の経験に裏打ちされた分析。


「黙れ、老いぼれが! 貴様に言われるまでもない!」

 ヴァレンティンは吐き捨てるが、ゴーレムの赤い一つ目が、既にバルカスを捉えていた。


腕が変形し、巨大な戦斧となって、バルカスへと叩きつけられる。バルカスはそれを辛うじて石柱で受け止めるが、その衝撃に膝が砕けんばかりに軋んだ。


「おい!!」

 ヴァレンティンは、舌打ち一つすると、バルカスの背後へと回り込み、ゴーレムが追撃を放とうとした、その死角から、再び黒い魔剣を振るった。


 狙いは、ゴーレムの腕ではない。その足元、影が最も濃くなっている一点。


「我が剣は、影を断つ! 奴の体勢を崩す!」

 ヴァレンティンの剣が、ゴーレムの足元の床を斬り裂くと、ゴーレムの体勢が確かに崩れた。


 その動きは、ただの剣技ではない。影を操り、敵のバランスそのものを奪う、帝国の秘剣だった。


「今だ、老獅子!」


「言われるまでもないわ、小僧!」

 バルカスは、その千載一遇の好機を見逃さなかった。


 彼は、渾身の力を込めて、体勢を崩したゴーレムの、その胴体部分へと、石柱を力任せに叩きつけた!


 ありえないはずの共闘。


 ロムグールの盾と、帝国の剣。二つの決して交わることのなかった誇りが、今、魔王城の番人を打ち破るために一つになった。


 ゴオオオオオオオオオオオッ!!


 ゴーレムは、声にならない絶叫を上げ、その巨体を維持できなくなり、砕け散った黒水晶の破片となって崩れ落ちた。


 広間には、荒い息を繰り返す、バルカスとヴァレンティンの姿だけが残された。


「……ふん。老いてなお、その腕力だけは衰えておらんらしいな」


「将軍こそ。その、回りくどい剣筋は、相変わらずですな」

 二人は、互いに視線を交わすことなく、憎まれ口を叩き合った。


 だが、その背中には、いがみ合いながらも、強敵を前にして認め合わざるを得なかった、騎士としての奇妙な信頼が宿っていた。


 その、最後の番人が消え去った後。


 俺たちの目の前に、玉座の間へと続く、最後の扉が、重々しい音を立てて、ゆっくりと開かれていった。


「陛下……。この扉の向こうに、魔王が…」

 リリアナの声が、震えている。


「ああ。セレヴィア殿、覚悟は、よろしいかな」


「……ええ。千年の悔恨、今ここで、終わらせます」

 セレヴィアの瞳に、賢者としての、揺るぎない光が戻っていた。



 本日もお付き合いいただき、誠にありがとうございます。

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