幕間:癒し手の小さな畑と、一番星
たまには、ほのぼのとした話をどうぞ。
冬の気配を色濃く映した風が、ロムグール王国国境の難民キャンプを吹き抜けていく。
風は、乾いた土埃と、拭い去ることのできない絶望の匂いを運んでいた。
粗末な灰色のテントが、どこまでも続く灰色の空の下、墓標めいて立ち並ぶ。
行き交う人々の瞳から光は失われ、ただその日を生き延びるためだけの、鈍い動きを繰り返していた。
ロザリアは、胸を締め付けられる思いで、粥を配給するための大鍋をかき混ぜていた。
彼女が王都から持ち込んだ「太陽の実」は、多くの難民を飢えから救ってはいる。だが、彼らの心を覆う深い絶望までは、癒すことができずにいた。
彼女の視線が、キャンプの片隅で、壁のように身を寄せ合ってうずくまる、数人の子供たちに向けられた。
彼らは笑うことも遊ぶこともしない。汚れた毛布にくるまり、この世界の全てを拒絶するかのように、固く閉ざした瞳で虚空を見つめているだけだった。
その中の一人、ミナという名の少女。彼女は、片目の取れた汚れた布人形を、まるで自分の半身であるかのように強く、強く抱きしめていた。
ロザリアは、芋煮の配給を終えると、意を決して子供たちの元へ歩み寄った。彼女が近づくと、子供たちは怯えた野良猫のように、びくりと身をこわばらせる。
「……こんにちは」
ロザリアは、できるだけ優しい声で話しかけた。
そして、キャンプの外れ、誰にも顧みられることのない、雑草と石ころだらけの小さな空き地を指差した。
「ねえ、みんな。あの、何もない土を、緑でいっぱいにしてみたいと思わない?」
あまりにも場違いな提案に、子供たちの中で一番年嵩の少年が、侮蔑の光を目に浮かべて吐き捨てた。
「……馬鹿なこと言うなよ。どうせ、何も育たねえよ。この土地は、呪われてるんだ。俺たちの故郷と同じようにな」
他の子供たちも無言で頷く。
ミナは、ただ虚ろな瞳を、ロザリアに向けるだけだった。
ロザリアは反論しなかった。
彼女は黙って空き地へ歩いていくと、冷たい固く凍てついた土の上に、そっと膝をついた。そして、その両の手のひらを大地に置いた。
彼女がゆっくりと目を閉じ、祈るように自らの魔力を大地へ流し込む。彼女の【生命活性】の力だ。
すると、どうだろう。彼女の手のひらを基点として、凍てついていた土が、まるで春の陽光を浴びたかのように、ふわりと色を生命力に満ちた黒へ変えていったのだ。
「……わたくしたちには、剣も、魔法もありません。でも、この手と、ほんの少しの知識があります」
ロザリアは懐から、数個の「太陽の実」の種芋を取り出した。
「この子たちは、生きたがっているわ。少しだけ、力を貸してあげてほしいの。この子たちが、無事に育つように」
子供たちは、信じられない光景を、ただ呆然と見つめていた。
最初に動いたのは、ミナだった。彼女はおずおずと立ち上がり、ロザリアの隣にちょこんと座り込んだ。
そして、小さなためらうような手で、ロザリアが温めた土にそっと触れた。
温かい。
久しく忘れていた生命の温もりが、彼女の凍てついていた心の壁を、ほんの少しだけ溶かしたのかもしれない。
その日から、キャンプの片隅で、奇妙な光景が見られるようになった。
一人のそばかすの少女と、数人の子供たちが、来る日も来る日も、ただ黙々と、小さな畑を耕しているのだ。
石を取り除き、水路から苦労して水を運び、そして、ロザリアが教える通りに、小さな畝を作る。その手はすぐに泥だらけになり、冷たい風に赤くかじかんだ。
だが、彼女らはやめなかった。
ロザリアのひたむきな姿が。そして、日に日にその表情に生気が戻っていくミナの姿が、他の子供たちの心をも動かしていた。
数週間が過ぎた、ある朝。
畑にやってきた子供たちは、息を呑んだ。
固く凍てついていたはずの土を、力強く突き破って、いくつもの小さな、しかし力強い緑色の芽が、顔を出していたのだ。
「……芽が……」
「出た……!」
「こんなに早く……!」
子供たちの間から、歓声が上がる。ミナは、その芽を壊れ物にでも触るかのように、その小さな指先でそっと撫でた。
さらに数週間後。初めての収穫の日。
採れたのは、形も大きさもバラバラな不格好な芋が、ほんの数個だけ。だが、それは彼らが自らの手で、この死んだ大地から生み出した、最初の、そして何よりも尊い「恵み」だった。
その夜、彼らは畑の脇で小さな焚火を囲んだ。
火の中にくべられた芋が、香ばしい甘い香りを立てる。
ロザリアは最初に焼けた一番小さな芋を、ミナの手にそっと握らせた。ミナはおずおずと、その熱い芋を小さな口でかじる。
そして。
これまで、何の感情も映さなかった少女の顔に、驚きと、どうしようもないほどの喜びに満ちた、はにかんだような小さな、小さな笑みが浮かんだ。
「……おいしい……」
そのか細い一言。
それを合図とするかのように、他の子供たちも我先にと焼けた芋に食らいつき、その温かさと美味しさに歓声を上げた。
ロザリアは、その光景を涙が滲むのをこらえながら、ただ黙って見つめていた。
ふと、ミナが夜空を指差した。
「……一番星」
そこには、闇を照らす強く、そして美しい星が一つ、輝いていた。
ロザリアは、その星を見上げ、そして目の前で芋を頬張りながら笑い合う子供たちの顔を見下ろした。
ここが、自分の戦場だ。
この小さな、小さな希望の光を、絶望の闇の中で守り、育てていくこと。
それこそが、自分に与えられた何よりも尊い使命なのだと。
彼女は胸の前でそっと手を組み、静かに、しかし強く誓った。
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