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第百七十一話『二つの刃』

 俺の号令は、戦場の空気を変えた。


 それまでの絶望的な防衛戦から、起死回生の一手を得た反撃へ。連合軍の兵士たちの瞳に、再び闘志の火が灯る。


「続け! 蜂起した亜人たちに加勢し、敵の指揮系統を叩く! 王の道を開くのだ!」


 バルカスが、まるで若き日の獅子のような咆哮を上げ、巨大な戦斧を振って、解放された亜人たちの反乱を鎮圧しようと動く魔族の将校たちに楔を打ち込む。

 グレイデン率いる北壁の騎士たちも、その背中に続いた。


 連合軍は、混沌の渦の中心へと雪崩を打って、深く、深く侵入していった。そこは、地獄絵図だった。


 呪いから解放され、怒りのままに元々の主人に刃を向けるオーク。その隣で、未だ呪いに操られ、虚ろな目でかつての同胞に斧を振り下ろすゴブリン。


 そして、そのどちらでもない者たちがいた。


「見ろ! あのリザードマンの額には、呪印がない!」

 若い騎士の絶叫。その言葉通り、一部の亜人たちは、その瞳に狂信的な光を宿し、明確な意志を持って、反乱軍と連合軍の双方に牙を剥いていた。


 彼らは、魔王がもたらす「静寂」こそが真の救済であると信じ、自らその尖兵となることを選んだ者たちだった。


 内乱によって敵の指揮系統は麻痺している。だが、この三つ巴の混沌が、連合軍の進軍を阻んだ。

 だが、それこそが、グラズニールの描いた、第二の絵図だった。 


 俺たちが、敵陣の中枢まで到達したと確信した、まさにその時だった。それまで沈黙を保っていた大地が、突如として鳴動を始めた。


「なっ……なんだ!?」


 兵士たちの驚愕の声と共に、俺たちの左右、そして、今まさに通り抜けてきたはずの後方の谷壁が、偽装用の岩肌を崩落させながら、内側から開いていく。


 地響きと共に現れたのは、これまで見たこともない、黒鉄で統一された重厚な鎧を纏う、無数の亜人兵士たちだった。


 その後方、さらにその後方まで、黒鉄の軍勢が、地平線を埋め尽くさんばかりに広がっている。その総数、不明……!


「……なんだ、あいつらは……」

 俺の隣で、リリアナが息を呑む。


 俺はスキル【絶対分析】を最大稼働させ、その黒鉄の一団へと意識を集中させた。脳内に流れ込んできた情報は、俺の希望的観測を、根底から粉砕するものだった。


【名称】グラズニール親衛隊

【概要】四天王”不動”のグラズニールに、自らの意志で忠誠を誓った亜人たちの精鋭部隊。総員、三千。


 (……罠か!)


 俺が戦慄した時には、すでに遅かった。


 親衛隊は、完璧な統率の下、我々の退路を完全に遮断し、連合軍を、まるで巨大な蟻地獄のように、谷の底へと閉じ込めたのだ。


 内乱を起こした亜人たちと、まだ呪印に操られている兵士たちが入り乱れる谷底は、巨大な檻と化した。


 グラズニールの罠。それは、完璧すぎた。


 自らの奴隷兵士の反乱すらも餌として我々を誘い込み、完全に包囲し、狩られる獲物と変える。


 数千を数えた連合軍は、今や、逃げ場のない鉄の檻の中で、死を待つだけの存在と成り果てていた。


「陛下! ここはもはや、地獄です! 包囲を突破し、退却のご決断を!」

 グレイデンが、血塗れの顔で俺に叫ぶ。


 だが、四方を、機械のように冷徹な親衛隊が、ゆっくりと、しかし確実に、その鉄の輪を狭めてくる。

 退路など、どこにもなかった。


 俺の【絶対分析】が、明確な「詰み」の二文字を弾き出していた。その俺の絶望を見透かしたかのように、一つの声が響いた。


「―――おい、王様。いつまで、そこで突っ立ってるつもりだ」

 声の主は、レナード・フォン・ゲルツだった。


 彼は、親衛隊の猛攻を紙一重でかわしながら、俺の馬のすぐそばまでやってくると、その血濡れの顔で、不敵に笑った。


「見ての通りだ。このままでは、全員仲良くミンチになるだけだ。だが、まだ手はある。俺たちが、この場で、死ぬほど派手な最後の芝居を演じてやる。その隙に、あんたらは、城へ忍び込め。……それ以外に、勝ち筋なんざ、ねえだろうが」

 あまりにも合理的で、そしてあまりにも自己犠牲的な提案。包囲されたこの状況下で、それだけが唯一の活路だった。


「……だが、どうやって城へ? この包囲網を抜けたとして、魔王城への道など……」

 俺の、その最もな疑問に答えたのは、レナードではなかった。


「……道は、ございます」

 それまで、俺の背後でただ静かに戦況を見つめていたセレヴィアが、か細いが意志の光を宿した声で、口を開いたのだ。


「千年前、わたくしたちが、この谷を攻め落とした際に使った、古の道が。それは、もはや忘れ去られた、神代の時代の遺物。おそらく、魔王本人ですら、その存在を記憶の底に沈めているはずです。ですが、道は険しく、そして危険です」

 彼女の言葉に、俺たちは最後の希望を見出した。


 レナードは、俺の返事を待たずに、近くで戦うグレイデンへと叫んだ。

「おい、北壁の坊主! 聞いての通りだ! 俺は、ここで派手に散ることに決めた。貴様はどうする? 王様と一緒に、こそこそと裏口から逃げ出すか?」

 その挑発的な言葉に、グレイデンは、親衛隊の一人を斬り伏せながら、怒りの形相で振り返った。


「黙れ! 俺は、ロムグール王国北壁の盾! 民と王を守るのが、我が使命! この場を退くわけにはいかん!」


「へっ、威勢のいいこった。なら、決まりだな。俺と貴様で、どちらが長く、この地獄で踊り続けられるか、勝負と行こうじゃねえか!」


「待て、二人とも!」


 その、あまりにも無謀な会話に、俺は思わず叫んだ。だが、その俺の言葉を、さらに力強い声が遮った。


「ならんっ! グレイデン! 貴様は、まだ若い! このような場所で、犬死にするため、わしは貴様を育てたのではないぞ!ここは、おいぼれに任せい!」

 声の主は、バルカスだった。


 その顔には、鬼のような形相と、そして、息子同然に育ててきた弟子を失うことへの、深い悲しみが浮かんでいる。


「師よ……」

 グレイデンが、一瞬、その決意を揺らがせる。


 だが、彼はすぐに、その迷いを振り払うように、首を横に振った。


「師よ。俺は、もう、貴方の背中に守られるだけの、雛鳥ではありません。北壁の、そして、この連合軍の盾となる。それこそが、貴方が、そして、ゲルトが、俺に教えてくれた、騎士としての道だ!そして、師には王の盾の役割がある!」

 その、あまりにも真っ直ぐな瞳。


 そこには、もはや、師の庇護を求める若者の姿はなかった。自らの意志で、死地を選び取る、一人の指揮官の顔があった。


 バルカスは、何も言えなかった。ただ、その皺の刻まれた顔を悔しそうに歪め、そして、最後に、ほんのわずかに、誇らしげに頷いた。


 俺は、決断した。

 彼らの、あまりにも気高い覚悟を、無駄にはできない。


「これより、連合軍を二つの部隊に再編する! これは、討伐戦ではない! 生き残るための、解放戦争だ! 我々は、二つの刃となり、この絶望を切り裂く!」

 俺は、まず、レナード、そしてその隣で戦うグレイデンへと視線を向けた。


「陽動部隊! 指揮は、グレイデン・アストリア、そしてレナード・フォン・ゲルツ! 貴殿ら二人に、この包囲網の一角を、こじ開けてもらう! 我々が脱出する、ほんのわずかな時間だけでいい! その後、可能な限り敵を引きつけろ!」


「……御意!」

 グレイデンが、覚悟を決めた目で頷く。


「へっ、最高の舞台じゃねえか」

 レナードは、満足げに笑った。


「そして、もう一つは、潜入部隊。陽動部隊がこじ開けた穴から脱出し、魔王城を直接叩く!」

 俺は、自らの胸を指差した。


「その指揮は、俺が執る。リリアナ、ヴァレンティン将軍、バルカス、セレヴィア、そしてイトゥキ殿。闇滅隊もだ。我々は、大賢者の記憶を頼りに、魔王城へと続く、古の道を進む!」

 ヴァレンティンは、何も言わなかった。


 ただ静かに頷き、潜入部隊に加わるべく馬首を巡らせた。


 作戦は、直ちに実行に移された。


 陽動部隊が、残された全戦力を結集し、包囲網の一点に、決死の突撃を敢行する。


 その地獄のような光景を背に、俺たち潜入部隊は、セレヴィアが指し示した、谷の絶壁に隠された、苔むした古代の遺跡へと、その身を滑り込ませた。


 遺跡の入り口で、俺は一度だけ、地上の戦場を振り返った。


 剣戟の音、怒声、そして悲鳴。解放された亜人たちの歓喜と、まだ操られている者たちの慟哭が、混じり合って聞こえてくる。


 グレイデンとレナードが、その地獄の中心で、背中を預け合っているのが見えた。


 (……頼んだぞ、皆)


 俺は、心の中で呟くと、躊躇いを振り切り、暗く冷たい闇の中へと、最初の一歩を踏み出した。


 地上では、血を流す仲間たちが、我々のために時間を稼いでいる。


 地下では、世界の運命を背負う俺たちが、魔王の心臓を目指す。


 二つの刃は、今、確かに分かたれた。


 互いの成功を祈りながら、それぞれの死地へと、進んでいく。



 本日もお付き合いいただき、誠にありがとうございます。

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