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幕間:東方より来たる密書

 

 東方諸侯連合の要衝、アルビオン城の空気は、湿った石と、隠しきれない疑心暗鬼の匂いで満ちていた。


 シルヴァラント公国の公女セレスティナは、歓迎の宴の席で、完璧な笑みを浮かべながら、内心では深い警戒を覚えていた。


 数月前に先代公爵が急逝し、その跡を継いだ若き領主ファルクナーは、玉座で青白い顔を晒しているだけ。


 その瞳は虚ろで、実権は、彼の両脇を固める、最近どこからかやってきたという二人の「相談役」が完全に掌握しているようだった。


「セレスティナ公女殿下、長旅でお疲れでしょう。ささ、我がアルビオン自慢のワインを」

 相談役の一人、壮年の男が、蛇のように滑らかな物腰で酒を勧めてくる。


 その目に、温かみは一切ない。


「ありがとうございます。ですが、それよりもファルクナー様、連合軍への補給路確保の件、ご決断いただけましたでしょうか」

 セレスティナが、毅然として本題を切り出すと、若き領主はびくりと肩を震わせ、助けを求めるように相談役たちの顔を見た。


「あ、ああ……。そ、件については、我がアルビオンも、前向きに……」

「若様は、まだお心が乱れておいでです」

 もう一人の相談役が、ファルクナーの言葉を遮った。


「父君を失われた悲しみ、そしてこの城を襲った不幸な『事故』の数々。今は、静養が第一。外交の儀は、また日を改めましょうぞ」


 その夜、セレスティナは自室で、護衛騎士であるサー・レオンに昼間の懸念を打ち明けていた。


「……ファルクナー様の、あの怯えよう。そして、相談役たちの言う『事故』。レオン、何かを感じませんか」


「はっ。城内の兵士たちの目にも、光がありません。まるで、魂を抜かれたかのようです。この城は、何かに深く蝕まれております。姫様、長居は無用かと」

 レオンがそう進言した、まさにその時。


 カサリ、と。 

 部屋の扉の、その隙間から、一枚の羊皮紙が音もなく滑り込んできた。


 レオンが警戒しつつそれを拾い上げる。セレスティナが受け取り、蝋燭の光にかざした。


 そこには、震えるような文字で、数字が記されていた。

「これは……暗号ね。しかも、私にしかわからないような暗号……」


 彼女は、それが暗号であると気付き、上流階級で流行っていた言葉遊びの解読術を使い意味を読み解いた。


『彼らは人にあらず。父の書斎にて、真実を。今宵、三の鐘と共に。―――必ず、一人で来てほしい』


「姫様、なりません!これは罠です!」

 レオンは血相を変えた。


「『一人で』など、論外! 我らを孤立させ、害するつもりでしょう。このレオン、命に代えても許可できませぬ!」

 レオンの、あまりに真に迫った反対に、セレスティナは困ったように微笑むと、羊皮紙をそっとテーブルに置いた。


「……分かりましたわ、レオン。貴方の言う通りね。少し、焦っていたようです。今夜はもう休みます。軽率な判断を諫めてくれて、ありがとう」

 その、あまりにも素直な言葉に、レオンは一瞬戸惑ったが、主の安全が確保されたことに安堵し、深く一礼して部屋を下がった。


 だが、彼は自室には戻らなかった。廊下の闇にその身を潜め、静かに、主の部屋の扉を、見つめ続けていた。


 深夜。


 三つ目の鐘が、城下に物悲しく響き渡る。


 セレスティナは、眠っている侍女の服と入れ替わり、その気配を完全に殺して、闇に沈む城内を滑るように進んでいた。


 元公爵、ファルクナーの父親の書斎は、城の最も古い塔の、最上階にあった。


 彼女が、重い扉を、音を立てぬよう慎重に開けると、そこには、蝋燭の光に照らされ、ガタガタと震えるファルクナーの姿があった。


「……来て、くれたのか」


「ええ。真実を、お聞かせください」

 ファルクナーは、堰を切ったように語り始めた。


 父の死後、古くから仕えていた重臣たちが、次々と不可解な「事故」で死んでいったこと。


 その度に、どこからともなく、新しい相談役や側近が現れ、気づけば城の中枢は、完全に、得体の知れない者たちに乗っ取られていたこと。


「奴らの瞳には、人の光がない。ただ、大いなる静寂がどうとか……不気味なことばかりを……!」

 ファルクナーがそこまで語った、その時だった。 


「―――そこまでです、若様。余計な御高説は」

 書斎の扉が、音もなく開いた。


 そこに立っていたのは、昼間の、あの壮年の相談役だった。だが、その顔から、人の良さそうな笑みは、完全に消え失せている。


「公女殿下、貴女の慧眼には感服いたします。ですが、知りすぎた。貴女のような不協和音は、我らが奏でる『静寂』の調べには、不要なのです」

 二人の相談役は、その法衣の下から、毒が塗られたと思わしき、黒光りする短剣を抜き放った。


 その動きには、もはや助言役の老人の緩慢さは微塵もない。研ぎ澄まされた暗殺者の、無駄のない殺意だけがあった。その瞳は、狂信者の、人間離れした光を宿していた。


 二人の使徒が、セレスティナとファルクナーへと、音もなく躍りかかった。


 まさにその瞬間。


 書斎の、もう一つの扉が、轟音と共に外側から蹴破られた!


「姫様からお離れしろ、狂信者どもめが!」

 そこに立っていたのは、剣を抜き放ったサー・レオンだった。


 彼は、セレスティナの覚悟を見抜き、先回りして、この書斎に潜んでいたのだ。


 使徒たちは、予期せぬ闖入者に、一瞬だけ動きを止める。


「レオン!」


「はっ! 姫様!」

 書斎は、一瞬にして戦場と化した。

 レオンは、シルヴァラント騎士団でも屈指の剣士だ。だが、使徒たちの動きは、暗殺者のそれであり、二人掛かりの連携は、レオンですら防戦一方に追い込んでいく。


「衛兵! 衛兵を呼んでください!」

 セレスティナが叫ぶ。


 だが、使徒の一人が嘲笑った。 


「無駄だ。この塔の衛兵は、すでに我らの『教え』を受けた者たち。貴女の声は、誰にも届かぬ」


 その言葉が、ファルクナーの心に、最後の火を灯した。

 彼は、震える手で、父が遺した角笛を掴むと、書斎の窓を割り、城下に向けて、力の限り吹き鳴らした!


 城内に、警鐘の音が鳴り響く。


「小僧ッ!」

 使徒の一人が、ファルクナーに斬りかかろうとする。それを、レオンが身を挺して庇い、その腕に深い傷を負った。


 数分後。書斎の扉は、城の衛兵隊によって完全に包囲されていた。


「観念しろ、逆賊ども! 若様と公女殿下を解放せよ!」

 衛兵隊長の、怒りに満ちた声が響く。


 絶体絶命。完全に追い詰められた二人の使徒は、顔を見合わせると、静かに頷いた。そして、セレスティナに向かって、歪んだ歓喜の笑みを浮かべた。


「……良いでしょう。ですが、覚えておいでなさい。静寂の調べは、もう、始まっているのです。この大陸の、全ての魂が、安らかなる無に帰す日は、近い……」 


「大いなる静寂に、栄光あれ」


 次の瞬間、二人は、その手に持っていた短剣を、ためらうことなく、自らの首筋へと深々と突き立てた。


 声もなく崩れ落ちる、二つの骸。


 事件は解決した。だが、セレスティナは、その敵の底知れない狂気を目の当たりにし、この戦いが、剣や力だけでは決して勝てぬ、人の心を奪い合う戦争であることを、改めて思い知らされるのだった。



 本日もお付き合いいただき、誠にありがとうございます。

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